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境道一・境知子 LIFE ④
境道一さんロングインタビュー
○薪で焼いてなかったらやきものやってないと思うもんね
――初めてうつわを拝見したのは2013年の「灯しびとの集い」(※大阪府堺市で年一回開催されるクラフトフェア)でしたね。
道一「そうですね〜2013年?8年前か〜!」
――うつわも変わってきて、釉薬の種類も増えてきているなぁと。織部のうつわもはまだその頃は今ほどたくさん並んでいなかったような…?
「ああ、もしかしたら始めたくらいだったかもなあ」
――そこに並んでいたのも焼締と灰釉のうつわの印象が強かったです。
「ね〜、ずいぶん変わってきたよねー。独立して長男が産まれたのが2000年くらいで、その辺からちょっとずつ変わってきたのかな、と。」
――釉薬ものを始めるとなると、焼締での作陶とは違いますよね。
「そうですね。始めた頃は本当に焼締しかやってなかったんで」
――そうですよね、備前の学校(岡山県立備前陶芸センター)に行かれて。
「そうそう。岡山から帰ってきて、そこからまた独立して(生まれ故郷の)長野に帰ってきて自分で窯作った時はもうゴリゴリの焼締作家でやってく予定だったから。ははは。まあ焼締をメインにしようとは思ってたよね。もちろん釉薬もやるつもりはあったけどまったく何もわからなかったので」
――薪窯では釉ものの作品の釉調の変化もかっこいいですものね。火がどんな風に動いてこのうつわは焼けたんだろう?と想像させてくれる作品が道一さんは多くて魅力的です。
「いやあ。なんかね、薪で焼いてなかったらやきものやってないと思うもんね。それが本当に原点なので。薪で焼けなくなったらやめないかんかなと思ったりもするし」
――それくらい面白さがある?
「やり甲斐があるという感じですかね。薪窯でだいぶ助けられてる部分があるので。だからまあその辺の偶然性も含めてなんかこう楽しみがあるからやってられるというか。電気窯やガス窯は分からないので。本当に。まあ今でこそガス窯も使ってますけど。それこそまだここ2年とか3年とかの話なので」
――2019年に工房訪ねた時に、ちょうどガス窯譲ってもらってやって来たところでしたよね。それからですもんね。
「そうそう。なので使いこなすなんてレベルじゃなくて、温度上げるので必死みたいな」
――なるほど。構造はわかっていてもですね。
「そうだね。理屈はわかるんだけどね。そんなにテクニックはないし。付き合ってる年数が全然。薪窯の方がよっぽどよくわかってますしね」
○思い切って決断して香川に移ってきて、だからこそ頑張ってやらないといかんなという気持ちは強くはなった
――少し、陶芸を始めたきっかけの話を。お父様が陶芸をされていたことは道一さんに影響を与えたんですか?でも確か小さい頃から陶芸をやりたかったわけじゃなかったんですよね?
「そう、もちろん。なんだろう、ものづくりってことに関してはすごく興味があったよね。だから木を削るのも好きだし。鉄いじってんのも面白いなどう思うし。だからそのいじくるのの一番身近にあったのが土だったというくらい。でまあ小さい頃から親父やってるの見てたから。身近だったよね」
――身近といえば土遊び自体、多くの子供にとってもすぐ出来る遊びではありますよね。泥団子作ったり。
「そうだね、ピッカピカのよく作ってたもん」
――すごい上手そう。
「めっちゃ気合い入れて作ってたよ。ははは。カッチカチのやつね。磨いたりしてね」
――磨くのが大事らしいですよね、あれね。
「そう、すごい磨くんだよ、あれ。まあ誰しも通る道ではあると思うけどね」
――ただ誰しも通る道からそのまま素通りしていくんじゃなくて、道は実は続いていて陶芸の道に入っていったのが道一さんの選択だったんですね。
「それはやはり親父がやってたというのもすごく影響あるよね。家で使う食器は全部親父だったし。遊び来る人は長野県内の陶芸家だったりとか。ははは。特別産地ではないんだけどね。親父世代ってみんな仲が良くて。なんかしら集まってバーベキューしたりとか、みんなでスキー行ったりとかね。それにくっついていって。いまだに親父世代の人にお世話になってたりもするしね。今も気にかけてもらって。元気でやってるか?と声かけてもらったりするよ。でも香川来ちゃったからね〜。それもあって今頑張れてるのかなっていうのもあるんだけどね。思い切って決断して香川に移ってきて、だからこそ頑張ってやらないといかんなという気持ちは強くはなったよね」
――離れたからこそ、ですかね。
「そうだね、たぶん」
――アンケートを取らせてもらって座右の銘にしている言葉を質問に、選ばれたのがお父様の言葉だったことが印象深かったです。
「ああそれはね、いつもある。何かにつけて出てくるから。ああいうこと言われたなって。一番身近で尊敬する人だからね。それはやっぱあるよね」
――道一さんのお人柄が出てる気がしました。
「なんかね、ちょっと変わった人なんですよ、うちの親父。なんだろうな、すごいこう馬鹿正直な人なんで。たぶんもうあんな人には会えないんだろうなというタイプの人間で。俺だけじゃなくてみんな、周りの人は結構思ってるんじゃないかな。まあ無駄なこともすごいしてるんだけど。無駄に遠回りしてることもあるんだけどピュアなんだろうね」
――なるほど。1人の人間としてもとても印象的なお父様がいて。それでも憧れて陶芸家になりたいと思っていたわけではなかったのが、まわりまわってこんなに薪窯に魅せられている陶芸家になっている今があるのは面白いですね。
「不思議なもんですよね。自分でも思うもんね。そう考えると父親の影響大だったんだよね。一切そんな「跡継げ」とかそんな話は一言もなかったから。そんなこというタイプではなかったし」
――思い切って備前に勉強しに行こうっていうのは自分で決めたんですよね?それはどういう気持ちだったんですか?
「なんだったんだろうねー。昔のことだからはっきり覚えてないけど、まあ備前に行く時はそれで食べていくっていう気にはなってなかったと思うんだよね。高校出てすぐくらいだから。薪窯で焼締作るっていうのはどんなものが出来るのかな、見てみたい、いろいろ知りたいなぐらいの軽いね。弟子入りしてからだよねだから、自分でやって行きたいなと思ったのは。それからかな。独立してからすぐに親にもなったからね。と言っても焼締は今回ポットしか出してないんだけどね笑」
――そうなんですよね(笑)。ただ焼締といううつわを知るのをポットから入ってもらうのもいいですよね。だからポットしか出してなくてもいいです!
「そうだね~、焼締のポットもいいんちゃう?って思うから。入口になるといいよね。選ぶきっかけになってくれたらいいなと」
○実験みたいな形で始めたことを今は少しずつ自分の理想に近づけようとしてます
――今回メインになってるのは釉薬ものの器ですね。
「今一番メインに据えているのは織部ですね。でもそれだけだと余りにもお腹いっぱいになっちゃうから。ははは。窯のクセを利用して、織部と対比できるものを作ろうかなと。自分の窯の良いところが出せる色というか。場所によって火のクセも違うし、火の流れも変わってくるので。その火の流れの中で、織部が一番きれいに出る場所、織部を焼くにはちょっと火が強過ぎる場所にはその火が強いのを一番利用できるミモザ釉を焼こうとか。そういう考え方かな、今は。お互いにとっていい感じで焼けるバランスの場所を探して。で織部の後ろは炎の勢いが弱いのでちょっと優しい感じに火が走るから粉引焼こうとか。そんな感じ。またそれは火の強い感じになるように焚けばそこにあった釉薬を考えるだろうし」
――窯焚きの際の火の流れをどうやってうまく使うかっていうのもとても大切なんですね。
「うんうん、そうそう。あとはその上でその色にあった形のうつわとか。色で考えてしまってて。最近織部も型打ちの皿が多いんやけど。平面的に釉が流れた感じを狙ってみたりとか。というのが今面白くなっちゃってて。だから湯のみもわざとストレートに挽いて、釉の流れが面白く出ないかなとか。というのを今はメインで考えてたりして。またたぶん変わると思うんですけど」
――マイブームなんですね(笑)。
「そうそう、今はそれが楽しくてしょうがないというとこあるね。湯のみ、ちょっと作り過ぎたかなと思ってる(笑)」
――基本的には薪の窯で焼くということを中心に考えて、ろくろ挽いたり釉のアイディアを広げたりしてるんですね。
「それが一番ですよね、やっぱり。まあ偶然で『おお!こんなすごいの出ちゃった』という時もあるし、逆に大失敗ってこともあるんだけど」
――まだ大失敗の時、ありますか。
「あるある。うわ、やっちゃったって時もあるんだけどね。まあそれも含めて、次からまた頑張ろういうものにもなるし。すごく上手いこと焼けたデータをそのまま焼いてもそうならなかったりするからね。そういうもんなんだろうね。そういうことも含めて魅力があります」
――道一さんの独特の織部のうつわ…青緑が強かったり、黒が強く出ていたりする釉薬についてなんですけどね。美濃焼などのガラス質で透明感のある深緑色の織部とは一味違いますよね。何か違うものを作りたいとイメージして作り出したんですか?
「いや、全然なくて」
――あれ?なかった?
「ははは。なかった。昔からのああいうゴリゴリの織部しか自分も知らなかったので。ああいうものだろうと思っていたのがあったし。ただ自分の窯で焼いたら面白いのが焼けたんですよね、たまたま。ああ面白ーいと思って。もう本当に偶然。釉薬もたまたま材料屋さんにもらったサンプルが残ってたから焼いてみたみたいな感じですよ。ちょっと隙間出来たから焼いてみようみたいな」
――ちょっと実験のつもりでやってみたような。
「そうそう、織部焼くぞってやったわけではなくて。それじゃ今じゃメインになっちゃってるもんね。ははは。織部中毒に自分がなっちゃってる。はじめは実験みたいな形で始めたことを今は少しずつ自分の理想に近づけようとしてますね」
――作る上で課題はその都度出てくるものですか?
「そうですね…うーん。何かを生み出すってしんどいじゃないですか。もちろん毎回自分の中ではモデルチェンジをしてて。形も含めて。だからお皿でも前とあんまり変わんないんだけど少し考えて、リムを広くするとか。パッと見て何が違うのって言われちゃうけど。窯焚きの前回ああしてこうなったら今回はこうしてみようとかしてるし。人様に言えるようなことではないんだけどね」
――あくまでも自分の中での、ということですよね。
「そう。自分の中では思い切ったモデルチェンジなんだよ。けどそれは中々ね、周りにはたぶんわからない、微妙なレベルアップというか。自分の中では、今回はこれがテーマというのはもちろんありますね。些細な、地味な感じで」
――最近、しっかりファンも獲得しているある作家さんが引退して別のことやりたいという話をしてたんですが、道一さんは引退を考えたことあります?
「えー!引退なんて思ったことないな。身体が動く以上は。身体が動けば死ぬまで現役もいけるしね。だってまだまだ俺より元気な上の(年齢)人たくさんいるからね」
――やりたいことは尽きないですかね。
「そうだね。尽きるなんてことあるかな。いや~たぶん尽きないんじゃないかなあ。考えたことなかった。歳とともに身体が動かなればペースは落ちるんだろうけど。それでもやってることは変わんないんだろうな。動かなくなったら今よりちっちゃい窯作って焼くのかも。今は余裕がないからまだあまり先のことは考えられないんだけどね」
――じゃあ少しだけ先の話をするとしたら、来年は仕事場のほうに居を移すのが楽しみですね。
「うん。そうなると少し変わるのかなって。子供たちも独立して。子供中心だった生活がガラッと変わるので。楽しみではあるね。作るところだけじゃなくて暮らしも変化しそうだし。落ち着いたら泊まりに来てよ。」
――絶対行きたいです!茶々にも会いたいですし。茶々(境家の愛犬)も引越しは喜ぶかな。あの子は本当に元気ですよね。何歳?
「茶々はね11歳。人間で言うと70歳くらい。茶々は野犬の子なんでね。近所に茶々の親戚にあたる子がいて、その犬から推定してたぶん70歳くらいやでって。しかしあんな元気な70歳いるかなって思うんだけど。全然衰えてこないよね」
――以前お邪魔した時も元気に勇ましく鳴いていた姿が思い出深いです。いつかは落ち着いてくるかな?
「落ち着くのかな〜?死ぬまであんな感じなのかなって(笑)。 まあとにかく仕事のほうもふだんの暮らしのほうも変わってくるんだろうなと思うから楽しみですね」
(了)
境 道一(さかい・みちかず)略歴
1975 長野県生まれ
1994 岡山県立備前陶芸センター卒業 備前焼作家 正宗悟氏に師事
1997 長野県須坂市にて独立 穴窯を築窯する
2015 香川県三木町に移住 穴窯、倒炎式窯を築窯する