読み物
YUTA 須原健夫 境界を潜る ⑥
primitiveとclassical。
YUTAには二つの異なるシリーズがある。
「匙」は primitiveシリーズ。
以前「匙」と「テーブルスプーン」を例に、
「
「primitive/アジアの民具や、先住民達の道具は、
現代人にとってそれは、
もはや、その地を踏むことは叶わなくとも、
この一文からも読み取れるように、匙も菓子匙も根源的な素朴さを纏わせた匙たちです。
切り取られた輪郭の仕上げや細部の叩きの仕上げの「手数」は引き算にしていて、作りこみ過ぎていない。
「classical」シリーズ|テーブルスプーン、デザートスプーン
「classical/西洋の伝統的なスプーンは考え抜かれたかたちをしている。
“西洋の伝統的なスプーンは考え抜かれたかたちをしている。”
それらをもってして、
先端のすぼまったかたちは西洋の伝統的なスプーンを踏襲すること
YUTA 須原健夫 境界を潜る ⑤
(左から)
匙
菓子匙
テーブルスプーン
デザートスプーン
「掬う」は、「助う」「救う」が源になっているともいう。
食べる事を助けるカトラリーとして、もっとも身近な匙、スプーン。
食べることを手助けするというのは、ひいては身体や心も、助けてくれることに繋がる。
自分の手で掬い取ったひと匙が、身体に染み込んで、心を潤す。
使う人々に、此の道具たちを、結い和すことができるよう、願う。
(左から)
付き匙
テーブルフォーク
原初があり、長い時を経て洗練へと向かう。
皿の上で繰り広げられる、多彩な働きぶり。
絡め、まとめ、突き刺し、押さえる。
シンボリックな形は、ある種の鳥のように美しく舞い、食事を助け、その瞬間のふるまいをも魅力的にする。
菓子切り
ヒメフォーク
細い薄い花びらのような形をした菓子切りは、菓子を音もなく鮮やかに切り分けるのが得意だ。
そしてその花びらを二枚に分けると櫛形へ姿を変え、果物などを刺して口に運ぶのが得意な道具になる。
兄弟姉妹のようなカトラリーふたつ。
マドラー
ピック
少し窪ませた頭の形が特徴的で、飲物の海の中に沈ませ攪拌していても良く混ざる気がする。
なくてもなんとかなる道具だけれど、グラスの中で小さくきらめく光と影の綺麗さは特別。
ピックはシリーズの中でもっとも細くて華奢で、まるで光の針のように見える。
柄には小さく光が揺れ動くような細やかな鎚目がつけられているのがとてもリリカルに感じる。
どちらも、まるで詩を詠むように作られている感覚を覚える。
思いを持って作られたものを当たり前のように日常的に使う。
いろいろな物に込められた思いや考えに目を向けて、寄り添うきっかけになるかもしれない。
茶匙
窪みがつけられた掬いやすい形は、西洋の流れを組んでいるように感じる。
柄こそないが、細いほうを指でつまみ、広いほうでたっぷりと掬い上げる。
指のような丸みのこの小さな中に、すべての機能が集約している。
ミニマルでいて柔らかに描かれた輪郭は、素材である真鍮の温かみとよく調和している。
茶箕(ちゃみ)
端は平坦で、両側は丸みを帯びて手になじむ。
茶筒の中にともに仕舞われやすいように作られている。
あくまでも茶を淹れるのに必要量をすくうための形状で、簡素な佇まいが美しい。
形に寄り添い、鎚目は細く長くつけられている。
アイススプーン
形状の装飾性は、風に吹かれ、はらはらとほとんどが剥がれ落ちていった。
アイスクリームを掬うための、必要最小限。
持ちやすい柄の長さ、先端の柔らかな曲線、断面の滑らかさ。
真鍮に伝わってくるアイスクリームのひんやりとした冷たさは、心地良い。
細い線条のように施された鎚目は、気配のような唯一のほのかな装飾。
YUTA 須原健夫 境界を潜る ④
金工作家のタケオ・スハラは、かつて過客であった。
魅惑のトーキョーという東の地で、金属を手なづける修行をしていた。
彼はやがて、金や銀や真鍮の茫漠とした砂漠に分け入ることに成功し、手ずからジュエリーを作るようになった。
辿るようにしてその砂漠を旅する内に、茫洋とした霧の中に手頃な大きさの滝を見つけると、瞬く間に裏側へと吸い込まれていった。
数年、彼は滝から戻ることはなかった。
しかし沈黙を経て、一瞬の閃光の如くタケオ・スハラは帰還した。
ふたたび人々の前に姿を現した彼は、風に揺れるようなカトラリー
一方ジュエリーたちは、どこか遠くを見つめるような表情のまま静
そう、半分眠るようにして。
タケオ・スハラは、カトラリーたちと手を取りながら、多くの土地を綿密に探索しては、自らの身体の中から新たにカトラリーを発掘し、採集して歩いた。
それからまた時は過ぎ、過客として彼は新たに此の地、ミノオへや
歳月の経った、少し年老いてはいるが優しい空気を漂わせる家屋を
そして大切なこととして、ミノオでまた彼は滝に再会したのだった
滝の後ろはトンネルがあって、それは大抵、異なる世界とつながっ
そこを通って彼は久しぶりに町にやってきた。
町に着くと、彼は自分の身体の中心に一本の線が引かれていること
まるで境界線が引かれてしまったかのようだった。
そして身体の左側だけが重くなった。
バランスが取りにくくなり困惑しながらも、抗い難い何かに、引き
そこには一本の塔がそびえていた。
これは、いつか何かの書物で目にした記憶のある、精神の宮殿とか
入口でまごついていると、案内係がやってきて「どうぞ」と声をか
そのまま閲覧室に通された。
身体の左側がいよいよ重たい。
不恰好なまま、閲覧室のカウンターに座ると、別の係が奥の扉から
「やあ、ようやくご到着ですね、準備してお待ちしていましたよ」
と、待ってましたとばかりに引き出しをごそごそし始めた。
準備して待っていたとはなんのことだ?と覚えのないタケオ・スハラは心の中で首をひねった。
「こちらがあなたの忘れ物です」
差し出されたのは、函に入れて家のどこかで埃をかぶっているはず
明るい灯火の下に置かれたジュエリーたちは驚いてきょろきょろし
「もう眠らせてはいけませんよ。身体の均衡ってやつが崩れてきま
そう言うと係は、タケオ・スハラの身体の中央に走る境界線をぐい
それは鍵と鍵穴のように、ぴたりとはまった。
あれだけ重かった左半身が軽くなり、均衡が整った。
すとんと帳尻が合ったようだった。
それからというもの彼は工房にやって来ると、カトラリーを作る時
自分の身体に走る、見えない境界線の右はカトラリー、左はジュエ
いや、その実、右は左でもあるし、左は右であるに過ぎず、集中す
自分の身体を通して、滝の向うにある別の世界を観測している感覚も透けて見えるかのようだった。
【須原健夫(すはら・たけお) 略歴】
1978年 大阪府出身
2002年 東京で彫金を学び始める
その後目黒に工房を構えジュエリー制作を始める
2008年 カトラリーの制作を始める
クラフトフェアまつもと、山口アーツ&クラフツに出展
以降、ARTS&CRAFT静岡手創り市、瀬戸内生活工芸祭等、
2009年 工房を東京都青梅市に移転、工房名を「yuta」とする
2010年 全国のギャラリー等で展示活動を開始
2013年 工房を大阪府箕面市に移転