読み物
森谷和輝 origin ③


今年もやってきました、森谷さんとの展覧会です。
2011年7月16日~31日の期間に百職で開催させて頂いた個展が、森谷さんにとっても初個展だったそうです。
そこから十一年後の今年です。
まだコロナ禍が続く世の中ですが、今年は二年ぶりに森谷さんのお住まい兼工房をお訪ねしました。
今年の個展は、今とこれからを見つめながら、「ガラスをはじめた頃の原点」に抱いたガラスへの感覚、目線に再び出会いながらの展覧会にという思いを込め展覧会タイトルをつけました。
毎年の展示で進化を遂げる一方、ガラスという素材に出合った頃の初期衝動は今も森谷さんを制作へと動かす原動力でもあります。
ゼロ時間に戻し、原点に回帰して、いつでも真っ白なキャンバスを内なる自分の中に持てることは強みでもあります。
展覧会作品の進捗や作品への思い、展覧会というものをするにあたっての考えや、つくり手としての自分や周囲との関わりについてもお話を聞かせてもらいました。
前篇、後篇の電話インタビューです。
久しぶりに訪れた森谷さん工房の様子も、作品の一端を感じるよすがになれば嬉しいです。
――話は変わりますけど、直近で6月~7月にかけて美山のかやぶき美術館で三人展をなさっていましたね。複数で展示をするのと個展をするのとでは、自分の中で展示に臨む気持ちが違うことはありますか?
森谷「個展というよりかは…お店の人…例えば今こうして渡邊さんとも話をして、展覧会をやろうとしているじゃないですか。そういうことのほうをいつも感じています。この人と話して、こういうことを思いついて、こういうふうにやるっていう。あまり店主さんとは話しをせずに、僕一人で個展どうぞって言われたら、その時のやりたいことを出すんですけど。この間の三人展は自分たちで考えて。でも最初は僕が一応こういうのをやりたいっていうので、二人に声をかけました。自分が中心になって引っ張っていくつもりでは進めていて。方向みたいなのはみんなで決めてそれに向かってやっていっていました。個展でもなんでも、お店の人や一緒に展示をする作家さんたちと「どんなんしたい」とか、そういうことのほうが影響が大きいかなと思います。あとは『僕からやりたい』というより、お店の方などから『一緒にやりましょ』と声をかけてもらうことが多いので。その相手の方と作っていくような感じがあります。(かやぶき美術館の)三人展の時は自分が主体だったからすごい大変だった。始まってからもどきどきしていて、これでよかったのかみたいなのがあったんですけど。でも実際に二人に搬入に来てもらったら全然気楽でした。お互いの感じがわかるから。すごい楽チンでした。自分ひとりでは無理でしたね」
――森谷さんは周囲のことを思いやる人だからみんなの中心になることもできると思いますよ。無理ではなかったはずだけど…ただ、外からの要素とか、人と一緒に作ることで得るものがあるかもしれないですね。
森谷「うん。それがないと無理なのかもしれない。常に表現したいみたいな、そういうのが爆発しているわけじゃないから僕は。逆にこう、コミュニケーションなしでやるってなると、そんなに強いものは出せないかもしれない。たまたまそん時に自分にこれだっていうのがあるとできるかもしれないですけど。でももしそういうのがあったら、(お店やギャラリーの方と)コミュニケーション取ろうとするはずだから。個展だから張り切るみたいなのはないかな。初めてのお店だとやっぱり緊張するかもしれない。そういえばあるお店の方から『あなたはグループ展と個展と、どっちがやりたいですか?』と聞かれて。『どっちがしたいがないな』と思ったんですよね、僕は。それは、個展を渡邊さんのところとか、やらせてもらっている場所がすでにあるから、特別ほかでももっと出したいですとか、ないなと思ったんですね。内容的にも個展であろうとグループ展であろうと基本は変わらないなと思うんです。さっきも言ったみたいに、お店の人と話していく中で『あ、じゃあ、こういうの作ってみたいです』とかそういうので特別感というか、その展示ならではのものが出てきますし。三人だから一人だからとかはないなあ。お店の人としては違うんですか?『個展で頼むからには』みたいなとか?
――質問されちゃった。えーと、他のお店の人がどういう考えかはわからないので、あくまで私はになりますけど、うちは作家さんと結構コミュニケーションを取ろうとするスタンスで、常にそこは同じなんですね。個展ならその人とだけのやり取りになりますけど、グループ展で人数が増えれば、例えば三人展なら三人とやり取りすることになって、熱量3倍必要になるので、それは大変な部分です。
森谷「そうですよね、それ言ったらそうですよね。テーマとかは、より三人に向いてるテーマを考えるとかあるんですか?それ難しくないですか?」
――ああ、私は声をかける時点で、テーマやお題みたいなものをすでに頭に浮かべながら、この方とこの方にお願いしようと声をかけてます。後から考えようとすると少し難しくなってくるもしれませんね。あとは、例えば二人展を企画して、お互いの作品を見たことない作家さん同士だったら、私が持っているものを作家さんそれぞれに送って、各々の作品をご覧頂く時もあります。感じてもらいたい。お互いの存在を。だから見ながらやってもらうと面白いかなって。
森谷「そうですよね、影響受けますよね」
――影響受けるのも楽しいぞ、と感じてくれそうな人にグループ展はお願いしてます。個人的見解ですが。中には個展向きだなと感じる人もいるのでそういう人には個展だけお願いしたり。森谷さんは最近はずっとうちでは個展に絞ってますけど、本来どちらもできる人だなあと私は思います」
森谷「ああ。そうか。こうやって毎年個展させてもらって、それがあるから自分は欲求不満になってないのかも」
――グループ展だと作る数や内容も絞ってコンパクトにしないといけませんね。
森谷「そうですよね。やりたいこともちょっと少なくなりますね。僕、たぶん満足しちゃってるのかな。年に2回、個展させてもらっているし、それあったらいろいろやれるから。展示やらせてもらえるって幸せだなあ」
――こちらこそです。うちでは今回11年目の展示になりますね。今までのDMを引っ張り出して見ると歴史感じます。最初の個展の時に作ってくださったガラスの箱が懐かしいです。
森谷「箱ね。朝撮った写真ね」
――そうそう、よく覚えてます。布越しの光で明け方にやっと撮れたって、あの時教えてくれましたよね。懐かしい。根本的にはそこからずっと森谷さんは変わらない気がしています。長くやってきて飽きてくるとかはないですか?ガラス工芸は技法がいろいろあるから、もっと加飾したり色をつけてみるといったこともできると思うんですけど、割合シンプルなものを作る姿勢は変わってませんよね?
森谷「飽きてないですね。いまだにまだ発見することがあるし、まだやってみたいこともあるから。なんかお店の方やお客様に『こういうサイズのお皿がほしいなあとか』とか言ってもらえて。そういうのでなんとか作り続けているだけだと思います。僕にあるのは『このガラス面白いなあ、きれいだなあ』とか、素材に面白さを感じているのであって。自分が使ってみたいというのもあるけどね。すでに今その範疇を越えているので。そんなにいろいろ思いつかないし。発想の幅とか」
――引き出してもらっても、誰にでもここまで作り続けられるとは限らないですし、いつもすごい努力されてるじゃないですか、森谷さん。
森谷「いやいや。僕はね元はアートっぽいガラスのほうに興味があったと思うんです。表現みたいなことを、最初はしたいと思っていたと思うんですけど、そこからうつわに興味が生まれた。どうして興味が?って最初わからなかったけど、使うこととか、その先には人がいて、でまたその人からもらえるものがあるのが、今はそう、それが面白いと思うので。素材の興味から、人への興味みたいなのが持てるようになってきたので。たぶん僕が一人でやっていたら、思いつかない。うつわにしてよかったなと思うんですよね」
―うつわ、人が使う道具全般ですか。
森谷「そう。人が手に取って、使うものですね。そういうのをやってよかったなと思います。ただ自分勝手に作りたいんだったらあれですけど、実際それでそんなふうにやって、本当に自分が楽しいのかなとか。家族もいて生活していくのに、とかもあるけれど。自分だけで作りたいものは自分で一人でやってりゃいいっていう、そういうものですよね。誰にも理解されなくていい。たまたまそれを誰かが見つけて面白がってくれたら仕事になるかもしれないけど。そんな天才みたいなのは僕にはないので。誰かがほしいって思ってくれるものを作れるってことが、自分にとってもすごく楽しいし、人にとってもたぶんいい。だから球体作ってばかりいたらダメだぞと(笑)。あとはね自分だけの範疇で作っているのは息が詰まっちゃう。自分も詰まっちゃう。人のせいに出来ないから。自分の責任だけになると」
――ご自分が作っている品を、使ってくれるだろうなという誰かに届けるということはどう捉えていますか?
森谷「難しいけど…僕は、自分の作っているものを、言葉で伝えるのは難しい。とっても難しい。物を見て感じてもらいたいと思っている。言葉を間に挟まない、というのが本当はいいなと思うんですけど。作っている自分自身が言葉を前に置きたくない。でもすごい置いているんで今。それじゃ伝わらないのかなと思って。がんばって話したりするんですけど。いずれはね『そういうのはいいよ』ってなりたいんですね。なりたいんです。でも一人で納得しているとやっぱりなんか不安じゃないですか(笑)。周りに伝わっているか不安。でも言葉で伝えるのは苦手だなあと。だから物で伝えたいって思う。気に入ったらどうぞってなりたい。でもそうなるまでにはね、伝えてくれる人の存在が必要なんじゃないかなと思う。自分と同じ様な感覚、近い感覚を持ってくれてて、それを、その伝えてくれる人が『あの人のことだから話せますよ』っていう。作った僕が話してしまうと、物の前に言葉が来る感じでコーティングしちゃう感じだけど、なんか渡邊さんとかが僕の紹介してくれるのは、こういうことじゃない?みたいな。決定じゃない。いろんな可能性もあって『例として私はこういうふうに感じています』と言ってくれる…ていうのが嬉しいです。自分が思っていることはたぶんあるんですけど、うまく伝えられなくて。でもちゃんと理解してくれている人がいて、その話を聞いたら、僕も「あ、それです」ってなれるのがいい。僕の代わりに言ってくれた~みたいな。そう言ってくれる人がいい。けどそういう人って中々いない、中々だなあと思う、やっぱり。お願いしている人でも、会って話したりして重なってこないと難しい。僕もその人のこと知らないと、どうもうまく伝えられない。自分がなんか言っても『あ。この人伝わっていない。違うんだけどな』ってなっちゃう。それはたぶんお互いそうだし、お互いわかりますよね。一方で、わからないのがわかるようになっていくと楽しい作業になったりもするんですよね。何回か会っていくうちに、共通認識が出来てきて、勝手がすんなりいくようになるのが楽しいですよね」
――信頼関係ができてくると、例えば自分が思ってもなかったことでも耳を貸せるし、聞いてみたらそれ面白いって感じられるように変化していくのはいいですよね。
森谷「うんうん、なんか最初思ってなかったこと言われて『え~、そんなの、本当にみんな好きなの?』と思っても、なんか気になっちゃって、じゃあそういうのも作ってみようかなとやっていて、案外いいなとか。そういうの助かりますよ、ほんと。僕アーティストみたいなのじゃないから、そういうのをもらって作らせてもらっているような気がします。毎日僕は人と接しているわけじゃないからね。もちろん全部鵜呑みにするわけじゃないけど、そんなに言うならと思って僕なりのやり方でやってみると、こういうのもあるよなあと思わせてもくれて、いいなと思うときもあります。配り手って言葉ありますよね?僕は、渡邊さんのことをなんて呼んでいいかわかってないんですけど。配り手とか伝え手とかという言葉が最近使われるようになって。途中からそういう風に言うようになった気がするんですけど。うつわ屋さんでうつわを売ってもらって買ってもらったりっていうのが広がってきて。そうやって関係性が密になればなるほど、ただのお店の人じゃなくて、作っている人、使う人、それを配る人伝える人みたいになってきてますよね。それってなんか文化じゃないかな。熟成していっていますよね。お店の人を、配り手って呼ぶ気持ちは、僕、大事だなと思っています」
(了)
森谷 和輝(もりや かずき) 略歴
1983 東京都西多摩郡瑞穂町生まれ
2006 明星大学日本文化学部造形芸術学科ガラスコース 卒業
2006 (株)九つ井ガラス工房 勤務
2009 晴耕社ガラス工房 研修生
2011 福井県敦賀市にて制作を始める
森谷和輝 origin ②


今年もやってきました、森谷さんとの展覧会です。
2011年7月16日~31日の期間に百職で開催させて頂いた個展が、森谷さんにとっても初個展だったそうです。
そこから十一年後の今年です。
まだコロナ禍が続く世の中ですが、今年は二年ぶりに森谷さんのお住まい兼工房をお訪ねしました。
今年の個展は、今とこれからを見つめながら、「ガラスをはじめた頃の原点」に抱いたガラスへの感覚、目線に再び出会いながらの展覧会にという思いを込め展覧会タイトルをつけました。
毎年の展示で進化を遂げる一方、ガラスという素材に出合った頃の初期衝動は今も森谷さんを制作へと動かす原動力でもあります。
ゼロ時間に戻し、原点に回帰して、いつでも真っ白なキャンバスを内なる自分の中に持てることは強みでもあります。
展覧会作品の進捗や作品への思い、展覧会というものをするにあたっての考えや、つくり手としての自分や周囲との関わりについてもお話を聞かせてもらいました。
前篇、後篇の電話インタビューです。
久しぶりに訪れた森谷さん工房の様子も、作品の一端を感じるよすがになれば嬉しいです。
――球体や台形のオブジェの進捗はどうですか?
森谷「窯から出てきててまだこれから。これから仕上げていく最中ですね。一個仕上げたものを送ってますけど、最初はワックスで原型を作ってやったやつなんです。そのあとで、もうちょっと形どうしようっていうので、吹いて型をつくろうって思いついて。見せてもらった浮き玉(※今回オブジェは店側からの提案でお願いした作品で、打合わせの際にイメージソースとして古道具の浮き玉を持参してお見せした)は吹きで作ってあったじゃないですか。だからかたちの柔らかさみたいなのを、ガラスで出せないかなと思って。ワックスで、手で削り出すんじゃなくて、ガラスを吹いて丸…丸というか、まあ完全な丸じゃないんですけど、吹いて、形作って。それを型取りしてみたら、あの浮き玉の雰囲気に近づけるかなあと思ってやってみました。
――それはだいぶニュアンスが変わりそう、面白そうですね。
森谷「うん。それはすごく新しくやってみたことなので面白いかなと。自分で作った形じゃないというか。吹いて作っているので、自分以外の部分から、形を作る要素がすごくあると思ってね。ガラスにもその…周りの環境というか。そういうのにも作用されたり。膨らまして作るというのも面白いなと思うし」
持参した古道具の浮き玉はグレーの色のガラス
――手で削るとなると、自らの手で形に向かって直接的に近づけていくような感覚に思えますけど、吹きガラスで吹いたものをまず作って、そこから型を起こすというのは、より…なんだろう、吹きガラスの手法や感覚に近づいていく方法のような気がします。
森谷「前から粘土とかで形作るの苦手で。苦手っていうのは、その…自分でやると自分なりのものしかできなくて。もう自分が出ちゃってるなと思ったり。そういうのってすごく苦手だった。今でもね。今回は球体だから、まあ球体を目指せばいいからできそうな感じもする。けど自分の癖みたいなものがすごく出るなと思うし。具体的な何かを粘土で作るのは苦手。出来た後に見ても、ああ、こういう感じのできるよね、そうだよねって感じになってしまって」
――予定調和的なものしかできないという意味もありますか?作る前から想像できてしまうというか。
森谷「ああ、そうそう。あまり面白くないような、変な感じになっちゃう。絵とかでもそうかな。今まで自分で持ち合わせた何かでしかできない。だから粘土で作るっていうのはちょっと」
――手でかたちを作るって良くも悪くも自分が出ますね。陶芸などもそうかな。すごく直ですし。手で形を作る感じが苦手なのかな。
森谷「そうかも。手で触れる、というのがあんまりなのかな。意識が強いのかな、自分の。自意識」
――自分がやりたいほうに、自分の手を使って直接的に手繰り寄せていくほうがいいっていう人もいますよね。道具を使うとうまく出来ないという人も。
森谷「その人のやりたい『かたち』があるんでしょうね。美しいとか、その人にとっての美しいかたち。吹きガラスでも、自分の思ったとおりにできる人ってたくさんいて。でも、それに面白さを感じていないんだと思います、僕。同じようなこと思うっていう人にも今まで会ったことあるし。だから自分以外の要素も入れて作りたい。そうして作ったほうが面白いと思っているタイプかな」
――キルンワークでもそうですか。
森谷「キルンは…あくまでも自分がやっているキルンワークはですけど、そういうことを思ってやっている感じです。技法がどうっていうよりも、素材に任せたいという人もいますし。粘土で作ってというのは、大学時代の授業ってだいたい粘土で原型作ったりしたんです。その時すでに苦手だなと思ってて。だから吹いてうつわ作ってガラスを詰めるっていうやり方をしてました。それもあって、今回のはその感じでやってみようと思いました」
――「ガラスがどういう風に流れていくのか、融けていくのかを見るのが面白いしそれがきれいだ」と、森谷さんからは毎年のように聞いているので、それはずっと変わらないですね。ガラスという相手がいて、それを見ながら自分もリアクションする。対話というか。キルンも吹きガラスも、ガラスの気持ちや意思を汲んでやるのが森谷さんの考える自然な方法なのかなと見てて感じていますが、自分ではどう思いますか?
森谷「そのほうが自分にとっては楽しいですね。無理があるとね、難しい。ワックスを削って球体の原型を作っているときはちょっと無理がありました。なんかすごく大変だなと感じて。最初にヒントでもらっていた浮き玉があったので、サイズ感とか雰囲気はああいう感じだというのがあって、そっちに向かっていけたけど、単にかたちを写したいわけじゃないので。だから吹きでやろうって浮かんだのは良かったなと思います。しっくりくるやり方です」
――最初に送ってくれたワックスで作ったバージョンと、吹きガラスの型で作ったものと、展示の場で見比べてもらうのも楽しそうですね。
森谷「お客さんに見比べてもらっても、ようわからないかもしれないですけど、どうしよう」
――はっきり違いがわからなくても「なんか感じが違う気がする」とか、どっちでもいいやじゃなくて「私はこっちがいい」って選びたくなるようなニュアンスの違いさえあれば…
森谷「あ、それは選べそう。うん、違うと思います。結構気に入ってます、吹いた感じのほう。ああ吹いて作ったなという感じがします。触ってみるとわかる」
――ならますます楽しみですね。
森谷「またここから違うことにつながっていくといいなと思ってて」
――花器を吹いて、その型を取って作るとかは?
森谷「あ、そうそう花器ね。きっといいと思います。手はかかるけど(笑)」
バーナー作業の視点、
森谷和輝 origin ①


森谷和輝さんがガラスをやり続けている根底に流れているのは、ガラスへの色褪せぬ感動なのだと思う。
大学から始まったガラス造形。
初めてガラスに触れた時をこう振り返る。
「最初にガラスに触った時の衝撃がすごかった。
原点で抱いた感覚。
過去に話した中にもこんな言葉がいくつもあった。
「ガラスがゆっくり流れている感じ。本当にゆっくり融けていく。
「熱でかたちが変わっていく。
いつも彼が夢中になって見つめているのは
「窯の中でどんなふうにガラスが流れていくのか
バーナーを介して触れるガラスはどう変化するのか
その透明感の美しさ、質感、表情」
森谷さんのガラスに大自然の氷や湖、光の色や質感を見出して、
ガラス本来が持つ性質を出発点にしてつくられるものたちには「
今年も森谷さんは話してくれた。
「ガラスのね、かたまりをちょうど作りたいなと思っていて。
今、これから、原点。
それぞれはいつも隣り合って歩んでいる。
今も変わらずに、素材を知る面白さに飽くことなく、
YUTA 須原健夫 境界を潜る ⑥


primitiveとclassical。
YUTAには二つの異なるシリーズがある。
「匙」は primitiveシリーズ。
以前「匙」と「テーブルスプーン」を例に、
「
「primitive/アジアの民具や、先住民達の道具は、
現代人にとってそれは、
もはや、その地を踏むことは叶わなくとも、
この一文からも読み取れるように、匙も菓子匙も根源的な素朴さを纏わせた匙たちです。
切り取られた輪郭の仕上げや細部の叩きの仕上げの「手数」は引き算にしていて、作りこみ過ぎていない。
「classical」シリーズ|テーブルスプーン、デザートスプーン
「classical/西洋の伝統的なスプーンは考え抜かれたかたちをしている。
“西洋の伝統的なスプーンは考え抜かれたかたちをしている。”
それらをもってして、
先端のすぼまったかたちは西洋の伝統的なスプーンを踏襲すること
YUTA 須原健夫 境界を潜る ⑤


(左から)
匙
菓子匙
テーブルスプーン
デザートスプーン
「掬う」は、「助う」「救う」が源になっているともいう。
食べる事を助けるカトラリーとして、もっとも身近な匙、スプーン。
食べることを手助けするというのは、ひいては身体や心も、助けてくれることに繋がる。
自分の手で掬い取ったひと匙が、身体に染み込んで、心を潤す。
使う人々に、此の道具たちを、結い和すことができるよう、願う。
(左から)
付き匙
テーブルフォーク
原初があり、長い時を経て洗練へと向かう。
皿の上で繰り広げられる、多彩な働きぶり。
絡め、まとめ、突き刺し、押さえる。
シンボリックな形は、ある種の鳥のように美しく舞い、食事を助け、その瞬間のふるまいをも魅力的にする。
菓子切り
ヒメフォーク
細い薄い花びらのような形をした菓子切りは、菓子を音もなく鮮やかに切り分けるのが得意だ。
そしてその花びらを二枚に分けると櫛形へ姿を変え、果物などを刺して口に運ぶのが得意な道具になる。
兄弟姉妹のようなカトラリーふたつ。
マドラー
ピック
少し窪ませた頭の形が特徴的で、飲物の海の中に沈ませ攪拌していても良く混ざる気がする。
なくてもなんとかなる道具だけれど、グラスの中で小さくきらめく光と影の綺麗さは特別。
ピックはシリーズの中でもっとも細くて華奢で、まるで光の針のように見える。
柄には小さく光が揺れ動くような細やかな鎚目がつけられているのがとてもリリカルに感じる。
どちらも、まるで詩を詠むように作られている感覚を覚える。
思いを持って作られたものを当たり前のように日常的に使う。
いろいろな物に込められた思いや考えに目を向けて、寄り添うきっかけになるかもしれない。
茶匙
窪みがつけられた掬いやすい形は、西洋の流れを組んでいるように感じる。
柄こそないが、細いほうを指でつまみ、広いほうでたっぷりと掬い上げる。
指のような丸みのこの小さな中に、すべての機能が集約している。
ミニマルでいて柔らかに描かれた輪郭は、素材である真鍮の温かみとよく調和している。
茶箕(ちゃみ)
端は平坦で、両側は丸みを帯びて手になじむ。
茶筒の中にともに仕舞われやすいように作られている。
あくまでも茶を淹れるのに必要量をすくうための形状で、簡素な佇まいが美しい。
形に寄り添い、鎚目は細く長くつけられている。
アイススプーン
形状の装飾性は、風に吹かれ、はらはらとほとんどが剥がれ落ちていった。
アイスクリームを掬うための、必要最小限。
持ちやすい柄の長さ、先端の柔らかな曲線、断面の滑らかさ。
真鍮に伝わってくるアイスクリームのひんやりとした冷たさは、心地良い。
細い線条のように施された鎚目は、気配のような唯一のほのかな装飾。