読み物
叶谷真一郎 晩秋 ②

通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
簡潔な一問一答ですが作家さん自身からの誠実な言葉と考えをお読み頂きながら、作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
今回は展覧会を行う秋の終わりから冬のはじめの季節にちなんだ質問をさせて頂きました。
質問1
はじめましての方に向けての、経歴とは違う自己紹介をお願いします
───脱サラや紆余曲折あって(長くなるので端折ります)この仕事をしています。気がつけばいつもそこに居るような無口なうつわを作っています。
質問2
今まで訪ねた中で、最も印象に残っている場所はどこですか。その時の思い出もよかったら少し教えてください
───アメリカのルート66で見た夕日とどこまで走っても変わらない景色。自分もおおらかに大きな心で日々過ごしたいと思いました。
質問3
以前の取材でも映画ファンであるというお話をお聞きしましたが、季節の情景が印象的だった映画を一編、おすすめ頂けますか?
───ゴッドランド/GODLAND
アイスランドが舞台で、上映時間が長いという意見もありますが、そんなことを感じさせないほど美しい風景に心を奪われます。そんな美しさとは相反し、主人公の牧師の心が徐々に壊れていく様子が狂気です。
質問4
秋も終わりに差し掛かり、冬が始まろうとしていますが、この季節の食材や料理で一番好きな食べ物と、それについての所感を教えてください
───秋刀魚及びその塩焼きと新米ご飯。このシンプルな組み合わせが何よりも好きです。
質問5
冬のはじまりを迎える中で、風情を感じるのはどんな瞬間ですか?
───周辺の田んぼにかかる朝靄。
質問6
子供の頃でも大人になってからでもいいのですが、晩秋あるいは初冬にまつわる思い出をひとつ教えてください
───中高バレーボール部だったのですが、寒くなってくると体が温まるまでレシーブの際の手首の周辺が腕が痛くて、嫌な季節が来たなと感じでいたそんな苦い思い出があります
質問7
これまで一定期間、継続して今のお仕事をされてきたと思います。ものごとと向きあい続ける中でご自身が大切にしてきたものはなんですか
───理想と現実の差異を埋めるべく常に自分と向き合い、心を凪の状態であることを芯としています
(了)

叶谷真一郎 晩秋 ①

前回の工房訪問はコロナ禍真っただ中だった2022年のお正月明けてすぐ。あの時は冬寒で叶谷家の周りの木々も枯れ色の風景だった。今回訪れたのは今年3月末。とはいえ叶谷真一郎さんの工房兼住居のある神戸市北区はまだひんやりとした空気に包まれていて、春はまだもう少し先といった風情だった。
その時にはまだ足元に愛犬ハチがいて、老いて下半身は不自由になっていたが、無邪気にこちらを見上げる黒くつぶらな瞳はますます愛らしかった。
ハチを労わりながらも話をする真一郎さんと妻の尚子さん。
歳月の中で確実に育まれてきた二人と一匹の家族の絆を感じた。叶谷真一郎という個の作家があり、それには叶谷家という家庭生活の要素は作陶上欠かせないもので、それがあるからこそ彼の作品は「暮らしのうつわ」としてなり得ていて、日々磨かれているように感じた。長い時間に渡る打ち合わせやお話を聞かせて頂いた中で一部を抜粋し、読みやすい文量のインタビューにまとめました。
50歳過ぎて年齢的に今からこんな投資していいのか、でもいいやと思い切った
───前回の三年前からうつわが更に洗練された印象を受けましたが、何か挑戦的な部分や、課題を持ってやっているんでしょうか。
叶谷:焼き物に対する情熱や面白みは、多少の波はありますけど最近ちょっとまた復活してきたというか。最後の悪あがきしてみようかなぐらいの感じで。まだまだやれることはあると思うんで。いくらでも。やろうと思えば。そうそう、窯を変えたんです。ついこの間の2月末に。新しく大きいのドカンと。台車式で大きく出せるタイプ。窯詰めが大変なので少しでも楽にしたいなと思って。もともと都市ガスの窯と灯油窯を使ってて。最初は都市ガスオンリーでやってて。ただ窯の中で温度差があってうまく釉薬が溶けてくれないことがあったので、灯油窯だったら熱カロリー高いんで小さいやつを買ったんです。そうこうしているうちに灯油窯がメインになっちゃって。灯油のほうが調子よく焼ける。でも(容量が小さいサイズなので)焼成を何回転もしなければならなくて。
───かなり容量小さいってことですね。
叶谷:そうですね。入れる物にもよりますけど…点数的に平均して40…とか。
───それはだいぶ小さい。今までよく頑張っていらっしゃったというか。
叶谷:そう。陶芸教室用の…アマチュアの方が使うぐらいのサイズ。都市ガスの窯のほうで焼けるものがなくなってきちゃって。例えばこの灰粉引のシリーズも灯油で焼くのとガス窯で焼くのとはちょっと出来上がりの感じが違ってくる。どうも還元がね、都市ガスの方が強くかかるって聞いて。プロパンガスと違って都市ガスは熱カロリー低いんです。都市ガスのほうの窯サイズは25立米というサイズで、これだと窯の内部に温度差が出ると言われてるんですね。もっと大きいサイズであれば温度差は出にくいと言われてるんですが。それで都市ガスの窯のほうは使う頻度が減ってきて。その代わりに灯油窯がいい感じに焼けるから渋滞する感じになってしまい。新しい窯のことはずっと何年も前から、ずっと思ってて。いやでも50歳過ぎて年齢的に今からこんな投資していいのかとか。新車1台分くらいの値段やし、どうしようと思い続け。そう思ってるとまた月日立つし。それでもう、とうとういいやと思い切って。で、去年の年末に注文したやつがようやく先月出来てきたんです。
───受注生産ですか。
叶谷:そうです。窯の使い始めは空焚きをする必要があって2回ぐらいやりました。空焚きはまずは水分を抜いていく作業で800度までしか上げない(*陶芸の本焼きはだいたい1200~1250度くらいまで上げる)という感じです。今作っているうつわがもうできるんで、都市ガスの窯で素焼きして、その後に新しい窯で本焼き。新しい窯はメーカーも変えたんです。バーナーの本数も前のやつは2本だったのが今度のは4本になったのでそのバランスをどう取るとか自分にとってはかなり変化を感じています。焼くのに慣れるまで時間がかかりそうです。本当は年明けぐらいに届いてくれたらもう少し練習で焼けたんですけど。2月末にやっと届いたので春先の展覧会に向けてはもうあまりテストする時間もないし、ほとんどぶっつけ本番でやっていくしかないと覚悟して。極端にイメージとかけ離れた焼き上がりじゃなければ出そうとは思っているんですけど、ただ還元が強すぎるのは僕はちょっと避けたいんです。今はどっちかと言えば還元は抑え気味のあっさりした焼きをしたい。
───今目の前にあるものは軽やかな雰囲気ですね。
叶谷:そうなんです。これはイメージ通りです。新しい窯はすでに空焚き2回はやったけど若干温度を上げるのに時間かけちゃって。800度まで上げる場合、普通やったらまあ6時間ぐらいとかで行けるんです。でも最初にやった時は15、6時間かけて。かなり慎重に上げすぎちゃって。できれば1時間に100度かそれより低めの温度でだんだん上げるように言われているんです。空焚き2回目はもうちょっと大胆に火を出そうと思っていったらそれでも10時間くらいかかったかな?あともう1回やれば練習代わりにいいんでしょうけど、なんとなくわかってきた感じもあります。本焼きは今までの窯なら16時間ぐらいのところ、新しい窯だと20時間くらいかかるかもしれないかなと。時間はかかってもちゃんと焼けてくれたら良しです。慣れていく内にだんだん時間なんかは対処ができると思うし。
───新しい挑戦ですね。
叶谷:いやあ、本当そうですね。思い切りました。
───三年前にはなかった鉄絵のシリーズが出来ていたのと、以前からあった三島シリーズのバリエーションが増えていて、いいなと感じました。
叶谷:鉄絵のシリーズはあんまり受けへんかなと思ってたんですよ。民藝チックかなとか。思いのほか僕の予想に反して割と出るんで「あ、良かったな」と。
───民藝チック…そうですね、鉄絵のうつわは確かに民藝精神を伝えるものとしても扱われてますね。今日私は初めて実物をしっかり拝見して、真一郎さんが描く図案やタッチは伝統的な鉄絵のやきものの図案とは少し異なる印象を受けました。
叶谷:あ、ほんとですか。嬉しい。
───例えばオリエンタルだったり洋の雰囲気も混じっているような印象を受けました。具体的にここがこうだからと言語化してまだ説明できなくてすみません…。とにかく今日実際に拝見できたらいいなと楽しみにしていたんです。既存のモチーフや図柄とは違うものをと意識してるんですか?
叶谷:全く意識してないです。とにかく絵柄をどうしようかということしか考えていなくて。自分で考えてみたものをもっと崩したいなとか考えたり。文字を書いたりしたこともありました。
───文字?
叶谷:文字。アラビア文字とかを最初やり始めた時は。でもはっきり分からないように。
───アラビア文字を意匠化というか図案化して描いてみた、ということですか?
叶谷:そうそうそう。古代文字とかそういうのをやったりとかしたこともあったり。今はちょっとあれに落ち着いていて。でも自分の中でパターンは今でもいろいろ考えてます。
───なるほど、伝統的なものとは少し違う印象を受けたのはそういう真一郎さんの工夫かもしれませんね。どっぷり古典に浸かるのとはちょっと違うなという印象です。真一郎さんの三島も同じで、古陶磁からの影響は感じますし学ぶところは学んでいらっしゃると思うんですがすべてを寄せているわけではない。ご自身の解釈を入れて、土の組合せや色調の工夫、サイズ感や手取りの良さなどを考えて、現代の暮らしのうつわとして表現されているように感じてます。古陶磁や骨董からご自身で要素を抽出し作陶されることで、たとえ古いものに詳しくない方でもその魅力を共有できるのかなと。そんなところに無意識に惹かれている方が叶谷ファンとなってくださっているんだろうなという気がしています。
叶谷:そうであってくれたら、うん、すごく嬉しいですね。古い絵柄でもそのままではなくて自分の絵になるようにしたいとは思ってます。考えることは多いですね。百職さんの展覧会に出すかどうかはまだわからないんですけど、鉄絵にしろ三島にしろ、これからもまだまだいろいろ取り組んでいきたいと思っています。お客さまの反応を見る機会は限られているけど、一応新しいものを作ったら妻にはいつも見せています。反応が薄かったら、あれ?ってなる。いいやんと言われると嬉しい。やっぱりちょっと誰かの反応をまず知りたいなと思って。一番身近な第三者ですね、妻は。
(了)
叶谷真一郎さんはどんな作り手でいらっしゃるのか。
ご紹介のため、以前の記事を再掲しました。
展覧会をより深く楽しみたい方は、ぜひこの機会にご覧ください。
2022年3月 叶谷真一郎 個展「Listen」
叶谷真一郎さん ロングインタビュー/前篇 https://tenonaru100.net/photo/album/1099355
叶谷真一郎さん ロングインタビュー/中篇 https://tenonaru100.net/photo/album/1099356
叶谷真一郎さん ロングインタビュー/後篇 https://tenonaru100.net/photo/album/1099357
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叶谷 真一郎(かのうや しんいちろう)略歴
1971年生まれ
1998年 京都伝統工芸専門校卒業後窯元勤務
2002年 奈良市内で独立
2007年 神戸市北区に移り現在に至る
金城貴史 匙ごころ ②

通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
簡潔な一問一答ですが作家さん自身からの誠実な言葉と考えをお読み頂きながら、作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
今回は展覧会を行う秋の盛りにちなんだ質問にもお答え頂きました。
質問1
はじめましての方に向けての、経歴とは違う自己紹介をお願いします
───岐阜県中津川市にて木の食具を専門に製作しております。
知人に頼まれたことをきっかけに匙の製作を始め、15年ほど経ちました。
なるべく遠く深くまで辿り着くには試行錯誤を重ねる必要があると思い、あまり手は広げず、製作物を匙まわりのものだけに絞っています。
現在の製作は大きく二つに分けることができます。
型紙を作成しその修正や変更を重ねながら時間をかけて一つの形を追求する定番の匙と、型紙を作成せずにその時々の感性に身を任せ即興的にフリーハンドで造形・加飾していく取り分け用の大匙です。
2つの異なるスタイルの製作を行ったり来たりすることが、今の自分にとっては良いようです。
質問2
今まで訪ねた中で、最も印象に残っている場所はどこですか。その時の思い出もよかったら少し教えてください
───伊勢神宮。好きで何度か参拝しています。
一度、日の出前後のまだ暗い時間に一人で参拝したことがあります。そのとりわけ静謐で厳かな空気はとても印象的でした。
質問3
この時期、学生の皆さんは秋は文化祭や運動会、音楽祭などイベントが多い時期でもありますが、金城さんは学生時分、どのイベントが楽しみなタイプでしたか?
───小学生のころを思い返してみると、運動会より学芸会が好きだったように思います。
発表に向けた一輪車や縄跳び、劇の練習などを一生懸命に取り組んでいた記憶があります。その頃から絵を描くことも好きで、大学生になっても落書きのような絵を描いていました。
ただ大学生時代に一番注力していたのは音楽で、大阪の新世界にあったBRIDGEというライブハウスのFestival Beyond Innocenceという音楽祭に出演できたことは大切な思い出です。
質問4
秋もいよいよ盛りですが、秋の食材や料理で一番好きな食べ物と、それについて思うことがあったら教えてください
───秋刀魚。今年のサンマは大きくて安い(去年と比べて)ですね。
この間食べた戻りカツオもとても美味しかったので、また買いたいです。
サンマだったり、春のホタルイカ、果物だとイチジクなどは、自然をそのまんま丸ごと食べている感覚になれて、なんか好きです。あと美味しい柿を食べると、こんな綺麗な甘味は他にないんじゃないかと思います。
質問5
秋を過ごす中で風情を感じるのはどんな瞬間ですか?
───朝晩の冷え込み、夜に漂う金木犀のかおり、虫の音。
質問6
子供の頃でも大人になってからでもいいのですが、秋にまつわる思い出をひとつ教えてください
───いま5歳の息子がいます。
12月初旬の生まれなのですが、臨月で病院へと診察に向かう峠の道で、晩秋の陽射しを浴びた紅葉が輝いていました。もうすぐ産まれてくる命への少しの不安と大きな期待の中で、それらが今までになく美しく感じられました。
質問7
これまで一定期間、継続して今のお仕事をされてきたと思います。ものごとと向きあい続ける中でご自身が大切にしてきたものはなんですか
───常に同じ場所にとどまらないこと。
技術も感性も、更新できなくなったら終わりかなと思います。
匙ばかり作っているので傍から見るとずっと同じことをしているように見えると思うのですが、幸い僕自身には同じことをしているという感覚がないので続けられているのだと思います。
(了) 

金城貴史 匙ごころ ①

木の食具を作る作家 金城貴史さんとは知り合ってから20年近く経ちます。何度も顔を合わせながら、今回初めて百職で展覧会させて頂けることになりました。工房へ伺うのも今回が初。
出会った頃の金城さんはまだ独身で、現在の奥さまとなるパートナーとともに、各々で木の匙を制作しながらお二人でクラフトイベントなどにも出展されていました。その後お二人はご結婚、お子さんが誕生し三人家族に。
奈良から岐阜の中津川へ工房を移されたのは2016年ということで、移転10年目の時を過ごされています。
心待ちにしていた取材日。金城さんの奥さまとも再会でき、手作りのお昼ごはんをご馳走になり(料理に添えられたカトラリーはもちろん金城さん作のもの)、仕事場へとご案内頂きました。ご家族と暮らす母屋があり、材料置場の一棟、そして作業場としている一棟が同じ敷地内に並んでいます。制作環境も今ではかなり整ったといいます。仕事場には制作のイメージソースとされている古い匙類、図録や美術本があり、木工機械、刃物の研ぎ場に囲まれた大きな作業机の上には彫刻刀や刃物類が並んでいました。匙制作の一部を丁寧な解説付きで間近で拝見できるという時間はあまりにも興奮が過ぎて、胸が高鳴りっぱなしに。
そして今回の展覧会にあたり、普段の制作のことから今の代表作とも言える大匙への思い、現在の住環境についてなど、長時間に渡りお話もお聞かせ頂きました。今回はお話の一部を抜粋しインタビューとしてまとめました。
続けていられることは当たり前じゃない
───刃物のお手入れっていうのは定期的なペースでするんですか?それとも刃物の状態を見てですか?
金城:研ぐのはもう切れなくなったらとか、欠けちゃったから研ごうとかという感じですね。やっぱり堅い木を削っていれば早く切れなくなっちゃう。仕上げの刃物は研ぐスパンは短いです。荒削り、荒加工用の刃物は割と切れなくなるまで使えますけど、仕上げ用のものはちょっと切れなくなったなと思ったら研ぎます。
───さっきはお子さんの名前入りの南京鉋がありましたね。
金城:ありましたね。これか。これはね、僕より若い人で、最近こういう南京鉋を作って売ってる人がいて。基本は木工家なんですけど、刃物の加工とかもできるそうで。この刃物はいわゆる日本の打ち刃物、職人が手で打った刃物ではないんです。工業鋼っていう工業用に作られた鋼で、それを成形してこういう刃の形にして南京鉋にしてたりするんですけど、その子から買った時にレーザーで名前も入れられますよ言ってくださって。たまたま子供が生まれた年だったので入れてみるかと。そういう感じで、割と若くて、今までいないような観点から道具部門を支えようとしてくれてくるような子たちとの出会いもあります。
───嬉しい、未来が明るくなるニューウエーブですね。そういった道具類などのハード面でも新しいアプローチなり歴史が作られるのは、物づくり全体にとっても非常に心強い。
金城:そうですね。僕はなんとなくこういう仕事を始めて、なんとなく漠然と食えるように少しなってきて…というような感じでやれてるんですね。ただ…最近、例えば有名なお店が閉店するとかそういう話も聞こえてきて。この時代の中で僕はなんとなく続けて来られているけども、実は結構貴重なタイミングで、だからこそこういう仕事をやることができているんじゃないだろうかっていう。そして、それがいつまでできるのかなっていうようことを考えることがあります。それは何も不安というものではなく、だからこそ今いいものを作る面白みがあるというか。今しかできないという感覚。クラフトって他の国から見ても日本はものすごく盛んだと思うんです。木工とか陶器とかに関わらず。それで、もしかすると将来的に、この時代のこの日本でクラフト文化がものすごく濃く、熱くあったみたいな感じの昔話にいつかなるんじゃないかと。だからこそ今すっげーいいもの作って置いといたら、この時代やばかったねと、そういう感じに残ってほしいなって思う。だからとにかく続けていられることは当たり前じゃないと思いながら。今できる限りのことをやりたい思うようになっています。
───なるほど、やばいもの。やばいものといえば一見して大匙はものすごく突き抜けた感じの造形作品でちょっと他にない感じ。これは未来の人も驚いてくれるかもしれないし、現在進行形の作家としての金城さんの代表作と言ってもいいのではないかと思っています。
金城:大匙。
───はい。存在感があります。一方でその大匙の存在の土台にあるのは、日常の食事用のお匙という堅実で確かな技の冴えが欠かせない職人的な仕事でもあるし、どっちも残っていきそうなやばいものかもしれない。
金城:なんかその、やっぱり感覚的には全然違うんです。大匙と食事用の匙を作る頭の動き方というか。大匙を作っている時と定番の食事用の匙を作っている時では、言うなればノリが違うんです。大匙ばっかりずっと1~2週間、3週間も作っているとアドレナリンが出るというのも言い過ぎなのかもしれないんですけど、ちょっと興奮しているような、次は何にする?何にしよう?っていう感じで。定番のものを作っているときはどっちかというとシューッと淡々と沈んでいくような。とにかくノリは違っていて。で、大匙作っているとシューッという作業がやりたくなるし、定番の匙ばかり削って細かいところを狙っていくようなことをやってると、ザクッとした大匙をまたやりたいなっていう。結構そういう意味ですごくいい感じのバランスは、大匙作り出してから生まれていて、お互いの制作にフィードバックがすごくあります。
───近年はこの2つの関係性が支え合っているように見えますね。大匙たちは何かこうグルーブ感を感じます。いつの間にか大匙は名前の通り大きな存在の作品となってきていますね。最初は「時々制作されてはるな」と気になっていたんです。
金城:そうですね、そのくらいの感じでした。でも考えてみたらいろんな形のティースプーンなどを作ってたのが一番最初だったんです。だから元々その気があったというか。変わった面白いものを作りたいなというのがあったんですけど。スプーン一本で食べていこうと思った時に、普通の使いやすいスプーンがまず核にないとちょっとおかしいでしょと思ったからそっちにずっと集中してたというところがあったので、その流れの中でその点が少しはひと段落した、だからこういう風になったのか。分からないですけど何となく原点に戻っている感は少しあったり。
───感覚のどこかで求めていたものが、はっきりとした像を結んで掴むことができ始めているのでしょうか。一度百職の企画展に参加して頂いた時の在廊時に、「この展示の後に大匙だけの展示をお願いします、と言われてるんです」という風におっしゃってた時があったのですが、その展覧会でいっぱい作ったのかな。
金城:そうそう。でもあれは結局大匙だけじゃなかった。
───そうだったんですね。
金城:大匙がメインという感じで、宙に浮くような感じで大匙をわーっと壁一面に展示してもらって。空間的にはすごく面白かった。自分自身がまだ大匙にそんなに慣れてないところもあったんで、こっぱずかしい感じがあったんですよね。わーっと並んでるの見て、今よりこっぱずかしかった感じ。大匙作るようになってからは結構これが目立つし目を引くので、展示の時とかもパッとやったらお客さんも目が引かれたりとか目立つような展示の仕方をしてくださるお店もあって。特に最初の大阪でのやつはすごい恥ずかしい感じがありました。
───今はまた少しずつ大匙や定番の匙などに新しい感覚を覚えたりしますか?
金城:そうですね、大匙もやっぱり自分の中ではどんどん良くなってきてる感じがあるので、自由に作って、いいも悪いもないんじゃないかって気もするんですけど、質が変わってきてる感覚を自分では持ててるので。だからまだ続けられる感じがあるというか。同じことでも前より良くなってきたなぁと自分に対して思えています。
───成長を感じられる瞬間があるって得難いですね。大匙と食事用匙は補完関係なのかな。大匙はとにかくどれも伸び伸びしてるように感じます。大雑把という意味じゃないですよ。作家の中ではある程度の緻密さを持って作っているんだろうなとは思いますし、見る側の立場としていうならすごくどれも伸び伸びしてて、どれにも良さや見どころがあるから、楽しさを見出してもらえそうな感があります。
金城:楽しいなと思ってもらったら一番いいね。
───純粋に「どれが好きだろう」と、すごく向き合いやすいお匙…そういう作品群やなって思います。そして根幹にあるのは、毎日の暮らしで心底使いやすい定番の食事匙の存在。我が家では常に金城さんの匙類を使っています。本当に使いやすいから手が伸びる。刃物のみで仕上げた楓のなめらかな質感。これを知ってしまうと、ちょっと他の素材であったり、サンドペーパー仕上げの匙では口当たりにザラザラしたものを感じるようになってしまって。金城さんの食事用の匙類には中毒性があります。
金城:自分で使ってるともうわかんないんです。そういうのは言って頂かないとわからない。嬉しいです。
住環境の良さ
───改めてですが初めてお会いしてからお互いずいぶん歳月が経つわけですけれど、以前は気にならなかったことで、今は気をつけるようになったことがあれば教えてもらえますか?仕事のことでも、日々の生活の中でもどちらでも構いません。
金城:最近気をつけ出したっていうのは身体です。健康とか。今年齢44ですけど、去年あたりから病院に行く回数がちょっと増えたりとか。今までそんな病院に行くことすらあまりなかったんです。でもちょっとしたことで眼科行ったり皮膚科行ったりとかそんなのが出てきたんです。
───なるほど、そこは気をつけたいですよね。長く続ける土台、基礎ですしね。
金城:やっぱりね、どうしてもずっと制作しているので、作っている最中の姿勢が良くない。身体のためにといってこの辺をちょっと散歩で歩くとめちゃくちゃ目立つんです、田舎って。ちょっと徘徊してる人がいるぞって。だから気軽にしづらくて。筋トレだったりとかラジオ体操とかは毎日やってるんですけど。作家らしくもっと仕事や制作面の気をつけたいことを言うべきなんでしょうけれどすみません。
───いえいえ。健康維持は仕事にも通じることで。木工やってる人だと目は大事にしたいとおっしゃる人もいます。ただ目だけじゃなくて心身ともに健康でありたいのがお互い気になる年齢になってきましたね。さきほどこのお住まい周辺のことにも触れられましたが、奈良から中津川に10年近く前に移住されましたよね。引っ越してきてよかったことはもちろんたくさんあると思うんですけど、まず一つ挙げるんだったら何ですか?
金城:住環境ですかね。アパートじゃない一軒家。仕事も暮らしも全部ここにある。
───住まいの敷地内に工房があるという距離感もすごくいいですよね。住居とつながっているわけではなく、ドアツードアですぐ行き来できるところが羨ましい。以前にも、ここに引っ越してきた時にどうやって探したんですかと確かお聞きしたと思うんですけど、もう一度教えて頂けますか。
金城:前は奈良に住んでいたんです。奈良でも一軒家を借りていて一つの部屋を工房みたいな感じにしてやってました。今も機械はそんなにたくさんないんですけど、今ある機械も奈良の頃は持ってなかったし、大きな加工は借りに行ってやっていたりしたんですよ。ただやっぱり自分のところにあった方がやりやすい。ということで新しい場を探し出しました。以前は奈良市内の街中に住んでいました。だから次というと奈良の外れや田舎のほう、岡山とかも行ったかな。関西周辺でいいところがあればという感じで探してたんですけど、たまたま妻がインターネットでこの物件見つけたんだったかな。木工を学んだ職業訓練校が木曽にあるので、岐阜は隣近所みたいな感じでなじみがあって。何度か買い物とかも来たことあったかな。一回ご飯食べにも来たかな。なじみがあるといえばあったので、見に行ってみようって来て。見学に来て、良かったのが、さっき言ったように 住環境というか、この住まいの設備の感じ。三棟あって、母屋も普通のシンプルな平屋。昭和の、可もなく不可もなくみたいな。そのままで生活と仕事が回っていく感じがすぐ想像できたんです。特にこの地域に知縁とかはなかったんですが、ここで暮らしましょうとなりました。この家を見学しに来たとき、この辺の他の空き家も何軒か見たんです。もっと古民家っぽい感じもあった。でもなんか僕たちのイメージには、一番ここが合ったという感覚があったんです。
───住居自体は特に手を入れず、工房はある程度使えるように手を入れてらっしゃいますけど、住まいは特に何かこう…
金城:何も入れてないです。
───そういうことをたくさんやろうとすると楽しい反面、手間は増えますし、何を採るかですね。
金城:あともう一つ加えて言うなら、奈良から中津川に引っ越す、少し前ぐらいに、僕結構林業に興味が向いていたんです。林業施設でバイトのような感じで働いたりしていたこともありましたし、そういう多少山に関われるような仕事が近くにあったんですよ。それで、その点もいいなと思って。今はもう手伝いに行くことはないんですが、中津川に来て3,4年ぐらい、冬のシーズンや林業のシーズンだけ週1,2とかで山に入って伐採みたいなことをさせてもらっていました。その時覚えた、例えばチェーンソーで木を切るとかそういうことは今でも普通に庭でやったりはするので行ってよかったなと思うし、もしかしたらまた行き出すタイミングがあるかもしれない。
───いろんなかたちでの財産が溜まってきて、今後も育まれそうですね。
金城:そうですね。本当に田舎暮らしって感じになるんですが、この感じは心地よかったりはしますね。草刈りとかも好きです。
───奈良の街中に住んでいた時からするとだいぶ変わるのでは。時間の使い方も。人によっては田舎暮らしを始めることで家やインテリアにもこだわりたいという方もいらっしゃいます。金城さんにとっては、ほどよく古い今のこの環境での暮らし方や、適度な付き合い方が合っていたのでしょうか。
金城:そうですね。僕らの場合は何かインテリアや古民家暮らしにこだわるのではなく、そういう意味ではだいぶ楽に暮らしています。庭の手入れぐらい。庭の手入れはしないと大変なことになるんで。リフォームが必要な家など、その辺は自分は意識的に避けたかな。やりたい人はしっかりリフォームするとか、自分たちで手を入れて家を育てていくというような楽しみ方も確かにあるだろうとは思う。僕らの場合はそういう感じではなかったんですよね。自分たちのちょうどいい具合がうまくマッチングできたっていう、今のこの住まい、住環境なのかな。それもあるから居心地をよく感じるのかも。作品に直結しているかどうかまではわからないけれど、無理せずとも安心して過ごせるこの環境がいいなと思ってます。
(了)
金城貴史さんはどんな作り手でいらっしゃるのか。
ご紹介のため、以前の記事を再掲しました。
展覧会をより深く楽しみたい方は、ぜひこの機会にご覧ください。
2021年3月企画展「ふつうの 少し先の 風景」
一問一答|“僕の製作は、木の塊から匙を削りだす作業” https://tenonaru100.net/photo/album/1019726
作品紹介 金城貴史さん https://tenonaru100.net/photo/album/1020550
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金城 貴史(きんじょう たかし)略歴
1981 兵庫県西宮市生まれ
2010 長野県上松技術専門校木工科修了
2011 奈良県にて匙の製作を始める
2016 岐阜県中津川市に移住
2021 現在同地にて制作
平野日奈子 白秋ふわり ③

通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
簡潔な一問一答ですが作家さん自身からの誠実な言葉と考えをお読み頂きながら、作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
今回は展覧会を行う秋のはじまりの季節にちなんだ質問にもお答え頂きました。
質問1
はじめましての方に向けての、経歴とは違う自己紹介をお願いします
───小さい頃は絵を描いたり、小説を読んだり、家にある料理本を眺めているのが好きでした。家の手伝いでお皿を出してと言われて、今日はこっちの皿でカレーをよそおうとか今日のラーメンは重い黒天目の器だとかっこいいなぁ、などいろいろ載せてみるのが好きだったのも今に繋がっているなぁと思います。
中高は美術系の学校は行って、絵画やデザインの授業もいろいろ受ける中で、ろうけつ染めや刺し子などの時間があって自分の手を動かしながら作れる工芸がしっくりいくなぁと思った時に、陶芸なら食べる事も好きだったので、ちょうどいいと武蔵美の短大の専攻で選んでから、やきものを続けています。
器をメインに、アクセサリーやオブジェなども使っています。
質問2
久しぶりの展覧会となります。百職のお客様にとっては比較的新しい印象のコバルト釉、青の釉薬、黄色の釉薬、三種類それぞれの特徴などを教えてください
コバルト釉
普通コバルトはブルーに発色するのですが、いろいろ試して今使っている土との相性でマットなグリーンになっています。紫色の食べ物(玉ねぎやブルーベリー)など少し載せてあげるととても似合います。
青
青の釉薬は15年前くらいから気になっていて、なかなかうまくいかず、調合を少し変えては試してはまた様子を見てを繰り返していたのですが、温度を変えたりしてやっと落ち着いてきました。還元落としのかかり具合で紺の中に水色や白が出てくるところも気に入っています。
黄色
釉薬が重なった所に白の結晶やもう少し濃いとピンクの結晶が出て、ちょっとした温度や釉薬の厚さでも表情が変わるのでぜひ1枚1枚比べてみてください。
アスパラとかブロッコリーとか載せると春っぽくなります。
質問3
今まで訪ねた中で、最も印象に残っている場所はどこでしょう。その時の思い出もよかったら少し教えてください
───20代の頃にケニアで活動している太鼓のグループの主催のツアーに参加して、バスで何回も乗り継いで行った村。太鼓を教えてもらったり(私は全然叩けません)夜通し太鼓や踊りの儀式を見せてもらって、その後の朝日が登る前のエメラルドグリーンがかった空を丘から見たのがとても綺麗でした。
質問4
子供の頃、夏休みが終わるのは淋しかったですか?それとも学校が始まるのが楽しみなタイプでしたか?
───宿題は全然やらないタイプでしたが、ダラダラしているのも飽きるのでそろそろ学校でもいいかなぁと思っていました。
質問5
これから迎える秋で一番好きな食べ物を教えてください
───梨。近所の野菜の直売所で大きな豊水が出ると嬉しくなって抱えて帰ります。
質問6
夏の終わりや秋のはじまりで、風情を感じるのはどんな瞬間ですか?
───夜になって虫の声がにぎやかになって、夕方の色と影の色が変わってきたなと思う時です。
質問7
秋を迎えたらしてみたいことはなんでしょう?
───最近秋はわりとひたすら制作していることが多くて、いつかすごく綺麗な紅葉を見に山に登りたいと思っています。
質問8
これまで一定期間、継続して今のお仕事をされてきたと思います。自分の力でものごとと向きあい続ける中でご自身が大切に感じた一番大きなものはなんですか?
───手のひらにのせ、いいなと思えるものであったらいいなということと、おおらかなものでありたいなということです。



