読み物
境道一・境知子 LIFE ④


○薪で焼いてなかったらやきものやってないと思うもんね
――初めてうつわを拝見したのは2013年の「灯しびとの集い」(※大阪府堺市で年一回開催されるクラフトフェア)でしたね。
道一「そうですね〜2013年?8年前か〜!」
――うつわも変わってきて、釉薬の種類も増えてきているなぁと。織部のうつわもはまだその頃は今ほどたくさん並んでいなかったような…?
「ああ、もしかしたら始めたくらいだったかもなあ」
――そこに並んでいたのも焼締と灰釉のうつわの印象が強かったです。
「ね〜、ずいぶん変わってきたよねー。独立して長男が産まれたのが2000年くらいで、その辺からちょっとずつ変わってきたのかな、と。」
――釉薬ものを始めるとなると、焼締での作陶とは違いますよね。
「そうですね。始めた頃は本当に焼締しかやってなかったんで」
――そうですよね、備前の学校(岡山県立備前陶芸センター)に行かれて。
「そうそう。岡山から帰ってきて、そこからまた独立して(生まれ故郷の)長野に帰ってきて自分で窯作った時はもうゴリゴリの焼締作家でやってく予定だったから。ははは。まあ焼締をメインにしようとは思ってたよね。もちろん釉薬もやるつもりはあったけどまったく何もわからなかったので」
――薪窯では釉ものの作品の釉調の変化もかっこいいですものね。火がどんな風に動いてこのうつわは焼けたんだろう?と想像させてくれる作品が道一さんは多くて魅力的です。
「いやあ。なんかね、薪で焼いてなかったらやきものやってないと思うもんね。それが本当に原点なので。薪で焼けなくなったらやめないかんかなと思ったりもするし」
――それくらい面白さがある?
「やり甲斐があるという感じですかね。薪窯でだいぶ助けられてる部分があるので。だからまあその辺の偶然性も含めてなんかこう楽しみがあるからやってられるというか。電気窯やガス窯は分からないので。本当に。まあ今でこそガス窯も使ってますけど。それこそまだここ2年とか3年とかの話なので」
――2019年に工房訪ねた時に、ちょうどガス窯譲ってもらってやって来たところでしたよね。それからですもんね。
「そうそう。なので使いこなすなんてレベルじゃなくて、温度上げるので必死みたいな」
――なるほど。構造はわかっていてもですね。
「そうだね。理屈はわかるんだけどね。そんなにテクニックはないし。付き合ってる年数が全然。薪窯の方がよっぽどよくわかってますしね」
○思い切って決断して香川に移ってきて、だからこそ頑張ってやらないといかんなという気持ちは強くはなった
――少し、陶芸を始めたきっかけの話を。お父様が陶芸をされていたことは道一さんに影響を与えたんですか?でも確か小さい頃から陶芸をやりたかったわけじゃなかったんですよね?
「そう、もちろん。なんだろう、ものづくりってことに関してはすごく興味があったよね。だから木を削るのも好きだし。鉄いじってんのも面白いなどう思うし。だからそのいじくるのの一番身近にあったのが土だったというくらい。でまあ小さい頃から親父やってるの見てたから。身近だったよね」
――身近といえば土遊び自体、多くの子供にとってもすぐ出来る遊びではありますよね。泥団子作ったり。
「そうだね、ピッカピカのよく作ってたもん」
――すごい上手そう。
「めっちゃ気合い入れて作ってたよ。ははは。カッチカチのやつね。磨いたりしてね」
――磨くのが大事らしいですよね、あれね。
「そう、すごい磨くんだよ、あれ。まあ誰しも通る道ではあると思うけどね」
――ただ誰しも通る道からそのまま素通りしていくんじゃなくて、道は実は続いていて陶芸の道に入っていったのが道一さんの選択だったんですね。
「それはやはり親父がやってたというのもすごく影響あるよね。家で使う食器は全部親父だったし。遊び来る人は長野県内の陶芸家だったりとか。ははは。特別産地ではないんだけどね。親父世代ってみんな仲が良くて。なんかしら集まってバーベキューしたりとか、みんなでスキー行ったりとかね。それにくっついていって。いまだに親父世代の人にお世話になってたりもするしね。今も気にかけてもらって。元気でやってるか?と声かけてもらったりするよ。でも香川来ちゃったからね〜。それもあって今頑張れてるのかなっていうのもあるんだけどね。思い切って決断して香川に移ってきて、だからこそ頑張ってやらないといかんなという気持ちは強くはなったよね」
――離れたからこそ、ですかね。
「そうだね、たぶん」
――アンケートを取らせてもらって座右の銘にしている言葉を質問に、選ばれたのがお父様の言葉だったことが印象深かったです。
「ああそれはね、いつもある。何かにつけて出てくるから。ああいうこと言われたなって。一番身近で尊敬する人だからね。それはやっぱあるよね」
――道一さんのお人柄が出てる気がしました。
「なんかね、ちょっと変わった人なんですよ、うちの親父。なんだろうな、すごいこう馬鹿正直な人なんで。たぶんもうあんな人には会えないんだろうなというタイプの人間で。俺だけじゃなくてみんな、周りの人は結構思ってるんじゃないかな。まあ無駄なこともすごいしてるんだけど。無駄に遠回りしてることもあるんだけどピュアなんだろうね」
――なるほど。1人の人間としてもとても印象的なお父様がいて。それでも憧れて陶芸家になりたいと思っていたわけではなかったのが、まわりまわってこんなに薪窯に魅せられている陶芸家になっている今があるのは面白いですね。
「不思議なもんですよね。自分でも思うもんね。そう考えると父親の影響大だったんだよね。一切そんな「跡継げ」とかそんな話は一言もなかったから。そんなこというタイプではなかったし」
――思い切って備前に勉強しに行こうっていうのは自分で決めたんですよね?それはどういう気持ちだったんですか?
「なんだったんだろうねー。昔のことだからはっきり覚えてないけど、まあ備前に行く時はそれで食べていくっていう気にはなってなかったと思うんだよね。高校出てすぐくらいだから。薪窯で焼締作るっていうのはどんなものが出来るのかな、見てみたい、いろいろ知りたいなぐらいの軽いね。弟子入りしてからだよねだから、自分でやって行きたいなと思ったのは。それからかな。独立してからすぐに親にもなったからね。と言っても焼締は今回ポットしか出してないんだけどね笑」
――そうなんですよね(笑)。ただ焼締といううつわを知るのをポットから入ってもらうのもいいですよね。だからポットしか出してなくてもいいです!
「そうだね~、焼締のポットもいいんちゃう?って思うから。入口になるといいよね。選ぶきっかけになってくれたらいいなと」
○実験みたいな形で始めたことを今は少しずつ自分の理想に近づけようとしてます
――今回メインになってるのは釉薬ものの器ですね。
「今一番メインに据えているのは織部ですね。でもそれだけだと余りにもお腹いっぱいになっちゃうから。ははは。窯のクセを利用して、織部と対比できるものを作ろうかなと。自分の窯の良いところが出せる色というか。場所によって火のクセも違うし、火の流れも変わってくるので。その火の流れの中で、織部が一番きれいに出る場所、織部を焼くにはちょっと火が強過ぎる場所にはその火が強いのを一番利用できるミモザ釉を焼こうとか。そういう考え方かな、今は。お互いにとっていい感じで焼けるバランスの場所を探して。で織部の後ろは炎の勢いが弱いのでちょっと優しい感じに火が走るから粉引焼こうとか。そんな感じ。またそれは火の強い感じになるように焚けばそこにあった釉薬を考えるだろうし」
――窯焚きの際の火の流れをどうやってうまく使うかっていうのもとても大切なんですね。
「うんうん、そうそう。あとはその上でその色にあった形のうつわとか。色で考えてしまってて。最近織部も型打ちの皿が多いんやけど。平面的に釉が流れた感じを狙ってみたりとか。というのが今面白くなっちゃってて。だから湯のみもわざとストレートに挽いて、釉の流れが面白く出ないかなとか。というのを今はメインで考えてたりして。またたぶん変わると思うんですけど」
――マイブームなんですね(笑)。
「そうそう、今はそれが楽しくてしょうがないというとこあるね。湯のみ、ちょっと作り過ぎたかなと思ってる(笑)」
――基本的には薪の窯で焼くということを中心に考えて、ろくろ挽いたり釉のアイディアを広げたりしてるんですね。
「それが一番ですよね、やっぱり。まあ偶然で『おお!こんなすごいの出ちゃった』という時もあるし、逆に大失敗ってこともあるんだけど」
――まだ大失敗の時、ありますか。
「あるある。うわ、やっちゃったって時もあるんだけどね。まあそれも含めて、次からまた頑張ろういうものにもなるし。すごく上手いこと焼けたデータをそのまま焼いてもそうならなかったりするからね。そういうもんなんだろうね。そういうことも含めて魅力があります」
――道一さんの独特の織部のうつわ…青緑が強かったり、黒が強く出ていたりする釉薬についてなんですけどね。美濃焼などのガラス質で透明感のある深緑色の織部とは一味違いますよね。何か違うものを作りたいとイメージして作り出したんですか?
「いや、全然なくて」
――あれ?なかった?
「ははは。なかった。昔からのああいうゴリゴリの織部しか自分も知らなかったので。ああいうものだろうと思っていたのがあったし。ただ自分の窯で焼いたら面白いのが焼けたんですよね、たまたま。ああ面白ーいと思って。もう本当に偶然。釉薬もたまたま材料屋さんにもらったサンプルが残ってたから焼いてみたみたいな感じですよ。ちょっと隙間出来たから焼いてみようみたいな」
――ちょっと実験のつもりでやってみたような。
「そうそう、織部焼くぞってやったわけではなくて。それじゃ今じゃメインになっちゃってるもんね。ははは。織部中毒に自分がなっちゃってる。はじめは実験みたいな形で始めたことを今は少しずつ自分の理想に近づけようとしてますね」
――作る上で課題はその都度出てくるものですか?
「そうですね…うーん。何かを生み出すってしんどいじゃないですか。もちろん毎回自分の中ではモデルチェンジをしてて。形も含めて。だからお皿でも前とあんまり変わんないんだけど少し考えて、リムを広くするとか。パッと見て何が違うのって言われちゃうけど。窯焚きの前回ああしてこうなったら今回はこうしてみようとかしてるし。人様に言えるようなことではないんだけどね」
――あくまでも自分の中での、ということですよね。
「そう。自分の中では思い切ったモデルチェンジなんだよ。けどそれは中々ね、周りにはたぶんわからない、微妙なレベルアップというか。自分の中では、今回はこれがテーマというのはもちろんありますね。些細な、地味な感じで」
――最近、しっかりファンも獲得しているある作家さんが引退して別のことやりたいという話をしてたんですが、道一さんは引退を考えたことあります?
「えー!引退なんて思ったことないな。身体が動く以上は。身体が動けば死ぬまで現役もいけるしね。だってまだまだ俺より元気な上の(年齢)人たくさんいるからね」
――やりたいことは尽きないですかね。
「そうだね。尽きるなんてことあるかな。いや~たぶん尽きないんじゃないかなあ。考えたことなかった。歳とともに身体が動かなればペースは落ちるんだろうけど。それでもやってることは変わんないんだろうな。動かなくなったら今よりちっちゃい窯作って焼くのかも。今は余裕がないからまだあまり先のことは考えられないんだけどね」
――じゃあ少しだけ先の話をするとしたら、来年は仕事場のほうに居を移すのが楽しみですね。
「うん。そうなると少し変わるのかなって。子供たちも独立して。子供中心だった生活がガラッと変わるので。楽しみではあるね。作るところだけじゃなくて暮らしも変化しそうだし。落ち着いたら泊まりに来てよ。」
――絶対行きたいです!茶々にも会いたいですし。茶々(境家の愛犬)も引越しは喜ぶかな。あの子は本当に元気ですよね。何歳?
「茶々はね11歳。人間で言うと70歳くらい。茶々は野犬の子なんでね。近所に茶々の親戚にあたる子がいて、その犬から推定してたぶん70歳くらいやでって。しかしあんな元気な70歳いるかなって思うんだけど。全然衰えてこないよね」
――以前お邪魔した時も元気に勇ましく鳴いていた姿が思い出深いです。いつかは落ち着いてくるかな?
「落ち着くのかな〜?死ぬまであんな感じなのかなって(笑)。 まあとにかく仕事のほうもふだんの暮らしのほうも変わってくるんだろうなと思うから楽しみですね」
(了)
境 道一(さかい・みちかず)略歴
1975 長野県生まれ
1994 岡山県立備前陶芸センター卒業 備前焼作家 正宗悟氏に師事
1997 長野県須坂市にて独立 穴窯を築窯する
2015 香川県三木町に移住 穴窯、倒炎式窯を築窯する
境道一・境知子 LIFE ③


一問一答|“細部にこだわる”
展覧会作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いからのご紹介記事。
このコロナ禍で工房にお訪ねすることは控えていますが、今回もその中で少しつくり手さんたちの素顔に触れて頂いて作品に触れる入口を増えたらいいなと考えています。
今回はまず一問一答形式で、いくつかの質問を道一さんと知子さんに投げかけてみました。
制作についての考え方や日々の過ごし方、言葉だったり文章の間合いだったりからもちらりと素顔が垣間見え、今回も興味深いものになりました。
ご夫婦ならではのお答え、ご夫婦それぞれの違いにもクスッと微笑んでしまう部分があって、お二人とも人間的にもとてもチャーミングで素敵だなと再確認しました。
また、お二人のいつもの目線が知りたいと思い、作業場で気に入っている風景や愛用の道具のお写真を送って頂きました。
知子さん撮影。「仕事部屋ではこの椅子に座りポット類の組み立てや型押しのカップやお皿を作っています。顔を上げた時に窓から見える緑に癒やされています」
質問1
自身の制作をする上で、
知子 ―故宮博物院で初めて中国の白瓷の実物を覧ることができ素晴らしかった。その時の図録は宝物です。白い器の源流は中国だと言う事を実感しました。
質問2
座右の銘や好きな言葉、
知子 ―「Details matter, it's worth waiting to get it right. Steve jobs」 (細部にこだわる。それは時間をかけてもこだわる価値のあるものだ。)
ポット類の蓋の座りを直すのに本当に苦労するのです。作ってから焼いた後まで、4回位カタカタを直しています。神経を使う仕事でうんざりしそうになった時この言葉を思い出します。
質問3
手仕事のものでご自身で大事にしているもの、使っているもの、(
知子 ―李朝の白磁壺。東京では日本民藝館、大阪では東洋陶磁美術館、チャンスを見つけては行って拝んでおります。
質問4
今回制作されている中で、特に力を入れている作品、
知子 ―注目してほしいのは焼締です。
質問5
今回の二人展。
知子 ―夫婦喧嘩の元になるのでお互いの作品について評価することはあまりしません。お皿はしっかりと安定した印象で使いやすそうです。
知子さん撮影。お気に入りの道具はこちら。「茶こしを作るときに使うポンスです(※穴あけの道具)。夫が韓国に行った時に買ってきてくれた物ですごく使い勝手がいいです」
境道一・境知子 LIFE ②


一問一答|“人が見ていない所程丁寧に”
展覧会作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いからのご紹介記事。
このコロナ禍で工房にお訪ねすることは控えていますが、今回もその中で少しつくり手さんたちの素顔に触れて頂いて作品に触れる入口を増えたらいいなと考えています。
今回はまず一問一答形式で、いくつかの質問を道一さんと知子さんに投げかけてみました。
制作についての考え方や日々の過ごし方、言葉だったり文章の間合いだったりからもちらりと素顔が垣間見え、今回も興味深いものになりました。
ご夫婦ならではのお答え、ご夫婦それぞれの違いにもクスッと微笑んでしまう部分があって、お二人とも人間的にもとてもチャーミングで素敵だなと再確認しました。
また、お二人のいつもの目線が知りたいと思い、作業場で気に入っている風景や愛用の道具のお写真を送って頂きました。
道一さん撮影。「仕事場の横にいる愛犬。かわいいんです」名前は茶々。寒い季節の窯焚きの際には窯前の一番暖かい場所に陣取り気持ち良さそうに寝そべる様子がよく道一さんのSNSに投稿されていて愛らしい。でもよその人にはあまり慣れないらしくそれもまた愛らしい。
質問1
自身の制作をする上で、もしくは日々暮らす中で大事にしている本(映画や映像でも)はありますか?もしくは仕事をしている時によくかける音楽などはありますか?
道一 ―本は弟子時代に集めた図録です。好きな美術館の図録や室町、桃山時代の陶器の図録です。音楽は手当り次第に気分で聞く感じです。クラシックからレゲエまで天気や気分で。
質問2
座右の銘や好きな言葉、大切にしている言葉があったら教えてください。
道一 ―父親が言っていた言葉ですが、「人が見ていない所程丁寧に」です。
質問3
手仕事のものでご自身で大事にしているもの、使っているもの、(所持はしていないけれど)記憶に残っているもの、いずれか教えてください。
道一 ―師匠が作った徳利です。もう他界してしまった師匠が弟子時代に気に入ったのが焼けたからと、選んで頂いた物です。
質問4
今回制作されている中で、特に力を入れている作品、楽しんで作っている作品、ご来店の皆さんに注目してほしい作品があったら、教えてください。
道一 ―一つ一つ考えて作って考えて窯に入れています。どれも同じで力を入れてます!もちろん何を作っていても楽しいです(笑)見て頂きたい所ですが薪の窯にしか出せない色や雰囲気が必ずあると思っています。
質問5
今回の二人展。改めてお互いの作品についての印象を教えてください。
道一 ―窯、土、釉薬と二人共にそれぞれが一人の焼きもの屋として表現しています。一人で出来ない所をお互い助け合っている、そんな感じです。薪窯が好き!という芯の所は同じなので日々お互い様ですね。
道一さん撮影。愛用の道具の写真をお願いしますと頼んで届いたのは「窯ですね、やっぱり」という言葉を添えたこの写真。長野から香川へ移転され2016年の秋の終わりにお二人で一から作った穴窯。この隣には先に作られた倒炎式窯(やはり手製)があります。
境道一・境知子 LIFE ①


「ほぼ年中無休で仕事をしています。楽しむよりも、作ることと生活を回していくことに懸命です」
やりたいことや楽しんで作っているものについてつい訊ねてしまう私に対して、知子さんはこんなお返事をくださり、それは一度ならずこれまでにも何度かお聞きしていたものだった。
境道一さんと境知子さんは香川で作陶されている。
自然豊かな大きな敷地内の別々の建物に、それぞれの仕事場を持つ。
自然を楽しみながら悠々と作陶しているイメージを持つ人もいるかもしれない。
そういうやり方をしている人も中にはいるだろうが、何しろ陶芸は下準備や工程の数も多く黙々と段取りを計画的に進めていくことも必要とされる。
職人仕事だ。
最初に書いた知子さんの、楽しむ余裕はないという趣旨の言葉はとても正直で切実でもあるし、ひたすら真摯に仕事と向き合っているからこそ出てきたものだと悟った。
かっこつけている言葉よりも100倍大事だと思った。
LIFEというタイトル。
LIFEは「生活」や「暮らし」の意味で使われることも多いが、「生命」とか「人生」の意味もある。
お二人のやきものは、生活であり生きることそのものだ。
生まれてくる作品は美しい中に、血の通った揺るがない芯が真ん中にあって、たくさんの人の心を惹きつける。
今回は二年ぶりの展示。
道一さん独特の色彩の織部は、二年前の時には初めて手にする方もあって「こんな色合いもあるとは」「新たに使ってみたい」と多くの方が新鮮な驚きと喜びの声を上げてくださっていたことが忘れられない。
定番の焼締、庭のミモザから作ったミモザ灰釉のもの、耐火のシリーズ。
食器から花器はもちろんのこと、多彩な形の蓋物も個人的にひそかな楽しみ。
そして新たな取組みの、滋味あふれる味わいが魅力の月白釉も楽しみにしたい。
知子さんは優美な曲線が印象的な輪花のシリーズや瓜型の急須。
そして毎回人気の高いピッチャー、ポット、土瓶、そして耐火のものも。
耐火ピッチャーは、普段のお料理からお茶の時間まで重宝する実用性の高い道具で、あったらいいなという道具的なアイテムのアイディアを思いついてそれを形にするのはさすが知子さんだ。
白のイメージが強い知子さんだが、最近取り組んでいる黒シリーズが届いたらぜひ注目してみてほしい。
森谷和輝 整音 ⑥


作品紹介|The case of Kiln-slumping キルンワーク スランピング
「熱でかたちが変わっていくところ。自分で曲げているんじゃなくて熱や重力で落ちたり曲がったりしていて、なんか手もとでじゃないところでかたちが変わっていくのが面白い。あとで冷めて手に取って見れる、観察できる、痕跡みたいなのを探すのが一番楽しいかもしれないですね(森谷)」
森谷さんの定番のフォールグラスやフォールコップはその名も「落ちる」。ガラスが上から下へと落ちてゆく動きを利用して作られている。ガラスの中の気泡も落下していくのが看て取れる。ガラスが収縮したようなしわが寄ったようなテクスチャーもユニーク。
流れ、落ち、広がり、収縮し、動いてゆく。予測可能な範囲でコントロールしても、あとはガラスの動き次第。それゆえにひとつひとつの個体差が大きいが、その揃うことのない偶然性さえも楽しさや美しさに満ちている。
板ガラスを作り石膏の型に乗せて落とし込んで焼くのがスランピング。
またスランピングの一種で、型に板ガラスを被せて焼成し成形する技法をホギングと呼ぶ。
フォールグラス
なんだろう?とまず感じてほしい。
そうしたら、ね。
触れてみたくなるでしょう。
ガラスの落下運動。
落ちて滴って。
ガラスは実は柔らかいのだ。
今年のフォールグラスもいい。
定番で、毎年同じものが並んでいると思うでしょう?
違うんだな。
今年も気持ちよく裏切ってくれる。
銀彩皿L
銀彩皿が、森谷和輝さんが初めて作った「皿」作品。
ガラスと銀の組み合わせに不思議なほど親和性を感じる。
理由はわからないけれど、どちらも光を受けて輝く姿は美しい。
銀色の輪郭はガラスの存在を引き立たせている。
銀の輝きが、このキルンワークのガラスに凛とした芯の強さを与えている。
丸鉢
やきものみたいな厚みの鉢。
やきものみたいな、と書いたけれど、キルンワークは窯で焼成して成形するので半分くらいはやきものと呼んでもいいのかも?
内側のガラスの、くしゃりとしわの寄ったような表情がいい。
そしてたっぷりしている厚みは、ますます氷のような佇まい。
涼しげで、同時に温もりも。
小鉢
いつでも使う森谷さんのうつわは小鉢だ、自分にとっては。
少なくとも二日に一度は手に取る。
形がごくごくシンプルなのだ。
サイズも手頃でちょうどいい。
おかず担当の時もあればデザート担当になってくれることもある。
曖昧だったり中途半端なのかというと決してそうではない。
普遍的に使い良いサイズ感とフォルムというのは絶対にある。
キルンワークのガラスの独特の雰囲気ばかりが目立つけれど、小鉢は普遍的な姿かたちを持っている。
正真正銘のオールラウンダーという称号を与えたいと、私の中ではそれくらいの気持ちでいつも付き合っている。
長方深皿
長方形の皿は並べやすい。
何かを並べるためにもってこいの形だ。
上から俯瞰すると、箱をイメージさせるからかもしれない。
箱の中にきれいに並べるという行動は、それこそ誰もが子どもの頃から親しんでいることだからかもしれない。
右から左、左から右。
ランダムに並べても、きれいに等間隔で並べても、良い見映えで収まる。
この面積の四角い枠の中に沿って、ただ並べるだけ。
それだけで本当に整う。
困ったら長方形と、いつも呪文のように唱えている。
葉皿
葉っぱのように。
丸い葉っぱは睡蓮やツワブキなどいろんな種類がある。
葉、という名づけられていることで、イメージが広がっていく。
ランダムでふわふわひらひらとしている輪郭。
葉が風にでも揺れているのだろうかと想像する。
少し丸まって形を留めている端っこは、水滴が乗っているようにも見える。
薄いガラス片を並べることによって、薄くて軽やかさを感じさせる葉皿というガラスが生まれた。
風に葉が揺れるようなその姿は見事に一枚一枚違う。
選ぶのを楽しくさせる。
楕円皿
楕円形のボートが一艘浮かんでいるようだ。
ぷかりと静かに水面をたゆたう。
ふだんの平和な料理、ある日の美しいご馳走、おいしいものをのせるためのガラスのボート。
透明感のあるものや、焼いた時にちょっと白濁したような佇まいのものといろいろだ。
欠片状のガラスを敷いて板ガラスを作り、石膏の型にそれを載せ、型に落とし込んで焼いている。
段ができ、リムが現れる。
それは本当に一艘のボートのようで、いろいろなものを載せるのに美しい舞台。
楕円形も実は長方形の仲間。
だから難しいテクニックなんて知らなくても、ささっと並べるだけでバランスよい盛りつけが出来上がる。
(写真はMサイズ。Sサイズもあります)
(了)