読み物

叶谷真一郎 晩秋 ①

叶谷真一郎さんインタビュー|

叶谷真一郎さん インタビュー|踏み出したその先には


前回の工房訪問はコロナ禍真っただ中だった2022年のお正月明けてすぐ。あの時は冬寒で叶谷家の周りの木々も枯れ色の風景だった。今回訪れたのは今年3月末。とはいえ叶谷真一郎さんの工房兼住居のある神戸市北区はまだひんやりとした空気に包まれていて、春はまだもう少し先といった風情だった。
足元には愛犬ハチがいて、老いて下半身は不自由になっていたが、無邪気にこちらを見上げる黒くつぶらな瞳はますます愛らしかった。
ハチを労わりながら、私と話をする真一郎さんと妻の尚子さん。
歳月の中で確実に育まれてきた二人と一匹の家族の絆を感じた。叶谷真一郎という個の作家があり、それには叶谷家という家庭生活の要素は作陶上欠かせないもので、それがあるからこそ彼の作品は「暮らしのうつわ」としてなり得ていて、日々磨かれているように感じた。長い時間に渡る打ち合わせやお話を聞かせて頂いた中で一部を抜粋し、読みやすい文量のインタビューにまとめました。

 

50歳過ぎて年齢的に今からこんな投資していいのか、でもいいやと思い切った

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───前回の三年前からうつわが更に洗練された印象を受けましたが、何か挑戦的な部分や、課題を持ってやっているんでしょうか。

叶谷:焼き物に対する情熱や面白みは、多少の波はありますけど最近ちょっとまた復活してきたというか。最後の悪あがきしてみようかなぐらいの感じで。まだまだやれることはあると思うんで。いくらでも。やろうと思えば。そうそう、窯を変えたんです。ついこの間の2月末に。新しく大きいのドカンと。台車式で大きく出せるタイプ。窯詰めが大変なので少しでも楽にしたいなと思って。もともと都市ガスの窯と灯油窯を使ってて。最初は都市ガスオンリーでやってて。ただ窯の中で温度差があってうまく釉薬が溶けてくれないことがあったので、灯油窯だったら熱カロリー高いんで小さいやつを買ったんです。そうこうしているうちに灯油窯がメインになっちゃって。灯油のほうが調子よく焼ける。でも(容量が小さいサイズなので)焼成を何回転もしなければならなくて。

───かなり容量小さいってことですね。

叶谷:そうですね。入れる物にもよりますけど…点数的に平均して40…とか。

───それはだいぶ小さい。今までよく頑張っていらっしゃったというか。

叶谷:そう。陶芸教室用の…アマチュアの方が使うぐらいのサイズ。都市ガスの窯のほうで焼けるものがなくなってきちゃって。例えばこの灰粉引のシリーズも灯油で焼くのとガス窯で焼くのとはちょっと出来上がりの感じが違ってくる。どうも還元がね、都市ガスの方が強くかかるって聞いて。プロパンガスと違って都市ガスは熱カロリー低いんです。都市ガスのほうの窯サイズは25立米というサイズで、これだと窯の内部に温度差が出ると言われてるんですね。もっと大きいサイズであれば温度差は出にくいと言われてるんですが。それで都市ガスの窯のほうは使う頻度が減ってきて。その代わりに灯油窯がいい感じに焼けるから渋滞する感じになってしまい。新しい窯のことはずっと何年も前から、ずっと思ってて。いやでも50歳過ぎて年齢的に今からこんな投資していいのかとか。新車1台分くらいの値段やし、どうしようと思い続け。そう思ってるとまた月日立つし。それでもう、とうとういいやと思い切って。で、去年の年末に注文したやつがようやく先月出来てきたんです。

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───受注生産ですか。

叶谷:そうです。窯の使い始めは空焚きをする必要があって2回ぐらいやりました。空焚きはまずは水分を抜いていく作業で800度までしか上げない(*陶芸の本焼きはだいたい1200~1250度くらいまで上げる)という感じです。今作っているうつわがもうできるんで、都市ガスの窯で素焼きして、その後に新しい窯で本焼き。新しい窯はメーカーも変えたんです。バーナーの本数も前のやつは2本だったのが今度のは4本になったのでそのバランスをどう取るとか自分にとってはかなり変化を感じています。焼くのに慣れるまで時間がかかりそうです。本当は年明けぐらいに届いてくれたらもう少し練習で焼けたんですけど。2月末にやっと届いたので春先の展覧会に向けてはもうあまりテストする時間もないし、ほとんどぶっつけ本番でやっていくしかないと覚悟して。極端にイメージとかけ離れた焼き上がりじゃなければ出そうとは思っているんですけど、ただ還元が強すぎるのは僕はちょっと避けたいんです。今はどっちかと言えば還元は抑え気味のあっさりした焼きをしたい。

───今目の前にあるものは軽やかな雰囲気ですね。

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叶谷:そうなんです。これはイメージ通りです。新しい窯はすでに空焚き2回はやったけど若干温度を上げるのに時間かけちゃって。800度まで上げる場合、普通やったらまあ6時間ぐらいとかで行けるんです。でも最初にやった時は15、6時間かけて。かなり慎重に上げすぎちゃって。できれば1時間に100度かそれより低めの温度でだんだん上げるように言われているんです。空焚き2回目はもうちょっと大胆に火を出そうと思っていったらそれでも10時間くらいかかったかな?あともう1回やれば練習代わりにいいんでしょうけど、なんとなくわかってきた感じもあります。本焼きは今までの窯なら16時間ぐらいのところ、新しい窯だと20時間くらいかかるかもしれないかなと。時間はかかってもちゃんと焼けてくれたら良しです。慣れていく内にだんだん時間なんかは対処ができると思うし。

───新しい挑戦ですね。

叶谷:いやあ、本当そうですね。思い切りました。

───三年前にはなかった鉄絵のシリーズが出来ていたのと、以前からあった三島シリーズのバリエーションが増えていて、いいなと感じました。

叶谷:鉄絵のシリーズはあんまり受けへんかなと思ってたんですよ。民藝チックかなとか。思いのほか僕の予想に反して割と出るんで「あ、良かったな」と。

───民藝チック…そうですね、鉄絵のうつわは確かに民藝精神を伝えるものとしても扱われてますね。今日私は初めて実物をしっかり拝見して、真一郎さんが描く図案やタッチは伝統的な鉄絵のやきものの図案とは少し異なる印象を受けました。

叶谷:あ、ほんとですか。嬉しい。

───例えばオリエンタルだったり洋の雰囲気も混じっているような印象を受けました。具体的にここがこうだからと言語化してまだ説明できなくてすみません…。とにかく今日実際に拝見できたらいいなと楽しみにしていたんです。既存のモチーフや図柄とは違うものをと意識してるんですか?

叶谷:全く意識してないです。とにかく絵柄をどうしようかということしか考えていなくて。自分で考えてみたものをもっと崩したいなとか考えたり。文字を書いたりしたこともありました。

───文字?

叶谷:文字。アラビア文字とかを最初やり始めた時は。でもはっきり分からないように。

───アラビア文字を意匠化というか図案化して描いてみた、ということですか?

叶谷:そうそうそう。古代文字とかそういうのをやったりとかしたこともあったり。今はちょっとあれに落ち着いていて。でも自分の中でパターンは今でもいろいろ考えてます。

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───なるほど、伝統的なものとは少し違う印象を受けたのはそういう真一郎さんの工夫かもしれませんね。どっぷり古典に浸かるのとはちょっと違うなという印象です。真一郎さんの三島も同じで、古陶磁からの影響は感じますし学ぶところは学んでいらっしゃると思うんですがすべてを寄せているわけではない。ご自身の解釈を入れて、土の組合せや色調の工夫、サイズ感や手取りの良さなどを考えて、現代の暮らしのうつわとして表現されているように感じてます。古陶磁や骨董からご自身で要素を抽出し作陶されることで、たとえ古いものに詳しくない方でもその魅力を共有できるのかなと。そんなところに無意識に惹かれている方が叶谷ファンとなってくださっているんだろうなという気がしています。

叶谷:そうであってくれたら、うん、すごく嬉しいですね。古い絵柄でもそのままではなくて自分の絵になるようにしたいとは思ってます。考えることは多いですね。百職さんの展覧会に出すかどうかはまだわからないんですけど、鉄絵にしろ三島にしろ、これからもまだまだいろいろ取り組んでいきたいと思っています。お客さまの反応を見る機会は限られているけど、一応新しいものを作ったら妻にはいつも見せています。反応が薄かったら、あれ?ってなる。いいやんと言われると嬉しい。やっぱりちょっと誰かの反応をまず知りたいなと思って。一番身近な第三者ですね、妻は。

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 (了)



叶谷真一郎さんはどんな作り手でいらっしゃるのか。

ご紹介のため、以前の記事を再掲しました。
展覧会をより深く楽しみたい方は、ぜひこの機会にご覧ください。

2022年3月 叶谷真一郎 個展「Listen」
叶谷真一郎さん ロングインタビュー/前篇 https://tenonaru100.net/photo/album/1099355
叶谷真一郎さん ロングインタビュー/中篇 https://tenonaru100.net/photo/album/1099356
叶谷真一郎さん ロングインタビュー/後篇 https://tenonaru100.net/photo/album/1099357


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叶谷 真一郎(かのうや しんいちろう)略歴
1971年生まれ
1998年 京都伝統工芸専門校卒業後窯元勤務
2002年 奈良市内で独立
2007年 神戸市北区に移り現在に至る

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