読み物
ととのえる その空気、風景、姿勢 ⑥

竹細工という環
最後に橋本晶子さんの工房を訪ねたのは2019年だった。
今回6年ぶりに岩手での時間を過ごした。
取材当日。
待ち合わせたのは江戸期から続く盛岡の老舗荒物店「茣蓙九(ござく)」さん。
宮城生まれの彼女だけど、盛岡はもうすっかり彼女にとってはホーム。
どこへ案内してもらっても、いつもの挨拶と和んだ空気に包まれる。
茣蓙九さんもふだんから彼女にはなじみの場所。
過去には茣蓙九さんで実演をされたこともあるのだから、それも当然。
こんにちは、と声を掛けながら古い硝子戸をガラガラと空けると、店主の森理彦さんが穏やかに出迎えてくださった。
久しぶりの茣蓙九さんだったが前回訪ねた時と変わらない、ゆったりした時間の流れがあった。
次に向かったわんこそばで有名な「東屋」さんは国内外問わず観光客の方が増え、以前より更に賑わいを見せ、この日は平日ながら名物のわんこそばを食べたいお客様が30人以上待ちで、アテンドしてくれた晶子さんもびっくりの盛況ぶりだった。
わんこそば以外のお食事ならすぐにご提供できますよ、ということだったので今回はスタンダードなお蕎麦や丼物を頂くことに。
ひと通り食事を注文し、少し落ち着いたところでお互いの近況に話題が移り話をしていると、さらっと彼女は
「そういえば、私もようやく山の整備とかの活動を去年くらいから始められるようになったんですよ」
と話した。
世間話のひとつのようになんでもない顔で、この数年の中でもかなり重要なトピックを口にしたので正直たまげたが、ほかの食事客もたくさんいる蕎麦屋で大声を上げては迷惑極まりないので、声を出しそうになったのをなんとか堪えた。
すず竹細工に関わることを少しずつでも次世代に伝えていけたらというのは、彼女が以前からさりげない会話の中で何度か口にしていた願いや希望だった。
それがいったいどんなふうに形になり始めたのだろうと、私としては嬉しさもあり、気になって気になって仕方なかった。
この日取材に来たのは4月の展覧会に向けての作品制作についてお聞きすることが目的だったけれど、彼女の新たな取組みも岩手におけるすず竹細工の将来に大きく関わる重要事項なので、合間を見ながら少しずつお話をお聞きしていった。
駅周辺は都市機能も備える盛岡市の中にも、農業地域はある。
盛岡の大ヶ生(おおがゆう)地域にある江柄集落は、かつては竹細工の産地であったという。
数年前、江柄で最後まで竹細工職人をされていた方が残念ながらお亡くなりになったそうだ。「文化が姿を消していく」という事実に直面した欠落感と切迫感は、すぐそばで関わっている方々には特に大きなものだと感じるし、計り知れない思いがあるだろうとひどく胸が痛む。
しかしなんとか江柄集落で途絶えてしまった竹細工を復興し継承していこうという方々の思いと、生前の江柄最後の竹細工職人さんと親交のあった晶子さんが結びついた。
様々な人が協力し合い、昨年秋についに小さな竹細工サークルを発足された。
その中での晶子さんは、生前の江柄の職人さんから彼女自身が教わったことをサークルの皆さんへ伝えていく指導役という役割を担っている。
月に一度かに二度のペースでサークルは行われているそうだ。
顔ぶれは実際の農家の方もいれば、料理の仕事をしている方、行政勤めの方など多彩。
(今のところ新規の募集はしていないとのことですので、問い合わせ等はご遠慮ください)
竹細工教室というものとは異なり、実際にその江柄の竹細工で盛んに作られていたものはどんなものだろうかと皆で学びながら、少しずつそれらを自分たちの手でも作れるようにという内容で進めていると彼女は話した。
竹割り包丁を手にひご作りを皆で学び、江柄で実際に作られ使われていた古い籠を手本に作ったり、蕎麦を湯切りする柄ざるの補修方法の教習も手掛けているという。
時には地域の近くの山で材料の竹をサークルの方々と採取し、実際の野山に生える竹や他の植物たちの植生なども観察しながら、種類によって異なる竹たちの特徴や見分け方なども楽しく学んでいるという。
実地に足を運び、竹細工を様々な視点から学び、知っていこうとされるサークルの皆さんの行動力、意欲、熱意には心底感動してしまう。
サークルの主要メンバーに茣蓙九の奥さまもいらっしゃるということだったので、少しだけでもお話が伺えたらと思い立ち、晶子さんへの取材翌日に茣蓙九さんを再訪した。
訪ねてみると前日にはいらっしゃらなかった、その茣蓙九の奥さまが偶然にも店に立っていらした。
営業の邪魔にならないように様子を見計らっていたら少々挙動不審な口調になってしまったものの自己紹介すると、奥さまは、まあまあ京都からありがとうございますと頭を低くされるので、こちらこそ急に訪ねてきた分際なのでと恐縮する。
竹細工サークルのお話を伺ってみると、優しいまなざしが更に優しくなった。
「まだ慣れていなくて鉈で手を怪我しちゃったんです。下手だからまだ刃物は怖いんですけど、自分の店で竹細工を扱っているから、それがもっとわかるようになると思うと、橋本さんには本当に有難い気持ちでいっぱいなんです」
弾むような口ぶりで話す茣蓙九の奥さまのまなざしは、明るい希望を映し出しているようだった。
サークルが始まって数か月。
サークル内の若い男性が晶子さんに、竹細工って大変ですね、という率直な感想をもらしたそうだ。
期待の若手人材だけに大変でもへこたれずどうか頑張ってほしいが、今まで竹細工作りを知らなかった人にしてみたら至ってリアルな感想だ。
そうなのだ、自然の恵みを分けてもらい人の手仕事で行うものづくりは、現代人からすれば手がかかるのだ。
人間が歩んできた歴史の途上、生きる上で必要な道具を得ようとするには、身のまわりにある素材を用い「作る」という行為が大なり小なり不可欠だった。
先人の誰もが作ることを得意としていたかというと必ずしもそうではないはずだが、今よりももう少し身近であったことは想像に難くない。
生きることにものづくりがもっと密接に寄り添っていた時代があり、それによって地域ごとの豊かな文化や風土が育まれていった。
竹細工を習う誰もが、美しい竹細工を作れなくてもいい。
大切なのは竹細工を通して、その土地に伝承され根づいてきた風俗や習慣、人間自身の営みを知ることではないかと思う。
過去を知ることで傾向を知り対策を立て、未来への種を蒔く。
ひとつの土地や文化への理解や学びは、異なる土地や文化への理解や学びにも繋がっていく。
新たに始まった竹細工サークルが出来うる限り続いていってほしいと心から願う。
その継続が大きな循環に育っていく可能性は、私の中にも明るさを灯してくれている。
今後岩手へ足を運ぶ際には、皆さんの活動の場にもぜひ通おうと今から胸を躍らせている。
橋本 晶子【はしもと あきこ】略歴
宮城県生まれ
2007年 岩手県二戸郡一戸町で柴田恵氏に師事
2014年「工房からの風」に出展
2015年 日本民藝館展 入選