読み物
耐冬花 ①
作家紹介 近藤康弘さんへの一問一答
通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
作家さん自身からの誠実な言葉と考えをお読み頂きながら、作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
今回は展覧会の季節である冬のはじめの季節、作家二人が愛する椿についての質問もさせて頂きました。
質問1
はじめましての方に向けての、経歴とは違う自己紹介をお願いします
───この道に入ったきっかけは、結構いい加減です。金型屋の父親の跡を継ぐのがどうにも嫌で、反発心から何のゆかりもなかった、陶芸とガラスの学校の願書を請求しました。なぜかガラスの学校の案内は届かなくて、陶芸の学校が面白そうだと入学、そこが始まりです。
しかし、それでこの世界を少し知り、陶芸家というものが、若気のいたりのエネルギーを持ってしても自分には絶対無理だとすぐあきらめます。
その後は趣味のような形で続けていた陶芸だったのですが、23歳で民藝運動の思想に出会い、考えが変わります。名もなき陶工、あらたなる職人へのあこがれです。自然原料を大事にし、数をこなせばきっと自分でもなんとかなる、やれるという確信。思いは高まり、翌年益子という土地へ頭を丸めて弟子入りし、色々ありましたが、なんとか2009年に独立しました。
そして紆余曲折の末、目標にしていた薪窯を3年前に築窯、今にいたりますが、まだそこは全然ゴールじゃなく、新たな物語のはじまりでした。
*質問8へつづく
質問2
お二人が知り合った経緯、その時の第一印象、そこから変化した点をそれぞれお聞かせください。
───記憶が間違っていなければ、最初に前嶋くんに出会ったのは、自分の習っているお茶の会にお客様できてくれた時だと思います。明るくて話しやすく、なかなかのトークスキルを持っている方だなと思いました。その後、すぐくらいのタイミングで自分が参加している花の会に入会され、一緒に習う事になったのかな。ゆっくり話をしてみると、凄く花に対する情熱を持っていて、正直ちょっとけむたいくらいでした笑
…というのも自分が好きな花と好みが結構似ていて、山野草も詳しいし、椿に自生種の菊にと、ひとりで楽しんでいた世界に、割り込んでこられるような気がしたからです。(なかなかまわりの同世代にそんな人間はいなかった)
椿に関しては、好みは似ているんだけど、ピンクの花がどうやら受け付けないようで、たくさん持ってる自分をディスられたな〜。自分が知らない情報を時々嬉しそうな顔で提供してくれ、刺激を与えてくれる存在です。
作り手としては、仕事にたいしてはとても真面目で、薄くはない再生ガラスから作られるガラスは、芯がある前嶋くんの人柄に似ていて丈夫で割れにくい。民藝の話もできるし、骨董もおなじく好きだったり、話があうと思います。
独立した年こそ最近ですが、なかなかの経歴、いろんな経験値を持っている人で、困った時は何でもやってくれる前嶋サービスに頼もう!と思える頼りになる存在です。何か困り事がある時は頼んでみるといいでしょう。
今回一緒に京都の地で二人展を出来ること、2年前から楽しみにしていました。
質問3
今まで訪ねた中で、最も印象に残っている場所はどこですか。その時の思い出もよかったら少し教えてください
───ムツゴロウ王国の動物の臭い。。といきたいところですが、器づくりを始めてからにします。
2ヶ月ほど滞在制作をさせていただいたデンマークボーンホルム島です。やきものづくりをする原料(粘土にカオリン、長石)がすべて足元に眠ってあって、それをとってきて器を焼く事ができる、まさに自分たちにとっての宝島。日本は藁や籾を釉薬につかいますが、代用に麦藁灰で作ってみた釉薬がなかなか良かったです。お世話になった陶芸家のお宅で出逢った素敵な方々、ヒュッゲな時間、仕事の合間をぬって何軒も訪ね歩いたセカンドハンズショップに蚤の市。夢のような楽しい時間でした。
質問4
お二人とも椿愛好家とお聞きしていますが、椿のどういった点が魅力ですか?また、これから育ててみたい方にひとつだけアドバイスをするとしたらなんですか?
───たくさんありますが、ゆずれない2点があります。
椿はかつて艶葉木(つやばき)と呼ばれていたようで艶のある葉に特徴があると…椿好きは、行き過ぎると花よりも葉に魅力を感じるようになってしまうとききます。ある古書で知ったのですが、埼玉川口の安行に椿名人がいたようで、その名人は葉っぱを見ただけで300種の椿を言い当てたと記載されていました。…レベルが違います。その逸話を知ってからというもの、葉っぱが気になって気になって…。
「濃い緑で艶があって、プルンとしたふくよかな曲線を描いて…そしてツノが生えたような形をした葉をもつ椿。」
そんな一本を探しています。
もう一つですが…器をつくる者として、1番好きなあこがれる器がありまして、それは400年ほど前に名もなき朝鮮の陶工が作ったといわれる井戸茶碗です。戦国武将や茶人が愛したその価値は、なんとお城ひとつと交換できるとか!ありがたい事に今の時代には、時期がよければそれを美術館で見る事ができます。ただそんな茶碗は見ること叶っても、もちろん手に入れる事はできません。そこで椿なのです!戦国武将や茶人たちは椿を愛し秘蔵していたとか。そしてその時代、庶民は手に入れることなどできなく、枝一本持ち出す事厳禁の椿もあったとか…。椿は花がポトリと落ちて縁起が悪い…なんていう近代の不遇の時代もありますが、誰々が愛した椿、どこどこの神社、寺院で植えられている由緒あるそのほとんどをわたしたちは今、安価で手に入れて楽しむことができるのです!そして自分はそのどれがいったい本当のベストなのかを知りたいために、欲望のまま、いや大義をもって庭にたくさん集め植えています。
ひとつアドバイスするならば椿があると幸せホルモンがでます。
質問5
展覧会が始まる頃にいよいよ冬の入り口に差し掛かりますが、季節の食材や料理で一番好きな食べ物と、それについての所感を教えてください
───鍋ですね。採れたての白菜に熱々の豆腐があれば、あとキノコ。特にこの鍋!というこだわりはありません。最近は作り手仲間で集まって鍋をよそって食べることもめっきり減りました。豪華な食材があるわけではありませんが、器だけはそれぞれの家庭に色んな作家さんの器がこれでもかと並んであって好きな器を選ぶのが楽しみです。そして日本酒が好きになったのも益子にきてからそんな夜をとおしてです。
質問6
冬のはじまりを迎える中で、風情を感じるのはどんな瞬間ですか?
───益子に移り住んでから徐々に「あれ?」…っと、感じるようになったのですが、季節の変わる瞬間があるような気がします。空気が変わるような、匂いがするような、景色が変わるような。ちょうどこれを書いている日の朝、外の景色は初霜がおりて真っ白でした。ひとときのきらきらした景色が、陽のあたるところから湯気をあげながら元の色を取り戻していく姿、なかなかでした。

質問7
子供の頃でも大人になってからでもいいのですが、冬にまつわる思い出をひとつ教えてください
───3年半の焼き物の修行時代が終わる12月の暮れに、無理が出たのか、うまれてはじめてギックリ腰になりました。それでもなんとか無事終える事ができたのですが、そのすぐあとに毎年川でキャンプしながら年越ししているという先輩に誘われ、数人の仲間たちで参加しました。明るいうちに薪を集めていたのですが、太い倒木を持った時に「ビキッ」となってしまいもうそれから起き上がれず。川のまわりが寒いのか、その日が特別寒かったのか、マイナス10℃くらいの中、ぜんぜん動けなかったので朝まで焚き火のすぐ横、燃えないギリギリで過ごしました、熱さと寒さと痛みで全然眠ることができず…朝起きて来た人がみたら、身体中灰が降り積もって真っ白だったようです。その腰の痛みは治るのに半年かかりました。
質問8
これまで継続して今のお仕事をされてきたと思います。ものごとと向きあい続ける中でご自身が大切にしてきたものはなんですか
───なんでしょうか…
目標にしてきた薪窯はつくったのですが、その窯がなかなか大変で失敗の連続でした。そして、それでも頑張っていこうと思っていたのですが…身体に異変が起こります。2024年の年が明けてから、腰回りがおかしく右足をひきずるようにしか歩けない。整体、鍼灸へ行っても治らない。3月にレントゲンをとってみたら、白い影がうつり。…骨肉腫という、100万人に2、3人しかならないという癌でした。そこからの展開は早く、緊急入院となり、抗がん剤を繰り返し手術でした。時間をおかず専門医の先生に出会えたことが幸運で、結構危なかったらしく、でもなんとか命を助けてもらいました。…ただその代償に右骨盤をとったことによって右足に歩行障害が残り。
退院したあとはすぐ仕事、と思っていたのですが…、轆轤台にあがれない…車椅子で電動轆轤をまわしてみるものの、少し背骨もけずっている影響で、力入らず土殺しができない。…そして神経痛がそのあと襲ってくるという。今まで出来ていたことがまるで出来なくなってしまいました。
リハビリ生活のあっという間の一年で一つずつ出来ることを増やしていき、なんとか轆轤は回せるようになりました。でも松葉杖だと物を運ぶ事が出来ない。人の助けを借りながらの制作。この先どうなっていくのか…色々私生活においても、出来ていたことが出来なくなり、無駄なことはそぎ落ちていく感覚。
残ったのは自分が大切にしてきたもの、こと。それは恵みのあるもの、なのかもしれません。
うまく言えませんがそれがあると豊かな気持ちになれるもの。恵みをうみだして与えてくれるもの。
山の中で野菜や花を育て、ひっそりとでもいい、静かな暮らしの中でうつわを作り続けていけたらいいなと思っています。
(了)
近藤 康弘(こんどう やすひろ)略歴
1978 大阪府千里に生まれる
2004 栃木県益子町榎田勝彦氏に師事
2009 益子町にて築窯、独立
以後、各地にて展示会、イベント出展
2018 韓国広州にてグループ展に参加
2019 デンマーク、ボーンホルム島に滞在、制作を行なう
2022 益子内にて工房移転、登り窯築窯
2024 骨肉腫を発症、右足に障害をもつ