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近藤康弘 Nouvelle page ②

近藤さんの作陶に欠かせないもの 濱田庄司記念益子参考館

インスピレーションの存在 その1|濱田庄司記念益子参考館


近藤さんが作陶したり、日々を生きる上でのインスピレーションとなる存在。

ひとつめは、濱田庄司記念益子参考館がそれだと思う。

「濱田庄司記念益子参考館は、陶芸家濱田庄司が、自らの作陶の参考として蒐集した品々から受けた恩恵と喜びを、広く一般の方々と共有し「参考」にして欲しいとの意図で、自邸の一部を活用し1977年に開館しました。田舎の健やかな生活から生まれた濱田庄司の世界観を、自然豊かな館内で味わっていただければ幸いです」
(濱田庄司記念益子参考館公式ホームページより)

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1924年に濱田庄司は益子町に移住した。
1930年から現在の益子参考館及び濱田窯の敷地内に、益子町や茂木町などに建てられていた複数の建物を徐々に購入移築し、自身の生活と作陶の場としていった。
以前より蒐集品を一般の人々にも見学してもらっていたものの、より効果的に観覧できるように、1974年12月9日、自身の80歳の誕生日を記念し「財団法人益子参考館」を設立。自身の所有の建築物とこれまでの蒐集品を寄付し、1976年9月27日に私立博物館登録を行った。
最晩年となった1977年4月10日、後進の民藝の道を志す人たちの創作や、一般の人たちも民藝品を鑑賞することの「参考にしてもらいたい」という想いの元に、自身を初代館長として自邸の一部を使用し、濱田自身が日本のみならず世界中から蒐集した様々な民藝品を展示して開館したのが益子参考館だという。

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現在の川崎で生まれ、東京で学生時代を送り、京都、イギリス、沖縄と移り、その後36歳で益子に腰を据えた濱田庄司。
大阪生まれの近藤康弘さんもまた、益子に惹かれ作陶修行を開始し、現在も豊かな里山の住居兼仕事場で暮らしている。

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最初は展示を見に参考館に寄せていた近藤さんは、次第にこの参考館で行われている煎茶の稽古やお花の会に通うようになる。
その活動を通じて、自らの世界を創造したり磨いたり、人との縁を繋ぎ広げることとなったそうだ。

コロナ禍の際、気分が落ち込みがちになった近藤さんは、ある時、その稽古や会へ通うのを退きたいと申し出たことがあったという。

そこで返ってきたのは
「休むことはあっても、生まれたご縁を、そう簡単に自分から断ち切るような真似はしないほうがいい」
という趣旨の言葉だったそうだ。

健やかな生活には必ず誰かの支えがある。
自らも、知らず知らず誰かの支えになっていることもある。
益子という里山の地では、人との繋がりや助け合いがあって暮らしの中のやきものが育まれてきた。

参考館は単に博物館という場を超えて、近藤さんにとって陶芸や人生に豊かなものをもたらす場所であるようだ。

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