読み物

やきもの、益子、近藤康弘 ③

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近藤康弘さん、語る。/ 前篇

 

“人生の第三の変化というか、わくわくしてます”

今回2年ぶりに個展をして頂く益子在住の近藤康弘さん。はじめて知り合ったのは2012年だったと思いますが、そこから8年。

折しも世界中で新型コロナウイルスが広まり変化を促される私たちの暮らし。

この状況下。近藤さんご自身もあえて変化を求め10年以上過ごした工房から旅立ち、新たな工房へと向かうことを決めたそうです。

人生で3回めの変化と言えるかもしれないという今。
改めて今までの道のりを振り返りながら、今後に向けて胸を弾ませる気持ちを近藤さんに語ってもらいました。


○それまではほんとにやきもののが好きとか、そういうのはなかった

高3のとき、進学するかどうしようかって時に、まあ俺長男で実家の家業があって。親父が一人でやってたんで、それで跡を継ぐのかっていう問題もあったりで。

継ぎたくなかったっていうよりかはとにかく自分のなんかやりたいことっていうか、なんかないかみたいな感じで他に探してたんですよね。

敷かれたレールじゃないところを探してみようっていうところで、リクルートブックで学校を探してみてた時に、やきものの学校とガラスの学校があって。で出したんですけど(資料請求を)、なぜかガラスの学校のほうが届かなくて。

でその流れでやきものの学校に行ってみたという感じで。それまではほんとにやきもののが好きとか、そういうのはなかったですね。

小学校の女の先生がやきもの好きな人がいて、授業で縄文土器を作って焼いてもらったりだとか、貝塚古墳を見に行ったりだとか。

そういうのをやってもらった記憶を、まあそん時にちょっと思い出したっていうか。ちゃんと考えている奴は考えているんだろうけど、のほほんとそんな悩まずにきたんでそこで現実と向き合ったっていうか。

その時の同級生には、なんで陶芸なんかっていう感じでけっこう止めてくれる子もいたり。やめとけと。

いきなり言い出したんで自分も。高校三年間、一度も言ったこともないから(笑)


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○俺無理やろっていう、第一の挫折

そこでやきものの道に入るわけですけど、同級生の半分くらいが同世代の子らで、半分は脱サラして入った人とか定年してお金が充分にあってやりたいことやろうと入学した人がいて。

けっこうその自分は、同い年の子らよりもちょっと年上の人らとの交流が刺激があってですね、全然知らない世界を教えてくれて。学校で教えてもらうことよりもそこが面白かったっていう。

その内の一人に鯉江良二さん(※陶芸の概念を覆す卓越した技法で日常のうつわから現代美術として挙げられる「チェルノブイリシリーズ」などの代表作で知られる。今年8月に逝去)のお弟子さんが基礎技術を学ぶためにいたんですけど、その人と喋っていると面白いし、ちょうど通学路が一緒だったんで。

その人と仲良くしてもらっていたんですけど、それで鯉江さんの弟子時代の話とか鯉江良二って人をかなり教えてもらったりして。

で当時は今みたいな日常食器の作家さんが人気があるってよりもオブジェ作家さんがこう活躍してるというか。

18くらいの自分の、ない頭でもこの世界でのしあがったろみたいな夢見たんですけど、その鯉江さんのスケールの大きさを聞いてる内に、俺無理やろっていう、第一の挫折でしたね。

この道でやっていけないなと思いました。で、学校は一年でやめて。

でもま、やきものの道自体はやめず。その時は親に学費出してもらって申し訳ない気持ちがいっぱいっていう。そんな覚悟もできてない、自分のわがままで来ちゃったとなと思って。

当たり前だと思ってたことが当たり前じゃないことに気づき出す。

もしこのやきもの続けていくなら自分で働いて働きながらでも自分の力で切り開いていこうと、やめたんですよね学校を。

オブジェ作家さんというかアーティストというか、そういうのも無理だなって。自分が普通過ぎるって思っちゃって。

一年置いて、京都造形大の陶芸の通信コースの講義受けることにして。

それは当時は講義受けるごとにお金が発生する形だったからそれだったら働きながらつかず離れず講義を履修して、結果的にやきものとつかず離れずにずっといられたというか、繋げてくれたんですよねやきものの道を。

で自分がつかず離れずにいる間に、時代が変わっていくんですよね。

9.11があって、ああいう社会的に大きなことが起こるとトレンドなんかも大きく変わるんかなって。今思うとそうだったなと。

あの頃はそれがきっかけでオブジェ作家さん寄りの時流というかムードっていうかそういう人らが台頭していたから、日常食器を見直す流れへと変わっていった感じになったなと感じてて。

ちょうどその頃の自分が民藝協会に出会って。ちょっとこう出来心で(笑)それに入ったんです。京都民藝協会。それが大きな転機でしたね。

 

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