読み物
小野陽介 Polaris ①


渡り鳥の多くは、夜は北極星を目印として飛んでいるという。
鳥も船乗りも旅人も等しく自らの位置を知り航路を決める拠りどこ
それは天球面上の天の北極に最も近い輝星である。
生まれた場所でもあり陶芸を始めて以来ずっと暮らしていた益子。
そこから独立し、小野陽介さんは昨冬、
新しい場所で土を掘ってみる。
その土が素地に向いているのか、釉薬の材料に向いているのか。
くり返し確かめる。
新しい窯との付き合いも始まった。
そこで見たのは、今までとは異なるうつわの風景。
考えや工夫を試す日々。
これまでの積み重ねに、これから新しく積み重ねていくものを、
今、どこに向かい、目指しているのか。
拠りどころとする北極星を、心に、空に見る。
そしてうつわの中へ映し出す。
井上茂 こころの風景 ⑥


“僕の『井上
今回3年ぶりに個展をして頂く愛知県在住の井上茂さん。
2016年のある日、突然自作を携えて百職を訪れてくださったのがきっかけでお取扱を始めることになってからもう6年が経とうとしています。
それからは、日本各地のみならず海外でも作品がお取扱されるようになり、ご自身もあえて変化を求めながら様々な挑戦をし続けていらっしゃいます。
自分の中の「井上茂」という意味はなんぞやと考え、並行しながら夢中で手を動かす日々。
これまでの道のりと、現在とこれからへ向ける少年のようなワクワク感を交えながら、井上さんが溢れる思いを語ってくださいました。
○ものづくりってやっぱり自分が喜びたい
天然や原土には全然こだわってないんです。皆「よく原土にこだわってるよね、釉薬にこだわってる」っていうけど、この風合いがいいからそこに行き着くんですと。別に原土じゃなくても素晴らしい土があって、練ってて値段もそう高くないやつがあったらそっちがいい。でもそういう粘土って無い。誰でも挽きやすい土になっちゃうと僕的につまらないものになってしまう。ただね、ヒビ粉引き用で粘性がすごい高いやつでいい土1つだけ見つけた。志野茶碗用の土で。すごく粘性が高かった。ヒビ割れないかなと思って大皿にかけてみたらよかった。だからあんまり原土ということには最近こだわらないです。
あと三島のイメージだねと言われますが三島に対してもそんなに思い入れはないんです。粉引ができなくて思いついた器です(笑)。両利きだったのが良かったところかな。彫りが上から下、上から下と交互になってるから。意外と彫りって難しいらしくて他の人の話を聞くとあれって利き腕だけだと非常に難しいんですって、向きが違うから。両腕でやると上から下からってすんなりできるんだけど利き腕だけでやるとすごくぎこちない動きになっちゃうんです。なんだか自然じゃないかたちになる。あと陶芸って(姿勢を)固定させることが大切。轆轤でも絶対脇を固定するじゃないですか。彫る時も絶対固定するんですよ。脇と肘を固定して、そこから腕の動きだけで彫ってるんですよね。脇はぶらんぶらんさせない、それって作陶の基本中の基本で、普段は別に意識はしてないんだけどやっぱり自然とやりやすい。それで彫り三島をやってて『だったら印花もやろう』と勝手に自分で印花を作った。
今の緑灰釉では釉がすごく溜まってああいう色になるっていうのが分かって、見込みのところをちょっと深くして釉を溜めてああいう色にさせようかとかやってます。ものの特性、釉薬の特性やら土の特性に合わせたようなものを作ってるのが今の現状。それが作為なのか無作為なのかっていう極論でいくと、何かを作りたいがために釉薬や土を選ぶんじゃなくて、この素材で作れる方法を探してます。今年は釉薬の年だったんです。灰釉の年。だからああいう色的なものを出して。来年はまた来年で年の初めにちょっと考えようかなと。他人が良いと思うのでなく自分が『お、良いな』って思うようなもの。「もっとやれないの?」と求道することを大切にしたいです。ものづくりってやっぱり自分が喜びたいからやるんだと思う。
○”無”でもあるけど”有”でもある
僕はなんか神社に行くと、感謝をする気持ちに自然となれる。そのあと人にも感謝ができる。あとはなんかけじめみたいな感じですかね、それでしょっちゅう行くようになったかな。家内もそれはあって二人とも同じ趣味だったのね。共通点の趣味。毎回行っても別にお願い事はしなくて。百職さんのところでも(京都時代の店舗の近所にあった)熊野神社に行って、ここで生業をさせて頂きます、ありがとうございますっていうふうにけじめをつける。そういうけじめとご挨拶みたいな感じ。それとちょっと邪心にまみれそうになると行く(笑)。なんか気持ちがさついてるよねっていう時になると『いかんいかん、これはいかん』って。日本神話から始まるそういうことが僕すごく大好きで、家内も大好きで。古事記や日本書記とか。無常という考え方の”無”とかも好きで。”無”でもあるけど”有”でもあるみたいな。そういうところで僕が”有”を生み出し…生み出してるっていうか作ってるんだけど。その双極っていうところをこれからもっと知りたい。(了)
井上 茂(いのうえ しげる) 略歴
1968年 愛知県生まれ
2010年 常滑市にて独学で作陶開始
2016年 独立開窯
井上茂 こころの風景 ⑤


“僕の『井上
今回3年ぶりに個展をして頂く愛知県在住の井上茂さん。
2016年のある日、突然自作を携えて百職を訪れてくださったのがきっかけでお取扱を始めることになってからもう6年が経とうとしています。
それからは、日本各地のみならず海外でも作品がお取扱されるようになり、ご自身もあえて変化を求めながら様々な挑戦をし続けていらっしゃいます。
自分の中の「井上茂」という意味はなんぞやと考え、並行しながら夢中で手を動かす日々。
これまでの道のりと、現在とこれからへ向ける少年のようなワクワク感を交えながら、井上さんが溢れる思いを語ってくださいました。
○あまり手を加えないで素材の有り様のままを出したい
僕は何に対しても結構長く続けるタイプ。
長石(※1)が僕の素なんですよ。皆、
土はね僕は砕かないんです。そのまま溶かす。
○自分がやりたいことに対してどういう形であるか
一番大切にしたいのは、(窯から)出てきた時に『
(三年前の展覧会時と比べて)作品の高台がすごく小さくなりました。最初は白三島をするのに手に持てないから高台広くできないなって
僕は一人で作っている以上は自分が楽しいと思うものを出し
新作のヒビ粉引も、最初はバリバリに割れて散々だった。ヒビ粉引きをやるってなったの、尾形アツシさんの一言だったんです。尾形さんが『カラカラに乾いたやつに化粧かければヒビになるよ』って、それだけ言われて。砂っ気のある土だから、最初はみんな乾燥で割れちゃうんですよね。そういうところから始まった。1年ぐらいウジウジやってた。出すもの出すもの底が抜けて向こう側が見えるような器ばっかで。でも今回間に合った。新しいものをチャレンジしていかないと楽しくないし。僕の”井上茂”っていう意味が無くなっちゃうって思ってるので。
※1 長石
素地や釉薬に用いる鉱物。比較的低い温度でしっかり焼き締め陶磁器の表面をガラス質で被覆する働きがあり、釉薬の大切な原料のひとつ。
井上茂 こころの風景 ④


“僕の『井上
今回3年ぶりに個展をして頂く愛知県在住の井上茂さん。
2016年のある日、突然自作を携えて百職を訪れてくださったのがきっかけでお取扱を始めることになってからもう6年が経とうとしています。
それからは、日本各地のみならず海外でも作品がお取扱されるようになり、ご自身もあえて変化を求めながら様々な挑戦をし続けていらっしゃいます。
自分の中の「井上茂」という意味はなんぞやと考え、並行しながら夢中で手を動かす日々。
これまでの道のりと、現在とこれからへ向ける少年のようなワクワク感を交えながら、井上さんが溢れる思いを語ってくださいました。
○僕は誰もいないところで一人で粉引や
だんだん粉引(※1)と言われるものが好きになりました。僕調べるの大好き
粉引を作って、穴窯に入れるようになりました。(
ものすごく良い物が出来るような気がすると。だけどちゃんと基本
穴窯仲間は20~30人いたけど結果的に言うと生業にしたのは僕
轆轤に向かってると無心になれて、できたものが単純に楽しくて。それから器のことをたくさん家内とも話して、いい作家さんがいるっつったらあっちこっち展示会行って、手にとって全部勉強して。あと古陶も愛知県はやっぱ多いので美術館もしょっちゅう行って。穴窯仲間がおったからその人たちが常滑でどっか山に山茶碗とか破片が落ちてる、古窯があるとかいったらそれを探ったり。もう楽しかったですよね、それが楽しかったね、その頃は。
※1 粉引
茶やグレーなどの色のついた粘土で作った本体の素地に、白い土を塗り透明な釉薬をかけ(それを白化粧と呼んだり化粧掛けをするなどという)、白く仕上げた焼物をさす。つくり手それぞれが考えた粉引の配合があり、数日寝かせてから水を混ぜ調整し化粧土をつくる。
※2 灰釉
はいゆう、かいゆう、はいぐすりとも言う。釉薬の一種で植物を燃やした灰を水に溶かし、灰汁抜きし、施釉する。植物の種類によって表情、発色も様々。松灰釉、楢灰釉、栗灰釉、橡灰釉、林檎灰釉、藁灰釉、土灰(雑木の灰釉。混合されているので成分が一定しない)などのほか、つくり手の身近にある植物で独自の灰釉を作ることも少なくない。
→その3へ続く
井上茂 こころの風景 ③


“僕の『井上
今回3年ぶりに個展をして頂く愛知県在住の井上茂さん。
2016年のある日、突然自作を携えて百職を訪れてくださったのがきっかけでお取扱を始めることになってからもう6年が経とうとしています。
それからは、日本各地のみならず海外でも作品がお取扱されるようになり、ご自身もあえて変化を求めながら様々な挑戦をし続けていらっしゃいます。
自分の中の「井上茂」という意味はなんぞやと考え、並行しながら夢中で手を動かす日々。
これまでの道のりと、現在とこれからへ向ける少年のようなワクワク感を交えながら、井上さんが溢れる思いを語ってくださいました。
○陶芸家の存在を意識したことも全くなかった
最初は別に焼き物って全然興味があったわけではなく、
ほとんどお祭り騒ぎみた
それに物を作るのが好きだったんです。あとやっぱ土とか石
器とか興味があったわけでは全然なくて、陶芸家の存在を意識したことも全くなかった。ただ(窯番だけじゃなくて)
で、体験でちょっとやりたくて器が作りたいのか、とりあえず教室
最初は窯を焚いてるだけだったのが、
あと穴
同時進行で器を作ることを習っていて。教わった先生に『井上
※1 常滑(とこなめ)
愛知県常滑市は中世最大のやきものの産地。知多半島には500以上の古窯跡が発見されておりいかにこの地域でやきもの生産が盛んだったかがわかる。常滑は庶民向けの量産品が多かった。手間を省くために、常滑では釉薬を使わない焼締が行われ、古くから穴窯(穴を掘っただけの簡素な窯)で焼き上げる。そのため燃料の藁などが多く器に降りかかり、自然な釉薬となった。現在は朱泥の急須が多く作られている。
→その2へ続く