読み物
耐冬花 ②

通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
作家さん自身からの誠実な言葉と考えをお読み頂きながら、作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
今回は展覧会の季節である冬のはじめの季節、作家二人が愛する椿についての質問もさせて頂きました。
質問1
はじめましての方に向けての、経歴とは違う自己紹介をお願いします
───家族だけで営む小さな町工場の次男として生まれました。働くということは物を作るという事と刷り込まれていたのかもしれません。
小学生のころに閉めてしまった工場の名前は「前嶋製作所」。僕の屋号「前嶋硝子器製作所」はそこから来ています。製造業でありたいという願いも込めて。

質問2
近藤康弘さんと知り合った経緯、その時の第一印象、そこから変化した点をそれぞれお聞かせください。
───益子でお世話になっている器屋さんの紹介で参加させて頂いた生け花の勉強会でお会いしたのが最初だと思います。優しく温和な人柄とは違って、男性らしく力強く無駄のない、真っ直ぐな花を生けられる方だなと思った記憶があります。
それからは椿の話を色々と教えてもらったり、椿の苗木を探しに遠方に出かけたりと僕にとっては椿の先生です。
そしてこの2年間、近藤さんの闘いを少し離れたところからですが見続けてきました。今では近藤さんの花はやはり近藤さんを写していると思います。強く、真っ直ぐな方です。
質問3
今まで訪ねた中で、最も印象に残っている場所はどこですか。その時の思い出もよかったら少し教えてください
───若い頃は放浪の癖があり、バイクで様々な土地を旅しました。
その中で特に記憶に残っているのは、徳島県南部の海岸線です。複雑に入り組んだ地形と澄んだ海に浮かぶた島々、ちいさな入り江毎に点々と続く集落。広大な、雄大な景色よりも自然の中に人の営みがある風景が美しいと感じた初めての体験だったかもしれません。
質問4
前嶋さん、近藤さんともに椿愛好家とお聞きしていますが、椿のどういった点が魅力ですか?また、これから育ててみたい方にひとつだけアドバイスをするとしたらなんですか?
───椿は厳寒の中に咲く数少ない花の一つで、一年を通して葉を落とさない常緑樹でもあります。
その生命力と美しさから古来より寺社仏閣、茶道、華道と様々な儀式、様式で重用されてきました。その為多くの椿が挿し木を繰り返し現在までその多様な種を伝えています。戦国大名が、茶人が愛した花と、限られた地方だけで密かに数百年愛され守られた花と全く同じ花を手にし、愛でることが出来るのです!(半分以上近藤先生の受け売りです)
そんな歴史や逸話に目を向けて椿を選ぶのも楽しいかもしれません。育て方にアドバイス出来るほどではありませんが、椿は丈夫ではありますが根が浅いため水切れには注意して下さい。成長もゆっくりなので庭木にしたい方は接ぎ木苗を選ばれた方がよいと思います。
質問5
展覧会が始まる頃にいよいよ冬の入り口に差し掛かりますが、季節の食材や料理で一番好きな食べ物と、それについての所感を教えてください
───京都にちなんでという訳ではありませんが修学旅行のお土産で買って帰った聖護院かぶらの千枚漬けに感動して以来、無類のカブ好きです。この辺りでは聖護院かぶらは手に入らないので普通のカブですが味噌汁、ポトフ、煮物にステーキと様々に楽しんでいます。
そんな万能なカブですがやっぱり千枚漬けが一番好きでスーパーで3つ一束だったら2つは漬けてしまいます。
質問6
冬のはじまりを迎える中で、風情を感じるのはどんな瞬間ですか?
───庭の木々が葉を落とし、いよいよ椿がその姿を際立たせる事。工房が暑いから温かいに変わる事。そして冬の笠間は夕日がとてもきれいです。
質問7
子供の頃でも大人になってからでもいいのですが、冬にまつわる思い出をひとつ教えてください
───子供のころ凧揚げに行ったのに凧を揚げたくないと駄々をこねた記憶があります。その感覚は今でもあって伸びきった糸の緊張感とどこかに飛んで行ってしまうかもしれないという不安感はいまでも苦手かもしれません。
質問8
これまで継続して今のお仕事をされてきたと思います。ものごとと向きあい続ける中でご自身が大切にしてきたものはなんですか
───時にほかの仕事もしながら硝子製作は絶えず続けてきました。独立してからは必要最低限の設備で主に地元の酒蔵さんから頂いた空き瓶を溶かして製作しています。自分に与えられたもの、場所でこそ作れるものを。特別でなく何でもない日々の為のものを、その日々の中で繰り返し使われる中でより特別になりえるものを。そんな野望を持って製作しています。
(了)
前嶋 洋明(まえじま ひろあき)略歴
1982 茨城県ひたちなか市に生まれる
2005 ガラス工房カモス(茨城県笠間市)にて制作を開始
2010 鵜沢ガラス工房(茨城県常陸太田市)にてアシスタント研修
2011 ガラス工房カモスのスタッフとして勤務 個人制作活動としてNoraglassをスタート
2021 茨城県笠間市に築炉 前嶋硝子器製作所として独立
耐冬花 ①

通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
作家さん自身からの誠実な言葉と考えをお読み頂きながら、作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
今回は展覧会の季節である冬のはじめの季節、作家二人が愛する椿についての質問もさせて頂きました。
質問1
はじめましての方に向けての、経歴とは違う自己紹介をお願いします
───この道に入ったきっかけは、結構いい加減です。金型屋の父親の跡を継ぐのがどうにも嫌で、反発心から何のゆかりもなかった、陶芸とガラスの学校の願書を請求しました。なぜかガラスの学校の案内は届かなくて、陶芸の学校が面白そうだと入学、そこが始まりです。
しかし、それでこの世界を少し知り、陶芸家というものが、若気のいたりのエネルギーを持ってしても自分には絶対無理だとすぐあきらめます。
その後は趣味のような形で続けていた陶芸だったのですが、23歳で民藝運動の思想に出会い、考えが変わります。名もなき陶工、あらたなる職人へのあこがれです。自然原料を大事にし、数をこなせばきっと自分でもなんとかなる、やれるという確信。思いは高まり、翌年益子という土地へ頭を丸めて弟子入りし、色々ありましたが、なんとか2009年に独立しました。
そして紆余曲折の末、目標にしていた薪窯を3年前に築窯、今にいたりますが、まだそこは全然ゴールじゃなく、新たな物語のはじまりでした。
*質問8へつづく
質問2
前嶋洋明さんと知り合った経緯、その時の第一印象、そこから変化した点をそれぞれお聞かせください。
───記憶が間違っていなければ、最初に前嶋くんに出会ったのは、自分の習っているお茶の会にお客様できてくれた時だと思います。明るくて話しやすく、なかなかのトークスキルを持っている方だなと思いました。その後、すぐくらいのタイミングで自分が参加している花の会に入会され、一緒に習う事になったのかな。ゆっくり話をしてみると、凄く花に対する情熱を持っていて、正直ちょっとけむたいくらいでした笑
…というのも自分が好きな花と好みが結構似ていて、山野草も詳しいし、椿に自生種の菊にと、ひとりで楽しんでいた世界に、割り込んでこられるような気がしたからです。(なかなかまわりの同世代にそんな人間はいなかった)
椿に関しては、好みは似ているんだけど、ピンクの花がどうやら受け付けないようで、たくさん持ってる自分をディスられたな〜。自分が知らない情報を時々嬉しそうな顔で提供してくれ、刺激を与えてくれる存在です。
作り手としては、仕事にたいしてはとても真面目で、薄くはない再生ガラスから作られるガラスは、芯がある前嶋くんの人柄に似ていて丈夫で割れにくい。民藝の話もできるし、骨董もおなじく好きだったり、話があうと思います。
独立した年こそ最近ですが、なかなかの経歴、いろんな経験値を持っている人で、困った時は何でもやってくれる前嶋サービスに頼もう!と思える頼りになる存在です。何か困り事がある時は頼んでみるといいでしょう。
今回一緒に京都の地で二人展を出来ること、2年前から楽しみにしていました。
質問3
今まで訪ねた中で、最も印象に残っている場所はどこですか。その時の思い出もよかったら少し教えてください
───ムツゴロウ王国の動物の臭い。。といきたいところですが、器づくりを始めてからにします。
2ヶ月ほど滞在制作をさせていただいたデンマークボーンホルム島です。やきものづくりをする原料(粘土にカオリン、長石)がすべて足元に眠ってあって、それをとってきて器を焼く事ができる、まさに自分たちにとっての宝島。日本は藁や籾を釉薬につかいますが、代用に麦藁灰で作ってみた釉薬がなかなか良かったです。お世話になった陶芸家のお宅で出逢った素敵な方々、ヒュッゲな時間、仕事の合間をぬって何軒も訪ね歩いたセカンドハンズショップに蚤の市。夢のような楽しい時間でした。
質問4
近藤さん、前嶋さんともに椿愛好家とお聞きしていますが、椿のどういった点が魅力ですか?また、これから育ててみたい方にひとつだけアドバイスをするとしたらなんですか?
───たくさんありますが、ゆずれない2点があります。
椿はかつて艶葉木(つやばき)と呼ばれていたようで艶のある葉に特徴があると…椿好きは、行き過ぎると花よりも葉に魅力を感じるようになってしまうとききます。ある古書で知ったのですが、埼玉川口の安行に椿名人がいたようで、その名人は葉っぱを見ただけで300種の椿を言い当てたと記載されていました。…レベルが違います。その逸話を知ってからというもの、葉っぱが気になって気になって…。
「濃い緑で艶があって、プルンとしたふくよかな曲線を描いて…そしてツノが生えたような形をした葉をもつ椿。」
そんな一本を探しています。
もう一つですが…器をつくる者として、1番好きなあこがれる器がありまして、それは400年ほど前に名もなき朝鮮の陶工が作ったといわれる井戸茶碗です。戦国武将や茶人が愛したその価値は、なんとお城ひとつと交換できるとか!ありがたい事に今の時代には、時期がよければそれを美術館で見る事ができます。ただそんな茶碗は見ること叶っても、もちろん手に入れる事はできません。そこで椿なのです!戦国武将や茶人たちは椿を愛し秘蔵していたとか。そしてその時代、庶民は手に入れることなどできなく、枝一本持ち出す事厳禁の椿もあったとか…。椿は花がポトリと落ちて縁起が悪い…なんていう近代の不遇の時代もありますが、誰々が愛した椿、どこどこの神社、寺院で植えられている由緒あるそのほとんどをわたしたちは今、安価で手に入れて楽しむことができるのです!そして自分はそのどれがいったい本当のベストなのかを知りたいために、欲望のまま、いや大義をもって庭にたくさん集め植えています。
ひとつアドバイスするならば椿があると幸せホルモンがでます。
質問5
展覧会が始まる頃にいよいよ冬の入り口に差し掛かりますが、季節の食材や料理で一番好きな食べ物と、それについての所感を教えてください
───鍋ですね。採れたての白菜に熱々の豆腐があれば、あとキノコ。特にこの鍋!というこだわりはありません。最近は作り手仲間で集まって鍋をよそって食べることもめっきり減りました。豪華な食材があるわけではありませんが、器だけはそれぞれの家庭に色んな作家さんの器がこれでもかと並んであって好きな器を選ぶのが楽しみです。そして日本酒が好きになったのも益子にきてからそんな夜をとおしてです。
質問6
冬のはじまりを迎える中で、風情を感じるのはどんな瞬間ですか?
───益子に移り住んでから徐々に「あれ?」…っと、感じるようになったのですが、季節の変わる瞬間があるような気がします。空気が変わるような、匂いがするような、景色が変わるような。ちょうどこれを書いている日の朝、外の景色は初霜がおりて真っ白でした。ひとときのきらきらした景色が、陽のあたるところから湯気をあげながら元の色を取り戻していく姿、なかなかでした。

質問7
子供の頃でも大人になってからでもいいのですが、冬にまつわる思い出をひとつ教えてください
───3年半の焼き物の修行時代が終わる12月の暮れに、無理が出たのか、うまれてはじめてギックリ腰になりました。それでもなんとか無事終える事ができたのですが、そのすぐあとに毎年川でキャンプしながら年越ししているという先輩に誘われ、数人の仲間たちで参加しました。明るいうちに薪を集めていたのですが、太い倒木を持った時に「ビキッ」となってしまいもうそれから起き上がれず。川のまわりが寒いのか、その日が特別寒かったのか、マイナス10℃くらいの中、ぜんぜん動けなかったので朝まで焚き火のすぐ横、燃えないギリギリで過ごしました、熱さと寒さと痛みで全然眠ることができず…朝起きて来た人がみたら、身体中灰が降り積もって真っ白だったようです。その腰の痛みは治るのに半年かかりました。
質問8
これまで継続して今のお仕事をされてきたと思います。ものごとと向きあい続ける中でご自身が大切にしてきたものはなんですか
───なんでしょうか…
目標にしてきた薪窯はつくったのですが、その窯がなかなか大変で失敗の連続でした。そして、それでも頑張っていこうと思っていたのですが…身体に異変が起こります。2024年の年が明けてから、腰回りがおかしく右足をひきずるようにしか歩けない。整体、鍼灸へ行っても治らない。3月にレントゲンをとってみたら、白い影がうつり。…骨肉腫という、100万人に2、3人しかならないという癌でした。そこからの展開は早く、緊急入院となり、抗がん剤を繰り返し手術でした。時間をおかず専門医の先生に出会えたことが幸運で、結構危なかったらしく、でもなんとか命を助けてもらいました。…ただその代償に右骨盤をとったことによって右足に歩行障害が残り。
退院したあとはすぐ仕事、と思っていたのですが…、轆轤台にあがれない…車椅子で電動轆轤をまわしてみるものの、少し背骨もけずっている影響で、力入らず土殺しができない。…そして神経痛がそのあと襲ってくるという。今まで出来ていたことがまるで出来なくなってしまいました。
リハビリ生活のあっという間の一年で一つずつ出来ることを増やしていき、なんとか轆轤は回せるようになりました。でも松葉杖だと物を運ぶ事が出来ない。人の助けを借りながらの制作。この先どうなっていくのか…色々私生活においても、出来ていたことが出来なくなり、無駄なことはそぎ落ちていく感覚。
残ったのは自分が大切にしてきたもの、こと。それは恵みのあるもの、なのかもしれません。
うまく言えませんがそれがあると豊かな気持ちになれるもの。恵みをうみだして与えてくれるもの。
山の中で野菜や花を育て、ひっそりとでもいい、静かな暮らしの中でうつわを作り続けていけたらいいなと思っています。
(了)
近藤 康弘(こんどう やすひろ)略歴
1978 大阪府千里に生まれる
2004 栃木県益子町榎田勝彦氏に師事
2009 益子町にて築窯、独立
以後、各地にて展示会、イベント出展
2018 韓国広州にてグループ展に参加
2019 デンマーク、ボーンホルム島に滞在、制作を行なう
2022 益子内にて工房移転、登り窯築窯
2024 骨肉腫を発症、右足に障害をもつ
叶谷真一郎 晩秋 ②

通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
簡潔な一問一答ですが作家さん自身からの誠実な言葉と考えをお読み頂きながら、作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
今回は展覧会を行う秋の終わりから冬のはじめの季節にちなんだ質問をさせて頂きました。
質問1
はじめましての方に向けての、経歴とは違う自己紹介をお願いします
───脱サラや紆余曲折あって(長くなるので端折ります)この仕事をしています。気がつけばいつもそこに居るような無口なうつわを作っています。
質問2
今まで訪ねた中で、最も印象に残っている場所はどこですか。その時の思い出もよかったら少し教えてください
───アメリカのルート66で見た夕日とどこまで走っても変わらない景色。自分もおおらかに大きな心で日々過ごしたいと思いました。
質問3
以前の取材でも映画ファンであるというお話をお聞きしましたが、季節の情景が印象的だった映画を一編、おすすめ頂けますか?
───ゴッドランド/GODLAND
アイスランドが舞台で、上映時間が長いという意見もありますが、そんなことを感じさせないほど美しい風景に心を奪われます。そんな美しさとは相反し、主人公の牧師の心が徐々に壊れていく様子が狂気です。
質問4
秋も終わりに差し掛かり、冬が始まろうとしていますが、この季節の食材や料理で一番好きな食べ物と、それについての所感を教えてください
───秋刀魚及びその塩焼きと新米ご飯。このシンプルな組み合わせが何よりも好きです。
質問5
冬のはじまりを迎える中で、風情を感じるのはどんな瞬間ですか?
───周辺の田んぼにかかる朝靄。
質問6
子供の頃でも大人になってからでもいいのですが、晩秋あるいは初冬にまつわる思い出をひとつ教えてください
───中高バレーボール部だったのですが、寒くなってくると体が温まるまでレシーブの際の手首の周辺が腕が痛くて、嫌な季節が来たなと感じでいたそんな苦い思い出があります
質問7
これまで一定期間、継続して今のお仕事をされてきたと思います。ものごとと向きあい続ける中でご自身が大切にしてきたものはなんですか
───理想と現実の差異を埋めるべく常に自分と向き合い、心を凪の状態であることを芯としています
(了)

叶谷真一郎 晩秋 ①

前回の工房訪問はコロナ禍真っただ中だった2022年のお正月明けてすぐ。あの時は冬寒で叶谷家の周りの木々も枯れ色の風景だった。今回訪れたのは今年3月末。とはいえ叶谷真一郎さんの工房兼住居のある神戸市北区はまだひんやりとした空気に包まれていて、春はまだもう少し先といった風情だった。
その時にはまだ足元に愛犬ハチがいて、老いて下半身は不自由になっていたが、無邪気にこちらを見上げる黒くつぶらな瞳はますます愛らしかった。
ハチを労わりながらも話をする真一郎さんと妻の尚子さん。
歳月の中で確実に育まれてきた二人と一匹の家族の絆を感じた。叶谷真一郎という個の作家があり、それには叶谷家という家庭生活の要素は作陶上欠かせないもので、それがあるからこそ彼の作品は「暮らしのうつわ」としてなり得ていて、日々磨かれているように感じた。長い時間に渡る打ち合わせやお話を聞かせて頂いた中で一部を抜粋し、読みやすい文量のインタビューにまとめました。
50歳過ぎて年齢的に今からこんな投資していいのか、でもいいやと思い切った
───前回の三年前からうつわが更に洗練された印象を受けましたが、何か挑戦的な部分や、課題を持ってやっているんでしょうか。
叶谷:焼き物に対する情熱や面白みは、多少の波はありますけど最近ちょっとまた復活してきたというか。最後の悪あがきしてみようかなぐらいの感じで。まだまだやれることはあると思うんで。いくらでも。やろうと思えば。そうそう、窯を変えたんです。ついこの間の2月末に。新しく大きいのドカンと。台車式で大きく出せるタイプ。窯詰めが大変なので少しでも楽にしたいなと思って。もともと都市ガスの窯と灯油窯を使ってて。最初は都市ガスオンリーでやってて。ただ窯の中で温度差があってうまく釉薬が溶けてくれないことがあったので、灯油窯だったら熱カロリー高いんで小さいやつを買ったんです。そうこうしているうちに灯油窯がメインになっちゃって。灯油のほうが調子よく焼ける。でも(容量が小さいサイズなので)焼成を何回転もしなければならなくて。
───かなり容量小さいってことですね。
叶谷:そうですね。入れる物にもよりますけど…点数的に平均して40…とか。
───それはだいぶ小さい。今までよく頑張っていらっしゃったというか。
叶谷:そう。陶芸教室用の…アマチュアの方が使うぐらいのサイズ。都市ガスの窯のほうで焼けるものがなくなってきちゃって。例えばこの灰粉引のシリーズも灯油で焼くのとガス窯で焼くのとはちょっと出来上がりの感じが違ってくる。どうも還元がね、都市ガスの方が強くかかるって聞いて。プロパンガスと違って都市ガスは熱カロリー低いんです。都市ガスのほうの窯サイズは25立米というサイズで、これだと窯の内部に温度差が出ると言われてるんですね。もっと大きいサイズであれば温度差は出にくいと言われてるんですが。それで都市ガスの窯のほうは使う頻度が減ってきて。その代わりに灯油窯がいい感じに焼けるから渋滞する感じになってしまい。新しい窯のことはずっと何年も前から、ずっと思ってて。いやでも50歳過ぎて年齢的に今からこんな投資していいのかとか。新車1台分くらいの値段やし、どうしようと思い続け。そう思ってるとまた月日立つし。それでもう、とうとういいやと思い切って。で、去年の年末に注文したやつがようやく先月出来てきたんです。
───受注生産ですか。
叶谷:そうです。窯の使い始めは空焚きをする必要があって2回ぐらいやりました。空焚きはまずは水分を抜いていく作業で800度までしか上げない(*陶芸の本焼きはだいたい1200~1250度くらいまで上げる)という感じです。今作っているうつわがもうできるんで、都市ガスの窯で素焼きして、その後に新しい窯で本焼き。新しい窯はメーカーも変えたんです。バーナーの本数も前のやつは2本だったのが今度のは4本になったのでそのバランスをどう取るとか自分にとってはかなり変化を感じています。焼くのに慣れるまで時間がかかりそうです。本当は年明けぐらいに届いてくれたらもう少し練習で焼けたんですけど。2月末にやっと届いたので春先の展覧会に向けてはもうあまりテストする時間もないし、ほとんどぶっつけ本番でやっていくしかないと覚悟して。極端にイメージとかけ離れた焼き上がりじゃなければ出そうとは思っているんですけど、ただ還元が強すぎるのは僕はちょっと避けたいんです。今はどっちかと言えば還元は抑え気味のあっさりした焼きをしたい。
───今目の前にあるものは軽やかな雰囲気ですね。
叶谷:そうなんです。これはイメージ通りです。新しい窯はすでに空焚き2回はやったけど若干温度を上げるのに時間かけちゃって。800度まで上げる場合、普通やったらまあ6時間ぐらいとかで行けるんです。でも最初にやった時は15、6時間かけて。かなり慎重に上げすぎちゃって。できれば1時間に100度かそれより低めの温度でだんだん上げるように言われているんです。空焚き2回目はもうちょっと大胆に火を出そうと思っていったらそれでも10時間くらいかかったかな?あともう1回やれば練習代わりにいいんでしょうけど、なんとなくわかってきた感じもあります。本焼きは今までの窯なら16時間ぐらいのところ、新しい窯だと20時間くらいかかるかもしれないかなと。時間はかかってもちゃんと焼けてくれたら良しです。慣れていく内にだんだん時間なんかは対処ができると思うし。
───新しい挑戦ですね。
叶谷:いやあ、本当そうですね。思い切りました。
───三年前にはなかった鉄絵のシリーズが出来ていたのと、以前からあった三島シリーズのバリエーションが増えていて、いいなと感じました。
叶谷:鉄絵のシリーズはあんまり受けへんかなと思ってたんですよ。民藝チックかなとか。思いのほか僕の予想に反して割と出るんで「あ、良かったな」と。
───民藝チック…そうですね、鉄絵のうつわは確かに民藝精神を伝えるものとしても扱われてますね。今日私は初めて実物をしっかり拝見して、真一郎さんが描く図案やタッチは伝統的な鉄絵のやきものの図案とは少し異なる印象を受けました。
叶谷:あ、ほんとですか。嬉しい。
───例えばオリエンタルだったり洋の雰囲気も混じっているような印象を受けました。具体的にここがこうだからと言語化してまだ説明できなくてすみません…。とにかく今日実際に拝見できたらいいなと楽しみにしていたんです。既存のモチーフや図柄とは違うものをと意識してるんですか?
叶谷:全く意識してないです。とにかく絵柄をどうしようかということしか考えていなくて。自分で考えてみたものをもっと崩したいなとか考えたり。文字を書いたりしたこともありました。
───文字?
叶谷:文字。アラビア文字とかを最初やり始めた時は。でもはっきり分からないように。
───アラビア文字を意匠化というか図案化して描いてみた、ということですか?
叶谷:そうそうそう。古代文字とかそういうのをやったりとかしたこともあったり。今はちょっとあれに落ち着いていて。でも自分の中でパターンは今でもいろいろ考えてます。
───なるほど、伝統的なものとは少し違う印象を受けたのはそういう真一郎さんの工夫かもしれませんね。どっぷり古典に浸かるのとはちょっと違うなという印象です。真一郎さんの三島も同じで、古陶磁からの影響は感じますし学ぶところは学んでいらっしゃると思うんですがすべてを寄せているわけではない。ご自身の解釈を入れて、土の組合せや色調の工夫、サイズ感や手取りの良さなどを考えて、現代の暮らしのうつわとして表現されているように感じてます。古陶磁や骨董からご自身で要素を抽出し作陶されることで、たとえ古いものに詳しくない方でもその魅力を共有できるのかなと。そんなところに無意識に惹かれている方が叶谷ファンとなってくださっているんだろうなという気がしています。
叶谷:そうであってくれたら、うん、すごく嬉しいですね。古い絵柄でもそのままではなくて自分の絵になるようにしたいとは思ってます。考えることは多いですね。百職さんの展覧会に出すかどうかはまだわからないんですけど、鉄絵にしろ三島にしろ、これからもまだまだいろいろ取り組んでいきたいと思っています。お客さまの反応を見る機会は限られているけど、一応新しいものを作ったら妻にはいつも見せています。反応が薄かったら、あれ?ってなる。いいやんと言われると嬉しい。やっぱりちょっと誰かの反応をまず知りたいなと思って。一番身近な第三者ですね、妻は。
(了)
叶谷真一郎さんはどんな作り手でいらっしゃるのか。
ご紹介のため、以前の記事を再掲しました。
展覧会をより深く楽しみたい方は、ぜひこの機会にご覧ください。
2022年3月 叶谷真一郎 個展「Listen」
叶谷真一郎さん ロングインタビュー/前篇 https://tenonaru100.net/photo/album/1099355
叶谷真一郎さん ロングインタビュー/中篇 https://tenonaru100.net/photo/album/1099356
叶谷真一郎さん ロングインタビュー/後篇 https://tenonaru100.net/photo/album/1099357
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叶谷 真一郎(かのうや しんいちろう)略歴
1971年生まれ
1998年 京都伝統工芸専門校卒業後窯元勤務
2002年 奈良市内で独立
2007年 神戸市北区に移り現在に至る
金城貴史 匙ごころ ②

通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
簡潔な一問一答ですが作家さん自身からの誠実な言葉と考えをお読み頂きながら、作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
今回は展覧会を行う秋の盛りにちなんだ質問にもお答え頂きました。
質問1
はじめましての方に向けての、経歴とは違う自己紹介をお願いします
───岐阜県中津川市にて木の食具を専門に製作しております。
知人に頼まれたことをきっかけに匙の製作を始め、15年ほど経ちました。
なるべく遠く深くまで辿り着くには試行錯誤を重ねる必要があると思い、あまり手は広げず、製作物を匙まわりのものだけに絞っています。
現在の製作は大きく二つに分けることができます。
型紙を作成しその修正や変更を重ねながら時間をかけて一つの形を追求する定番の匙と、型紙を作成せずにその時々の感性に身を任せ即興的にフリーハンドで造形・加飾していく取り分け用の大匙です。
2つの異なるスタイルの製作を行ったり来たりすることが、今の自分にとっては良いようです。
質問2
今まで訪ねた中で、最も印象に残っている場所はどこですか。その時の思い出もよかったら少し教えてください
───伊勢神宮。好きで何度か参拝しています。
一度、日の出前後のまだ暗い時間に一人で参拝したことがあります。そのとりわけ静謐で厳かな空気はとても印象的でした。
質問3
この時期、学生の皆さんは秋は文化祭や運動会、音楽祭などイベントが多い時期でもありますが、金城さんは学生時分、どのイベントが楽しみなタイプでしたか?
───小学生のころを思い返してみると、運動会より学芸会が好きだったように思います。
発表に向けた一輪車や縄跳び、劇の練習などを一生懸命に取り組んでいた記憶があります。その頃から絵を描くことも好きで、大学生になっても落書きのような絵を描いていました。
ただ大学生時代に一番注力していたのは音楽で、大阪の新世界にあったBRIDGEというライブハウスのFestival Beyond Innocenceという音楽祭に出演できたことは大切な思い出です。
質問4
秋もいよいよ盛りですが、秋の食材や料理で一番好きな食べ物と、それについて思うことがあったら教えてください
───秋刀魚。今年のサンマは大きくて安い(去年と比べて)ですね。
この間食べた戻りカツオもとても美味しかったので、また買いたいです。
サンマだったり、春のホタルイカ、果物だとイチジクなどは、自然をそのまんま丸ごと食べている感覚になれて、なんか好きです。あと美味しい柿を食べると、こんな綺麗な甘味は他にないんじゃないかと思います。
質問5
秋を過ごす中で風情を感じるのはどんな瞬間ですか?
───朝晩の冷え込み、夜に漂う金木犀のかおり、虫の音。
質問6
子供の頃でも大人になってからでもいいのですが、秋にまつわる思い出をひとつ教えてください
───いま5歳の息子がいます。
12月初旬の生まれなのですが、臨月で病院へと診察に向かう峠の道で、晩秋の陽射しを浴びた紅葉が輝いていました。もうすぐ産まれてくる命への少しの不安と大きな期待の中で、それらが今までになく美しく感じられました。
質問7
これまで一定期間、継続して今のお仕事をされてきたと思います。ものごとと向きあい続ける中でご自身が大切にしてきたものはなんですか
───常に同じ場所にとどまらないこと。
技術も感性も、更新できなくなったら終わりかなと思います。
匙ばかり作っているので傍から見るとずっと同じことをしているように見えると思うのですが、幸い僕自身には同じことをしているという感覚がないので続けられているのだと思います。
(了) 
