読み物

井上茂 こころの風景 ⑥

井上茂さん、語る その4

井上茂さん、語る その4

“僕の『井上茂』っていう意味が無くなっちゃうって思ってる”


今回3年ぶりに個展をして頂く愛知県在住の井上茂さん。
2016年のある日、突然自作を携えて百職を訪れてくださったのがきっかけでお取扱を始めることになってからもう6年が経とうとしています。
それからは、日本各地のみならず海外でも作品がお取扱されるようになり、ご自身もあえて変化を求めながら様々な挑戦をし続けていらっしゃいます。
自分の中の「井上茂」という意味はなんぞやと考え、並行しながら夢中で手を動かす日々。
これまでの道のりと、現在とこれからへ向ける少年のようなワクワク感を交えながら、井上さんが溢れる思いを語ってくださいました。


ものづくりってやっぱり自分が喜びたい

天然や原土には全然こだわってないんです。皆「よく原土にこだわってるよね、釉薬にこだわってる」っていうけど、この風合いがいいからそこに行き着くんですと。別に原土じゃなくても素晴らしい土があって、練ってて値段もそう高くないやつがあったらそっちがいい。でもそういう粘土って無い。誰でも挽きやすい土になっちゃうと僕的につまらないものになってしまう。ただね、ヒビ粉引き用で粘性がすごい高いやつでいい土1つだけ見つけた。志野茶碗用の土で。すごく粘性が高かった。ヒビ割れないかなと思って大皿にかけてみたらよかった。だからあんまり原土ということには最近こだわらないです。

あと三島のイメージだねと言われますが三島に対してもそんなに思い入れはないんです。粉引ができなくて思いついた器です()。両利きだったのが良かったところかな。彫りが上から下、上から下と交互になってるから。意外と彫りって難しいらしくて他の人の話を聞くとあれって利き腕だけだと非常に難しいんですって、向きが違うから。両腕でやると上から下からってすんなりできるんだけど利き腕だけでやるとすごくぎこちない動きになっちゃうんです。なんだか自然じゃないかたちになる。あと陶芸って(姿勢を)固定させることが大切。轆轤でも絶対脇を固定するじゃないですか。彫る時も絶対固定するんですよ。脇と肘を固定して、そこから腕の動きだけで彫ってるんですよね。脇はぶらんぶらんさせない、それって作陶の基本中の基本で、普段は別に意識はしてないんだけどやっぱり自然とやりやすい。それで彫り三島をやってて『だったら印花もやろう』と勝手に自分で印花を作った。

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今の緑灰釉では釉がすごく溜まってああいう色になるっていうのが分かって、見込みのところをちょっと深くして釉を溜めてああいう色にさせようかとかやってます。ものの特性、釉薬の特性やら土の特性に合わせたようなものを作ってるのが今の現状。それが作為なのか無作為なのかっていう極論でいくと、何かを作りたいがために釉薬や土を選ぶんじゃなくて、この素材で作れる方法を探してます。今年は釉薬の年だったんです。灰釉の年。だからああいう色的なものを出して。来年はまた来年で年の初めにちょっと考えようかなと。他人が良いと思うのでなく自分が『お、良いな』って思うようなもの。「もっとやれないの?」と求道することを大切にしたいです。ものづくりってやっぱり自分が喜びたいからやるんだと思う。

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○”でもあるけどでもある

僕はなんか神社に行くと、感謝をする気持ちに自然となれる。そのあと人にも感謝ができる。あとはなんかけじめみたいな感じですかね、それでしょっちゅう行くようになったかな。家内もそれはあって二人とも同じ趣味だったのね。共通点の趣味。毎回行っても別にお願い事はしなくて。百職さんのところでも(京都時代の店舗の近所にあった)熊野神社に行って、ここで生業をさせて頂きます、ありがとうございますっていうふうにけじめをつける。そういうけじめとご挨拶みたいな感じ。それとちょっと邪心にまみれそうになると行く
()。なんか気持ちがさついてるよねっていう時になると『いかんいかん、これはいかん』って。日本神話から始まるそういうことが僕すごく大好きで、家内も大好きで。古事記や日本書記とか。無常という考え方の”とかも好きで。でもあるけどでもあるみたいな。そういうところで僕がを生み出し…生み出してるっていうか作ってるんだけど。その双極っていうところをこれからもっと知りたい。(了)




井上 茂(いのうえ しげる) 略歴
1968年 愛知県生まれ
2010年 常滑市にて独学で作陶開始
2016年 独立開窯

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