読み物
As it is. ③
山の上にある工房にも連れて行って頂いた。
そこは壁はなく、屋根のみの仕事場だった。
たくさんの材料や道具が積まれ、蹴ろくろや手回しろくろ、京北時代からの灯油窯と、新たに窯職人さんに依頼し築窯した穴窯があった。
奥様の瑞枝さんが、作業スペースのそばに今年からトライしているという養蜂箱を見せてくれた。
昨年挑戦したがうまくいかず、今年は譲ってもらった養蜂箱、いわば〈中古物件〉を設置してみると、打って変わって蜜蜂たちが住み始めるように。
「人間と一緒で、古い家がのほうがいいっていう蜂もいるんですかね」
と瑞枝さんは笑う。
重なった箱に蜜蜂たちが出たり入ったりを繰り返し、初夏の風景のひとつを見せてくれていた。
山の上の仕事場には、新たに加わったキュートな仲間もいた。
茶トラ白の雄猫「しっぽっぽ」。
とても人懐っこく、高木さんや瑞枝さんだけではなく初めて訪ねた私にもしきりに撫でるようせがみ、終始甘えていた。
少しだけろくろ仕事を見せてもらうシーンがあった。
〈回転するろくろの螺旋の力をつい押さえつけてしまいがちだが、上に伝わる螺旋の力を利用し、逆らわずゆだねるようにしてろくろをひくと自然と柔らかな形が出来上がる〉
と解説してくれた。
感覚的にもイメージしやすく、物理的考えとしてもなるほどと納得。
理論的でろくろをひくコツがとてもわかりやすかった。
作品には欠かせない粘土も見せてくださった。
高木さんが使う粘土や釉薬材料は買ってきたものもあれば、一部は自分の手で採取してきたものもある。
使えそうな土を発見した時のワクワク感はたまらないという。
うきはにやってきてから採った土もいくつかあるということで見せてもらった。
同じ山で採掘した土でも、少し場所が離れているだけでも地層や成分が違うこともあり、採れる土も全然変わる。
さらさら、ざらざら、ねっとり…粒度や手触りもそうだし、色も水分量もそれぞれ異なり、皆個性があった。
魅力的なうつわへと変貌する可能性を秘めた材料たち。
面白そうな土を見つけるのはどこか宝探しにも似てなんだか好奇心が刺激される。
それを使えるように研究し実験する過程には想像する以上の苦労も恐らくありそうだけれども、探求していく面白さには大きな魅力を感じる。
ご自宅でも李朝時代のやきものを実際にいくつか見せてくれたが、工房では今度は陶片コレクションを披露してくださった。
留学した青松窯で拾ってきたという白磁の陶片。
高木さんが試しに叩いてみせてくれる。
すると硬質の物は澄んだ音がする。
少し甘めに焼かれてた軟らか手のものはやや鈍い音が響く。
内側に、青海波模様の叩き板の跡が残る唐津の陶片も、こんな作り方が成されいるのかという驚きがあり興味深かった。
土の個性を見極めながら、どんなふうに形や厚み、焼きなどが考えられ、制作し工夫されていたのか。
その当時の考えや試行錯誤。
いくつもの陶片に触れることは、当時の陶工たちと対話するかのようだった。
高木さんは、李朝や高麗の形状を単純に写し取るのでもなく、現代の暮らしの中での流行や使いよさのみを表現するのでもなく、自分自身を見つめ、自身のうつわづくりの根幹を成すものを誠実に学び、思考を咀嚼し、自らの内に落とし込んで自分が感じたものを映し出すことを大切にしているのだと改めて感じた。
どこから来て、どこへ行くのか。
高木さんが体現する自然体は、古典から学び、現代社会に生きる自らの感覚も取り込み、土や天然の材料を用い、周囲の自然と寄り添っていく姿勢。
作り手とともに作品も変わりゆくもので、京都からうきへと移ったことで生まれた変化は、うつわとしてどんなふうに形になるのだろう。
展覧会がとても待ち遠しい。
(了)
高木 剛(たかぎ・ごう)作歴
1978年 鹿児島に生まれる
1998年 山梨県にて陶芸を学ぶ
2002年 東京都江東区にて制作を始める
2008年 京都市京北町に移住
2012年 韓国 青松白磁窯にて短期研修
2020年 福岡県うきは市に移窯・穴窯築窯
As it is. ②
高木剛さんは、百職がオープンした15年前、お取り扱いをお願いした第一号の作り手。
迎えた今年2024年。
百職は京都に再び戻り、高木剛さんの個展をひらく。
常設納品、二人展やグループ展の出展、それ以外でも食事したりお宅へお邪魔したり顔を合わすことも多かったのでうっかりしていたのだけれど、改めて数えてみたら個展をして頂くのは実は十数年ぶりのこと。
高木剛さんは鹿児島生まれ。
1998年より山梨の陶芸家の師匠の下で修業時代を過ごし、2002年に独立し東京へ。
その6年後の2008年、京都市京北町へ移住した。
2020年にうきは市へ移住。
一方、偶然にも同じ2008年、私も東京から京都へ移住した。
高木さんと出会ったのは、京都へ来てすぐの頃。
百職を始める前のことで、実はこの時点では、うつわ店をやろうという考えは一切なかった。
たまたま京都のクラフトイベントで、若手職人グループの作品販売の手伝いに来てブースにいると、すぐ目の前のブースで高木さんがうつわを販売していた。
土味のよい粉引や刷毛目、ビードロ釉などのやきものを並べているのに惹かれ、覗いてみた。
その中に、土器と思しき蓋物があり、プリミティブな雰囲気と一風変わったフォルムが珍しく、とても気に入り購入した。
今思えば、あれがすべてのきっかけになったのだと思う。
そして2020年。
高木さんが京都からうきはへ移ったのと同じくして、百職も京都から神戸へと移転した。
不思議なことに、人生の節目節目が、高木さんと私(百職)は重なるのだった。
今回の個展の機会。
高木さんがご家族と新たに移り住んだ福岡県うきは市の住まいと工房を初めて訪問した。
高木さんが暮らすうきは市吉井町は、江戸時代には豊後街道の宿場町として栄えた地域。
久大本線の駅を降り、地図に従って歩くと立派な古い建物が徐々に目につくようになった。
漆喰の白壁が美しい蔵や、旧い商家を思わせるような建物の数々。
あとから調べると、この辺りは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている場所だった。
また、豊かな川幅と澄んだ水を湛えた巨勢川も、思わず橋の上で立ち止まるほど印象的だ。
歩き始めて十数分。
庭木が豊かに茂った小径の先に建つ一軒の民家にたどり着く。
高木さんのお住まいだった。
インターホンを押し、こんにちはと告げると、中から「早かったですね」と玄関ドアが開き、高木さんが顔を覗かせた。
いつもの穏やかな笑顔で、少しではにかむような表情を迎えながら出迎えてくださった。
ドアを開け中に足を踏み入れると、入ってすぐの室内は白い壁や建具で明るかった。
台所カウンターの向こうから、高木さんの奥様の瑞枝さんも
「久しぶりですねえ」
と笑顔で声をかけてくださる。
初めて訪れたうきはのお住まいは、どこか懐かしさを滲ませていた。
縁あって手に入れた古い民家を、数年に渡り京都とうきはを行ったり来たりして、大工さんと少しずつ少しずつ相談しリノベーションを進めたのだという。
京都の京北時代の住まいは農業地区の古民家で大きな平屋で、家の反対側の窓は山に面してかなり陰影の濃い環境だった。
それと比べるとうきはの家は住宅地にあり、よく陽が入り、風も抜けていき、明るさがあった。
異なるところも多い反面、家のあちこちに古いものがあしらわれて大切に使われていたり、たくさんのふだん用の食器(そのほとんどは高木さん作)が台所に置いてあるところは変わることなく、高木家の住まいの空気は確立され、安らぎに満ちていた。
新緑の緑が彩る庭に面した縁側には、京北時代からの愛犬の小麦ちゃんがいた。
15歳の高齢ながら、黒くつぶらな瞳はいきいきと光っていた。
まだ元気にしているのか、来る前から実はひそかに気にかかっていて、また会えたことがとても嬉しかった。
楽しみにしていたもののもうひとつは、ガレージだった建物を改装し作り上げたギャラリー「李椿(りちゅん)」。
月に数日だけオープンし、高木さんのやきものと瑞枝さんの焼くパンや焼菓子を置いている。
来訪した私たちのために少しだけお店を見せてくれた。
近作から京北時代の作品も並んでいた。
少し広い時間軸での高木さんの仕事の変遷も感じながら眺めることができたのも個人的に嬉しい出来事だった。
そこで改めてこれまでの来歴にも耳を傾ける中で、クラフトフェアへの出展の話題も出た。
「受験勉強じゃないけど、敷かれたレールの上を皆と同じように行くのが果たして自分にとっていいのかどうか、疑問を持つようになった」
と話した。
出展を果たすことにはいろんな意味がある。
特に、以前は今よりも有名なクラフトイベントの選考に通り出展することが若手作家にとっての登竜門、或いはステイタスであったり、または名刺・経歴代わり的な意味合いが大きかった。
高木さんはそういったことに疑問を持ちはじめ
「では自分は、何をどう選択しようか?」
と考え始めたという。
時を同じくし、興味を持ち始めた李朝白磁と不思議な縁が生まれる。
さるギャラリーさんから、韓国青松郡にある青松白磁窯へのレジデンスプログラムを紹介されたのだ。
高木さんは短期留学を果たし、本場の李朝白磁に触れることになる。
とても短い期間だったが、実際の制作の場を目の当たりにし、土に触れ呼吸し五感をフル活用し、可能な限り吸収したことが大きな分岐点にもなったという。
青松で見たうつわの中でも、高木さんは祭器の高台皿に惹かれた。
向こうで見たのは磁器で作られていたものだったが、これを今まで自分がずっと取り組んでいた粉引でやってみようと一念発起。
研究と試作を繰り返して発表した高木剛さんの粉引高台皿は、徐々に広まり知られるようになり、今では代表作となった。
写真は最初期の頃の高台皿で今とかなり形状や釉調も異なる
自分だけの道、自分が決める道。
自ら発見し試行錯誤し、重ね、独自の作品を生み出す。
「自分の軸」を、時間をかけ粘り強く探求する高木さんの姿勢が鮮やかに心に残った。
ちょうどお昼ご飯時となり、お昼をご一緒しましょうというお言葉に甘え、瑞枝さんが以前と変わらぬおいしい手料理でもてなしてくださった。
瑞枝さんのお料理は五味が調和し季節感があり、いつも瑞々しく高木さんのうつわに盛り付けられている。
目で楽しむのも食事の大きな醍醐味のひとつ。
思いっきり堪能させてもらう。
食後のコーヒーを淹れてもてなしてくれるのは、高木さん。
これも昔から同じで、ありがたみにしみじみする。
コーヒーが注がれたカップには、見事に細やかな貫入が出ていて色の変化もいいものだった。
そこから、高木さん秘蔵の古陶磁コレクションを拝見させて頂けることに。
古い唐津のうつわや白磁のうつわが次々と登場しては、見立てや考察など面白い話をいくつも聞かせてくださった。
楽しい時間はあっという間に過ぎては流れていった。
⇒⇒⇒ 後篇へ続く
As it is. ①
百職では2019年のグループ展参加以来、
誰もがささっとカジュアルに使えます、という雰囲気のうつわかというと少し話は違ってくるか
朝鮮の李朝白磁や粉青沙器。
日本の古い粉引に唐津のうつわ。
このような古典的なやきものから学び続け、
海を超え時を超えた様々なアジアの古陶磁たちが持っている「
古い時代のやきものを徐々に紐解き解釈していくと、
どこかの国のどこかの時代。
どこかの旅路のほとりで出会ったことがあるような。
深いところに刻まれた遥かな記憶を柔らかく刺激する。
高木さんの手がける自然体の、ありのままのうつわたち。
古陶磁のおおらかさや愛嬌を漂わせながらも、
長年住まわれた京都から、
変化していく日々の波の中、
どうぞこの機会に楽しみにお越しくださいませ。
春日静座 ④
道一さんは
「俺は山野草かな」
そんな自然が近くにあることが贅沢にも映る。
吾唯足知(われ、ただ足るを知る)。
春日静座 ③
改めて
知子「斜面はでもきついの」