読み物
森谷和輝 resonance ②


森谷和輝さんの個展は今回で9回目。
百職を2009年にオープンさせた際、お取扱いをお願いした第二号の作り手が森谷和輝さん(第一号は先月展覧会をしてくださった陶芸の高木剛さん)。
2010年にはじめて個展開催して頂いて以降、毎年展覧会をお願いし、今年も無事迎えることができました。
グループ展も含めるとこれまで15もの展覧会に出展してくださっています。
そんなに続けていたらやることがなくなってしまいそうにも思えますが、一つの展覧会が終わると森谷さんとともにやってみたい次の目標が自然と浮かんできます。
森谷さんがいつまでも尽きないガラスの面白さを見つめ続けるように、私もまた森谷さんの作るガラスの中に美しさと他の誰とも違う個性を多分見ているのだと感じます。
まだ模索している構想中の作品に触れるところから始まり、昨年にも少し披露してくださった新たな素材「透きガラス」についてなど、森谷さんは何を考え、どのように変化しつつあるのか。
ひとつの〈過渡期〉を迎えているとも言える今について聞かせて頂きました。
展覧会に興味を持ってくださっている方にもぜひ読んで頂いた上でお運び頂けると嬉しいです。
ガラスの現象が面白い、しか無い気がします
店主渡邊(以下渡邊):工房をお訪ねするまでに展覧会のタイトルを考えておこうって思ってたのにまだ決められていなくて。
森谷和輝さん(以下森谷):タイトル。
渡邊:以前の展覧会では『整音』と付けさせてもらったことがありました(2021年開催個展)。今年の展示をやるにあたっては定番の作品について調整したり整えていきたい部分があるとお聞きしていたのでそれが頭にあって。新作を作りたい気持ちもあるけど、やっぱり定番品の制作にも取り組みたいとあったので。それで今、自分の中に『調律』という言葉が出ていまして。
森谷:音っぽいやつですね。
渡邊:はい、音っぽいやつです。観に来られる方にしたら抽象的じゃない方がいいのかもしれないけど。たとえば『コーヒーのためのガラス』なんていうほうがわかりやすいのかなって(笑) でもそういう感じではないなと感じていたので。
森谷:剛さん(陶芸の高木剛さん)の展覧会タイトルは『As it is.』とつけたんですよね。
渡邊:そうです。『自然体で』とか『ありのままで』という意味です。
森谷:ああ、そういう意味なんだ。剛さんはそういう雰囲気ですし似合いますよね。もっと僕のほうから何かイメージ伝えられたらいいんですけど。そういえばこれ、意外と積み木(百職からリクエストを出した構想中の作品のこと)っぽいなと思って。
渡邊:素敵。琥珀糖みたい。いいですね、見ようによっては『山』とか見立てて遊べる。重ねてもいいし。自由に見立てられるのがいいですね。
森谷:それで作ってみたんですけど、どうなんでしょう…。
渡邊:私はすごく好きです。
森谷:用途無いですけどね。
渡邊:無いですね。
森谷:(お客様に購入してもらって家に持ち帰ったら)ちゃんと居場所つくってもらえますかね?
渡邊:作ってもらえますよ。私はすごくいいと思います。手応え無い?
森谷:手応え無くはないんですけど…どうしたらもっと良いのかなって。サイズとかもなんとなくこのぐらいかなって作ってみたけど、売る時にバラバラ過ぎるかもと。箱か袋かひとまとめにできる何かがあれば置いといてもらいやすいかなって。あと、もっといろんな形があったほうがいいのかなとか。
渡邊:森谷さんのアクセサリー作品用の箱だと小さいですかね…。あれに収まるように設定すると大きさに制限が出ちゃう。今のこのサイズだと少し小さい気も。
森谷:バングル入れてた箱だったら良さそうですね。でも考えてみると箱だと置いとかなくなるかもですね?最初だけで。
渡邊:うーん、四角の箱の中にきれいに収まるパズルも見た目は面白いですよね。そこから出して飾る人もいれば、人によってはその四角の中に収まってる見た目が綺麗でそのまま飾る人もいるかも。同じ形でカットで統一しなくてもいいような気もします。端材を使うならなおさら…わかりにくいかな。言ってる意味わかりにくいですか?
森谷:パズルですよね?
渡邊:そうそう。
森谷:なら一個ずつ飾るんじゃ、これだとやっぱり小さすぎるかなあ、パーツの一個が。もっと質量があったほうが。飾るっていうと。
渡邊:そうですね…一個だけ飾るってなった時にもう少しインパクトがあっても。
森谷:そう。ちょんちょんってこう(置いた時)。素材としての色や質感の違いがあっていいですよね。小さいと魅力が半減するというか、わかりにくくなっちゃうかなと。
渡邊:この白いのが新しい(ガラス)ので作ったものですか?
森谷:白いのは粉なんですよ。ちょっと細かめ。これが(粒度が)めっちゃ大きいかけらの。そしてこれが白いガラスで作ったやつなんです。ポットミルっていうね、コロコロ転がして粉にする道具を用意したので、それで粉がいっぱい作れるようになって。
渡邊:おお。便利な道具が加わるといいですね。
森谷:だから粉の表現もしてみたいですね。
渡邊:去年開催した『夏の家』展の際、お話を伺ったときに、溶解炉を手に入れてガラスを再生することもやっていきたいなとおっしゃっていたと思うんですね。そこから発展して「ひとつの作品の中でいろんなガラスの魅力がわかるようにしたい」ともおっしゃっていて。たぶんこう粒度が違うとか色や明るさが違うとか。あれからそのへんの作業や制作はどうですか?
森谷:最近はそうですね…「ひとつの作品の中でいろんなガラスの魅力がわかるように」というのは、これ(実験作品のパズル)が一番わかりやすいですね。最初のアイディア出しで見せてもらったカラフルなやつとか色ものはそこまでできないなと思ったけど。粒度の差でいろんなガラスが組み合わさっているみたいなのは作ってみたいなと。
渡邊:グラデーションしているという言い方はちょっとおかしいかもしれないけど、粒度の違いによって作るガラスにこんなに違いが出せるんだというのがわかる点は本当に面白いですから。見る人に『こういうこともできるんですよ』ってそれぞれのガラスの美しさをシンプルにお見せできる。
森谷:そこからって気もしますよね。これは現象だから。僕はいつも現象を面白がっているだけでそこで終わっちゃうから。
渡邊:終わっちゃう?
森谷:そうなんですよね。作っているほうとしてはそれが楽しいわけで。なのかなあ…。
渡邊:現象があって、わかりやすい例だとそれを生かしたフォールグラスだったり、ほかの作品も制作されてますね。作品の中に、現象の面白さや美しさがしっかり落とし込まれてると私は捉えているんですが…もっともっと発展させたいといった欲求があるんですかね?
森谷:「ですよね」ってなっちゃうかなと思っちゃう。長く愛着を持ってずっと使いたいものとか、そこに置いておきたいみたいなのがその先にあるといいのかなと思います。現象すごいでしょ、みたいなので止まらないで。僕は面白がって作りたいんですけど。結果、その出来たものが、愛着が湧くようなものになっているといいですよね。
渡邊:なっているからこそ今まで見てくださった皆さんに伝わって、作品を手元にお迎えしてもらっていると思いますし、もし(愛着湧くようなものに)なっていなかったら…ここまでガラスを続けられないんじゃないかな。
森谷:そのへんって狙って作れるんですかね?使う側の人がそう思ってくれたらそうなるし、ならんかったらならんし。かといって『こうやって使ってください』みたいな感じはあんまりないんですよね。だからやっぱり「こういうのって面白いですよね」ぐらいでいいのかなって。
渡邊:面白いって大切だと思います。自然な初期衝動というか、純粋な根っこのところですよね、森谷さんの。そこが面白いからそもそもガラスを始められたとお聞きしていますし。どうしてガラスを選んだのかっていう。ベースの部分がちゃんとあって、その上に伸びている枝葉は続ける中でちょっとずつ変化?進化?していってると毎年感じます。
森谷:どういう変化があったのかわからない(笑)
渡邊:(笑) 使ってくれる人が少しずつ現れることで、ある時に『どうせ使ってもらうんだったら使い易さの部分も意識したい』という考えをお聞きした時なんかは、大きな変化?成長?を感じました。ありがたいことに森谷さんとはだいぶ長くお付き合いさせてもらっていますよね。意識されてないのかもしれないけど、人生を進むと同時に制作の現在地も動いているように見てます。ガラスの現象が面白いって今も常に感じますか?
森谷:ガラスの現象が面白い、しか無い気がします(笑) 特に、ガラスが変わる(2022年頃から、今まで使用されていた素材である廃蛍光管ガラスの入手が今後難しくなりそうな様相に。それに従い新たな材料の透きガラスに本格的に取り組み始めた)ってなったから、その用意のため色々な実験をずっと一年くらい、もうちょっと長いかもしれないけど、その準備が多かったのかなって。ようやくなんとなくガラスを溶かせるようになった(性質を見極めて溶かす温度やタイミングをつかめてきたという意味だと思われます)とか、粒度によって細かく仕分けできるようになったから、材料は少しずつできたぞみたいな。で、これで何しようみたいな感じなんですよ。
渡邊:着実に動いてますね。
森谷:なのかなとは思います。けど、すごい地味で人にお出しするようなことはしてない(笑) 地味なことばっかりして。何か作品ができたぞみたいな感じじゃなくて、ちょっとずつじわじわ基の基みたいなところができたみたいな。でも本当のところはちゃんとできてるのかな?っていう。
渡邊:できつつある、ということなのでは。だって少しずつでもこうやって形にしてる。
森谷:途中。途中なんですよ…。もっとこれがね、洗練されてきたらね、やりやすいのかもしれないですよ。すごい進みが遅い感じがする。まだ色々迷ったりとか、うまくいかない部分だったりとか。
渡邊:んー、進みは人ぞれぞれですよね。スピードを上げる…どんな方法があるでしょうか。
森谷:良い場所があったら一気に変わるけど。なんせノロノロしてるもんだから、思いきれないぞみたいな。思い切る余裕が無い。
渡邊:工房移設を考えることもある、ということですか?あとはアシスタントを入れたり、人材を育てるとか。
森谷:ね。弟子をやりたい人いるのかな。
渡邊:誰かのもとで教えを乞いながら働きたい人もいますよね。一旦学校や教育機関で勉強してそこから始めたい、どこかの工房で働くところからスタートしたい、すぐ独立したい人もいますね。
森谷:新たな仕事場を探してみるとかも「やってみればいいじゃん」って話なんですけど、ずっとこう動けずにいます。
渡邊:ここの環境だからこそそれが良い影響をもたらしてる部分はどうですか?
森谷:まあ場所ごとにいい部分はありますね。この前の仕事場なんてもっと機材も少なかったし。今もこんなところでやってるんだって気付かないでやってるけど(笑) 整えていくことをね、したいという気持ちはめっちゃあるんですよね。毎年言ってるかもしれない。
→→→中篇に続く
森谷 和輝(もりや かずき) 略歴
1983 東京都西多摩郡瑞穂町生まれ
2006 明星大学日本文化学部造形芸術学科ガラスコース 卒業
2006 (株)九つ井ガラス工房 勤務
2009 晴耕社ガラス工房 研修生
2011 福井県敦賀市にて制作を始める
森谷和輝 resonance ①


展覧会打ち合わせのため、
いつものように仕事場を拝見する。
何かを手に取らせて頂いたり、
そこでふと、森谷さんがこんなことを語った。
「僕はいつも現象を面白がっているだけで、
「現象すごいでしょみたいなのだけで止まらず、
「面白がって作りたいんですけど、
使い手の方に向け
「どうか愛着持ってもらえますように」
と願いながら制作する。
それってごく自然なことだ。
取材時にも自分なりに返答はして会話は流れていったのだけれど、
作品制作。
そのきっかけは自分の内側だったり外側だったり。
あらゆる場所から湧き上がり、作り手のこころや思考に響き、
匙加減はそれぞれだと思うけれど、
独りよがりだけではいいものは生まれない。
とはいえ、振り回されて過剰になるのも怖い。
気に入られようと受けを狙うあまり、
紙一重の世界。
ものづくりの根本にあるのは作り手自身だし、〈
※2020年に開催した森谷和輝さんの個展タイトルは「A Light Existing Only Here」
森谷さんにはぜひ、いつまでもどこまでも〈
それが強ければ強いほど生まれてくる作品の純度は高まる。
純度の高さは人の心に訴えかけ、動かし、やがて共振していく。
振動や波動が同じ周波数で共振し、振幅が増大する現象〈
森谷さんのアイデアや感情の詰まったガラスたちが、
As it is. ④


通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
簡潔な一問一答ですが、そこには作家さん自身からの誠実な言葉と思いがあります。
作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
質問1
この数年、高木さんが大きく変わったのは、
-30歳過ぎで京都市京北町で独立しました。30代後半あたりから薪窯での焼成にもっと力を入れていきたいと考えるようになり土地を探し始めました。うきは市は移住する前に旅で訪れたことがあり、気になる作家さん、お店をたずねて話しを聞かせて頂きました。
意外と交通の便が良く、作家としての活動のしやすい点や、食や地下水が豊かで生活の面も環境がよく子育てもふくめ、自分たちに適している地域だと強く感じました。その後、築窯するのに適した土地との出会いがあり移住をきめました。
質問2
高木さんがうきは市に移住され、自身のアトリエギャラリーと奥様の瑞枝さんのパンを販売する「李椿」をオープンさせたり、 地域のイベントへの参加など、以前よりも更に地域や社会との関わりに対して行動をされるようになってきておられるのかなというふうに感じます。
今後も作家業が大きな軸だと思いますが、作品を発表する以外の視野も持たれていますか?
-自分の作品の展示販売と妻のパンを販売する場所として、2023年3月に李椿(りちゅん)をopenしました。その月の制作スケジュールに合わせて営業日を決めているのでopen日は不定期で、5日間ほどです。
食やお茶と絡めた企画や古物と組み合わた展示など考えています。
質問3
高木さんとのお電話での話の中で、作品制作において「自然体でいられるように」というワードがあったのですが、高木さんが思う「制作での自然体」「自然体の作品」とはどういうイメージですか?
-言葉で表現するのは難しいですが例えば、ろくろ挽きでいうと押さえつけた形で無く、おおらかな形が好き。土にも個性がありますからそれを素直に形にできたらと思っています。
質問4
日々考え制作しながらも最終的には火や自然環境にゆだねるような形の陶芸が、高木さんの制作スタイルかなと思うのですが、今後もその姿勢は変わらずですか?
-変わらないと思います。
質問5
以前から高木さんが唐津、李朝や高麗のやきものがお好きであること。そして自ら土を掘り、薪を割り自作の窯での作品づくりもされています。多くの先人たちの足跡を学びながら現代に生きる高木さんが今の時代を映したやきものを表現するのに、一番大事にしていることはなんですか?
-古きを見て、学ぶ姿勢は作り手として軸に持っていたいです。自分のスタイルは写すというより、そこから感じた事を現代の生活に取り入れやすい器として
バランスを考えながら制作しています。
高木剛さんの暮らすうきは市吉井町に流れる巨勢川。
As it is. ③


山の上にある工房にも連れて行って頂いた。
そこは壁はなく、屋根のみの仕事場だった。
たくさんの材料や道具が積まれ、蹴ろくろや手回しろくろ、京北時代からの灯油窯と、新たに窯職人さんに依頼し築窯した穴窯があった。
奥様の瑞枝さんが、作業スペースのそばに今年からトライしているという養蜂箱を見せてくれた。
昨年挑戦したがうまくいかず、今年は譲ってもらった養蜂箱、いわば〈中古物件〉を設置してみると、打って変わって蜜蜂たちが住み始めるように。
「人間と一緒で、古い家がのほうがいいっていう蜂もいるんですかね」
と瑞枝さんは笑う。
重なった箱に蜜蜂たちが出たり入ったりを繰り返し、初夏の風景のひとつを見せてくれていた。
山の上の仕事場には、新たに加わったキュートな仲間もいた。
茶トラ白の雄猫「しっぽっぽ」。
とても人懐っこく、高木さんや瑞枝さんだけではなく初めて訪ねた私にもしきりに撫でるようせがみ、終始甘えていた。
少しだけろくろ仕事を見せてもらうシーンがあった。
〈回転するろくろの螺旋の力をつい押さえつけてしまいがちだが、上に伝わる螺旋の力を利用し、逆らわずゆだねるようにしてろくろをひくと自然と柔らかな形が出来上がる〉
と解説してくれた。
感覚的にもイメージしやすく、物理的考えとしてもなるほどと納得。
理論的でろくろをひくコツがとてもわかりやすかった。
作品には欠かせない粘土も見せてくださった。
高木さんが使う粘土や釉薬材料は買ってきたものもあれば、一部は自分の手で採取してきたものもある。
使えそうな土を発見した時のワクワク感はたまらないという。
うきはにやってきてから採った土もいくつかあるということで見せてもらった。
同じ山で採掘した土でも、少し場所が離れているだけでも地層や成分が違うこともあり、採れる土も全然変わる。
さらさら、ざらざら、ねっとり…粒度や手触りもそうだし、色も水分量もそれぞれ異なり、皆個性があった。
魅力的なうつわへと変貌する可能性を秘めた材料たち。
面白そうな土を見つけるのはどこか宝探しにも似てなんだか好奇心が刺激される。
それを使えるように研究し実験する過程には想像する以上の苦労も恐らくありそうだけれども、探求していく面白さには大きな魅力を感じる。
ご自宅でも李朝時代のやきものを実際にいくつか見せてくれたが、工房では今度は陶片コレクションを披露してくださった。
留学した青松窯で拾ってきたという白磁の陶片。
高木さんが試しに叩いてみせてくれる。
すると硬質の物は澄んだ音がする。
少し甘めに焼かれてた軟らか手のものはやや鈍い音が響く。
内側に、青海波模様の叩き板の跡が残る唐津の陶片も、こんな作り方が成されいるのかという驚きがあり興味深かった。
土の個性を見極めながら、どんなふうに形や厚み、焼きなどが考えられ、制作し工夫されていたのか。
その当時の考えや試行錯誤。
いくつもの陶片に触れることは、当時の陶工たちと対話するかのようだった。
高木さんは、李朝や高麗の形状を単純に写し取るのでもなく、現代の暮らしの中での流行や使いよさのみを表現するのでもなく、自分自身を見つめ、自身のうつわづくりの根幹を成すものを誠実に学び、思考を咀嚼し、自らの内に落とし込んで自分が感じたものを映し出すことを大切にしているのだと改めて感じた。
どこから来て、どこへ行くのか。
高木さんが体現する自然体は、古典から学び、現代社会に生きる自らの感覚も取り込み、土や天然の材料を用い、周囲の自然と寄り添っていく姿勢。
作り手とともに作品も変わりゆくもので、京都からうきへと移ったことで生まれた変化は、うつわとしてどんなふうに形になるのだろう。
展覧会がとても待ち遠しい。
(了)
高木 剛(たかぎ・ごう)作歴
1978年 鹿児島に生まれる
1998年 山梨県にて陶芸を学ぶ
2002年 東京都江東区にて制作を始める
2008年 京都市京北町に移住
2012年 韓国 青松白磁窯にて短期研修
2020年 福岡県うきは市に移窯・穴窯築窯
As it is. ②


高木剛さんは、百職がオープンした15年前、お取り扱いをお願いした第一号の作り手。
迎えた今年2024年。
百職は京都に再び戻り、高木剛さんの個展をひらく。
常設納品、二人展やグループ展の出展、それ以外でも食事したりお宅へお邪魔したり顔を合わすことも多かったのでうっかりしていたのだけれど、改めて数えてみたら個展をして頂くのは実は十数年ぶりのこと。
高木剛さんは鹿児島生まれ。
1998年より山梨の陶芸家の師匠の下で修業時代を過ごし、2002年に独立し東京へ。
その6年後の2008年、京都市京北町へ移住した。
2020年にうきは市へ移住。
一方、偶然にも同じ2008年、私も東京から京都へ移住した。
高木さんと出会ったのは、京都へ来てすぐの頃。
百職を始める前のことで、実はこの時点では、うつわ店をやろうという考えは一切なかった。
たまたま京都のクラフトイベントで、若手職人グループの作品販売の手伝いに来てブースにいると、すぐ目の前のブースで高木さんがうつわを販売していた。
土味のよい粉引や刷毛目、ビードロ釉などのやきものを並べているのに惹かれ、覗いてみた。
その中に、土器と思しき蓋物があり、プリミティブな雰囲気と一風変わったフォルムが珍しく、とても気に入り購入した。
今思えば、あれがすべてのきっかけになったのだと思う。
そして2020年。
高木さんが京都からうきはへ移ったのと同じくして、百職も京都から神戸へと移転した。
不思議なことに、人生の節目節目が、高木さんと私(百職)は重なるのだった。
今回の個展の機会。
高木さんがご家族と新たに移り住んだ福岡県うきは市の住まいと工房を初めて訪問した。
高木さんが暮らすうきは市吉井町は、江戸時代には豊後街道の宿場町として栄えた地域。
久大本線の駅を降り、地図に従って歩くと立派な古い建物が徐々に目につくようになった。
漆喰の白壁が美しい蔵や、旧い商家を思わせるような建物の数々。
あとから調べると、この辺りは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている場所だった。
また、豊かな川幅と澄んだ水を湛えた巨勢川も、思わず橋の上で立ち止まるほど印象的だ。
歩き始めて十数分。
庭木が豊かに茂った小径の先に建つ一軒の民家にたどり着く。
高木さんのお住まいだった。
インターホンを押し、こんにちはと告げると、中から「早かったですね」と玄関ドアが開き、高木さんが顔を覗かせた。
いつもの穏やかな笑顔で、少しではにかむような表情を迎えながら出迎えてくださった。
ドアを開け中に足を踏み入れると、入ってすぐの室内は白い壁や建具で明るかった。
台所カウンターの向こうから、高木さんの奥様の瑞枝さんも
「久しぶりですねえ」
と笑顔で声をかけてくださる。
初めて訪れたうきはのお住まいは、どこか懐かしさを滲ませていた。
縁あって手に入れた古い民家を、数年に渡り京都とうきはを行ったり来たりして、大工さんと少しずつ少しずつ相談しリノベーションを進めたのだという。
京都の京北時代の住まいは農業地区の古民家で大きな平屋で、家の反対側の窓は山に面してかなり陰影の濃い環境だった。
それと比べるとうきはの家は住宅地にあり、よく陽が入り、風も抜けていき、明るさがあった。
異なるところも多い反面、家のあちこちに古いものがあしらわれて大切に使われていたり、たくさんのふだん用の食器(そのほとんどは高木さん作)が台所に置いてあるところは変わることなく、高木家の住まいの空気は確立され、安らぎに満ちていた。
新緑の緑が彩る庭に面した縁側には、京北時代からの愛犬の小麦ちゃんがいた。
15歳の高齢ながら、黒くつぶらな瞳はいきいきと光っていた。
まだ元気にしているのか、来る前から実はひそかに気にかかっていて、また会えたことがとても嬉しかった。
楽しみにしていたもののもうひとつは、ガレージだった建物を改装し作り上げたギャラリー「李椿(りちゅん)」。
月に数日だけオープンし、高木さんのやきものと瑞枝さんの焼くパンや焼菓子を置いている。
来訪した私たちのために少しだけお店を見せてくれた。
近作から京北時代の作品も並んでいた。
少し広い時間軸での高木さんの仕事の変遷も感じながら眺めることができたのも個人的に嬉しい出来事だった。
そこで改めてこれまでの来歴にも耳を傾ける中で、クラフトフェアへの出展の話題も出た。
「受験勉強じゃないけど、敷かれたレールの上を皆と同じように行くのが果たして自分にとっていいのかどうか、疑問を持つようになった」
と話した。
出展を果たすことにはいろんな意味がある。
特に、以前は今よりも有名なクラフトイベントの選考に通り出展することが若手作家にとっての登竜門、或いはステイタスであったり、または名刺・経歴代わり的な意味合いが大きかった。
高木さんはそういったことに疑問を持ちはじめ
「では自分は、何をどう選択しようか?」
と考え始めたという。
時を同じくし、興味を持ち始めた李朝白磁と不思議な縁が生まれる。
さるギャラリーさんから、韓国青松郡にある青松白磁窯へのレジデンスプログラムを紹介されたのだ。
高木さんは短期留学を果たし、本場の李朝白磁に触れることになる。
とても短い期間だったが、実際の制作の場を目の当たりにし、土に触れ呼吸し五感をフル活用し、可能な限り吸収したことが大きな分岐点にもなったという。
青松で見たうつわの中でも、高木さんは祭器の高台皿に惹かれた。
向こうで見たのは磁器で作られていたものだったが、これを今まで自分がずっと取り組んでいた粉引でやってみようと一念発起。
研究と試作を繰り返して発表した高木剛さんの粉引高台皿は、徐々に広まり知られるようになり、今では代表作となった。
写真は最初期の頃の高台皿で今とかなり形状や釉調も異なる
自分だけの道、自分が決める道。
自ら発見し試行錯誤し、重ね、独自の作品を生み出す。
「自分の軸」を、時間をかけ粘り強く探求する高木さんの姿勢が鮮やかに心に残った。
ちょうどお昼ご飯時となり、お昼をご一緒しましょうというお言葉に甘え、瑞枝さんが以前と変わらぬおいしい手料理でもてなしてくださった。
瑞枝さんのお料理は五味が調和し季節感があり、いつも瑞々しく高木さんのうつわに盛り付けられている。
目で楽しむのも食事の大きな醍醐味のひとつ。
思いっきり堪能させてもらう。
食後のコーヒーを淹れてもてなしてくれるのは、高木さん。
これも昔から同じで、ありがたみにしみじみする。
コーヒーが注がれたカップには、見事に細やかな貫入が出ていて色の変化もいいものだった。
そこから、高木さん秘蔵の古陶磁コレクションを拝見させて頂けることに。
古い唐津のうつわや白磁のうつわが次々と登場しては、見立てや考察など面白い話をいくつも聞かせてくださった。
楽しい時間はあっという間に過ぎては流れていった。
⇒⇒⇒ 後篇へ続く