読み物
渡邊文矢 つながり/循環 ③

井波彫刻の訓練校に進んで以降、富山で暮らしていた渡邊文矢さんが、ご結婚されて岐阜の一件家に移り住んだことはずっと前に年賀状を頂いて知っていたが、訪ねたのは今回が初めてだった。
ご夫婦と犬のもなちゃん、猫のむぎくん、この日は会えなかった黒猫ちゃん(お名前はまだ知らず)での暮らし。京町家とは比べ物にならないほどの間口の広い大きな古民家を、渡邊さんと奥さまのさゆみさんが協力しながら今もところどころリノベーションしているという。広々していて、随所にお二人の創意工夫が感じられ、風通しの良さ、空気の良さが印象的だった。
取材当日は大寒波で雪だったがよく日が差す明るい居間に通され、渡邊文矢さんと奥さまにお話を伺った。
これまでの展覧会でのお話や、制作の基にもなっているイラストを見せて頂いたり、奥さまの影響で始めて今では習慣になっているという絵日記のお話。そしてこの岐阜に引っ越してきてから新しく始まったことやこれまでとは変化した部分を尋ねてみたところ、日本に古くからある禅思想や民間信仰と自身の制作姿勢との関わりについて考えるようになったという、興味深い話題が出てきた。
(追記 *つい最近、新たに三匹目の猫が家族に加わったとのことでした)
何かを作るのが目的じゃなく作っている行為そのものが大事
渡邊:あとは岐阜に移ってきてから、ちゃんと(彫刻が)仕事として成り立ってきたかなと。
奥さま:やっていること自体はあまり変わってないね。あと…岐阜に来てからご近所さんもそうですし、外と少しずつ関わるようになったのは大きい気がします。井波では親方のおかみさん伝いで地域のことに関わっていたので。
──弟子でいる間は渡邊さん自身が積極的に外と頻繁に関わらなくても成立していたと。
渡邊:確かにそうですね。ご近所づきあいはおかみさんがやるような形だったので。ほかには犬と猫が増えたかな。猫はもともと1匹いたけど、犬が来たから。また猫も増えて。畑やったりね。


──変わってない部分もあるけど、変化も訪れましたね。新しいものが追加されて。家族が増えるとその分生活リズムも変わりますね。
渡邊:生活が変わりますね。井波にいる時に結婚したけど…
奥さま:結婚して、次の年にはもうこっちに引っ越してきたね。
渡邊:ほとんどここの家で何かが始まっている。移住してきたこと、それが一番の変化かな。それで色々生活が変わったと思います。
奥さま:あと宗教について興味が出てきたのはあれなんじゃない?禅の本を読み始めたことで変わったのかも。
渡邊:ああ、そうそうそう、そうだね、これだ〈禅と日本文化〉(鈴木大拙 著/北川桃雄 訳 *渡邊文矢さんのものは岩波新書版)。これは禅を世界に紹介した鈴木大拙さんの本で、講演をしたのをまとめたものなんです。すごくわかりやすくて。なんか自分がもともと絵を描くときに、何も考えないで絵を描くことや、彫るときもあまり考えないで彫るっていうのをすごく大事にしていて。考えてやっちゃうとやっぱり意図的になっちゃって一方向にしか行かないというか、広がりが持てなくなっちゃうんですね。これは自分独自で勝手にやってるのかと思っていたら、昔から禅というものが日本にはあって、それがそういう風に感覚でやるものだというのがとても分かりやすく書いてあって。茶道だとか俳句だとか、そういったものは禅の思想が基なんですよっていうのがあって。
──(ページをめくり、序文を少し読んで)確かに。禅の入門書というか、語句も平易だし文章もわかりやすいです。
渡邊:ね。分かりやすくてこれだと思ったんですよ。あ、でもこれ話しても大丈夫かな、宗教家だと誤解されるかな?
───大丈夫かと。伝統文化の理解だったり民俗学的な視点から禅の思想に興味があるということでお話されていると思うので。
渡邊:そうです。禅の思想についてずっと興味があるんです。まあそれで、これを読んで禅は何宗なのかとかも初めて知ったり。この人が言う禅は臨済宗なのかな。でも曹洞宗の方がもう少し日本の農村や山間部で広がっていった禅で、曹洞宗の教えっていうのは結構民族信仰との親和性が高かったんじゃないのかなっていうのが最近分かってきて。だから広がったのかな。曹洞宗が広がっていた地域はたまたま自分の好きなところだったんです。長野県の松本だとかあそこら辺も割と曹洞宗が強かった。岩手の盛岡とかも。教えも道理が通っているように感じます。座禅を組んで何かをするのが目的じゃなく、座禅を組んでいること自体が目的なんだと。何かを作るのが目的じゃなく作っている行為そのものが大事なんだって自分もずっと思ってやっていたので、ああ、もしかしてそういうところから来てるのかなとか。っていうのをちょっと考え始めたきっかけがこの本ですね。

──自分のことを読み解くもの、紐解くもの。手がかりみたいなものが見つかるって有難いし、改めて知るのは興味深いですね。
渡邊:そう。何も知らなくても作れるけど、なんかちょっと思い悩んだ時とかに自分は何やってたんだっけっていうのが分かんなくなっちゃう時ってたまにあるんですけど。そういう時にやっぱりこういうものがあると、ああ、これをやってたんだって。
──立ち返ることができる。客観的に見ることができるかもしれませんね。
渡邊:そうですね、客観的に見える。
──それが渡邊さんにとっては、この〈禅と日本文化〉という本であったんですね。
奥さま:以前会社勤めをしている時に社員旅行で京都に行って座禅を組んだんです。建仁寺だったかな。そこで朝、みんなで座禅を組んだ時間がすごくよくて。それでまたそのお坊さんが話をしてくれた内容がふだん渡邊が言ってることに近いような気がして。渡邊は渡邊で当時ちょっと悩んでたんだよね、作品作りで。それできっかけになればと「座禅良かったから行ってみない」って誘ったら「俺は行かない」って。
渡邊:うん、まだその時はね、宗教に対する抵抗感があって。そこでは「座禅?いやあ、別にそれなら家でやったらいいじゃん」なんて答えて。
奥さま:その後、少し経ってYouTubeか何かで禅の考えに触れて、出会ったのかな?
渡邊:そうだね、彼女から座禅のことも聞いてたし、なんとなくやっぱり気になって調べてみたら、なんか…ね。
──座禅や禅のこと誤解してたかもと気がついた?
渡邊:そうそう。あれっ、なんか近いぞ自分にって。それでこの本を見つけて読んでみたらもうびっくりしちゃって。ああ、これをやってたんだって。そこを今掘り下げてる段階です。
──面白いですね。いくつかのきっかけみたいなものが同じような時期に発生して、アプローチがあるっていうのも何かの巡りあわせなのか、必然なのか。
渡邊:そうなんですよね。彼女はなんでも始めるから。僕も影響されて付け始めた日記もそう。彼女はすぐに一回ハマる。ガーっていくから。
奥さま:でもすぐ飽きるんですよ笑
渡邊:それがまた面白いんです。
──その分、いろいろなことを怖がらず広く踏み出せるとも言える。
奥さま:そう捉えようとしています笑
渡邊:すぐ飽きても、まあモノにするんで。つながっていくから見ていて面白いなと。
──素晴らしい。
渡邊:こっちとしては新鮮な風を送ってくれる感じです。
──新しいトピックが生まれ、きっかけをもたらしてくれて、それを受け取るという関係性。いいじゃないですか。
渡邊:僕は一人じゃ本当に何一つやらないんで。発展をしない人なんで。一つのことをやるのは得意ですけど。あまり新しいことはやろうとは思わないタイプで。
──今回のように最初は知らなくて尻込みしたことも、きっかけさえあればふと足を踏み入れることはできるのが渡邊さんなんですね。一途さや頑固さというのは自分で得た経験や意思をより大事にされたいからでしょうし。一方でやってみて「これはいいかも」と実感できたものなら、すんなり受け入れられる素直さもお持ちなのではないでしょうか。
渡邊:そうですね、いいと分かると早いかも。まあそれで本は一昨年ぐらいに見つけて。4回ぐらい読んだかな。禅についての他の本も買ってみたけどあんまりよく分かんなくて。ちょっと難し過ぎちゃって。これは講演したものを欧米の方向けにまとめて、それをまた日本語に翻訳してるんです。だからすごく分かりやすくて。講演当時の内容に忠実どうかは定かではないけど、禅を知らない海外の方でもわかりやすいように砕いて話して、その上で本にする際にも単純化してるとは思うんですけどそれが僕にもわかりやすかった。
──鈴木大拙さんの言いたかった純粋な部分は抽出されていそうですね。
渡邊:はい。生活の中で必要な部分だけ分かればいい。
──この本に出会えたことにも大きな意味があったわけですね。
渡邊:そうですね、すごく大きかったと思う。自分一人がやってたことじゃなくて、これは結構昔からオーソドックスなやり方なんだっていうのが少しずつ分かってきて。松尾芭蕉も同じことしてたんだ、みたいな。感覚的な部分でやってたんだって思うと、なんか心強いですよね。変なことをやってるんじゃないんだと。
──そうですね。芭蕉が同志だと心強い。先人たちが自分の背中を押してくれている気持ちになれますね。
渡邊:それまで自分は職人仕事の技術の方は学んできたけど、美大とか芸大出てるわけではないので。聞いたような話でしかイメージがないんです、美術作品を制作していくセオリーやプロセスは。美術彫刻はしっかりとデッサンをしてその中で哲学的な何かを学んできてそれを取り込んで社会的に意義のあるものを作るんだっていう、僕の中にはすごく硬いイメージがあったんです。当時の日本に伝わってきた西洋美術的なものがそのままイメージであるだけで。すべてのやり方がそれだけではないはずなんですけど。でもこれを読んでから日本的な芸術っていうのは自分が今やっている方法で、これでいいのかなっていうのは思って、むしろこれをやっていった方が、僕らしいものになるんじゃないかなとちょっと心強くなりましたね。
──自分を肯定していくところっていうのは大事な部分ですね。
渡邊:そうですね。
──人種や言語は違っても、自国から出て展覧会をやって、見に来てくださった異文化の方々がまた次も来たいなとか、もっと見てみたいよっていう風に感じてもらえるっていうのは、作家自身のアイデンティティであったり日本的な部分っていうのを知って深めていくことで、制作や作中にも生きていくのだろうなと思います。よかったです、この本のお話をお聞き出来て。
渡邊:本当に。すっかりと自分のものにしてしまった気になって忘れそうになっていました。また読み返してみよう。
──それほど自分の中にすでに馴染んでいるってことですね。
渡邊:いやあ、もうね、偉そうに禅の考えを、まるで自分が発見したみたいになりそうだった笑
(了)
渡邊 文矢(わたなべ ふみや)略歴
現在、岐阜県在住
1985 東京都町田市生まれ 神奈川・岩手にて小中高を過ごす
2005 京都伝統工芸大学校 木彫刻科 卒業
2007 井波彫刻伝統工芸師 井口琇月氏に師事 職人仕事の合間に自分の作品を作り始める
2011 年期明け 独立
2020 Vima House維摩舎|中島GLAb(台湾) 個展
2022 san galerie|中島GLAb(台湾) 個展
2023 小器藝廊+g (台湾) 個展、ギャラリー上がり屋敷(東京) 個展、cut&paste select shop|中島GLAb(台湾) 個展
2024 Hase (名古屋) 個展、msb gallery (東京) 個展
2025 Ippuku林森40|中島GLAb(台湾)個展「HOME」、Galerie Satellite|ギャラリー上がり屋敷(パリ) 個展
渡邊文矢 つながり/循環 ②

井波彫刻の訓練校に進んで以降、富山で暮らしていた渡邊文矢さんが、ご結婚されて岐阜の一件家に移り住んだことはずっと前に年賀状を頂いて知っていたが、訪ねたのは今回が初めてだった。
ご夫婦と犬のもなちゃん、猫のむぎくん、この日は会えなかった黒猫ちゃん(お名前はまだ知らず)での暮らし。京町家とは比べ物にならないほどの間口の広い大きな古民家を、渡邊さんと奥さまのさゆみさんが協力しながら今もところどころリノベーションしているという。広々していて、随所にお二人の創意工夫が感じられ、風通しの良さ、空気の良さが印象的だった。
取材当日は大寒波で雪だったがよく日が差す明るい居間に通され、渡邊文矢さんと奥さまにお話を伺った。
これまでの展覧会でのお話や、制作の基にもなっているイラストを見せて頂いたり、奥さまの影響で始めて今では習慣になっているという絵日記のお話。そしてこの岐阜に引っ越してきてから新しく始まったことやこれまでとは変化した部分を尋ねてみたところ、日本に古くからある禅思想や民間信仰と自身の制作姿勢との関わりについて考えるようになったという、興味深い話題が出てきた。
(追記 *つい最近、新たに三匹目の猫が家族に加わったとのことでした)
日本人らしさってどこから来てるのかな

奥さま:たぶんこの地域の神社当番をやるようになったのも渡邊が考えるきっかけだったかもしれないですね。
渡邊:近くに木曽神社っていうのがあるんです。結構信心深い人たちで、この地域の人が。神社だとか祠だとか、結構たくさんあってそれを地域で神社当番っていうのが交代でやっていて。当番になったら1年間やります。
──1年間を通じてのお役目なんですね?
渡邊:そう。しょっちゅう回ってくるんですよ。住人も少ないから。いろんなお祓いみたいな催しが年に4回ぐらいあって。神主さんに来て頂いたお供え物してっていうのをやってて。
──そういえばさっき車に乗せて頂いていた時にもちらほらお地蔵様があったり。民間信仰や道祖神的なものが大切にされているんですね。
渡邊:うんうん。山のほうには山の神様で不動明王があったりとか。馬頭観音(馬と旅の旅の安全を守る仏として信仰が集まったという)っていうのもあります。結構ちょこちょこありますね。
──山が近いと山岳信仰などを身近に感じることもありそうですね。暮らしている風土や地域からの影響は感じたりしますか?
渡邊:もうちょっと自分の中で整理しないとあれですけど、日本人らしさとはというところに結構興味があります。日本人らしさってどこから来てるのかなといって浮かぶのは、近年(日本では)はほぼ無宗教だと言われていたりもするけど、どこかで皆、民間信仰(道祖神などの土着的な信仰)が根付いていて。仏教とか神道よりもっと前からあるものに影響を受け今の日本の文化っていうのに繋がっていってんだろうなって。
──アニミズムという自然界の山や川木や石などあらゆるものに魂(精霊)が宿るといった原始的な世界観が日本にはありますよね。民間信仰の根底になっている。
渡邊:それです。流れというか、その後にやって来た仏教とか神道とかそこら辺のことも知っていかないと。そこら辺と、それ以前からあった民間信仰がなぜちゃんと混ざり合ったのかなとか。それによって現代の僕がこの自然の中から感じ取るものはいったいどこから来たのかなとか。知らないうちに親からとかテレビとかいろんなところから影響を受けているのもあるけれど、辿っていくともとがあったはずだから。という意味で、文化的側面や民俗学的な点からの信仰が気になるなっていうのはありますよね。

──なるほど。となってくると木彫文化は民家の装飾だけではなく寺社彫刻とも関わりが深いですし、オリジンって言ったらいいのか、木彫というものの起源にもちょっと触れるようなお話かもしれませんね
渡邊:そうですね。日本の木彫も世界の彫刻文化も宗教と切り離せない。宗教的な儀式で使われるものから始まり、仏像とかもそうですが日本の彫刻っていったらやっぱり仏像とは切り離せない。人間はそもそも仏像や彫刻に意味を見出して、そこに自分の心を映すっていう部分がありますし。自分がやっていることと宗教についても知っていきたいというか、興味があります。
→→→後篇に続く

渡邊 文矢(わたなべ ふみや)略歴
現在、岐阜県在住
1985 東京都町田市生まれ 神奈川・岩手にて小中高を過ごす
2005 京都伝統工芸大学校 木彫刻科 卒業
2007 井波彫刻伝統工芸師 井口琇月氏に師事 職人仕事の合間に自分の作品を作り始める
2011 年期明け 独立
2020 Vima House維摩舎|中島GLAb(台湾) 個展
2022 san galerie|中島GLAb(台湾) 個展
2023 小器藝廊+g (台湾) 個展、ギャラリー上がり屋敷(東京) 個展、cut&paste select shop|中島GLAb(台湾) 個展
2024 Hase (名古屋) 個展、msb gallery (東京) 個展
2025 Ippuku林森40|中島GLAb(台湾)個展「HOME」、Galerie Satellite|ギャラリー上がり屋敷(パリ) 個展
渡邊文矢 つながり/循環 ①

通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
作家さん自身からの誠実な言葉と考えをお読み頂きながら、作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
渡邊さんは初めて百職では展覧会開催となりますので、なじみのない方もこちらの一問一答でぜひ一歩、二歩と近づいて頂けると嬉しいです。
質問1
はじめましての方に向けての、経歴とは違う自己紹介をお願いします。
───初めまして。渡邊文矢といいます。木で彫刻をしています。日常の中で感じていることや、人生の中で大切に思っていることを形にできればいいなと思い、制作しています。
「ただここに在るように」
今回の展示は、そんなことをテーマとしています。この言葉は、僕にとって作品を制作していく上でも、生きていく上でも大切にしている言葉です。何か特別な役割がなくても、誰かのためにならなくても、ただここに在るように。そんなものが好きで、草や木のように、ひっそりとでも生命の輝きを感じられる、そんなものが作れたらと思い、制作しました。
質問2
木彫というものづくりを選んだ経緯、始めた頃に感じていたこと、そこから歳月を経て変化したこと、変わらない点をそれぞれお聞かせください。
───木彫は、中学の頃に落ちていた枝で、自分の指を模して作ってみたのが最初だったと思います。
それから、鳥や魚などを写真を見ながら作るようになり、専門学校や弟子入りさせてもらう中で、本格的に木彫を学びました。
始めたばかりの10代の頃や専門学校時代は、とにかく何か形にすることが楽しくて、ひたすらいろいろなものを彫り、そのために技術を身につけていたように思います。20代になり、少しずつ自分の気持ちを表現してみたくなり、作品も作り始めました。工房の仕事を終えて帰宅後、ただ何も考えずに、今の自分の気持ちを手が動くままに作っていました。その作品制作が、今へとつながっています。
過去と現在で創作において変わったことは、始めた頃は「形にすること」を楽しみ、今は「感情を形にすること」を楽しんでいる点です。作品を作り始めてから大きな変化はないと思いますが、年齢を重ねるごとに、少しずつ考え方の変化はあるのかなと思います。
質問3
今まで訪ねた中で、最も印象に残っている場所はどこですか。その時の思い出も、よかったら少し教えてください。
───真っ先に浮かぶのは、小学生の頃に友達とよく遊んでいた空き地です。友人の家の裏にある、少し小高く見晴らしのいい場所で、秘密基地を作ったり、ごっこ遊びをしたりしてよく遊んでいました。その日も夕方まで鬼ごっこをして、疲れたあとに、みんなで並んで見た空が思い浮かびました。旅行先で見た絶景よりも、身近な景色のほうが印象に残っているような気がします。
質問4
犬と猫と暮らす楽しさについて以前から少しずつお聞きしていましたが、あらためて犬の魅力、猫の魅力、それぞれどういった点が魅力でしょうか。一緒に暮らす上で、つながりを感じる時はいつですか。
─────犬は、尻尾を振って感情を表に出して喜ぶ様子が可愛いですし、猫は気ままな様子や、ちょっと勝手だなと感じるところも魅力で、一緒に遊ぶのも楽しいです。猫も犬も、日向で気持ちよさそうに寝ているときなどに、「いいな、癒されるな」と感じます。
質問5
冬のはじまりを迎える中で、風情を感じるのはどんな瞬間ですか。
───散歩するのが好きなのですが、道端の枯れ草の立ち姿は、造形的にもかっこいいなと見てしまいます。あとは、すべてを埋め尽くすような真っ白な雪原もいいなと感じます。暖かい部屋でみかんを食べたり、旬のものが献立に入っている時も、いいなと感じます。
質問6
循環は自らの体内でも起こり、生活環境や宇宙にまであらゆるところにありますが、渡邊さんが「循環」と聞いて頭に浮かべるのは何でしょう。
───心が浮かびます。悩み事や考え事があると、自分の頭の中でぐるぐると回っているうちに、なんだか澱んでしまうような気がする時があります。そんな時は散歩に行き、川や森を眺めてぼーっとしていると、頭の中がすっきりしてきて、自分も自然の一部のような感じがし、頭も心も循環するように感じます。人に話すことも同じで、溜池のように、人の心も一箇所にとどまっていると濁ってきてしまうのかなと思います。たまには誰かに話したり、自然と一体になったりして、循環していくのが健全な気がします。
質問7
これまで継続して今のお仕事をされてきたと思います。ものごとと向き合い続ける中で、ご自身が大切にしてきたつながりは何ですか。
───つながりで言えば、いろいろなことが大切だと思います。人とのつながりも、自然とのつながりも、過去とも未来とも、つながりがあるからこそ継続ができるのだと思います。作品づくりに限定すれば、自分の心の声と言いますか、奥の方にいるもう一人の自分、本当の自分、そんな存在とのつながりが大切だと思います。そこに嘘をついてしまうと、その作品は自分の作品ではなくなってしまいます。まずは自分自身であること。その上で、世界とつながることを大事にしてきました。もちろん、作品だけを作っていれば幸せなわけではないので、いろいろなつながりがあってこそ、作品が作れているのだと思います。
渡邊 文矢(わたなべ ふみや)略歴
現在、岐阜県在住
1985 東京都町田市生まれ 神奈川・岩手にて小中高を過ごす
2005 京都伝統工芸大学校 木彫刻科 卒業
2007 井波彫刻伝統工芸師 井口琇月氏に師事 職人仕事の合間に自分の作品を作り始める
2011 年期明け 独立
2020 Vima House維摩舎|中島GLAb(台湾) 個展
2022 san galerie|中島GLAb(台湾) 個展
2023 小器藝廊+g (台湾) 個展、ギャラリー上がり屋敷(東京) 個展、cut&paste select shop|中島GLAb(台湾) 個展
2024 Hase (名古屋) 個展、msb gallery (東京) 個展
2025 Ippuku林森40|中島GLAb(台湾)個展「HOME」、Galerie Satellite|ギャラリー上がり屋敷(パリ) 個展
耐冬花 ②

通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
作家さん自身からの誠実な言葉と考えをお読み頂きながら、作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
今回は展覧会の季節である冬のはじめの季節、作家二人が愛する椿についての質問もさせて頂きました。
質問1
はじめましての方に向けての、経歴とは違う自己紹介をお願いします
───家族だけで営む小さな町工場の次男として生まれました。働くということは物を作るという事と刷り込まれていたのかもしれません。
小学生のころに閉めてしまった工場の名前は「前嶋製作所」。僕の屋号「前嶋硝子器製作所」はそこから来ています。製造業でありたいという願いも込めて。

質問2
近藤康弘さんと知り合った経緯、その時の第一印象、そこから変化した点をそれぞれお聞かせください。
───益子でお世話になっている器屋さんの紹介で参加させて頂いた生け花の勉強会でお会いしたのが最初だと思います。優しく温和な人柄とは違って、男性らしく力強く無駄のない、真っ直ぐな花を生けられる方だなと思った記憶があります。
それからは椿の話を色々と教えてもらったり、椿の苗木を探しに遠方に出かけたりと僕にとっては椿の先生です。
そしてこの2年間、近藤さんの闘いを少し離れたところからですが見続けてきました。今では近藤さんの花はやはり近藤さんを写していると思います。強く、真っ直ぐな方です。
質問3
今まで訪ねた中で、最も印象に残っている場所はどこですか。その時の思い出もよかったら少し教えてください
───若い頃は放浪の癖があり、バイクで様々な土地を旅しました。
その中で特に記憶に残っているのは、徳島県南部の海岸線です。複雑に入り組んだ地形と澄んだ海に浮かぶた島々、ちいさな入り江毎に点々と続く集落。広大な、雄大な景色よりも自然の中に人の営みがある風景が美しいと感じた初めての体験だったかもしれません。
質問4
前嶋さん、近藤さんともに椿愛好家とお聞きしていますが、椿のどういった点が魅力ですか?また、これから育ててみたい方にひとつだけアドバイスをするとしたらなんですか?
───椿は厳寒の中に咲く数少ない花の一つで、一年を通して葉を落とさない常緑樹でもあります。
その生命力と美しさから古来より寺社仏閣、茶道、華道と様々な儀式、様式で重用されてきました。その為多くの椿が挿し木を繰り返し現在までその多様な種を伝えています。戦国大名が、茶人が愛した花と、限られた地方だけで密かに数百年愛され守られた花と全く同じ花を手にし、愛でることが出来るのです!(半分以上近藤先生の受け売りです)
そんな歴史や逸話に目を向けて椿を選ぶのも楽しいかもしれません。育て方にアドバイス出来るほどではありませんが、椿は丈夫ではありますが根が浅いため水切れには注意して下さい。成長もゆっくりなので庭木にしたい方は接ぎ木苗を選ばれた方がよいと思います。
質問5
展覧会が始まる頃にいよいよ冬の入り口に差し掛かりますが、季節の食材や料理で一番好きな食べ物と、それについての所感を教えてください
───京都にちなんでという訳ではありませんが修学旅行のお土産で買って帰った聖護院かぶらの千枚漬けに感動して以来、無類のカブ好きです。この辺りでは聖護院かぶらは手に入らないので普通のカブですが味噌汁、ポトフ、煮物にステーキと様々に楽しんでいます。
そんな万能なカブですがやっぱり千枚漬けが一番好きでスーパーで3つ一束だったら2つは漬けてしまいます。
質問6
冬のはじまりを迎える中で、風情を感じるのはどんな瞬間ですか?
───庭の木々が葉を落とし、いよいよ椿がその姿を際立たせる事。工房が暑いから温かいに変わる事。そして冬の笠間は夕日がとてもきれいです。
質問7
子供の頃でも大人になってからでもいいのですが、冬にまつわる思い出をひとつ教えてください
───子供のころ凧揚げに行ったのに凧を揚げたくないと駄々をこねた記憶があります。その感覚は今でもあって伸びきった糸の緊張感とどこかに飛んで行ってしまうかもしれないという不安感はいまでも苦手かもしれません。
質問8
これまで継続して今のお仕事をされてきたと思います。ものごとと向きあい続ける中でご自身が大切にしてきたものはなんですか
───時にほかの仕事もしながら硝子製作は絶えず続けてきました。独立してからは必要最低限の設備で主に地元の酒蔵さんから頂いた空き瓶を溶かして製作しています。自分に与えられたもの、場所でこそ作れるものを。特別でなく何でもない日々の為のものを、その日々の中で繰り返し使われる中でより特別になりえるものを。そんな野望を持って製作しています。
(了)
前嶋 洋明(まえじま ひろあき)略歴
1982 茨城県ひたちなか市に生まれる
2005 ガラス工房カモス(茨城県笠間市)にて制作を開始
2010 鵜沢ガラス工房(茨城県常陸太田市)にてアシスタント研修
2011 ガラス工房カモスのスタッフとして勤務 個人制作活動としてNoraglassをスタート
2021 茨城県笠間市に築炉 前嶋硝子器製作所として独立
耐冬花 ①

通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
作家さん自身からの誠実な言葉と考えをお読み頂きながら、作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
今回は展覧会の季節である冬のはじめの季節、作家二人が愛する椿についての質問もさせて頂きました。
質問1
はじめましての方に向けての、経歴とは違う自己紹介をお願いします
───この道に入ったきっかけは、結構いい加減です。金型屋の父親の跡を継ぐのがどうにも嫌で、反発心から何のゆかりもなかった、陶芸とガラスの学校の願書を請求しました。なぜかガラスの学校の案内は届かなくて、陶芸の学校が面白そうだと入学、そこが始まりです。
しかし、それでこの世界を少し知り、陶芸家というものが、若気のいたりのエネルギーを持ってしても自分には絶対無理だとすぐあきらめます。
その後は趣味のような形で続けていた陶芸だったのですが、23歳で民藝運動の思想に出会い、考えが変わります。名もなき陶工、あらたなる職人へのあこがれです。自然原料を大事にし、数をこなせばきっと自分でもなんとかなる、やれるという確信。思いは高まり、翌年益子という土地へ頭を丸めて弟子入りし、色々ありましたが、なんとか2009年に独立しました。
そして紆余曲折の末、目標にしていた薪窯を3年前に築窯、今にいたりますが、まだそこは全然ゴールじゃなく、新たな物語のはじまりでした。
*質問8へつづく
質問2
前嶋洋明さんと知り合った経緯、その時の第一印象、そこから変化した点をそれぞれお聞かせください。
───記憶が間違っていなければ、最初に前嶋くんに出会ったのは、自分の習っているお茶の会にお客様できてくれた時だと思います。明るくて話しやすく、なかなかのトークスキルを持っている方だなと思いました。その後、すぐくらいのタイミングで自分が参加している花の会に入会され、一緒に習う事になったのかな。ゆっくり話をしてみると、凄く花に対する情熱を持っていて、正直ちょっとけむたいくらいでした笑
…というのも自分が好きな花と好みが結構似ていて、山野草も詳しいし、椿に自生種の菊にと、ひとりで楽しんでいた世界に、割り込んでこられるような気がしたからです。(なかなかまわりの同世代にそんな人間はいなかった)
椿に関しては、好みは似ているんだけど、ピンクの花がどうやら受け付けないようで、たくさん持ってる自分をディスられたな〜。自分が知らない情報を時々嬉しそうな顔で提供してくれ、刺激を与えてくれる存在です。
作り手としては、仕事にたいしてはとても真面目で、薄くはない再生ガラスから作られるガラスは、芯がある前嶋くんの人柄に似ていて丈夫で割れにくい。民藝の話もできるし、骨董もおなじく好きだったり、話があうと思います。
独立した年こそ最近ですが、なかなかの経歴、いろんな経験値を持っている人で、困った時は何でもやってくれる前嶋サービスに頼もう!と思える頼りになる存在です。何か困り事がある時は頼んでみるといいでしょう。
今回一緒に京都の地で二人展を出来ること、2年前から楽しみにしていました。
質問3
今まで訪ねた中で、最も印象に残っている場所はどこですか。その時の思い出もよかったら少し教えてください
───ムツゴロウ王国の動物の臭い。。といきたいところですが、器づくりを始めてからにします。
2ヶ月ほど滞在制作をさせていただいたデンマークボーンホルム島です。やきものづくりをする原料(粘土にカオリン、長石)がすべて足元に眠ってあって、それをとってきて器を焼く事ができる、まさに自分たちにとっての宝島。日本は藁や籾を釉薬につかいますが、代用に麦藁灰で作ってみた釉薬がなかなか良かったです。お世話になった陶芸家のお宅で出逢った素敵な方々、ヒュッゲな時間、仕事の合間をぬって何軒も訪ね歩いたセカンドハンズショップに蚤の市。夢のような楽しい時間でした。
質問4
近藤さん、前嶋さんともに椿愛好家とお聞きしていますが、椿のどういった点が魅力ですか?また、これから育ててみたい方にひとつだけアドバイスをするとしたらなんですか?
───たくさんありますが、ゆずれない2点があります。
椿はかつて艶葉木(つやばき)と呼ばれていたようで艶のある葉に特徴があると…椿好きは、行き過ぎると花よりも葉に魅力を感じるようになってしまうとききます。ある古書で知ったのですが、埼玉川口の安行に椿名人がいたようで、その名人は葉っぱを見ただけで300種の椿を言い当てたと記載されていました。…レベルが違います。その逸話を知ってからというもの、葉っぱが気になって気になって…。
「濃い緑で艶があって、プルンとしたふくよかな曲線を描いて…そしてツノが生えたような形をした葉をもつ椿。」
そんな一本を探しています。
もう一つですが…器をつくる者として、1番好きなあこがれる器がありまして、それは400年ほど前に名もなき朝鮮の陶工が作ったといわれる井戸茶碗です。戦国武将や茶人が愛したその価値は、なんとお城ひとつと交換できるとか!ありがたい事に今の時代には、時期がよければそれを美術館で見る事ができます。ただそんな茶碗は見ること叶っても、もちろん手に入れる事はできません。そこで椿なのです!戦国武将や茶人たちは椿を愛し秘蔵していたとか。そしてその時代、庶民は手に入れることなどできなく、枝一本持ち出す事厳禁の椿もあったとか…。椿は花がポトリと落ちて縁起が悪い…なんていう近代の不遇の時代もありますが、誰々が愛した椿、どこどこの神社、寺院で植えられている由緒あるそのほとんどをわたしたちは今、安価で手に入れて楽しむことができるのです!そして自分はそのどれがいったい本当のベストなのかを知りたいために、欲望のまま、いや大義をもって庭にたくさん集め植えています。
ひとつアドバイスするならば椿があると幸せホルモンがでます。
質問5
展覧会が始まる頃にいよいよ冬の入り口に差し掛かりますが、季節の食材や料理で一番好きな食べ物と、それについての所感を教えてください
───鍋ですね。採れたての白菜に熱々の豆腐があれば、あとキノコ。特にこの鍋!というこだわりはありません。最近は作り手仲間で集まって鍋をよそって食べることもめっきり減りました。豪華な食材があるわけではありませんが、器だけはそれぞれの家庭に色んな作家さんの器がこれでもかと並んであって好きな器を選ぶのが楽しみです。そして日本酒が好きになったのも益子にきてからそんな夜をとおしてです。
質問6
冬のはじまりを迎える中で、風情を感じるのはどんな瞬間ですか?
───益子に移り住んでから徐々に「あれ?」…っと、感じるようになったのですが、季節の変わる瞬間があるような気がします。空気が変わるような、匂いがするような、景色が変わるような。ちょうどこれを書いている日の朝、外の景色は初霜がおりて真っ白でした。ひとときのきらきらした景色が、陽のあたるところから湯気をあげながら元の色を取り戻していく姿、なかなかでした。

質問7
子供の頃でも大人になってからでもいいのですが、冬にまつわる思い出をひとつ教えてください
───3年半の焼き物の修行時代が終わる12月の暮れに、無理が出たのか、うまれてはじめてギックリ腰になりました。それでもなんとか無事終える事ができたのですが、そのすぐあとに毎年川でキャンプしながら年越ししているという先輩に誘われ、数人の仲間たちで参加しました。明るいうちに薪を集めていたのですが、太い倒木を持った時に「ビキッ」となってしまいもうそれから起き上がれず。川のまわりが寒いのか、その日が特別寒かったのか、マイナス10℃くらいの中、ぜんぜん動けなかったので朝まで焚き火のすぐ横、燃えないギリギリで過ごしました、熱さと寒さと痛みで全然眠ることができず…朝起きて来た人がみたら、身体中灰が降り積もって真っ白だったようです。その腰の痛みは治るのに半年かかりました。
質問8
これまで継続して今のお仕事をされてきたと思います。ものごとと向きあい続ける中でご自身が大切にしてきたものはなんですか
───なんでしょうか…
目標にしてきた薪窯はつくったのですが、その窯がなかなか大変で失敗の連続でした。そして、それでも頑張っていこうと思っていたのですが…身体に異変が起こります。2024年の年が明けてから、腰回りがおかしく右足をひきずるようにしか歩けない。整体、鍼灸へ行っても治らない。3月にレントゲンをとってみたら、白い影がうつり。…骨肉腫という、100万人に2、3人しかならないという癌でした。そこからの展開は早く、緊急入院となり、抗がん剤を繰り返し手術でした。時間をおかず専門医の先生に出会えたことが幸運で、結構危なかったらしく、でもなんとか命を助けてもらいました。…ただその代償に右骨盤をとったことによって右足に歩行障害が残り。
退院したあとはすぐ仕事、と思っていたのですが…、轆轤台にあがれない…車椅子で電動轆轤をまわしてみるものの、少し背骨もけずっている影響で、力入らず土殺しができない。…そして神経痛がそのあと襲ってくるという。今まで出来ていたことがまるで出来なくなってしまいました。
リハビリ生活のあっという間の一年で一つずつ出来ることを増やしていき、なんとか轆轤は回せるようになりました。でも松葉杖だと物を運ぶ事が出来ない。人の助けを借りながらの制作。この先どうなっていくのか…色々私生活においても、出来ていたことが出来なくなり、無駄なことはそぎ落ちていく感覚。
残ったのは自分が大切にしてきたもの、こと。それは恵みのあるもの、なのかもしれません。
うまく言えませんがそれがあると豊かな気持ちになれるもの。恵みをうみだして与えてくれるもの。
山の中で野菜や花を育て、ひっそりとでもいい、静かな暮らしの中でうつわを作り続けていけたらいいなと思っています。
(了)
近藤 康弘(こんどう やすひろ)略歴
1978 大阪府千里に生まれる
2004 栃木県益子町榎田勝彦氏に師事
2009 益子町にて築窯、独立
以後、各地にて展示会、イベント出展
2018 韓国広州にてグループ展に参加
2019 デンマーク、ボーンホルム島に滞在、制作を行なう
2022 益子内にて工房移転、登り窯築窯
2024 骨肉腫を発症、右足に障害をもつ