読み物
金城貴史 匙ごころ ①

木の食具を作る作家 金城貴史さんとは知り合ってから20年近く経ちます。何度も顔を合わせながら、今回初めて百職で展覧会させて頂けることになりました。工房へ伺うのも今回が初。
出会った頃の金城さんはまだ独身で、現在の奥さまとなるパートナーとともに、各々で木の匙を制作しながらお二人でクラフトイベントなどにも出展されていました。その後お二人はご結婚、お子さんが誕生し三人家族に。
奈良から岐阜の中津川へ工房を移されたのは2016年ということで、移転10年目の時を過ごされています。
心待ちにしていた取材日。金城さんの奥さまとも再会でき、手作りのお昼ごはんをご馳走になり(料理に添えられたカトラリーはもちろん金城さん作のもの)、仕事場へとご案内頂きました。ご家族と暮らす母屋があり、材料置場の一棟、そして作業場としている一棟が同じ敷地内に並んでいます。制作環境も今ではかなり整ったといいます。仕事場には制作のイメージソースとされている古い匙類、図録や美術本があり、木工機械、刃物の研ぎ場に囲まれた大きな作業机の上には彫刻刀や刃物類が並んでいました。匙制作の一部を丁寧な解説付きで間近で拝見できるという時間はあまりにも興奮が過ぎて、胸が高鳴りっぱなしに。
そして今回の展覧会にあたり、普段の制作のことから今の代表作とも言える大匙への思い、現在の住環境についてなど、長時間に渡りお話もお聞かせ頂きました。今回はお話の一部を抜粋しインタビューとしてまとめました。
続けていられることは当たり前じゃない
───刃物のお手入れっていうのは定期的なペースでするんですか?それとも刃物の状態を見てですか?
金城:研ぐのはもう切れなくなったらとか、欠けちゃったから研ごうとかという感じですね。やっぱり堅い木を削っていれば早く切れなくなっちゃう。仕上げの刃物は研ぐスパンは短いです。荒削り、荒加工用の刃物は割と切れなくなるまで使えますけど、仕上げ用のものはちょっと切れなくなったなと思ったら研ぎます。
───さっきはお子さんの名前入りの南京鉋がありましたね。
金城:ありましたね。これか。これはね、僕より若い人で、最近こういう南京鉋を作って売ってる人がいて。基本は木工家なんですけど、刃物の加工とかもできるそうで。この刃物はいわゆる日本の打ち刃物、職人が手で打った刃物ではないんです。工業鋼っていう工業用に作られた鋼で、それを成形してこういう刃の形にして南京鉋にしてたりするんですけど、その子から買った時にレーザーで名前も入れられますよ言ってくださって。たまたま子供が生まれた年だったので入れてみるかと。そういう感じで、割と若くて、今までいないような観点から道具部門を支えようとしてくれてくるような子たちとの出会いもあります。
───嬉しい、未来が明るくなるニューウエーブですね。そういった道具類などのハード面でも新しいアプローチなり歴史が作られるのは、物づくり全体にとっても非常に心強い。
金城:そうですね。僕はなんとなくこういう仕事を始めて、なんとなく漠然と食えるように少しなってきて…というような感じでやれてるんですね。ただ…最近、例えば有名なお店が閉店するとかそういう話も聞こえてきて。この時代の中で僕はなんとなく続けて来られているけども、実は結構貴重なタイミングで、だからこそこういう仕事をやることができているんじゃないだろうかっていう。そして、それがいつまでできるのかなっていうようことを考えることがあります。それは何も不安というものではなく、だからこそ今いいものを作る面白みがあるというか。今しかできないという感覚。クラフトって他の国から見ても日本はものすごく盛んだと思うんです。木工とか陶器とかに関わらず。それで、もしかすると将来的に、この時代のこの日本でクラフト文化がものすごく濃く、熱くあったみたいな感じの昔話にいつかなるんじゃないかと。だからこそ今すっげーいいもの作って置いといたら、この時代やばかったねと、そういう感じに残ってほしいなって思う。だからとにかく続けていられることは当たり前じゃないと思いながら。今できる限りのことをやりたい思うようになっています。
───なるほど、やばいもの。やばいものといえば一見して大匙はものすごく突き抜けた感じの造形作品でちょっと他にない感じ。これは未来の人も驚いてくれるかもしれないし、現在進行形の作家としての金城さんの代表作と言ってもいいのではないかと思っています。
金城:大匙。
───はい。存在感があります。一方でその大匙の存在の土台にあるのは、日常の食事用のお匙という堅実で確かな技の冴えが欠かせない職人的な仕事でもあるし、どっちも残っていきそうなやばいものかもしれない。
金城:なんかその、やっぱり感覚的には全然違うんです。大匙と食事用の匙を作る頭の動き方というか。大匙を作っている時と定番の食事用の匙を作っている時では、言うなればノリが違うんです。大匙ばっかりずっと1~2週間、3週間も作っているとアドレナリンが出るというのも言い過ぎなのかもしれないんですけど、ちょっと興奮しているような、次は何にする?何にしよう?っていう感じで。定番のものを作っているときはどっちかというとシューッと淡々と沈んでいくような。とにかくノリは違っていて。で、大匙作っているとシューッという作業がやりたくなるし、定番の匙ばかり削って細かいところを狙っていくようなことをやってると、ザクッとした大匙をまたやりたいなっていう。結構そういう意味ですごくいい感じのバランスは、大匙作り出してから生まれていて、お互いの制作にフィードバックがすごくあります。
───近年はこの2つの関係性が支え合っているように見えますね。大匙たちは何かこうグルーブ感を感じます。いつの間にか大匙は名前の通り大きな存在の作品となってきていますね。最初は「時々制作されてはるな」と気になっていたんです。
金城:そうですね、そのくらいの感じでした。でも考えてみたらいろんな形のティースプーンなどを作ってたのが一番最初だったんです。だから元々その気があったというか。変わった面白いものを作りたいなというのがあったんですけど。スプーン一本で食べていこうと思った時に、普通の使いやすいスプーンがまず核にないとちょっとおかしいでしょと思ったからそっちにずっと集中してたというところがあったので、その流れの中でその点が少しはひと段落した、だからこういう風になったのか。分からないですけど何となく原点に戻っている感は少しあったり。
───感覚のどこかで求めていたものが、はっきりとした像を結んで掴むことができ始めているのでしょうか。一度百職の企画展に参加して頂いた時の在廊時に、「この展示の後に大匙だけの展示をお願いします、と言われてるんです」という風におっしゃってた時があったのですが、その展覧会でいっぱい作ったのかな。
金城:そうそう。でもあれは結局大匙だけじゃなかった。
───そうだったんですね。
金城:大匙がメインという感じで、宙に浮くような感じで大匙をわーっと壁一面に展示してもらって。空間的にはすごく面白かった。自分自身がまだ大匙にそんなに慣れてないところもあったんで、こっぱずかしい感じがあったんですよね。わーっと並んでるの見て、今よりこっぱずかしかった感じ。大匙作るようになってからは結構これが目立つし目を引くので、展示の時とかもパッとやったらお客さんも目が引かれたりとか目立つような展示の仕方をしてくださるお店もあって。特に最初の大阪でのやつはすごい恥ずかしい感じがありました。
───今はまた少しずつ大匙や定番の匙などに新しい感覚を覚えたりしますか?
金城:そうですね、大匙もやっぱり自分の中ではどんどん良くなってきてる感じがあるので、自由に作って、いいも悪いもないんじゃないかって気もするんですけど、質が変わってきてる感覚を自分では持ててるので。だからまだ続けられる感じがあるというか。同じことでも前より良くなってきたなぁと自分に対して思えています。
───成長を感じられる瞬間があるって得難いですね。大匙と食事用匙は補完関係なのかな。大匙はとにかくどれも伸び伸びしてるように感じます。大雑把という意味じゃないですよ。作家の中ではある程度の緻密さを持って作っているんだろうなとは思いますし、見る側の立場としていうならすごくどれも伸び伸びしてて、どれにも良さや見どころがあるから、楽しさを見出してもらえそうな感があります。
金城:楽しいなと思ってもらったら一番いいね。
───純粋に「どれが好きだろう」と、すごく向き合いやすいお匙…そういう作品群やなって思います。そして根幹にあるのは、毎日の暮らしで心底使いやすい定番の食事匙の存在。我が家では常に金城さんの匙類を使っています。本当に使いやすいから手が伸びる。刃物のみで仕上げた楓のなめらかな質感。これを知ってしまうと、ちょっと他の素材であったり、サンドペーパー仕上げの匙では口当たりにザラザラしたものを感じるようになってしまって。金城さんの食事用の匙類には中毒性があります。
金城:自分で使ってるともうわかんないんです。そういうのは言って頂かないとわからない。嬉しいです。
住環境の良さ
───改めてですが初めてお会いしてからお互いずいぶん歳月が経つわけですけれど、以前は気にならなかったことで、今は気をつけるようになったことがあれば教えてもらえますか?仕事のことでも、日々の生活の中でもどちらでも構いません。
金城:最近気をつけ出したっていうのは身体です。健康とか。今年齢44ですけど、去年あたりから病院に行く回数がちょっと増えたりとか。今までそんな病院に行くことすらあまりなかったんです。でもちょっとしたことで眼科行ったり皮膚科行ったりとかそんなのが出てきたんです。
───なるほど、そこは気をつけたいですよね。長く続ける土台、基礎ですしね。
金城:やっぱりね、どうしてもずっと制作しているので、作っている最中の姿勢が良くない。身体のためにといってこの辺をちょっと散歩で歩くとめちゃくちゃ目立つんです、田舎って。ちょっと徘徊してる人がいるぞって。だから気軽にしづらくて。筋トレだったりとかラジオ体操とかは毎日やってるんですけど。作家らしくもっと仕事や制作面の気をつけたいことを言うべきなんでしょうけれどすみません。
───いえいえ。健康維持は仕事にも通じることで。木工やってる人だと目は大事にしたいとおっしゃる人もいます。ただ目だけじゃなくて心身ともに健康でありたいのがお互い気になる年齢になってきましたね。さきほどこのお住まい周辺のことにも触れられましたが、奈良から中津川に10年近く前に移住されましたよね。引っ越してきてよかったことはもちろんたくさんあると思うんですけど、まず一つ挙げるんだったら何ですか?
金城:住環境ですかね。アパートじゃない一軒家。仕事も暮らしも全部ここにある。
───住まいの敷地内に工房があるという距離感もすごくいいですよね。住居とつながっているわけではなく、ドアツードアですぐ行き来できるところが羨ましい。以前にも、ここに引っ越してきた時にどうやって探したんですかと確かお聞きしたと思うんですけど、もう一度教えて頂けますか。
金城:前は奈良に住んでいたんです。奈良でも一軒家を借りていて一つの部屋を工房みたいな感じにしてやってました。今も機械はそんなにたくさんないんですけど、今ある機械も奈良の頃は持ってなかったし、大きな加工は借りに行ってやっていたりしたんですよ。ただやっぱり自分のところにあった方がやりやすい。ということで新しい場を探し出しました。以前は奈良市内の街中に住んでいました。だから次というと奈良の外れや田舎のほう、岡山とかも行ったかな。関西周辺でいいところがあればという感じで探してたんですけど、たまたま妻がインターネットでこの物件見つけたんだったかな。木工を学んだ職業訓練校が木曽にあるので、岐阜は隣近所みたいな感じでなじみがあって。何度か買い物とかも来たことあったかな。一回ご飯食べにも来たかな。なじみがあるといえばあったので、見に行ってみようって来て。見学に来て、良かったのが、さっき言ったように 住環境というか、この住まいの設備の感じ。三棟あって、母屋も普通のシンプルな平屋。昭和の、可もなく不可もなくみたいな。そのままで生活と仕事が回っていく感じがすぐ想像できたんです。特にこの地域に知縁とかはなかったんですが、ここで暮らしましょうとなりました。この家を見学しに来たとき、この辺の他の空き家も何軒か見たんです。もっと古民家っぽい感じもあった。でもなんか僕たちのイメージには、一番ここが合ったという感覚があったんです。
───住居自体は特に手を入れず、工房はある程度使えるように手を入れてらっしゃいますけど、住まいは特に何かこう…
金城:何も入れてないです。
───そういうことをたくさんやろうとすると楽しい反面、手間は増えますし、何を採るかですね。
金城:あともう一つ加えて言うなら、奈良から中津川に引っ越す、少し前ぐらいに、僕結構林業に興味が向いていたんです。林業施設でバイトのような感じで働いたりしていたこともありましたし、そういう多少山に関われるような仕事が近くにあったんですよ。それで、その点もいいなと思って。今はもう手伝いに行くことはないんですが、中津川に来て3,4年ぐらい、冬のシーズンや林業のシーズンだけ週1,2とかで山に入って伐採みたいなことをさせてもらっていました。その時覚えた、例えばチェーンソーで木を切るとかそういうことは今でも普通に庭でやったりはするので行ってよかったなと思うし、もしかしたらまた行き出すタイミングがあるかもしれない。
───いろんなかたちでの財産が溜まってきて、今後も育まれそうですね。
金城:そうですね。本当に田舎暮らしって感じになるんですが、この感じは心地よかったりはしますね。草刈りとかも好きです。
───奈良の街中に住んでいた時からするとだいぶ変わるのでは。時間の使い方も。人によっては田舎暮らしを始めることで家やインテリアにもこだわりたいという方もいらっしゃいます。金城さんにとっては、ほどよく古い今のこの環境での暮らし方や、適度な付き合い方が合っていたのでしょうか。
金城:そうですね。僕らの場合は何かインテリアや古民家暮らしにこだわるのではなく、そういう意味ではだいぶ楽に暮らしています。庭の手入れぐらい。庭の手入れはしないと大変なことになるんで。リフォームが必要な家など、その辺は自分は意識的に避けたかな。やりたい人はしっかりリフォームするとか、自分たちで手を入れて家を育てていくというような楽しみ方も確かにあるだろうとは思う。僕らの場合はそういう感じではなかったんですよね。自分たちのちょうどいい具合がうまくマッチングできたっていう、今のこの住まい、住環境なのかな。それもあるから居心地をよく感じるのかも。作品に直結しているかどうかまではわからないけれど、無理せずとも安心して過ごせるこの環境がいいなと思ってます。
(了)
金城貴史さんはどんな作り手でいらっしゃるのか。
ご紹介のため、以前の記事を再掲しました。
展覧会をより深く楽しみたい方は、ぜひこの機会にご覧ください。
2021年3月企画展「ふつうの 少し先の 風景」
一問一答|“僕の製作は、木の塊から匙を削りだす作業” https://tenonaru100.net/photo/album/1019726
作品紹介 金城貴史さん https://tenonaru100.net/photo/album/1020550
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金城 貴史(きんじょう たかし)略歴
1981 兵庫県西宮市生まれ
2010 長野県上松技術専門校木工科修了
2011 奈良県にて匙の製作を始める
2016 岐阜県中津川市に移住
2021 現在同地にて制作
平野日奈子 白秋ふわり ③

通奏低音のように。
それは物事の底流に在るもので、気付かぬうちに知らぬ間に、もの全体に影響を与える。「もの自体」だけではなく、根源となるその作家自身の存在は欠かせない。それだけに作品のみならず出展作家さんのことを少しでも知って頂きたいという思いがいつもあります。
簡潔な一問一答ですが作家さん自身からの誠実な言葉と考えをお読み頂きながら、作品を紐解く手助けや愛着を深めていく入り口になれば幸いです。
今回は展覧会を行う秋のはじまりの季節にちなんだ質問にもお答え頂きました。
質問1
はじめましての方に向けての、経歴とは違う自己紹介をお願いします
───小さい頃は絵を描いたり、小説を読んだり、家にある料理本を眺めているのが好きでした。家の手伝いでお皿を出してと言われて、今日はこっちの皿でカレーをよそおうとか今日のラーメンは重い黒天目の器だとかっこいいなぁ、などいろいろ載せてみるのが好きだったのも今に繋がっているなぁと思います。
中高は美術系の学校は行って、絵画やデザインの授業もいろいろ受ける中で、ろうけつ染めや刺し子などの時間があって自分の手を動かしながら作れる工芸がしっくりいくなぁと思った時に、陶芸なら食べる事も好きだったので、ちょうどいいと武蔵美の短大の専攻で選んでから、やきものを続けています。
器をメインに、アクセサリーやオブジェなども使っています。
質問2
久しぶりの展覧会となります。百職のお客様にとっては比較的新しい印象のコバルト釉、青の釉薬、黄色の釉薬、三種類それぞれの特徴などを教えてください
コバルト釉
普通コバルトはブルーに発色するのですが、いろいろ試して今使っている土との相性でマットなグリーンになっています。紫色の食べ物(玉ねぎやブルーベリー)など少し載せてあげるととても似合います。
青
青の釉薬は15年前くらいから気になっていて、なかなかうまくいかず、調合を少し変えては試してはまた様子を見てを繰り返していたのですが、温度を変えたりしてやっと落ち着いてきました。還元落としのかかり具合で紺の中に水色や白が出てくるところも気に入っています。
黄色
釉薬が重なった所に白の結晶やもう少し濃いとピンクの結晶が出て、ちょっとした温度や釉薬の厚さでも表情が変わるのでぜひ1枚1枚比べてみてください。
アスパラとかブロッコリーとか載せると春っぽくなります。
質問3
今まで訪ねた中で、最も印象に残っている場所はどこでしょう。その時の思い出もよかったら少し教えてください
───20代の頃にケニアで活動している太鼓のグループの主催のツアーに参加して、バスで何回も乗り継いで行った村。太鼓を教えてもらったり(私は全然叩けません)夜通し太鼓や踊りの儀式を見せてもらって、その後の朝日が登る前のエメラルドグリーンがかった空を丘から見たのがとても綺麗でした。
質問4
子供の頃、夏休みが終わるのは淋しかったですか?それとも学校が始まるのが楽しみなタイプでしたか?
───宿題は全然やらないタイプでしたが、ダラダラしているのも飽きるのでそろそろ学校でもいいかなぁと思っていました。
質問5
これから迎える秋で一番好きな食べ物を教えてください
───梨。近所の野菜の直売所で大きな豊水が出ると嬉しくなって抱えて帰ります。
質問6
夏の終わりや秋のはじまりで、風情を感じるのはどんな瞬間ですか?
───夜になって虫の声がにぎやかになって、夕方の色と影の色が変わってきたなと思う時です。
質問7
秋を迎えたらしてみたいことはなんでしょう?
───最近秋はわりとひたすら制作していることが多くて、いつかすごく綺麗な紅葉を見に山に登りたいと思っています。
質問8
これまで一定期間、継続して今のお仕事をされてきたと思います。自分の力でものごとと向きあい続ける中でご自身が大切に感じた一番大きなものはなんですか?
───手のひらにのせ、いいなと思えるものであったらいいなということと、おおらかなものでありたいなということです。
平野日奈子 白秋ふわり ②

多治見を拠点にする陶芸家 平野日奈子さんの個展を2019年以来、6年ぶりに開催する。数年の時を経ても、展覧会をさせて頂きたかったのにはいくつか理由がある。
ひとつに、変わらないプレーンな使い心地のよさがある。のびやかな風情と独特の愛嬌を備えた線やフォルムという個性を持ちながら、いざ料理を載せると決して邪魔をすることがない。うつわと料理が不思議なくらいの調和を見せる。うつわの中に〈日々の食事に自然と融合する〉ことを重視する自分自身にとって欠かせない条件でもあり、平野さんの器はこれまで何度も私の食卓に登場している。
ふたつめは平野さんの魅力ある人柄と生き方。とある別の作家さんの展覧会に足を運び、そこで偶然手に取った平野さんの作品。それがきっかけで平野さんからお礼のメールを頂くこととなり、そこからアトリエに伺うことになった。そこで初めてお会いした平野さんは自分と同年代で、柔らかなお人柄の中にも目指したい先を見つめ自分の作品や仕事と向き合おうとするたくましさもあり、しなやかに手を動かし続けている姿が印象深かった。そんな姿勢が好きだと感じた。
私は、彼女の作るものを信頼している。楽しみを見出しながら自信を持ってお勧めできることから、しばらく時間が空いたとしてもまたいつか自分の手で紹介させて欲しいという思いがずっとあった。今回再び念願叶って個展をさせていただくにあたり、彼女の工房に6年ぶりに伺った。制作の日々で悩むことはあっても、しなやかに仕事と向き合う姿勢は今も変わらず、新たな挑戦や仕事の深まり、陶芸以外の過ごし方などの幅も広がったようで、爽やかな表情で楽し気に話す様子が印象的だった。
───これまで真冬と真夏に訪問したので、今回の訪問(6月初め)はずいぶん工房の空気も温度も違います。
平野:そうなんです。今は快適ですよ。
───冬場の寒さで土が凍ってしまう大変さを以前お聞きしましたね。
平野:そうですね。冬は水道の水が凍りますし、土も凍ってしまう年があるくらいです。作業中に手がしびれることもよくあります。だから冬場は工房内が少し温まってから作業を始めます。今のような初夏の時期だと朝のうちから仕事もできますし、まださほど暑くないので本当に過ごしやすいです。
───陶芸家だけに仕事に必要不可欠な陶土は量も種類もたくさんあるから管理が本当に難しいと思います。
平野:相変わらず工房がすごく散らかっていて恥ずかしいんですが、いろいろな種類を使い分けるので土もたくさんあります。耐熱の土も使いますし、そうでない土もあります。粒の細かいものや粗いものなどを釉薬と組み合わせています。
───窯増えましたか?以前は窯1台だったような記憶があって。
平野:どうだったかな。奥のブルーの窯は小さいけどあると便利で。テストやったり急ぎの時用や、焼き方なんかで別の違う方法にしたい時に使ってますね。もう一台の大きい窯とブルーの小さい方では、焼き具合が違うんです。小さいので焼いた感じが良かったら小さいので焼くしかないってこともあったり。青釉は小さい窯でやらないといい色が出なくて。小さいのを何回も焚くと時間かかってしまって。還元落としを小さい方でやっているんですが、大きい方で還元落とし(陶芸の焼成方法の一つ。冷却還元とも呼ばれる。窯の温度が下がる段階で意図的に還元状態を作り出し、独特の色合いや質感、光沢などを出すこともできる)をやると釉薬がブクブクになっちゃって。
───ちょっとしたことで変わってしまうのが難しいところですよね。釉薬はこれまでと変わらずご自身で調合されていますか?
平野:しています。コバルト釉はかなり長くやり続けているのでそうでもないんですが、青い釉薬がまだ難しいです。とにかく釉薬は、濃度であったり掛け方であったり、器によっても出る具合が違ってくるので、常に少しずつ調整しながら行なっています。
───6年前の展覧会ではなかった青の釉薬のきらきらしている感じや、黄色の釉薬の微妙な色の重なりがすごくいい。器の形状によって釉薬の流れ方も違っていますね。釉調の変化が奥深くて面白いですね。
平野:ですよね。青はかなり表情にバリエーションあったりしていて。どれもきれいですし、同じ釉薬を使う中でも手触りや質感、細かい表情の違いが出るので、そういうのが自分でも好きで作りたいなと思ってます。使う人の自分のお料理によっていろいろ選んでもらえたらいいですね。

作ること、感じることと向き合う
───短大卒業後、多治見市陶磁器意匠研究所、studio MAVO(陶芸家の安藤雅信氏が若手作家支援のために設立した多治見にあるレンタル工房)での活動を経て、独立築窯されていますが、当初からまずは食のうつわを制作していこうというスタンスだったんですか。
平野:武蔵野美術短大の時代は工芸デザインにいて。デザインコースで平面っぽいのをやっていたんです。でも考えながら手で作るのも好きで、少しずつ土が向いてるかなあと思うようになりました。食べるのも料理も好きなので、自然な流れで食のうつわに気持ちが向きました。
───では食器から、飾る用途のインテリアのものにも興味が広がってきたんですか。
平野:そうだなあ。それは両方一緒というか同時にあった気がします。自分の中ではそんなに区別していない感じです。どっちも自分の中では最初から一緒にある感じですね。食べることも暮らしのものも、アイディアを練って作れそうなものは作ってみたいと思っています。
───最初の頃、東京での展覧会を拝見した時にも、すでに食器あり、花器やインテリアのものあり、オブジェ的なものもありといった感じで様々なものを作っている印象が強かったです。初期の頃に発表されていた道草花器なんかも印象に残っています。
平野:ですよね、そうなんです。せっかく展覧会に来た人がもしかしたら食器だけ見てもつまらないかなって。うつわのほかにも「ああ」って感じるものがあったら嬉しいんじゃないかと思ったんです。イメージしたり想像して作るのがとにかく好きなのかもしれません。友人にこんなうつわを作ってほしいと言ってもらうのも楽しいです。友達が「きんぴらごぼうとかいっぱい作った時に、冷蔵庫に入れて、そのまま食べる時にチンして出せるうつわがほしい」と言われた時にこれは作った器です。でも作ったらこんな感じじゃなかったらしく、べつのもののほうが使いやすいって言われて、なるほどって思ったり。でもいいんですよ、このうつわも。もりもり入れてもいいですし、真ん中に置いて余白を楽しむ感じでも盛りつけ出来るし。
───日本のうつわの形とは違う雰囲気がいいですよね。ヨーロッパの古いバスタブみたい。ソープディッシュのようでもあるし。こちらのうつわもいいですね。
平野:ポテトサラダとか盛ってもいいかな。このコバルト釉の緑のうつわはお刺身とか載せてもよさそうです。
───お洒落。お酒にも合うお料理が浮かびますね。
平野:そうですね、食事もお酒も好きだからそうなっちゃうのかもしれない。
───食のうつわに限らず全方位的に制作している平野さんですけれど、ニーズがあるからというよりはどれもご自身が好きであるからなんでしょうか。
平野:オブジェなんかも自分自身が好きです。他の方の作品でもあれこれ身のまわりに置いてます。石とか貝も集めがちです。白い壁に何か飾るのも好きですし。思わず触れてみたくなるようなものが作れたらいいなと思っていますし、自分でも惹かれます。食器やオブジェのほかにはアクセサリー(ピアス、イヤリング、ヘアゴム、ブローチ)も相変わらず作っています。器では使いにくい釉薬や仕上げもアクセサリーであれば可能だったりするところが魅力ですね。アクセサリーを展示している時に鏡があったらいいなと思ったので今では掛けるタイプの鏡や、置き型の鏡も作っています。
───様々な分野のものを作ることで平野さんの創作自体にとってもプラスに働いている感じですか。
平野:そうですね、単調になってくると実は飽きるんです。性格なんでしょうね。違うこともしたくなるんです。イベントや展覧会前に細かい作業の多いアクセサリー作りをしていて時間が無くなってくると「何やってるんだろう」と思えてくることもあるんですが、それでも一つのものばかりやっているよりはやっぱり楽しいです。
多治見の空気、これからやってみたいこと
───多治見での暮らしにすっかり定着されてもう長くなったと思いますが、最近の多治見の様子はいかがですか。お店さんとものづくりの作家さんとが交わって催事をするなどつながりを深める機会も増えたとお聞きします。
平野:多治見は割と最近変わったんです。本町通りに同い年くらいの子が新しいお店やり始めたりとか、新町ビルも若い男の子たちがやり始めたり。
───〈山の花〉さんでしょうか。
平野:そうそう。陶芸もあるし洋服も置いたりしていますよ。本町のほうも窯を作っている窯屋さんの子がお店を出したり。その前にもあるのも陶器商の方が大きなお店とレストランが入っている施設をやっていたり。そこのレストランさんが器を使ってくださっているので本当はお連れしたかったんですけど今日はお休みで。最近の多治見はかなり活性化している感じがありますね。
───古くからの産地ならではの部分を残しながら、新しい取り組みが生まれ始めているんですね。
平野:そうですね。どっちもいいですね。以前からのちょっと懐かしい感じの街の感じもやっぱり好きですし。知り合いも増えて、材料や制作のことも気軽に教えてもらったり共有できる。居心地がいいです。
───陶芸以外で今出来てないけど、出来るようになりたいことってありますか?
平野:簡単ではないけど農業は憧れています。今ベランダではいろいろやっているんです。でもそんなにはできないので。
───ベランダ菜園をやっているんですね。このパイナップルソルベに入っているミントもベランダ産ですか?
平野:そうです。ハーブもいろいろ育てています。
───ベランダでも気軽に育てられる野菜ありますよね。ミニトマトだったり。
平野:ミニトマトは今6株はあります。けっこうやる気ある感じに思われそうですね。ミニトマト、ズッキーニ、青唐辛子、モロヘイヤ、茗荷、紫蘇、ネギ、パセリと…ちょっとやり過ぎてる。
───かなり種類があってびっくりしました。広いベランダなんですね。
平野:そうなんですよ。すごい広いんです。二階にあるべランで。あ、でもちょっとぼろぼろだから見せられないです。
───安心してください、無理にとは言いません。下からでも緑が茂っているのはちらっとわかりましたよ。
平野:わ。恥ずかしい。
───水やりはどうしているんですか?
平野:部屋の中央にお風呂があるという少し変わった造りで。そのシャワーがベランダまで伸びるのでばーっと水遣りしています。雑ですよね。(作物は)少しずつ成長していって最後の最後に収穫できるのが嬉しくて楽しいんです。
───陶芸にも通じるものがありますね。
平野:ああ、もしかしてそうなのかも。そういえばこの間、八ヶ岳のほうに友人と遊びに出かけることがあって。いろいろ調べていたら近くに農業大学(八ヶ岳農業大学)があって花畑プロジェクトをするんだけど花の苗を植える人手が足りないのでボランティアを募集していたんです。それで朝行って花植えをして、すごく楽しかったです。お手伝いは午前中だけでもいいし、一日中でもいいしみたいな。すごくいい場所でした。広大で気持ちよくて。私たちが植えたところはほんの一部だったんですけど来年行って咲いていたらいいな。お花などの植物も好きなんですよね。
───ハイキングや登山などのアウトドア系のことも以前からお好きだとおっしゃっていましたよね。
平野:はい、山登りや自然はずっと変わらず好きですね。外に行くと気がつくと自然を観察しています。それが作るものへ反映されているようなこともあります。農業は憧れなのでいい場所が見つかったらいずれ取り組んでみたいです。
(了)
平野 日奈子(ひらの ひなこ)略歴
1978 埼玉県で生まれる
1999 武蔵野美術大学短期大学部デザインコース卒業
2008 多治見市陶磁器意匠研究所卒業
2008 多治見市 studio MAVOにて制作
現在、多治見市内に工房を移し制作
→HP
→Instagram
森谷和輝 清夏の入り口 ②

毎年夏に森谷和輝さんが百職で展覧会をしてくださるようになってから15年が経つ。
昨年展覧会を開催してくださったのも7月。その直前の6月に工房を訪ね、話を伺った。長年仕事や作品と向き合う中、キルンで作るガラスの材料を新しくしていく現実と課題に対して、迷いながら一歩ずつ歩み出しているという状況を話してくださった。
そこからまた一年明けた今、ガラス制作の現場ではどんな変化があったのだろうか。森谷さんに会いに、桜の咲き始めた今年4月に福井県敦賀へ向かい工房でお話を聞いてみると、少々意外な言葉が飛び出した。
バーナーワークの途上
───以前に、ガラスというものは「固まっているけれど原子構造はバラバラで本当は流体とも言える物質」というのを森谷さんからお聞きしてそれ以来ずっと印象に残っています。今年は、まさにそういったガラスの流動性を感じさせるもの…たとえばそれをバーナーワークで作ってみてほしいんですがどうですか?
森谷:そうですね…やりたいんですけどバーナーワークで何をどう作ろうかなと最近は少し頭を悩ませていることも実はあります。自分でも柔らかさを感じるものをやりたいんです。一方で自分が今バーナーの仕事で使っているホウケイ酸ガラスは硬いんです。吹きガラスで使うガラスよりも薄くて硬い。やりたいことはあるんですが柔らかさを表現するには向かない素材だなとも実感しています。硬さが見えちゃうなあと思って。キルンで作っている葉皿とかは自然に感じませんか?
───感じます。融けてながれて広がっていくガラス自身の動きを利用しているから、自然に感じるのかもしれません。
森谷:自分自身で「こういう形にしよう」とか思ってやると、自然な感じにはならない。(そばにあったオーロラグラスを指して)これも、ここをこうへこませようと思ってやっちゃうとだめだけど、たとえばガラスを柔らかくして触るだけとか、止めてみるとか。でもバーナーで融かすタイプのホウケイ酸ガラスは硬いんで、自分からグイグイいかないと形ができない。自分の意思がありすぎないほうが自然に見えるんですけどね。これ(ストローステムの脚の部分を指して)とかもこの細さの棒を作るってことに集中すると、自分が消えるっていうか。キルンみたいにガラス自身の動きでというのとはまたちょっと違う表現がバーナーで作るガラスには必要なのかなと思うんです。形とかが大事だとはぼやーっとは思っているんですけど、どうやって形を作るの?みたいなところで探っている過程です。作っているといやな形は自分でもわかるので、それを少しずつなくしていったらいいんだろうなと。うまくいかない時は休みながらやっています。(キルンワークで制作する)フォールグラスみたいなものを、バーナーで作る発想は難しいでしょうね。僕の(つくる)形っていうのではなく、ガラスの動きによって出来上がる形っていうのがやっぱりいい。
今年の展覧会に向けて
───今年の展覧会に向けてリクエストを出すなら、2021年の個展時にいつもより多めに作って頂いた大鉢。たぶんあれ以来ご無沙汰になっているんですが、お客様からもちょこちょこリクエストを頂くのでお願いしたいものの一つです。
森谷:大鉢ね。そうなんだ、お客様から。僕も好きです。大きな(作品)はいつも何かは入れたいなと思っているんですよね。あと、大鉢サイズのボウルみたいなものは前から構想してます。今回作れるかはわからないけど、前々から作ってみたいと思っているもののひとつ。
あとはお茶(まわり)のもの…sun cupは実際に使ってもらっていいねと言って頂けることが多いようなので嬉しいから、できれば作りたいなと思っています。ただどうなるかはまだわからないです。うまくいかないこともあるので。カップ類と一緒に並べられるような片口もいいかな。片口は去年の新作ですが作る回数がまだまだなので今後はもっとやっていきたいです。最近は新作が少ないです。
───そうですか?百職の展覧会ではまだ出してもらったことないものが目の前にわりと多く並んでいます。楽しい。この脚の長いのはユーモラスなバランス。不思議なうつくしさを感じます。あとこの深皿は使いやすそう。深さがあるから盛りつけの幅も広がるかな。自分用にもほしいです。
森谷:ストローステムは新作です。最初は脚になっている部分をステッキみたいに太くして面白がっていたんですけど、後から冷静になって細くしました。見ていると脚の部分がきれいだなと思って。脚を細くして、試作のものより細部をシンプルにして。プリンを盛ったりするのがいいかなと思っています。
深皿も新作です。普通の日に、毎日使いたいなというのを大事にして作ったやつです。個体差はすごいあります。

───おっしゃる通りですね。今ここに並んでいる4枚を見ても、ガラスの透明度合いなどもずいぶん異なりますね。それが面白い。
森谷:コントロールが未だにうまくいってないです。ただ選ぶのは楽しいかも。もともとクリア皿のSサイズのお皿を作っていたら焼成後に上の段の棚板にくっついていて。たまたま縁の部分が伸びて深くなったのができてきて。この深い形状や感じがいいなと思って。大きさ的には(クリア皿Sサイズと)同じくらいです。ちょっと縁だけ伸ばして。これがねかっこいいなと思っています。
あとは新たに3Dプリンターを導入してます。さっき見てもらったやつです。それで型を作り直して入れ替えていくつもりなので、その辺が自分にとっては楽しみです。

(了)
森谷和輝さんのつくるガラスはどんな種類があり、どんな方法で作られているのか。
ご紹介のため、以前の記事を再掲しました。
展覧会をより深く楽しみたい方は、ぜひこの機会にご覧ください。
「A piece of artwork with glass」
おさらい・バーナーワーク https://tenonaru100.net/photo/album/1121777
キルンワーク キャスティング https://tenonaru100.net/photo/album/1121778
キルンワーク スランピング https://tenonaru100.net/photo/album/1123844
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森谷 和輝(もりや かずき)略歴
1983 東京都西多摩郡瑞穂町生まれ
2006 明星大学日本文化学部造形芸術学科ガラスコース 卒業
2006 (株)九つ井ガラス工房 勤務
2009 晴耕社ガラス工房 研修生
2011 福井県敦賀市にて制作を始める







