読み物
YUTA 須原健夫 境界を潜る ①
滝はトンネルに近い。
どんな滝も、その流れの後ろには深い洞穴を抱えている。
実際にそれがあろうとなかろうと。
この町には布引屋という店が、何軒かある。布引屋は宙に布を引い
滝の後ろにはトンネルがあり、それは異なる世界へと繋がっている
僕はそこを通ってこの町に来る。
いくつかのものをたずさえて。
たいしたものは持って来られない。スプーンとか、石ころとか、当
路地を吹き抜ける風や、水脈から溢れ出す水のように、極めて当た
スプーンや石ころは布引屋の店先に並べられる。
それらは、僕らの世界にとっては極めて当たり前のものだけれど、
この世界の人達は想像する。少しだけ層の違うもの達が、初雪みた
僕は滝の裏側で想う。この世界の蒼のに強い空とか、川底を正確に
そうしているうちに、地層は順番を変える。
滝は、棚引く布になっている。
text by Takeo Suhara
椀籠屋の石井 鉄屋の鈴木 ⑤
長野県原村の鉄工房に勤め、現在は群馬県高崎市に工房「十文字工房」を構えて鉄を中心とした素材で店舗や住宅の外装や建築金具などの注文仕事を請け負って、ものづくりされている。
油絵を描いていた鈴木さんが、鉄の世界に入ってから20年以上。
鈴木さんは、柔軟な感性で身軽な方という印象。
最初に百職に来てくださった時も、
ご本人曰く
「昔から放浪癖があるんですよ」
と。
3週間くらいインドを巡って来たなんていうお話も。
注文品の納品では、県外など遠方の注文先の施主のもとへ足を運ぶことも割と多いという。
(注文品が建築物の一部の場合も多く、
施主がいて、その希望にまずは耳を傾ける。
場合によっては、そこに他の分野の方も加わって…建築家や異素材の作家さんたちなどと組んで意見交換しながら作り出す仕事になる。
身体も気持ちも、ある程度のフットワークの軽さと柔軟性が必要とされる。
仕事で鍛えられた部分もあれば、
人の意見に耳を傾ける。
そこで抽出した他者の意見や希望の要素に、自分ならではの方法やオリジナリティを付加して、鈴木さんだけの答えを導き出してものをつくる。
ふだんはどこかの建物やお店の看板、お宅の家や庭に収められているのが鈴木さんのいわゆる「作品」。
今回は展示で手に取れる形の「作品」として百職に並ぶ。
店主の私といういわゆる施主がリクエストを出して、
熟練の域に入ってきた20年選手の、魔法使いのような腕を持った鈴木さんが生み出す多彩な作品群を皆さんに披露するのがとても楽しみです。
椀籠屋の石井 鉄屋の鈴木 ④
宮崎出身。
昼間は彼女の制作スペースとしている部屋は、
「
と石井さんは笑っていた。
竹ひごの削り屑は素足に刺さるとけっこう痛かったりする。
ある日突然竹細工職人になったお母さんをどう感じたのか、娘さんにも聞いてみたいと思った。
石井さんは42歳の時に、ご主人の異動先の大分で、
そこで2年、主婦の傍ら別府や安心院で竹細工に明け暮れた。
ご主人の異動勤務に終わりが来るのはわかっていたので
「
と、
神戸に戻ってきた今もその時の竹細工は家のあちこちでたくさん使
今年で47歳となり、竹細工を始めて6年目を迎えた。
これからも先へ先へと道が伸びている。
椀籠屋の石井 鉄屋の鈴木 ③
一問一答|“汗をかいて働いた後のご飯がとても美味かった”
通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの
今回作家さんお二人に一問一答形式での質問にお答えに願いました
質問1
ご自分の言葉で自己紹介をお願いします。
鈴木 ―群馬県の高崎市十文字町で2003年より十文字工房として鉄の仕事をしています鈴木浩と申します。
主に鍛鉄という技法で門扉やフェンスなどのエクステリアから家具や建築金物などのインテリア、
質問2
どのような思いやきっかけでこの道に進まれましたか?
鈴木 ―もともと絵描き志望だったのですが、
質問3
自身の制作をする上で、
鈴木 ―昔よく買った画集や展覧会の図録は大事にしていて、時たま見ることはあります。基本作業中は槌音でしっかり叩けているかを判断しているため音楽は流していません。かけても爆音にしないと聞こえません。でも休憩中はラジオをよく流していてクラシックやポピュラー音楽
質問4
座右の銘や好きな言葉、
鈴木 ―大切にしている言葉は「目と耳と口と鼻と足と手」
長野の工房を出て程なく、仕事上の行き違いで師と仲たがいのなって手紙などのやりとりをして、最後に自分に送ってくれた言葉。
質問5
今回の展示で出される作品について何か思い入れのある作品だった
鈴木 ―今回の展示会の制作にあたり、店主の
壁掛けのレリーフ花器や鉄額はあえて全部、
1976 群馬県高崎市生まれ
1999 武蔵野美術大学油絵学科卒業
2000 長野県原村の鉄の工房で働く
2003 群馬件高崎市で十文字工房として鉄の仕事をはじめる
椀籠屋の石井 鉄屋の鈴木 ②
一問一答|“ひとつひとつ正直に真面目に作っています”
通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの
質問1
ご自分の言葉で自己紹介をお願いします。
石井 ―宮崎の田舎育ちです。進学でふるさとを離れ、
質問2
どのような思いやきっかけでこの道に進まれましたか?
石井 ―20年程前に初めて竹かごを家に迎え入れ、そのステキさにすっかりハマってしまいました。好みの竹かごを探し続けましたが、なかなか見つからず、それなら自分で作ろう!、作りたい!、と思い続けること10年以上。そんな時、転勤とは無縁だった主人が突然大分に異動になりました。大分にいた約2年の間、別府や安心院などで竹細工の基本を学びました。神戸に戻り、地域の資源を生かしたものづくりをしたいと思い、竹林整備活動に参加しながら竹かごの制作をしています。
石井さんが初めて手に入れた竹籠。宮崎の、道の駅の隅のほうに置かれていたという。九州系の竹細工に見られる表面の「磨き技法」による仕上げで美しい飴色になっている。脚の一部を石井さんご自身で修繕したそうですが今でも現役でとても丈夫。こんな籠がつくりたいと石井さんは言う。
質問3
自身の制作をする上で、
石井 ―いつもラジオを聴きながら制作してます。
質問4
座右の銘や好きな言葉、
石井 ―「いまを生きる」。
質問5
今回の展示で出される作品について何か思い入れのある作品だった
石井 ―自分が使うとしたら…、といつも考えながら、ひとつひとつ正直に真面目に作っています。
石井さんの家には、大分で修行していた頃「とにかくこっちにいる間にたくさん練習しよう」という思いで拵えた籠がたくさんあり、実際に家のあちらこちらで使われている。現在手がけている青竹細工と違い、別府竹細工特有の白竹作品が多い。
石井美百(いしい・みほ) 略歴
1975 宮崎市生まれ
2017 大分県別府市や安心院で竹細工を学ぶ
2019 神戸に戻り地元の竹を使ったかご作りを始める