読み物
とりもと硝子店 標 ④


過去には二人展やグループ展などでもう何度も百職の展示には出て頂いているとりもと硝子店さん。
実は今回、百職での個展は初となります。
鳥本雄介さん、由弥さんのご夫婦からなるとりもと硝子店さんは、それぞれが個々の作家として活動していた頃の作品が今も制作ラインナップの中には存在し、二人のとりもと硝子店となってからの作品も生み出していることから非常に多彩なアイテムを制作されています。
どうしても展覧会となると昨今は「展示即売会」といった傾向になりがちなのを、今回はあくまでも「展覧会」というものを念頭に置いた会になるよう、作品制作をまっとうしたいという気持ちも工房訪問の際に雄介さんは口にしていらっしゃいました。
中でも事前のQ&Aでは今回の展で見てほしい作品としてあげていた関守石。
私自身もとても気になる作品で、いったい何を感じ、考えながら制作をされているのか。
久々の作家さんの工房訪問では短い滞在時間の中でも顔を合わせてお話できる機会だったので、今回は関守石という作品を中心にお話をお伺いしてきました。
インタビュー後篇も、工房でのお仕事風景の写真とともにお楽しみください。
○今までの生活ってものが作るものには色濃く凝縮されてるんやろうなあ
雄介「あれ(マーブルの関守石)はでもね、あの生地が出来たとして、あの生地を生かせんのはこういう形かなって基準で行き着いたという」
由弥「耐熱だからという理由じゃなくて。出来てきた大理石みたいなあのマーブルの感じがね。薄いシェードにしたりとかもしたんやけど、結局塊でああいう風にしたほうが一番落ち着いて。綺麗で縞瑪瑙みたいって」
雄介「そう。シェードにもしたくて。シェードにしたんですけど。まだ今のところは出さないかな」
由弥「関守石が耐熱である必要は全然ないけど、あのガラスはあの時にしか作れないものやから。何かの形にする時に落ち着くものがあるならそこに着地させたらいいかなと。それが関守石で」
――撮ろうとすると結果的に対象をすごく感じ取ろうとしたりして観察するんですね。関守石を撮影している時はガラスの塊の中にうねりを強く感じて。巻き取っているイメージとか窯の中でガラスが動いているイメージとかが湧いてきて。イメージを刺激する面白い作品だと感じました。
(マーブルの関守石が登場してくる)
――色合いが食べ物みたいでおいしそうですよね。
由弥「そう、おいしそうなの」
雄介「でもガラスとしてはこれね、コップにした場合とかはあんまり飲み物はおいしそうによく見えないなと」
由弥「厚みがあったほうが面白いの。なんかね、ライトみたいに関守石をしてもいいかなって。夜に光ってるってどうかなって。中が空洞のも作ってもらったこともあって。でもまだそれ物になってなくて。どうなんやろう?とか。ライトにするにも光がごちゃごちゃするのいややしなあってまだ全然出来てないんやけど。そしたら餅匠しづくさん(今回鳥本さんのところに手土産にしたのが大阪の菓子舗「餅匠しづく」さんのお菓子)がInstagramに載せてはって。お店にあるみたいなんですよね?」
友人「ありますね。(※今回の工房取材ではメイン撮影を担当してくれた友人も同行してインタビューにも同席してくれていた)」
由弥「Instagramでしか見たことないんやけど、あれどうやって出来てんねんやろって。あれガラスなんですか?」
友人「あれたぶんガラスです。遠目からしか見えないんですけど…」
由弥「そっか。すごい気になってるんです。あれ、どれくらいの大きさなんですか?」
友人「いくつか種類があるんですよ」
由弥「あっ、そうなんや!」
友人「お店の中に展示スペースみたいなのがあって、時々そういう作家さんか何かの展示をしたりとか、そのスペースの入口のところにこれ(関守石)よりもう一回りちょっと大きいくらいのサイズのやつが一つと、もっと手に乗るくらいのちっちゃいのが入口のところのショップカードが置いてある辺りにあったりとか。いくつか種類ありますね」
由弥「そうなんや…見たい!」
雄介「へえ〜」
由弥「いつか見てみたいなあと思ってて。関守石でもいつか明かりは作ってみたくて。これ(マーブルの関守石)もね、光が通ったところにすごくいい影が出てね」
雄介「アンバーの色がきれいやな」
由弥「このマーブルのは内包してくる光がここから見ると赤く見えるんやけど、厚みがあるから光が凝縮されてくんのかなあって。写真撮ってたらどんどん表情が変わる面白さがあって」
――これもそうですけど関守石は蔓の結び方はいろいろ違って面白いですよね。結び方は変えている?
由弥「変えてる。基本的な結び方ってあるようでないようで実はあるみたいで。下にこういう締めてるところがあってぐっと上がってきて井桁に結んでって。これはオーソドックスな結び方だと思うけど、もっとシンプルなものもあるし。庭師の人が竹垣とかを結んで作っていく、その延長で出来てたっぽくて。調べたりするとあって。あまり決め過ぎずに好きなように結んでいけたらいいかなって。その時の素材次第。最近、川遊びをしている時に、ここの川沿いにすっごくたくさんいろんな種類の石があって。今まで石って拾ってきたらあかんって意識があって。でも拾えるようになって。それにちっちゃくて結んでなんか作品に出来るかなって。それこそ手のひらに乗るこんくらいのんとか」
――住んでる場所の自然が作品の中に生かされているって、作っている人の内面的には環境から受けるものが反映されていることを感じるので興味深いですね。
雄介「そうですね、意識しているというよりも影響を受けてる感じですね」
――天候や自然の風物から作品の名前をつけているところもお二人の味わいの一つだなって。
由弥「なんかね私はすごく暮らしの仕方が変わったから、こっちに来て。子供と一緒にいるっていう時間が圧倒的に多くなったから。今は作って即品物や作品になるっていうやり方で。ガラスはそこに行ってガラスを溶かして成形して一晩経ったら出来て。それでも次の日に出てくるから短いんやけど時間は必要。でも子供たちがそばで遊んでても、この蔓とかだったら相手しながら編みながら即品物になるっていう。即物的な作り方も出てきて。作れる時間がものすごい短い。例えば20分とかの間にこの蔓の準備とかはちょこちょこちょこちょこしておいて。今出来るぎゅっと作った作品ってそういうやり方に今変わって。プランツドローイングも5分とかで描いて写真撮ったのが作品になるわけで、そういうののちっちゃい積み重ねになっていったのがこういうことに繋がってるのかなって。住んでる環境がもっと都会とかもっと海寄りとか、海だったらもっと違う天然素材を持ってきたんかなって。海なら貝とか。やっぱり影響受けますよね。近くが山だったから蔓になってるし、そういうのが今なんだろうなと。毎日が夢中で、自分だけじゃない軸で、子供たちの軸中心で過ごす中で僅かな時間の中に作るタイミングを入れて。それは彼も一緒やと思うやけど。
雄介 はい。毎日が一瞬ですね。
由弥 自分では気がつかないですけど今までの生活ってものが作るものには色濃く凝縮されてるんやろうなあ。
(了)
とりもと硝子店(鳥本雄介、由弥) 略歴
鳥本雄介 1975年生まれ。
鳥本(旧姓 酒井)由弥 1978年生まれ。
晴耕社ガラス工房に勤務、荒川尚也に師事。
それぞれ自身の作ったものを世の中に発表しながら、ガラスの技術だけでなく様々なことを学ぶ。
退社後、2人で窯を築く。
2015年独立、開窯。「とりもと硝子店」として活動を始める。
とりもと硝子店 標 ③


過去には二人展やグループ展などでもう何度も百職の展示には出て頂いているとりもと硝子店さん。
実は今回、百職での個展は初となります。
鳥本雄介さん、由弥さんのご夫婦からなるとりもと硝子店さんは、それぞれが個々の作家として活動していた頃の作品が今も制作ラインナップの中には存在し、二人のとりもと硝子店となってからの作品も生み出していることから非常に多彩なアイテムを制作されています。
どうしても展覧会となると昨今は「展示即売会」といった傾向になりがちなのを、今回はあくまでも「展覧会」というものを念頭に置いた会になるよう、作品制作をまっとうしたいという気持ちも工房訪問の際に雄介さんは口にしていらっしゃいました。
中でも事前のQ&Aでは今回の展で見てほしい作品としてあげていた関守石。
私自身もとても気になる作品で、いったい何を感じ、考えながら制作をされているのか。
久々の作家さんの工房訪問では短い滞在時間の中でも顔を合わせてお話できる機会だったので、今回は関守石という作品を中心にお話をお伺いしてきました。
工房でのお仕事風景の写真とともにお楽しみください。
○自分で蔓で編んで腑に落ちて『ああできる』って思って
――関守石という作品のことを中心に今日はお聞きしたくて。最初見た時からすごく印象的だなと。オブジェが好きだからというのもあるんですけど。この作品はまず関守石というテーマがあって、そこから関守石作ろうって生まれたんですか?
雄介「えっとね。関守石っていうそれ自体があったのは由弥さんは知っとったんやね?」
由弥「うん、知ってた」
雄介「私は知らなくて」
由弥「関守石というものが世の中にあるのは知ってて、いつかこういうものが作りたいって。なんかね、どっかのお店かどこかで置いてあることがあって。そこから入ったらいけないって。庭かなんかついてたお店やったと思うけど。素敵やなというのはずーっとあって。それで一回ね、GULI GULIさん(※大阪池田市にある美しいお庭とナチュラルな食材のお料理が美味しいカフェ。ショップギャラリーももありとりもと硝子店さんの作品も以前から展示販売されています)でクラフトマーケットみたいなんをやった時があって。普段お庭として使っている一角を販売スペースにしてた時にこっからは自分たちのストックルームだから入らないでくださいね、っていう意味で作ったものを置いたのが初めてで」
――へえ!
由弥「その時は今みたいな形じゃなくって、当時作ってたののB品、欠けちゃったガラスをぐるっと棕櫚縄で巻いて置いてて。そしたら、それの存在に気づいてくれた人が一人だけいてて。クラフトマーケットやってる時に、その置いてるのを飛び越して来ようとした男の子がいてて。そのお母さんが『そこは入っちゃダメよってしるしだから、入ったらダメなのよ』と言ってるのを、私は後ろから見てて。その声も聞こえて。ああ、わかってくれる人がいるんやと思って」
――ああ、すごい。気がついてくれる人がいた。
由弥「そこから作るようになって。最初の時はもともと私が作ってた木の実みたいなイメージで作ったガラスに紐結んでみたのがスタートで。その時はもう普通の棕櫚縄とか麻紐とかそういうのを使ってて。それでしばらくずっとやってて。天然の素材がいいなあってずっと思ってたからヤーンとか和紙の紙とかいろいろ使ってたんやけどしっくりけえへんなと思ってて。その時に美山(※京都府南丹市美山町。京都府のほぼ中央に位置し豊かな自然とかやぶき屋根の家々など日本の原風景を残す里)で蔓から籠を編むワークショップに参加して」
――ああ。美山ではあけびとかそのほか蔓細工されている方もおられますよね。
由弥「そうそう、やってるよね。その時ね、自分でざるを作ってみて。そのざるは今もよく使ってて。材料の蔓っていうのがいつ頃採るのかとか自分で採るのにはどうしたらいいのかとか知ることも出来て。蔓ってね、水が止まった時期しか採っちゃダメなのね。そうじゃないと傷んでしまうからって」
――うんうん、冬以外は水を含んでいるから、そうすると腐りやすくなりますよね。
由弥「そうなの。以前は水が植物の中に流れている時の蔓も取ってたし。採ったりしていろいろ遊びで使ったりしてたけどそんなんではうまくいかなくて。その時にワークショップで水が止まってる時期に蔓を採るんだとかどういう蔓を採ったらいいとか知って。蔓を採るっていうことがこの田舎の、自分の身のまわりでごく自然にできる。しかもそれが環境にも良い。蔓って山の中に生えるんじゃなくて、川沿いのネットとか田んぼとかに張ってあるネットとか、道沿いで結構採れるから。だから自分の手で身のまわりの手入れをするような感じ。身のまわりの植物を採って籠を編むってことをした時に、これで初めて関守石を結んだらどうやろってふっと思いついて。この周りで冬の間に蔓を採って準備して。水が止まっている時期でも採りたての蔓は柔らかいからそのまますぐに結べたりもするし。そうやったらこの地域で物作りしてて、身のまわりの自然のものも使えるしすごく腑に落ちて。で結んでみて雄介さんに見せて。『いいんじゃんか』みたいになってから品物にしたんやんね?」
雄介「ふふ。うん、そうやな」
――それがどれくらい前のことですか?
由弥「んんー、去年」
――そっか、去年の投稿で見たのが私にとっても初めてでした。それくらいで成立したんだ。
雄介「やっとね。それまではなんとなく関守石っていう名前はついてたけど、まだなんとなくで。ほとんど出してなかったね?」
由弥「そうそう、ペーパーウェイトです、とかね」
雄介「まだ自信がないっていうか。なんか、まだ、まだここじゃないんだけどっていうので。あんまり積極的に出してなくて、それまで」
由弥「その籠を編んで、自分で蔓で編んで腑に落ちて『ああできる』って思って」
――なるほど。
由弥「私、今、赤ちゃんいててガラスの加工とか出来へんから。背中に背負って蔓を採ったり。上の子供たちも一緒に蔓を採ったりとかできるから。散歩コースで蔓が採れるところはたくさんあるし。うちの工房の裏とかも蔓が採れるし。そういうのがすごくいろいろ複合的につながって」
――うんうん。
由弥「そしたら自分の中でも落ち着いて。腑に落ちてるから作品として出しても安心して出せる。で雄介さんも納得してるし。そういうのがすごく着地したんだなって。あとは天然のものだからずっと保つわけじゃないし、もともとその植物が元気な状態の蔓だったかどうかも違うし。もし折れたりしても持ってきてもらったら結び直せるし、それが自然なもんっていうのがいいなあと思って」
――自然ならではですね。
由弥「うん、そういうのがすごくありますね。そんな感じかなあ」
○結べないものを結んでいるっていうイメージ
――関守石は去年の二人展で出してくださって。でもたぶん定番という位置付けではまだないのかなと感じていて。ただ今回は個展という場で、それで先行納品の最初に搬入してくださった作品なので、思い入れがあるのかなと気になってました。
雄介「そうですね。なんかもうこのご時世もご時世なので、ああいうね、お守り的なものというか」
――ああ。
雄介「祈りというかね。そういうのにつながるようなものを。で、我々もすがりたいとこもあるのかなっていう気もしますけどね。なんかもう本当にね普通になってっていう気持ちはある」
――いろんな作品をたくさん鳥本さんは作っていらっしゃるけど、どこか特別だなって。…は!ありがとうございます、ありがとうございます!
(ここで鳥本家より渋皮栗のケーキがふるまわれる)
由弥「うちの友達に栗送ったら、パウンドケーキになって返礼で返ってきた」
――おいしい、おいしい!
雄介「うんうん。(由弥さんへ)あなた、食べた?」
由弥「食べた食べた。もちろんよ」
――素晴らしい形になって戻ってきましたね。ごちそうになれてなんと幸せ。
由弥「ほんと理想的な形(笑)」
――事前のアンケートでも注目してほしい作品として関守石を挙げてくださっていましたね。
雄介「なんかね、反応があったっていう。じわじわと去年くらいから反応が増えてきているので」
――反応もらえるのはやっぱり嬉しいですね。
雄介「ね。だからもっと作り込んでいく方向に切り替わったかなという。ただね、あんまりすっきりしすぎず、ブラッシュアップし過ぎないように気をつけてる。逆にね」
――あれは関守石ということで、石を模していたり、意識してる形なのかな?とか見ていていろいろ考えていたんですが…
雄介「石を模してるわけじゃないんですね。いろんな理由っていうか。あの形はね。結べないものを結んでいるっていうイメージ。水だったりとか。そうなった時にこんな感じに見えるんじゃないのかなって。そもそもうちのガラスが、不純物はできるだけ取り除くように思ってはいるけど、だけど出来るだけナチュラルにっていうかね。不自然じゃない。透明のいわゆるガラスの原料っていうのは結構足して足して透明に見えるように、補色の関係で透明に見えるようにしてる部分があって。そうなってくると水で言ったらカルキをたくさん、塩素とか入れたプールの水みたいになっちゃって。ちょっとくらい不純物は取り除けてなくても川の水のほうが、うちとしてはやりたいことだよねっていう。そういうのをなんとかとどめておきたいっていう。そこから関守石がスタートしたわけじゃないんですけど、それが一緒にそういう思いが入ってきて、物になっていくという。うちの場合はそういうことが多いんですけどね。スタートはなんかのきっかけがあって。それに思いが乗って乗ってという」
――思いが湧いていくんですね、それで作品に乗っていくという。
雄介「そうそう。まあね、結びやすいようにくぼみを入れてるとかは意識しているところあります。それは作業性の問題(笑)それはこっちの事情で。やりたいこととしては見た時にちょっと不思議っていうものをお渡ししたいなと」
由弥「くぼみを入れたことでガラスの柔らかさみたいなものがより強調されたみたいで、柔らかいガラスを持ち上げてるみたいに見えるって言われたりして。最初ね、丸いガラスのね小石を結んでるようにしたかったんやけど、やっぱり滑っちゃって。結べないことはないんだけどどうしてもね。選んでくれた方のもとでそこでつるっとずれちゃったらいややなというのもあってくぼみいれたんやけど。このガラスを作ってる時に、ガラスが柔らかい熱い塊やったことを思い出させるフォルムやなあと思って。そういう、このガラスは今冷えて冷たいけど、熱くってどろどろして柔らかい、現場ではそうやったんよっていうのを手の上に乗せたりした時に感じてもらえるような形になったなと思ってて。特に彼に、こういう形にしてほしいってお願いしたりはしてなくて。ただくぼみだけ4ヵ所入ってたらいいかなっていう。あとは結構大きさとかもおまかせしてて。その時その時に出来るガラスの表情を大事にしてもらったり。だからたまたま耐熱ガラスだったりするものも実はあったりして」
――へえ、耐熱ガラスの関守石も。混じってるんですね!
雄介「そう。だから今度ね、あのマーブルのが耐熱。いっぺんInstagramに載せたやつが荷物に入るんですけど」
――わあ!もしかしてあれが最初の納品で来るのかなって思っていました。
雄介「行きます」
由弥「どこにも出さずにここに置いてます」
とりもと硝子店 標 ②


一問一答|“笑顔と元気”
展覧会作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いからのご紹介記事のひとつ「一問一答」のシリーズ。
コロナ禍で仕事場である工房にお訪ねする機会は減ってもつくり手さんたちの素顔に触れて頂いて作品に触れる入口を増えたらいいなと考えています。
今回は緊急事態宣言が明けてからとりもと硝子店さんの工房へお訪ねしたのですが、訪問できなくなる可能性も踏まえてこの一問一答形式でもとりもと硝子店さんこと、鳥本雄介さん・由弥さんに質問へのお答えをお願いしました。
制作についての考え方や日々の過ごし方、言葉だったり文章の間合いだったりからもちらりと素顔が垣間見え、今回も興味深いものになりました。
お二人それぞれの異なった感性を持ちながらも、お互いの良さを大切しながら同じ方向を見つめながら航海を続けるクルーのようだと感じました。
「とりもと号」に乗船するお二人(というかもう家族全員がとりもと硝子店なのですが)の人となりが「一問一答」から感じてもらえたら嬉しいです。
質問1
自身の制作をする上で、もしくは日々暮らす中で大事にしている本
雄介
最近好きな本です。
ぼくの庭ができたよ ゲルダ・ミュラー 作
あさになったので まどをあけますよ 荒井良二 作
仕事中は仕事場の設備の音で異常がないかも気にしながらなので、音楽等はかけません。
由弥
石と光 シト-のロマネスク聖堂 六田知弘 著
パリ左岸のピアノ工房 T・E・カーハート 作(村松潔 訳) ピアノが登場する話が好きみたいです。
2人で「BlueGaiant」(※ジャズを題材にした石塚真一による漫画)にはまっているので、最近Jazzをフムフムと聞いています。
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質問2
座右の銘や好きな言葉、大切にしている言葉があったら教えてください。
smile! 笑顔と元気
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質問3
手仕事のものでご自身で大事にしているもの、使っているもの、(所持はしていないけれど)記憶に残っているもの、いずれか教えてください。
誰が作ったとかではなくても古い道具は好きです。
雄介
本山ひろ子さんの鋳造の作品が好きです。
由弥
中川原信一さんのあけび籠です。大切にしています。
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質問4
今回制作される作品の中で、特に力を入れている作品、ご来店の皆さんに注目してほしい作品があったら、教えてください。
雄介
関守石。
自然の蔓でガラスを括っています。植物の水の行き来が止まる冬の間に近くの山で蔓を集めています。
由弥
ほうひん。
雄介さんがいつか作ってみたいと温めていた作品です。
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質問5
雄介さん、由弥さん、改めてお互いについての印象を教えてください。
雄介
光や雨に敏感な人。自然の造形物に対する解釈が自分と違うのでとても興味が湧きます。
由弥
裾野が広い山みたいな人になりました。生きていくことを肯定している人だと感じます。
質問のほかに、お二人へ、作業場で気に入っている風景や愛用の道具、周辺の風景などお写真を送ってもらえますかと送ると、集合写真ではないものの家族写真を添えてくれました(愛用の道具写真はデータサイズの都合でお載せすることが出来ず残念!)
昨年生まれたばかりの次男くんと鳥本さんのお二人。
あと二人いるお子さんたちの待つ家へ、これから帰るような。
心地良く優しい空気にこちらも包まれるような気がしました。
写真 adore studio| https://www.adore-studio.com/ Instagram @adorestudio
とりもと硝子店 標 ①


標(しるべ)は、もともと「知る方(へ)」に由来するという。
そこから派生し、多くの意味が生まれた。
① 行く道の案内をすること。また、その人やそのもの。道案内。
② 知識や行動などについて、うまくいくようにみちびくこと。また、
③ 結論を導く根拠ないし手がかり。それとわかるしるしやかたち。
④ (知辺) ゆかり。また、ゆかりある人。知人。
とりもと硝子店さんの作品「関守石」。
関守石というのは神社仏閣等の一部の立入禁止の場所を「
しるべの関守石へ願う。
どうかこれから始まる展覧会へと、
そして、とりもと硝子店さんがこれから進む道を指し示す大きな未来への布石、輝くしるしとあれ。
境道一・境知子 LIFE ⑤


○会社員時代に面白い人たちにいっぱい出会って、自由な生き方を教えてもらったというところがスタートだった気がする
――ものづくりもいろいろある中で知子さんが陶芸に進んだきっかけはなんだったんですか?
知子「会社に行ってたんですよ、3年間。学校卒業してお勤めしてて、割といい時代だったから定時で帰れてたんですよ」
――それは羨ましい時代ですね!
「そう、いつも定時で。忙しい時だけ遅いけど。あとはほぼ5時半とか6時くらいに終わってたのかな。それで時間とお金があったから。実家通いだったし余裕があって。いろいろやってたんですよね。好きな花屋さんの花教室に行って。その花屋が割といろんなイベントの生け込みとかするような会社で。夜終わってから手伝ってたりとかして。結構楽しく過ごしてたんですよ。そこでいろんな人と出会ったんですよね。インテリアなんちゃらとか、グラフィックなんちゃらとか」
――フリーランスとか業界人の方ですか?
「そう。いろんな業種の方と出会って。そういう世界を知らなかったから。自由に仕事してる人たちってすごいなと思って。それでなんか私もやりたいなとは思ってたんですよね」
――お勤めしながらも憧れていた?
「うん。そうそう。それでね、今は仕事場にしているあの土地ね、あれ父が田んぼで買ったんですね」
――あちらは田んぼだったんですね!
「そう。それで田んぼを手伝ったりしてたんですよ。花はずっと好きだったから、田んぼに手伝いに来たついでに近くの山を散歩して蔓を取ったりとか。木の実取ったりするのも好きだったんですよね。それで山をうろうろしてたら、陶芸の窯を見つけたんですよ。窯だけだったんですけどね。窯だけを見つけて、ああこんなん面白そうやなと思って。それでその持ち主を探したら、近くに住んでる学校の先生だった人が辞めてから陶芸をしてる人だったんですよね。おじいさんだったんですけど。それでまだ当時は会社行ってたんですけど、週一で一回千円とかで陶芸やらせてもらって」
――えー!
「そう。陶芸教室みたいなのには憧れてなくて。薪の窯っていうのに魅力を感じて始めたんですよね」
――散歩の偶然の出会いから始まったんですね。
「そう。で会社は3年間通ったんですけどお金も貯まったし、なんかやりたいなと思って。それで備前の学校(岡山県立備前陶芸センター)を受験したんです。ご縁があって知り合いの知り合いが陶芸家さんで、こういう学校があるよって教えてもらって。備前は一年の学校で行ったんですけどちょっと肌に合わないなと思って。で香川にまだいた頃に大阪芸大の陶芸コースを卒業したグラフィックの友達が京都で展示やるからおいでって誘ってくれて。ギャラリーマロニエさんだったかな。階ごとに違う人が展示やってて。たまたまその時に違う階で森岡さん(※陶芸家の森岡成好氏。後の知子さんの師匠)が展示してて。それで『わ!すごい』と思って。備前はちょっと肌に合わないし、森岡さんのやきものが勉強したいなと思い出して訪ねていってお願いしたんですよ」
――そんな偶然の出会いからだったんですね。
「そうなんですよ、ご縁ですよね。展示をそこで見ていなかったらどうなっていたかわからなかったですよね。森岡さんの焼締の碗が素晴らしくて。それでもう絶対この方いいなあと思って」
――いろんなご縁がつながっていく感じがすごいですね。
「そう皆さんのお助けで!やっぱり会社員時代に面白い人たちにいっぱい出会って、自由な生き方を教えてもらったというところがスタートだった気がする。ちゃんとしなくてもいいんだって」
○薪窯で焼くのは面白いっていうよりも、ベストは薪のほうがきれいな器ができる、丈夫な器ができるっていうとこ
――最初の頃は焼締のみをやっていたんですよね?
「そうです。備前に行く前は窯がないからおじいさん教室に行ってた友達と野焼きとかしてました。野焼きを結構爆発させたりとかして。もう楽しんでやってましたね」
――爆発ってすごい(笑)。実験のようなこともたくさんして楽しそう。
「そう。もうね今の歳になってくると割と実験も少なくなってきて。やっぱり安定だな!みたいな。そこまでのエネルギーがないみたいなところがあるけど。若い時は土とかもいろんなのを試すし、お金もそんなにいらないじゃないですか、若い頃ってそんなに。本当に自分のやりたいことを好きなようにやってた。なんにもないところからやり始めるから無駄な労力もいっぱいかけながら楽しんでましたよね」
――今のように釉薬ものとか白磁をやろうかなと思ったのはもっと後ですか?
「そうですね。独立して初窯焚いたのが28歳でそれはもう焼締だけだったんですね。ずっと焼締やってて。それから長野に住み始めて子どもも出来て。中々こう焼締って大変なんですよ。焼くのも大変だしね。釉薬なら割と気楽に出来るから。森岡さんのところで由利さん(陶芸家の森岡成好氏の妻で、同じく陶芸家の森岡由利子氏)が白磁だったのね。磁器はやってみたいなと思ってたから」
――そこで生活が少し変わってひとつきっかけになったんですかね。
「そうですね。ずっと定番なんて作らずにそれこそ自由にずっとやってたんですよ。いつも気の向くままに作るスタイルでずっとやってたんですよ」
――今よりもっと大胆だったんですね。
「そうそうそう。森岡さんがそういうスタイルだったから。定番なんてないし、土量るなんてこともしないし。千切ってこれくらいみたいな。割と緩いやり方だったから。いろいろあっていいよねみたいな感じの作りだったから。ずっとそういう感じだったんだけど、いろんな同業者の人やお店の人だったり、同門の市川(孝)さんの話とかも刺激があって。茶杯でも一つずつ土のグラム数を量るよみたいな話があって。ええー、そうなんだって。他の作家さんとの企画展なんかで話聞いたりしたら、あんまり次々新しいもの出すとお客様はついていけないからある程度決めてやったほうがいいとか。いろんな話をみんなから勉強して、それで今のスタイルになっていたという感じですね」
――焼締と白磁や白釉の組み合わせは本当にいい組み合わせだなと感じるんですが、知子さんはどう感じてますか?
「焼締と白磁は相性抜群ですよね。焼締ばっかりだと茶色づくめになるし。パキッとした白磁の白は焼締にぴったりですよね。そういうのもあって白磁してるかも。白ばっかりじゃね。浮いた感じになるけどそこに焼締が入るとピシッと締まるから。まあ割と地味好きなんだと思います、私。あまり色のものに魅力を感じないというか。白やってるのも、形で表現するほうが好きなんだと思う」
――確かに白というのは、白という色はあるけど形を際立たせる光みたいなものですね。焼締も茶色ではあるけどある意味無彩色というか、より形が際立つやきものですよね。
「うん、焼締もそうなんですよね。焼締こそ肌合いで魅せる感じのとこはあるから。そういうほうが性に合ってるんだと思う。色ものより」
――なるほど。今回写真撮っていてもそんなこと感じました。釉薬という色や服を着ていないからそちらに目が奪われることなく、その人の作りたい形がよく見えるなという。
「いいですよね。ただね焼締はいつまで焚けるかわからないですね。もう本っ当に疲れるから!あと何年焚けるかな。釉薬のうつわの窯焚きとはお話が違うから。準備も大変だし。あと60くらいまで頑張れればいいなっていうぐらい。歳とって焼締をやるっていうのは中々ね。特に南蛮っていうのはすごい薪使うので。なんか森岡さんが言われてたのは、京都で南蛮やるやつは一生貧乏やっていうくらい」
――薪貧乏、薪窯貧乏ということ…。
「そう!ふつうの焼き方と違ってすっごい焼くから」
――もう焼いて焼いて焼くんですよね。
「そう。しつこいの。まだ焼くの?ってくらい、そんなに薪入れるの?ってくらい。大量の薪の準備もあるし。いつまでもやれないなっていうやきものですよね。長丁場だしね。体力いるから」
――今、薪はどうしてますか?
「薪は今、裏のゴルフ場から夏枯れのを冬にもらってきて薪にしてるんですけどね。で今は薪割りのバイトに来てもらってて。裂き織りの友達のお父さんが午前中ちょろっと薪割りに来てくれたりして」
――お友達のお父さんが薪割り要員ですか?パワフルですね!
「そう。もう74、5歳の方なんですよ。ものすごくたくましいですよ!」
――言ってみるもんですね。でもその方がいつまでも薪割りお父様でいてくれるかわかりませんね笑
「ねー。とにかく出来るうちはなんとか続けたいのが焼締ですね」
――薪窯で白磁を焼くのには面白さを感じているからですか?
「白磁を薪窯で焼くこだわりっていうのは…やっぱり全然違うんですよね、薪窯で焼くと自分にしか分からない微妙な風合いが出るというか。でもガス窯で焼くこともやってみたりはするんです。でもやっぱ納得できない白。だから、薪窯で焼くのは面白いっていうよりも、ベストは薪のほうがきれいな器ができる、丈夫な器ができるっていうとこですよね。よりいいものを作るには薪にこだわるしかないかなという」」
――追求するという意味合いが強いのかな。
「そうですね、楽なのはガス窯で焼くのが楽なんだけどね。それで納得すればいいんだろうけど」
――最終的に「これは自分の作品だよ」って思えれば出せますけどそう簡単にはいかないでしょうね。
「そうそうそうそう。『これではねえ…』と思うから。しんどくても薪でやってる感じですかね」
――大変なことの多い薪窯ですが道一さんと協力してやれるっていうのは大きいですよね。
「大きいですね。やっぱりこう一人じゃね。なんていうのかな間違いなく焚いてくれるから。いくら手伝い頼んでも、もちろん頼める部分はいっぱいあるんだけど、ここの部分はちょっと手伝ってもらうところじゃないよねというところでも、やってもらえるのはすごく助かりますよね。自分と同じくらいの感覚で焚いてもらえる人がいる」
――そこは今まで一緒に見て数々の成功も失敗も共有してきたからですよね。
「そうですね、原因と結果をお互いに見ながらやってきたから。ある程度こうわかってるからね。一人じゃ焚けないですからね」
○私は私の出来る範囲で出来ることを頑張ればいいって思えるようになって楽になれましたね
――師匠の森岡さんと出会って得たこと、学んだことは知子さんにとってどんなことですか?
「悔しさですね。もうこれしかないと思う。これがあったから私はたぶんここまで頑張ってこれたと思う。厳しいんですよね。なんでも出来るスーパーマンですし笑。すごく勉強熱心だし、バランスはいいしすごいんです。その分厳しい。だから悔しい思いもたくさんしてきたんですけど、それがあったから絶対やってやるって思えてるんですよね」
――森岡さんのところで過ごした濃い2年の時間は今もしっかり心にあるんですね。
「ありますね。貴重です、つらかったけど。2年間あそこにいれたっていうのは特別だったと思います。異世界というか。森岡さんと由利子さんは考え方や生活、すべてがピンとしていて、常に緊張感が漂ってて。夜仕事が終わってみんなで飲んだりするんですけど、今日は何聞かれるんだろう?って常に緊張してて。若い頃は、その二人のすごい生活に憧れたけど、今はもう私にはちょっと出来ないなという笑。私は私の出来る範囲で出来ることを頑張ればいいって思えるようになって楽になれましたね」
――陶芸を通して自分に向き合うような意味合いが大きい時間だったのかもしれませんね。
「そうですね、自分の見通しの甘さも教わりました。だからそこで知った悔しさが本当に大事でしたね今まで。独立した時は薪も全部一から自分で作って。それはそれは大変だったけど、ガス窯とか灯油窯に行こうとは思わなかったし、薪で絶対やってやるぞという」
――意地ですね。バネにするというか。
「それがないと女一人で薪窯を作って準備してってね。土だって土練機もないから手練りして。1トン近く使うんですよね。今の窯より大きい窯を当時は作ったから。(耐火)レンガだってあんまりお金がないから、クズレンガを近くの人に教えてもらって、レンガ会社がレンガを焼くための窯の廃レンガを山積みにしてるところからいいのを拾って。それを買って帰ってきて使ってたんだけど。それを拾いに行くのも大変だった。
――それは簡単には想像できるとは言えない大変さだったでしょうね…。1トンの土を一人で手で練って。拾いに行くのもレンガですもんね。石ころ拾うのと訳が違う。
「そう。1トン車で行って、ギリギリ1トン積んで帰ってきて降ろしてみたいな」
――積んでも大変やし降ろすのも大変やし。
「そうそうそうそう。本当によくやったなと思うくらい地道な活動。でもそれはもう悔しさがあったから出来たんですよね。すごく厳しい師匠。でもありがたいですよね。大人になるとそんなふうに言ってくれる人いませんからね」
――今につながる原動力ですね、その当時のことは。
「そうですね、まさに原動力!あと森岡さんに言われたのは『いい人になるな、いい器を作れ』と言われましたね。心に残ってますね。いい人になっちゃうと人にばっかり合わせちゃうので、いい人にならなくてもいい自分の時間も大切に仕事に向き合おうと思えばね。わがままにならないと、こういう時間がかかる仕事は難しいと思う」
――作っている作品の造形について教えてください。知子さんの作品は全体を通じて底が小さかったり細かったりしてふわっと膨らんでいく形が印象的なんですけど、この形が好きでやっているのか、それともやりやすい形なんですか?
「意識してますね。好きなんです。ポットとか花入れも同じ感覚で挽くんです。底が細いほどかっこいいと思ってるから。底が細くてふわっとなっていく形が好きなんだと思う。やりやすいことはないんです。底が小さいのは難しいんです。底が広いほうが安定するから。でもそれはダサいと思ってるから(笑)」
――ダサい!知子さんの形は緊張と弛緩のバランスがかっこいいなと思います。
「なんていうのかな、ポットとかも壺を意識して挽いてるんですよ。壺に口つけてるってイメージ」
――壺!言われてみるとわかりました、やっと。なるほど。頭の中で形は考えてるんですか?絵を描いたりも?
「私は絵を描くね。花器とかも絵を描く。イメージの絵は描いて、目的を持って作ってほうがいい気がして。ただぼんやり作るよりは。ま、その絵通りには中々うまくはいかないけど目的を持って挽いたほうがいい形になると思ってる」
――ある程度の自分の中の着地点を作ってるんですね。
「そうそう。耐火とかは火にかけるから底が大きくないとダメだっていう制約があるんだけど、基本的には底がちっちゃいほうが好きですね」
――知子さんの特徴的なフォルムですよね。特に焼締は二人ともが共通してやっているやきものでお二人のものが混じっていると一見見分けがつかなくなりそうに思えますけど、でも見ればちゃんとお二人それぞれ独自の形を持ってて違いがあって、面白いなと思って今回特に見ていました。
「なんか私は、形のことについて『もっとこうしたらいいのにな』って思う時はありますね、夫に対して。でもあんまり言わないみたいな。言ってもしゃあないかってね」
――うんうん、それぞれの気持ちよさやいいという感覚は違いますよね、ご夫婦でも。
「そうね、違うからね。もっとこうすればいいのになあというところはあるんだけど、まあまあそれはそれぞれだからいっかあって思ったり」
――お二人それぞれのいいと感じる一期一会の作品たちを、選んでくださる方々もいろんな視点、楽しみ方でお手に取ってほしいですね。
(了)
境知子(さかいともこ) 略歴
1970 香川県生まれ
1993 岡山県立備前陶芸センターで学び、その後陶芸家森岡成好氏に師事
1997 香川県にて独立 穴窯を築窯する
2000 長野県須坂市に移住
2016 香川県三木町に移住 穴窯、倒炎式窯を築窯する