読み物
夏の家 ③
7月展「夏の家」では4人の方に出展して頂きます。
それぞれから生み出されたものたちが、同じ場に集まって、夏の家は呼吸し始めます。
4月に行われた展覧会打ち合わせ。
あともう少しだけ4人の皆さんそれぞれの、心の内側、思考の内側のような部分も見てみたいと、質問を投げかけさせて頂いたり、インタビューをさせて頂きました。
――どこに魅力を感じ、今の道を選びましたか?
久米「ちいさいころからものを作るのが好きでした。小学校のときの夢は『工場の社長になること』。ものづくりをするひとの中で一番すごい人が工場の社長だと思って
――今回ご出展の皆さんが仕事にしている建築、絵画、竹細工、ガラス工芸はどれも「目指したい」
久米「建築家は基本的に自分でつくることができない職業です。建築はよくオーケストラに例えられるのですが、建築家は作曲家、
リビングの好きな場所だそう。京都時代の百職が移転の際に放出したショーケースに、森谷さんのmugを並べてくださっている。
――今の取り組みを続けている原動力はなんですか?
久米「ありがたいことに今まで営業らしい営業もせず、
――ご自身の制作や作品のよりどころ(物質的なものでも、
久米「建物の声に耳を澄ませながら空間をつくっていきたいと考えていま
――「夏の家」にちなんで。
久米「数年前からふたりで暮らすようになりました。梅のシロップをつくって、夏の暑い日にソーダで割って飲んだり、
こちらもリビングにあるという森谷和輝さんの作品ばかりが置いてある棚だそう。
――ご自身が手がけたものは、
久米「普段は何気ない背景となって自然にそこにあるもの。
(了)
愛知淑徳大学都市環境デザインコース卒
一級建築士を取得した後、都内のアトリエ系設計事務所『
以後、新築住宅や店舗リノベーション、
イラストレーターの火詩さんと共に「くらしの学校」としても活動
夏の家 ②
7月展「夏の家」では4人の方に出展して頂きます。
それぞれから生み出されたものたちが、同じ場に集まって、夏の家は呼吸し始めます。
4月に行われた展覧会打ち合わせ。
あともう少しだけ4人の皆さんそれぞれの、心の内側、思考の内側のような部分も見てみたいと、質問を投げかけさせて頂いたり、インタビューをさせて頂きました。
展覧会に興味を持ってくださっている方にも、ぜひ読んで頂いて、足を運んで頂けると嬉しいです。
――石井さんは紆余曲折も経て竹細工を習い始めるに至ったわけですが
石井「竹細工を学びたいという思いが強くなったころ、まず学べる場がなかなか見つかりませんでした。幸運にも主人が竹細工の盛んな大分に転勤になり、そこで一年近くいろいろなところに出向き、ようやく教えてくれる先生を探しあてることができました。もう執念ですね」
石井「竹細工を先生から教わった期間は2年弱、ひと月に2、3日程度だ
自分が家で使いたいものを作ったり、親戚や友人に頼まれて要望に
できないことにとらわれるのではなく、自分が今出来ることに目を
もちろんうまくいかなくてやる気を失う日もありますし、後退して
精一杯の気持ちと力で制作を続けていくことで、少しずつ前進していくと思います。そう信じて日々手を動かし続けています。」
石井「ちょうど見頃の庭のアジサイ 挿木でいただいたものばかりですが、大きくなってきました」(写真も石井さん)
――今の取り組みを続けている原動力はなんですか?
石井「道具一式を入れている竹かご。別府で竹細工を学び始めた頃に、先
――ご自身の制作や作品のよりどころ(物質的なものでも、
石井「夏の家というキーワードで思い出すのは夕立です。子どものころ、
夏の家 ①
拝啓
田植えも終わり、
さて今回は夏のご案内です。
以前から私は、
いつもの手仕事の作家さんの会とは趣が異なります。
建築と絵を司るお二人の何を引き出して、
「〈建築〉は、人が集まるはじまりの場。
夏の家というのは北欧諸国に古くから根付いている文化のひとつで
百職の《夏の家》は久米岬さんの建築で形作られ、
竹工芸の石井美百さん、
室内の窓を透過する光が、竹細工とガラスの品々を映し出し、
これが今思い描く、百職の《夏の家》です。
皆さんをぜひお招きしたいと支度中です。
始まる頃には夏の暑さがいよいよ始まっているかもしれませんが、
かしこ
Carpe diem ⑤
岡さんとはしもとさんによる2017年の10月の終わりに開始した二人展〈暮れる秋、近づく冬〉。
当時のフライヤーに寄せた文章の中の一節ではこんなことを書いていました。
「今回は女性ふたりの展覧会です。陶芸のはしもとさちえさんも、竹の岡悠さんも、最初は百職のお店に作品を持ってきてくださったことがきっかけでお付き合いが始まりました。またはしもとさんも岡さんも、それぞれ一児と二児のお母さんという横顔をお持ちです。陶と竹で素材は違いますが、ともにその作品の中には明るいのびやかさやもの柔らかさを宿しているように感じます」
あれから5年半が経過し、当然のようにお二人にも様々な変化があった一方、あの頃と変わっていない点も。それは、お二人ともものづくりだけに注力するのではなく、一人の家庭人として過ごし、楽しみ、その日その日を生活することもとても大切にしていることでした。
その日を摘む、という意味の〈Carpe diem〉という言葉を今回の展覧会ではタイトルにしました。
お二人には今回、制作について、そして少しだけ日常に触れる《5つの質問》をさせて頂きました。
そこから、岡さんもはしもとさんの素顔…その日その日を摘み、人としての年輪が重なり、作るものにも反映されて、今もなお少しずつ深化と進化を繰り返していることがゆっくりと読み解けてきたように感じました。
――はしもとさんも岡さんと同様、家庭生活では家事やご家族との時間も大切にしている印象ですが、仕事、家族の時間ははっきり分けるタイプですか?時間の使い方のコツはありますか?
はしもと「えーと、私の場合は1階が工房、2階が住居になっているので、自然と下に降りれば仕事モード、2階に上がれば家庭モードに、、自然とスイッチが切り替わるみたいですね。背中辺りにスイッチが付いているのかもしれません(笑)。あとはもう息子が中学生なので、こどもに合わせるということが少なくなってきたように感じます。どちらかというと、私の場合は愛犬たちの夕方のお散歩時間を目安に仕事を切り替えるという作業を日々繰り返していると思います。夏だったら夕方遅い時刻に、冬だったらまだ陽のある夕方までの時間にお散歩に行こうと思っているので自然と季節に応じて仕事時間が変わっていますね」
――制作している作品は食事用のものやお茶の時間のもの、インテリアなど多岐にわたっていますが、ご自身ではどのジャンルのものを作っている時が楽しいですか?
はしもと「うーん。ここ数年のブームでもあるプレート類ですかね。プレートを轆轤で挽くという作業自体に慣れすぎてしまったような感覚もありますが、特に最近はワイドリムかな。リム幅が広い分、今までみたいな鎬の入れ方では間に合わなくって、鎬幅も太くなったぶん、ひとつの羽の部分に何回も何回も彫り込んでいかないと完成しないんですよ。今まで以上に手間も時間もかかるんですけどね。そういうのも自分にとっては修行みたいな??感じでやってます」
――手に取ってくださる方にとって、ご自身の作品はいったいどのような存在でありたいですか?
はしもと「年に1回、作るか作らないかのキャンドルスタンドを作ったんです。たぶん百職さんでの展示で出すのは初めてになるかと思いますが。作ってるときに、キャンドル文化って日本にはあんまり根付いてないなぁなんて思いながら作業していて。でも実際に灯してみると仄かな灯りに魅せられてしまったりしてね。心がほんのり温かくなるような。なんか自分自身も自分が作り出すものもそんな存在でありたいなぁなんて思いましたね」
(了)
はしもと さちえ(はしもと さちえ) 略歴
大阪府生まれ、大阪育ち
2001 大阪産業大学大学院環境デザイン専攻修了
以降独学にて制作を開始
2006 枚方市にて工房設立
関西を中心に個展、グループ展など多数開催
番外編
最後は特別に、この春から中学生になったはしもとさんの息子さん(というプチ情報)と、はしもとさん自身が撮ってくださったさちえさんの制作の様子、工房と愛犬のシルちゃん、ドナちゃんのかわいらしい様子をご覧ください◎
Carpe diem ④
岡さんとはしもとさんによる2017年の10月の終わりに開始した二人展〈暮れる秋、近づく冬〉。
当時のフライヤーに寄せた文章の中の一節ではこんなことを書いていました。
「今回は女性ふたりの展覧会です。陶芸のはしもとさちえさんも、竹の岡悠さんも、最初は百職のお店に作品を持ってきてくださったことがきっかけでお付き合いが始まりました。またはしもとさんも岡さんも、それぞれ一児と二児のお母さんという横顔をお持ちです。陶と竹で素材は違いますが、ともにその作品の中には明るいのびやかさやもの柔らかさを宿しているように感じます」
あれから5年半が経過し、当然のようにお二人にも様々な変化があった一方、あの頃と変わっていない点も。それは、お二人ともものづくりだけに注力するのではなく、一人の家庭人として過ごし、楽しみ、その日その日を生活することもとても大切にしていることでした。
その日を摘む、という意味の〈Carpe diem〉という言葉を今回の展覧会ではタイトルにしました。
お二人には今回、制作について、そして少しだけ日常に触れる《5つの質問》をさせて頂きました。
そこから、岡さんもはしもとさんの素顔…その日その日を摘み、人としての年輪が重なり、作るものにも反映されて、今もなお少しずつ深化と進化を繰り返していることがゆっくりと読み解けてきたように感じました。
――はしもとさんは陶芸のどのあたりに魅力を感じて今の道に入りました?
はしもと「よく聞かれます。私の場合、最初から陶芸をしようと思って選んだ大学ではありませんでした。本当は建築の道を選んだんですよね。シビックデザインというか、公共空間のデザインみたいなところにざっくりですが憧れました。でも、実際に入学してみると違った…まぁ、相性が良くなかったんですね。図面を引いたりする授業もあれば、造形実習の授業もあったりで、私はこちらの方にグィ〜っと強く、惹き込まれていきました。とにかく手を動かして、その先に何かを創り上げるという作業が楽しくて。最終的に4回生の時に轆轤の実習があって、ああ、これやん〜って思って今に至るって、感じです。あとはひたすらにルーシー・リーに憧れました。溶接したり、織り機で織物したりの選択肢もあったんですけどねー。今は、というか、今も、自分の選択は間違ってなかったんだと信じています」
――ご自身の制作や作品の「土台」となっているものはなんですか?それはすぐに見つけることはできましたか?
はしもと「ん〜、土台になっているかどうかはわかりませんが…答えになってなかったらすいません。私の場合はひととの出会いなのかな。ルーシー・リーに出会う前に、大学院時代に非常勤助手で教えに来て下さっていた或る先生がいました。この方に2年間いろんなことを教えてもらったんですよね。もちろん公私ともに。ものを視る視点、感じ方、これは陶芸に限らずファッション、音楽、美術であったり刺激を受けずにはいられませんでしたね。それからかな、作るものが変わったというか。大したものは作れていませんでしたけどね。その時のことが今でも自分のルーツになっているようなところはあります」
後篇へ続く→☆