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境道一・境知子 LIFE ⑤

境知子さんロングインタビュー

境知子さんロングインタビュー



○会社員時代に面白い人たちにいっぱい出会って、自由な生き方を教えてもらったというところがスタートだった気がする

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――ものづくりもいろいろある中で知子さんが陶芸に進んだきっかけはなんだったんですか?

知子「会社に行ってたんですよ、3年間。学校卒業してお勤めしてて、割といい時代だったから定時で帰れてたんですよ」

――それは羨ましい時代ですね!

「そう、いつも定時で。忙しい時だけ遅いけど。あとはほぼ5時半とか6時くらいに終わってたのかな。それで時間とお金があったから。実家通いだったし余裕があって。いろいろやってたんですよね。好きな花屋さんの花教室に行って。その花屋が割といろんなイベントの生け込みとかするような会社で。夜終わってから手伝ってたりとかして。結構楽しく過ごしてたんですよ。そこでいろんな人と出会ったんですよね。インテリアなんちゃらとか、グラフィックなんちゃらとか」

――フリーランスとか業界人の方ですか?

「そう。いろんな業種の方と出会って。そういう世界を知らなかったから。自由に仕事してる人たちってすごいなと思って。それでなんか私もやりたいなとは思ってたんですよね」

――お勤めしながらも憧れていた?

「うん。そうそう。それでね、今は仕事場にしているあの土地ね、あれ父が田んぼで買ったんですね」

――あちらは田んぼだったんですね!

「そう。それで田んぼを手伝ったりしてたんですよ。花はずっと好きだったから、田んぼに手伝いに来たついでに近くの山を散歩して蔓を取ったりとか。木の実取ったりするのも好きだったんですよね。それで山をうろうろしてたら、陶芸の窯を見つけたんですよ。窯だけだったんですけどね。窯だけを見つけて、ああこんなん面白そうやなと思って。それでその持ち主を探したら、近くに住んでる学校の先生だった人が辞めてから陶芸をしてる人だったんですよね。おじいさんだったんですけど。それでまだ当時は会社行ってたんですけど、週一で一回千円とかで陶芸やらせてもらって」

――えー!

「そう。陶芸教室みたいなのには憧れてなくて。薪の窯っていうのに魅力を感じて始めたんですよね」

――散歩の偶然の出会いから始まったんですね。

「そう。で会社は3年間通ったんですけどお金も貯まったし、なんかやりたいなと思って。それで備前の学校(岡山県立備前陶芸センター)を受験したんです。ご縁があって知り合いの知り合いが陶芸家さんで、こういう学校があるよって教えてもらって。備前は一年の学校で行ったんですけどちょっと肌に合わないなと思って。で香川にまだいた頃に大阪芸大の陶芸コースを卒業したグラフィックの友達が京都で展示やるからおいでって誘ってくれて。ギャラリーマロニエさんだったかな。階ごとに違う人が展示やってて。たまたまその時に違う階で森岡さん(※陶芸家の森岡成好氏。後の知子さんの師匠)が展示してて。それで『わ!すごい』と思って。備前はちょっと肌に合わないし、森岡さんのやきものが勉強したいなと思い出して訪ねていってお願いしたんですよ」

――そんな偶然の出会いからだったんですね。

「そうなんですよ、ご縁ですよね。展示をそこで見ていなかったらどうなっていたかわからなかったですよね。森岡さんの焼締の碗が素晴らしくて。それでもう絶対この方いいなあと思って」

――いろんなご縁がつながっていく感じがすごいですね。

そう皆さんのお助けで!やっぱり会社員時代に面白い人たちにいっぱい出会って、自由な生き方を教えてもらったというところがスタートだった気がする。ちゃんとしなくてもいいんだって」





○薪窯で焼くのは面白いっていうよりも、ベストは薪のほうがきれいな器ができる、丈夫な器ができるっていうとこ

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――最初の頃は焼締のみをやっていたんですよね?

「そうです。備前に行く前は窯がないからおじいさん教室に行ってた友達と野焼きとかしてました。野焼きを結構爆発させたりとかして。もう楽しんでやってましたね」

――爆発ってすごい(笑)。実験のようなこともたくさんして楽しそう。

「そう。もうね今の歳になってくると割と実験も少なくなってきて。やっぱり安定だな!みたいな。そこまでのエネルギーがないみたいなところがあるけど。若い時は土とかもいろんなのを試すし、お金もそんなにいらないじゃないですか、若い頃ってそんなに。本当に自分のやりたいことを好きなようにやってた。なんにもないところからやり始めるから無駄な労力もいっぱいかけながら楽しんでましたよね」

――今のように釉薬ものとか白磁をやろうかなと思ったのはもっと後ですか?

「そうですね。独立して初窯焚いたのが28歳でそれはもう焼締だけだったんですね。ずっと焼締やってて。それから長野に住み始めて子どもも出来て。中々こう焼締って大変なんですよ。焼くのも大変だしね。釉薬なら割と気楽に出来るから。森岡さんのところで由利さん(陶芸家の森岡成好氏の妻で、同じく陶芸家の森岡由利子氏)が白磁だったのね。磁器はやってみたいなと思ってたから」

――そこで生活が少し変わってひとつきっかけになったんですかね。

「そうですね。ずっと定番なんて作らずにそれこそ自由にずっとやってたんですよ。いつも気の向くままに作るスタイルでずっとやってたんですよ」

――今よりもっと大胆だったんですね。

「そうそうそう。森岡さんがそういうスタイルだったから。定番なんてないし、土量るなんてこともしないし。千切ってこれくらいみたいな。割と緩いやり方だったから。いろいろあっていいよねみたいな感じの作りだったから。ずっとそういう感じだったんだけど、いろんな同業者の人やお店の人だったり、同門の市川(孝)さんの話とかも刺激があって。茶杯でも一つずつ土のグラム数を量るよみたいな話があって。ええー、そうなんだって。他の作家さんとの企画展なんかで話聞いたりしたら、あんまり次々新しいもの出すとお客様はついていけないからある程度決めてやったほうがいいとか。いろんな話をみんなから勉強して、それで今のスタイルになっていたという感じですね」

――焼締と白磁や白釉の組み合わせは本当にいい組み合わせだなと感じるんですが、知子さんはどう感じてますか?

「焼締と白磁は相性抜群ですよね。焼締ばっかりだと茶色づくめになるし。パキッとした白磁の白は焼締にぴったりですよね。そういうのもあって白磁してるかも。白ばっかりじゃね。浮いた感じになるけどそこに焼締が入るとピシッと締まるから。まあ割と地味好きなんだと思います、私。あまり色のものに魅力を感じないというか。白やってるのも、形で表現するほうが好きなんだと思う」

――確かに白というのは、白という色はあるけど形を際立たせる光みたいなものですね。焼締も茶色ではあるけどある意味無彩色というか、より形が際立つやきものですよね。

「うん、焼締もそうなんですよね。焼締こそ肌合いで魅せる感じのとこはあるから。そういうほうが性に合ってるんだと思う。色ものより」

――なるほど。今回写真撮っていてもそんなこと感じました。釉薬という色や服を着ていないからそちらに目が奪われることなく、その人の作りたい形がよく見えるなという。

「いいですよね。ただね焼締はいつまで焚けるかわからないですね。もう本っ当に疲れるから!あと何年焚けるかな。釉薬のうつわの窯焚きとはお話が違うから。準備も大変だし。あと60くらいまで頑張れればいいなっていうぐらい。歳とって焼締をやるっていうのは中々ね。特に南蛮っていうのはすごい薪使うので。なんか森岡さんが言われてたのは、京都で南蛮やるやつは一生貧乏やっていうくらい」

――薪貧乏、薪窯貧乏ということ…。

「そう!ふつうの焼き方と違ってすっごい焼くから」

――もう焼いて焼いて焼くんですよね。

「そう。しつこいの。まだ焼くの?ってくらい、そんなに薪入れるの?ってくらい。大量の薪の準備もあるし。いつまでもやれないなっていうやきものですよね。長丁場だしね。体力いるから」

――今、薪はどうしてますか?

「薪は今、裏のゴルフ場から夏枯れのを冬にもらってきて薪にしてるんですけどね。で今は薪割りのバイトに来てもらってて。裂き織りの友達のお父さんが午前中ちょろっと薪割りに来てくれたりして」

――お友達のお父さんが薪割り要員ですか?パワフルですね!

「そう。もう74、5歳の方なんですよ。ものすごくたくましいですよ!」

――言ってみるもんですね。でもその方がいつまでも薪割りお父様でいてくれるかわかりませんね笑

「ねー。とにかく出来るうちはなんとか続けたいのが焼締ですね」

――薪窯で白磁を焼くのには面白さを感じているからですか?

「白磁を薪窯で焼くこだわりっていうのは…やっぱり全然違うんですよね、薪窯で焼くと自分にしか分からない微妙な風合いが出るというか。でもガス窯で焼くこともやってみたりはするんです。でもやっぱ納得できない白。だから、薪窯で焼くのは面白いっていうよりも、ベストは薪のほうがきれいな器ができる、丈夫な器ができるっていうとこですよね。よりいいものを作るには薪にこだわるしかないかなという」」

――追求するという意味合いが強いのかな。

「そうですね、楽なのはガス窯で焼くのが楽なんだけどね。それで納得すればいいんだろうけど」

――最終的に「これは自分の作品だよ」って思えれば出せますけどそう簡単にはいかないでしょうね。

「そうそうそうそう。『これではねえ…』と思うから。しんどくても薪でやってる感じですかね」

――大変なことの多い薪窯ですが道一さんと協力してやれるっていうのは大きいですよね。

「大きいですね。やっぱりこう一人じゃね。なんていうのかな間違いなく焚いてくれるから。いくら手伝い頼んでも、もちろん頼める部分はいっぱいあるんだけど、ここの部分はちょっと手伝ってもらうところじゃないよねというところでも、やってもらえるのはすごく助かりますよね。自分と同じくらいの感覚で焚いてもらえる人がいる」

――そこは今まで一緒に見て数々の成功も失敗も共有してきたからですよね。

「そうですね、原因と結果をお互いに見ながらやってきたから。ある程度こうわかってるからね。一人じゃ焚けないですからね」





○私は私の出来る範囲で出来ることを頑張ればいいって思えるようになって楽になれましたね

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――師匠の森岡さんと出会って得たこと、学んだことは知子さんにとってどんなことですか?

「悔しさですね。もうこれしかないと思う。これがあったから私はたぶんここまで頑張ってこれたと思う。厳しいんですよね。なんでも出来るスーパーマンですし笑。すごく勉強熱心だし、バランスはいいしすごいんです。その分厳しい。だから悔しい思いもたくさんしてきたんですけど、それがあったから絶対やってやるって思えてるんですよね」

――森岡さんのところで過ごした濃い2年の時間は今もしっかり心にあるんですね。

「ありますね。貴重です、つらかったけど。2年間あそこにいれたっていうのは特別だったと思います。異世界というか。森岡さんと由利子さんは考え方や生活、すべてがピンとしていて、常に緊張感が漂ってて。夜仕事が終わってみんなで飲んだりするんですけど、今日は何聞かれるんだろう?って常に緊張してて。若い頃は、その二人のすごい生活に憧れたけど、今はもう私にはちょっと出来ないなという笑。私は私の出来る範囲で出来ることを頑張ればいいって思えるようになって楽になれましたね」

――陶芸を通して自分に向き合うような意味合いが大きい時間だったのかもしれませんね。

「そうですね、自分の見通しの甘さも教わりました。だからそこで知った悔しさが本当に大事でしたね今まで。独立した時は薪も全部一から自分で作って。それはそれは大変だったけど、ガス窯とか灯油窯に行こうとは思わなかったし、薪で絶対やってやるぞという」

――意地ですね。バネにするというか。

「それがないと女一人で薪窯を作って準備してってね。土だって土練機もないから手練りして。1トン近く使うんですよね。今の窯より大きい窯を当時は作ったから。(耐火)レンガだってあんまりお金がないから、クズレンガを近くの人に教えてもらって、レンガ会社がレンガを焼くための窯の廃レンガを山積みにしてるところからいいのを拾って。それを買って帰ってきて使ってたんだけど。それを拾いに行くのも大変だった。

――それは簡単には想像できるとは言えない大変さだったでしょうね…。1トンの土を一人で手で練って。拾いに行くのもレンガですもんね。石ころ拾うのと訳が違う。

「そう。1トン車で行って、ギリギリ1トン積んで帰ってきて降ろしてみたいな」

――積んでも大変やし降ろすのも大変やし。

「そうそうそうそう。本当によくやったなと思うくらい地道な活動。でもそれはもう悔しさがあったから出来たんですよね。すごく厳しい師匠。でもありがたいですよね。大人になるとそんなふうに言ってくれる人いませんからね」

――今につながる原動力ですね、その当時のことは。

「そうですね、まさに原動力!あと森岡さんに言われたのは『いい人になるな、いい器を作れ』と言われましたね。心に残ってますね。いい人になっちゃうと人にばっかり合わせちゃうので、いい人にならなくてもいい自分の時間も大切に仕事に向き合おうと思えばね。わがままにならないと、こういう時間がかかる仕事は難しいと思う」

――作っている作品の造形について教えてください。知子さんの作品は全体を通じて底が小さかったり細かったりしてふわっと膨らんでいく形が印象的なんですけど、この形が好きでやっているのか、それともやりやすい形なんですか?

「意識してますね。好きなんです。ポットとか花入れも同じ感覚で挽くんです。底が細いほどかっこいいと思ってるから。底が細くてふわっとなっていく形が好きなんだと思う。やりやすいことはないんです。底が小さいのは難しいんです。底が広いほうが安定するから。でもそれはダサいと思ってるから(笑)」

――ダサい!知子さんの形は緊張と弛緩のバランスがかっこいいなと思います。

「なんていうのかな、ポットとかも壺を意識して挽いてるんですよ。壺に口つけてるってイメージ」

――壺!言われてみるとわかりました、やっと。なるほど。頭の中で形は考えてるんですか?絵を描いたりも?

「私は絵を描くね。花器とかも絵を描く。イメージの絵は描いて、目的を持って作ってほうがいい気がして。ただぼんやり作るよりは。ま、その絵通りには中々うまくはいかないけど目的を持って挽いたほうがいい形になると思ってる」

――ある程度の自分の中の着地点を作ってるんですね。

「そうそう。耐火とかは火にかけるから底が大きくないとダメだっていう制約があるんだけど、基本的には底がちっちゃいほうが好きですね」

―知子さんの特徴的なフォルムですよね。特に焼締は二人ともが共通してやっているやきものでお二人のものが混じっていると一見見分けがつかなくなりそうに思えますけど、でも見ればちゃんとお二人それぞれ独自の形を持ってて違いがあって、面白いなと思って今回特に見ていました。

「なんか私は、形のことについて『もっとこうしたらいいのにな』って思う時はありますね、夫に対して。でもあんまり言わないみたいな。言ってもしゃあないかってね」

――うんうん、それぞれの気持ちよさやいいという感覚は違いますよね、ご夫婦でも。

「そうね、違うからね。もっとこうすればいいのになあというところはあるんだけど、まあまあそれはそれぞれだからいっかあって思ったり」

――お二人それぞれのいいと感じる一期一会の作品たちを、選んでくださる方々もいろんな視点、楽しみ方でお手に取ってほしいですね。


(了)



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境知子(さかいともこ) 略歴
1970 香川県生まれ
1993 岡山県立備前陶芸センターで学び、その後陶芸家森岡成好氏に師事
1997 香川県にて独立 穴窯を築窯する
2000 長野県須坂市に移住
2016 香川県三木町に移住 穴窯、倒炎式窯を築窯する

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