読み物
森谷和輝 origin ②


今年もやってきました、森谷さんとの展覧会です。
2011年7月16日~31日の期間に百職で開催させて頂いた個展が、森谷さんにとっても初個展だったそうです。
そこから十一年後の今年です。
まだコロナ禍が続く世の中ですが、今年は二年ぶりに森谷さんのお住まい兼工房をお訪ねしました。
今年の個展は、今とこれからを見つめながら、「ガラスをはじめた頃の原点」に抱いたガラスへの感覚、目線に再び出会いながらの展覧会にという思いを込め展覧会タイトルをつけました。
毎年の展示で進化を遂げる一方、ガラスという素材に出合った頃の初期衝動は今も森谷さんを制作へと動かす原動力でもあります。
ゼロ時間に戻し、原点に回帰して、いつでも真っ白なキャンバスを内なる自分の中に持てることは強みでもあります。
展覧会作品の進捗や作品への思い、展覧会というものをするにあたっての考えや、つくり手としての自分や周囲との関わりについてもお話を聞かせてもらいました。
前篇、後篇の電話インタビューです。
久しぶりに訪れた森谷さん工房の様子も、作品の一端を感じるよすがになれば嬉しいです。
――球体や台形のオブジェの進捗はどうですか?
森谷「窯から出てきててまだこれから。これから仕上げていく最中ですね。一個仕上げたものを送ってますけど、最初はワックスで原型を作ってやったやつなんです。そのあとで、もうちょっと形どうしようっていうので、吹いて型をつくろうって思いついて。見せてもらった浮き玉(※今回オブジェは店側からの提案でお願いした作品で、打合わせの際にイメージソースとして古道具の浮き玉を持参してお見せした)は吹きで作ってあったじゃないですか。だからかたちの柔らかさみたいなのを、ガラスで出せないかなと思って。ワックスで、手で削り出すんじゃなくて、ガラスを吹いて丸…丸というか、まあ完全な丸じゃないんですけど、吹いて、形作って。それを型取りしてみたら、あの浮き玉の雰囲気に近づけるかなあと思ってやってみました。
――それはだいぶニュアンスが変わりそう、面白そうですね。
森谷「うん。それはすごく新しくやってみたことなので面白いかなと。自分で作った形じゃないというか。吹いて作っているので、自分以外の部分から、形を作る要素がすごくあると思ってね。ガラスにもその…周りの環境というか。そういうのにも作用されたり。膨らまして作るというのも面白いなと思うし」
持参した古道具の浮き玉はグレーの色のガラス
――手で削るとなると、自らの手で形に向かって直接的に近づけていくような感覚に思えますけど、吹きガラスで吹いたものをまず作って、そこから型を起こすというのは、より…なんだろう、吹きガラスの手法や感覚に近づいていく方法のような気がします。
森谷「前から粘土とかで形作るの苦手で。苦手っていうのは、その…自分でやると自分なりのものしかできなくて。もう自分が出ちゃってるなと思ったり。そういうのってすごく苦手だった。今でもね。今回は球体だから、まあ球体を目指せばいいからできそうな感じもする。けど自分の癖みたいなものがすごく出るなと思うし。具体的な何かを粘土で作るのは苦手。出来た後に見ても、ああ、こういう感じのできるよね、そうだよねって感じになってしまって」
――予定調和的なものしかできないという意味もありますか?作る前から想像できてしまうというか。
森谷「ああ、そうそう。あまり面白くないような、変な感じになっちゃう。絵とかでもそうかな。今まで自分で持ち合わせた何かでしかできない。だから粘土で作るっていうのはちょっと」
――手でかたちを作るって良くも悪くも自分が出ますね。陶芸などもそうかな。すごく直ですし。手で形を作る感じが苦手なのかな。
森谷「そうかも。手で触れる、というのがあんまりなのかな。意識が強いのかな、自分の。自意識」
――自分がやりたいほうに、自分の手を使って直接的に手繰り寄せていくほうがいいっていう人もいますよね。道具を使うとうまく出来ないという人も。
森谷「その人のやりたい『かたち』があるんでしょうね。美しいとか、その人にとっての美しいかたち。吹きガラスでも、自分の思ったとおりにできる人ってたくさんいて。でも、それに面白さを感じていないんだと思います、僕。同じようなこと思うっていう人にも今まで会ったことあるし。だから自分以外の要素も入れて作りたい。そうして作ったほうが面白いと思っているタイプかな」
――キルンワークでもそうですか。
森谷「キルンは…あくまでも自分がやっているキルンワークはですけど、そういうことを思ってやっている感じです。技法がどうっていうよりも、素材に任せたいという人もいますし。粘土で作ってというのは、大学時代の授業ってだいたい粘土で原型作ったりしたんです。その時すでに苦手だなと思ってて。だから吹いてうつわ作ってガラスを詰めるっていうやり方をしてました。それもあって、今回のはその感じでやってみようと思いました」
――「ガラスがどういう風に流れていくのか、融けていくのかを見るのが面白いしそれがきれいだ」と、森谷さんからは毎年のように聞いているので、それはずっと変わらないですね。ガラスという相手がいて、それを見ながら自分もリアクションする。対話というか。キルンも吹きガラスも、ガラスの気持ちや意思を汲んでやるのが森谷さんの考える自然な方法なのかなと見てて感じていますが、自分ではどう思いますか?
森谷「そのほうが自分にとっては楽しいですね。無理があるとね、難しい。ワックスを削って球体の原型を作っているときはちょっと無理がありました。なんかすごく大変だなと感じて。最初にヒントでもらっていた浮き玉があったので、サイズ感とか雰囲気はああいう感じだというのがあって、そっちに向かっていけたけど、単にかたちを写したいわけじゃないので。だから吹きでやろうって浮かんだのは良かったなと思います。しっくりくるやり方です」
――最初に送ってくれたワックスで作ったバージョンと、吹きガラスの型で作ったものと、展示の場で見比べてもらうのも楽しそうですね。
森谷「お客さんに見比べてもらっても、ようわからないかもしれないですけど、どうしよう」
――はっきり違いがわからなくても「なんか感じが違う気がする」とか、どっちでもいいやじゃなくて「私はこっちがいい」って選びたくなるようなニュアンスの違いさえあれば…
森谷「あ、それは選べそう。うん、違うと思います。結構気に入ってます、吹いた感じのほう。ああ吹いて作ったなという感じがします。触ってみるとわかる」
――ならますます楽しみですね。
森谷「またここから違うことにつながっていくといいなと思ってて」
――花器を吹いて、その型を取って作るとかは?
森谷「あ、そうそう花器ね。きっといいと思います。手はかかるけど(笑)」
バーナー作業の視点、
森谷和輝 origin ①


森谷和輝さんがガラスをやり続けている根底に流れているのは、ガラスへの色褪せぬ感動なのだと思う。
大学から始まったガラス造形。
初めてガラスに触れた時をこう振り返る。
「最初にガラスに触った時の衝撃がすごかった。
原点で抱いた感覚。
過去に話した中にもこんな言葉がいくつもあった。
「ガラスがゆっくり流れている感じ。本当にゆっくり融けていく。
「熱でかたちが変わっていく。
いつも彼が夢中になって見つめているのは
「窯の中でどんなふうにガラスが流れていくのか
バーナーを介して触れるガラスはどう変化するのか
その透明感の美しさ、質感、表情」
森谷さんのガラスに大自然の氷や湖、光の色や質感を見出して、
ガラス本来が持つ性質を出発点にしてつくられるものたちには「
今年も森谷さんは話してくれた。
「ガラスのね、かたまりをちょうど作りたいなと思っていて。
今、これから、原点。
それぞれはいつも隣り合って歩んでいる。
今も変わらずに、素材を知る面白さに飽くことなく、
YUTA 須原健夫 境界を潜る ⑥


primitiveとclassical。
YUTAには二つの異なるシリーズがある。
「匙」は primitiveシリーズ。
以前「匙」と「テーブルスプーン」を例に、
「
「primitive/アジアの民具や、先住民達の道具は、
現代人にとってそれは、
もはや、その地を踏むことは叶わなくとも、
この一文からも読み取れるように、匙も菓子匙も根源的な素朴さを纏わせた匙たちです。
切り取られた輪郭の仕上げや細部の叩きの仕上げの「手数」は引き算にしていて、作りこみ過ぎていない。
「classical」シリーズ|テーブルスプーン、デザートスプーン
「classical/西洋の伝統的なスプーンは考え抜かれたかたちをしている。
“西洋の伝統的なスプーンは考え抜かれたかたちをしている。”
それらをもってして、
先端のすぼまったかたちは西洋の伝統的なスプーンを踏襲すること
YUTA 須原健夫 境界を潜る ⑤


(左から)
匙
菓子匙
テーブルスプーン
デザートスプーン
「掬う」は、「助う」「救う」が源になっているともいう。
食べる事を助けるカトラリーとして、もっとも身近な匙、スプーン。
食べることを手助けするというのは、ひいては身体や心も、助けてくれることに繋がる。
自分の手で掬い取ったひと匙が、身体に染み込んで、心を潤す。
使う人々に、此の道具たちを、結い和すことができるよう、願う。
(左から)
付き匙
テーブルフォーク
原初があり、長い時を経て洗練へと向かう。
皿の上で繰り広げられる、多彩な働きぶり。
絡め、まとめ、突き刺し、押さえる。
シンボリックな形は、ある種の鳥のように美しく舞い、食事を助け、その瞬間のふるまいをも魅力的にする。
菓子切り
ヒメフォーク
細い薄い花びらのような形をした菓子切りは、菓子を音もなく鮮やかに切り分けるのが得意だ。
そしてその花びらを二枚に分けると櫛形へ姿を変え、果物などを刺して口に運ぶのが得意な道具になる。
兄弟姉妹のようなカトラリーふたつ。
マドラー
ピック
少し窪ませた頭の形が特徴的で、飲物の海の中に沈ませ攪拌していても良く混ざる気がする。
なくてもなんとかなる道具だけれど、グラスの中で小さくきらめく光と影の綺麗さは特別。
ピックはシリーズの中でもっとも細くて華奢で、まるで光の針のように見える。
柄には小さく光が揺れ動くような細やかな鎚目がつけられているのがとてもリリカルに感じる。
どちらも、まるで詩を詠むように作られている感覚を覚える。
思いを持って作られたものを当たり前のように日常的に使う。
いろいろな物に込められた思いや考えに目を向けて、寄り添うきっかけになるかもしれない。
茶匙
窪みがつけられた掬いやすい形は、西洋の流れを組んでいるように感じる。
柄こそないが、細いほうを指でつまみ、広いほうでたっぷりと掬い上げる。
指のような丸みのこの小さな中に、すべての機能が集約している。
ミニマルでいて柔らかに描かれた輪郭は、素材である真鍮の温かみとよく調和している。
茶箕(ちゃみ)
端は平坦で、両側は丸みを帯びて手になじむ。
茶筒の中にともに仕舞われやすいように作られている。
あくまでも茶を淹れるのに必要量をすくうための形状で、簡素な佇まいが美しい。
形に寄り添い、鎚目は細く長くつけられている。
アイススプーン
形状の装飾性は、風に吹かれ、はらはらとほとんどが剥がれ落ちていった。
アイスクリームを掬うための、必要最小限。
持ちやすい柄の長さ、先端の柔らかな曲線、断面の滑らかさ。
真鍮に伝わってくるアイスクリームのひんやりとした冷たさは、心地良い。
細い線条のように施された鎚目は、気配のような唯一のほのかな装飾。
YUTA 須原健夫 境界を潜る ④


金工作家のタケオ・スハラは、かつて過客であった。
魅惑のトーキョーという東の地で、金属を手なづける修行をしていた。
彼はやがて、金や銀や真鍮の茫漠とした砂漠に分け入ることに成功し、手ずからジュエリーを作るようになった。
辿るようにしてその砂漠を旅する内に、茫洋とした霧の中に手頃な大きさの滝を見つけると、瞬く間に裏側へと吸い込まれていった。
数年、彼は滝から戻ることはなかった。
しかし沈黙を経て、一瞬の閃光の如くタケオ・スハラは帰還した。
ふたたび人々の前に姿を現した彼は、風に揺れるようなカトラリー
一方ジュエリーたちは、どこか遠くを見つめるような表情のまま静
そう、半分眠るようにして。
タケオ・スハラは、カトラリーたちと手を取りながら、多くの土地を綿密に探索しては、自らの身体の中から新たにカトラリーを発掘し、採集して歩いた。
それからまた時は過ぎ、過客として彼は新たに此の地、ミノオへや
歳月の経った、少し年老いてはいるが優しい空気を漂わせる家屋を
そして大切なこととして、ミノオでまた彼は滝に再会したのだった
滝の後ろはトンネルがあって、それは大抵、異なる世界とつながっ
そこを通って彼は久しぶりに町にやってきた。
町に着くと、彼は自分の身体の中心に一本の線が引かれていること
まるで境界線が引かれてしまったかのようだった。
そして身体の左側だけが重くなった。
バランスが取りにくくなり困惑しながらも、抗い難い何かに、引き
そこには一本の塔がそびえていた。
これは、いつか何かの書物で目にした記憶のある、精神の宮殿とか
入口でまごついていると、案内係がやってきて「どうぞ」と声をか
そのまま閲覧室に通された。
身体の左側がいよいよ重たい。
不恰好なまま、閲覧室のカウンターに座ると、別の係が奥の扉から
「やあ、ようやくご到着ですね、準備してお待ちしていましたよ」
と、待ってましたとばかりに引き出しをごそごそし始めた。
準備して待っていたとはなんのことだ?と覚えのないタケオ・スハラは心の中で首をひねった。
「こちらがあなたの忘れ物です」
差し出されたのは、函に入れて家のどこかで埃をかぶっているはず
明るい灯火の下に置かれたジュエリーたちは驚いてきょろきょろし
「もう眠らせてはいけませんよ。身体の均衡ってやつが崩れてきま
そう言うと係は、タケオ・スハラの身体の中央に走る境界線をぐい
それは鍵と鍵穴のように、ぴたりとはまった。
あれだけ重かった左半身が軽くなり、均衡が整った。
すとんと帳尻が合ったようだった。
それからというもの彼は工房にやって来ると、カトラリーを作る時
自分の身体に走る、見えない境界線の右はカトラリー、左はジュエ
いや、その実、右は左でもあるし、左は右であるに過ぎず、集中す
自分の身体を通して、滝の向うにある別の世界を観測している感覚も透けて見えるかのようだった。
【須原健夫(すはら・たけお) 略歴】
1978年 大阪府出身
2002年 東京で彫金を学び始める
その後目黒に工房を構えジュエリー制作を始める
2008年 カトラリーの制作を始める
クラフトフェアまつもと、山口アーツ&クラフツに出展
以降、ARTS&CRAFT静岡手創り市、瀬戸内生活工芸祭等、
2009年 工房を東京都青梅市に移転、工房名を「yuta」とする
2010年 全国のギャラリー等で展示活動を開始
2013年 工房を大阪府箕面市に移転