読み物

やきもの、益子、近藤康弘 ②

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戻ってくる場所

展覧会っていったいなんだろう。
展覧会という名の単なる販売会?
もちろん店は店で、つくり手さんはものづくりを生業としているからには展覧会はそういう役割を担っている。
それは否定しない。
けれど。


今年の3月の半ば頃。
益子にいた。
近藤康弘さんのもとを数日訪れていた。

確か最後の日の車中でのことだった。

近藤さんは、今の自分なんかでお客さんに見てもらうような「ちゃんとした」展覧会をできるのかという不安を口にしていた。
来てくれるお客さんに喜んでもらえるかどうか。
お店さんに迷惑かけちゃあいけないし。

時折訪れる沈黙をはさみながら、ごく個人的な身のまわりについてのことも聞かせてくれた。
そこから生じる自分のモチベーションという繊細な部分にも触れ、何か自信をなくしているような目をした近藤さんを、ミラー越しに私は後部座席から見ていた。

「ちゃんとした」ってなんだろう。
近藤さんの気持ちの内側を聞きながらも、ずっと考えていた。

ちゃんと、という呪縛。

売れ筋のものも手堅く入れておきましょう。
テーマみたいなものもあるとわかりやすいかな。
せめて点数はこれくらい用意しないと。
雰囲気ある空間に雰囲気よくしつらえて。
「ちゃんと」しないと。

しないと?
ダメなの?

条件が揃えば揃うほどいい感じの出来上がったように見える催しになるけど、一番大切にしたいのはそこじゃない。

少なくとも今の近藤さんに気にしてもらう必要なんてない。
あとのことは全部私にまかせてくれたらいい。
近藤さんにはもっと大切にしてほしいことがある。

「近藤さん。もしね本当にダメならやらないって選択肢になってもいいです。ただね、今ダメかもしれない近藤さんでも、それが「今」の近藤さんなら私は受け入れたい。いろいろやってみてうまいこといかなくても、数ができなかったとしてもいい。お客様に喜んでもらうとかお店に迷惑とかもしばらく忘れて。つくり手はまずは作ってみてやってみてわかることのほうが多くないですか?「今」の近藤さんでいいんです。それが見たいです。展示のことはまた少し時間置いて聞きます。今決めなくていいです」
そんな意味のことを私は近藤さんに言ったと思う。

さっぱりと、じゃあ今年はやめておきましょうかという選択肢もあったはずだ。

でもなんとなく、今回はそうしないほうがいいような気がした。

いろんな状況が訪れ、気持ちが様々に変化しても、巡り巡って戻ってくるのはこの「つくる」という場所なのではないかと思う(良くも悪くも)。
だからここで待っていたかった。

何もかっこつける必要なんてない。
全力尽くして出来上がったものを並べ、それをご覧になりたいという方々へ場を開くのが展覧会だと私は思う。

もし近藤さんが、この壺一個だけだけどこれは本当に納得いくものですと堂々と持ってきたら私は喜んで受け取って店の真ん中にたった一つ堂々と据えるだろう。

展覧会も様々な形、思いや目的で営まれる。
そんな中で、もしこんな展覧会があってもたまにはいいでしょう。

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