読み物

YUTA 須原健夫 境界を潜る ④

ある世界のタケオ・スハラのお話

ある世界のタケオ・スハラのお話


金工作家のタケオ・スハラは、かつて過客であった。
魅惑のトーキョーという東の地で、金属を手なづける修行をしていた。
彼はやがて、金や銀や真鍮の茫漠とした砂漠に分け入ることに成功し、手ずからジュエリーを作るようになった。
辿るようにしてその砂漠を旅する内に、茫洋とした霧の中に手頃な大きさの滝を見つけると、瞬く間に裏側へと吸い込まれていった。
数年、彼は滝から戻ることはなかった。


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しかし沈黙を経て、一瞬の閃光の如くタケオ・スハラは帰還した。

ふたたび人々の前に姿を現した彼は、風に揺れるようなカトラリーたちを手にしていた。
一方ジュエリーたちは、どこか遠くを見つめるような表情のまま静かに、函の中にその身を横たえていた。
そう、半分眠るようにして。


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タケオ・スハラは、カトラリーたちと手を取りながら、多くの土地を綿密に探索しては、自らの身体の中から新たにカトラリーを発掘し、採集して歩いた。


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それからまた時は過ぎ、過客として彼は新たに此の地、ミノオへやって来たのだった。

歳月の経った、少し年老いてはいるが優しい空気を漂わせる家屋を整え、腰を落ち着けた。
そして大切なこととして、ミノオでまた彼は滝に再会したのだった
滝の後ろはトンネルがあって、それは大抵、異なる世界とつながっているものだ。

そこを通って彼は久しぶりに町にやってきた。
町に着くと、彼は自分の身体の中心に一本の線が引かれていることに気がついた。
まるで境界線が引かれてしまったかのようだった。
そして身体の左側だけが重くなった。
バランスが取りにくくなり困惑しながらも、抗い難い何かに、引きつけられるようにして歩みを進めるとある場所に行き当たった。
そこには一本の塔がそびえていた。
これは、いつか何かの書物で目にした記憶のある、精神の宮殿とか忘却事象の閲覧塔ではないかと気がついた。
入口でまごついていると、案内係がやってきて「どうぞ」と声をかけられた。
そのまま閲覧室に通された。
身体の左側がいよいよ重たい。
不恰好なまま、閲覧室のカウンターに座ると、別の係が奥の扉から姿を表し
「やあ、ようやくご到着ですね、準備してお待ちしていましたよ」
と、待ってましたとばかりに引き出しをごそごそし始めた。
準備して待っていたとはなんのことだ?と覚えのないタケオ・スハラは心の中で首をひねった。


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「こちらがあなたの忘れ物です」
差し出されたのは、函に入れて家のどこかで埃をかぶっているはずの半分寝ぼけ眼をしたジュエリーたちだった。
明るい灯火の下に置かれたジュエリーたちは驚いてきょろきょろしていた。
「もう眠らせてはいけませんよ。身体の均衡ってやつが崩れてきますからね」
そう言うと係は、タケオ・スハラの身体の中央に走る境界線をぐいっと掴み、少し小刻みに左右に揺らし余白を作ってやり、ジュエリーたちをはめ込んだ。
それは鍵と鍵穴のように、ぴたりとはまった。

あれだけ重かった左半身が軽くなり、均衡が整った。
すとんと帳尻が合ったようだった。


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それからというもの彼は工房にやって来ると、カトラリーを作る時間とジュエリーを作る時間をまずは拵えて、日々を過ごすようになった。
自分の身体に走る、見えない境界線の右はカトラリー、左はジュエリーとして。
いや、その実、右は左でもあるし、左は右であるに過ぎず、集中すればするほど自らの中を一本通っている芯のような境界線だけを意識した。
自分の身体を通して、滝の向うにある別の世界を観測している感覚も透けて見えるかのようだった。


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【須原健夫(すはら・たけお) 略歴】
1978年 大阪府出身
2002年 東京で彫金を学び始める
その後目黒に工房を構えジュエリー制作を始める
2008年 カトラリーの制作を始める
クラフトフェアまつもと、山口アーツ&クラフツに出展
以降、ARTS&CRAFT静岡手創り市、瀬戸内生活工芸祭等、全国のクラフトフェアに出展を続ける
2009年 工房を東京都青梅市に移転、工房名を「yuta」とする
2010年 全国のギャラリー等で展示活動を開始
2013年 工房を大阪府箕面市に移転

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