読み物
With a warm feelings ②
su-nao homeというブランドを立ち上げ、陶器の黒いうつわを作っていらっしゃる松本圭嗣さん。
常設でお取扱したことは今までなく、今回の二人展で百職では初お目見えとなります。
ただ以前からsu-nao homeさんのうつわとお名前は知っておりました。
あれは2015年の「灯しびとの集い」。
作家さんの販売の手伝いしていた時、隣のブースで出展されていたのがなんと偶然にも松本さんのsu-nao homeさんでした。
松本さんのブースは二日間とも大人気で大賑わい。
(あの頃は確か生まれたばかりのお子さんも連れておられたような。ブースも忙しそうでしたが、お子さんのミルクやおしめなどでたぶん奥さまが慌しくされていたことをなんとなく覚えています)
どんなうつわかちょっと覗きに行きたいなと思いつつ、ほぼずっとお客様でいっぱいの状態で中々見ることができず。
それでもようやく隙間から覗いてみると本当に黒いうつわだけ。
黒のみに絞っているところが逆に見る人には伝わりやすく、色を絞ることで多彩なフォルムがいきいきして、サイズ展開の豊富さもありすごく使いやすそうでした。
あとはおぼろげな記憶ですが、うつわ自体が今よりもほんの僅かにまだ厚みがあったような気がします。
シンプルなものは、うつわ自体の厚さや薄さ、ほんの少しのリムの角度や口辺の口作りの角度などでぐっと印象が変わります。
もっと洗練されていったら、これからどんどん黒の映える美しいうつわになっていくんだろうなあ…などと生意気なことを思っていました(すいません松本さん…)。
そして実は、その時にも一度お店として声をかけてみようかなと、灯しびとから帰ってきてからしばらく考えている時期がありました。
でも当時の百職は今以上にまだまだ未熟なお店だったので取扱作家さんを増やすことに不安を感じていました。
もしお付き合いさせてもらえたとしても、ちゃんと作品を見て意見を伝えたり、一緒になってより良いものを作るお手伝いができるだろうかと私自身が店主としていまいちまだ自信が持てない頃でもありました。
そうして結局踏み切れないまま時は過ぎ。
2019年の6月、陶芸の井上茂さんの個展開催の折。
思わぬ出来事が。
井上さんと交流があるとのことで、なんと松本さんが展示をご覧になりにいらしたのでした。
その際、松本さんは「B品ですがよかったら使ってみてください」と小鉢をくださいました。
2015年の時は手にすることができなかったうつわ。
松本さんから頂いた時、その時は何も言わず態度にも出さずでしたが、
「運命ってやっぱりあるのかもしれない」
と感慨深く心の内側があたたかくなったということは、今本当にはじめてここで書きました(松本さんにもまだ話していません笑)。
松本さんが作るsu-nao homeのうつわ。
とても細やかに気持ちを行き届かせて作られている食器です。
一見些細に思えることでもそのささやかな気づきの積み重ねや集積。
それが、うつわの姿となって仕上がり、それがすべてとなって還ってくる。
それがあるから、使う人も扱いやすく安心して気持ちよく使うことができる。
あの頃よりもますます美しいシルエットやディテールを感じています。
皆さんと一緒に私自身も、これからsu-nao homeさんのうつわの魅力を発見していきたいです。
su-nao home |松本圭嗣 略歴
1973 京都市生まれ
1995 アメリカ サウスダコタ州 Dakota Wesleyan University で陶芸を始める
1998 追手門学院大学 経済学部卒業
2000 多治見市陶磁器意匠研究所 修了
2000 板橋廣美師事
2004 大阪高槻市に「やまぼうし工房」設立
磁器の制作及び陶芸教室を主宰
2015 陶器ブランド「su-nao home」を立ち上げる
(HPより抜粋)
With a warm feelings ①
序
私の母方の祖父母は、
絵に描いたような寡黙な職人の祖父だったが、
「1ミリもぶれない仕事を人間がやるのはすごいことだけど、
人がやるどんなものにもそれぞれ違う僅かなぶれや歪みがある。
それぞれ違う僅かなぶれや歪みにも臨機応変に対応できるのが人の
誇っていい仕事だと思うんだな。
三脚立てりゃあきっちりした写真が撮れるが、
揺らいだ写真には撮る人の呼吸も写っていて、
そういうものかと聞いていて、今ではすっかり刷り込まれた話だ。
あれから時代は移り変わってはいるが、
原料からガラスを自家調合し、
端正な磁器を手がけていた感覚が生かされた、
どちらも強い作家性や主張を声高に叫ぶ作風ではない。
それぞれが作るものの中に現れる独特の「揺らぎ」
じっと見つめると見えてくる、耳を澄ますと囁いてくる。
フォルムや質感、色合いの揺らぎは、
やきもの、益子、近藤康弘 ⑥
今回、近藤さんにロングインタビューというかロングモノローグを頂いた際に、今回、或いは今後の釉薬について少しお話をお聞きしました。
この辺りにも新しい展望が窺えて、ちょっと今後も見据えながら楽しみです。
マニアックですがお好きな方はどうぞ。
近藤「最近の心持ちってのがあって益子の伝統釉をもう一回ちょっと使ってみようかなって思い始めてて」
並白 なみじろ|透明釉
糠白 ぬかじろ|籾殻を使った白い釉薬
益子青磁 ましこせいじ|糠白に銅を足した青~緑系統の釉薬
柿釉 かきゆう|益子で産出される芦沼石100%の赤みのある釉薬
黒釉 くろゆう|柿釉に灰と籾を足した黒味のある釉薬
飴釉 あめゆう|黒釉に更に灰を足した飴色系統の釉薬
近藤「ここら辺が定番の釉薬かなと思ってて。
最近益子黒の釉薬を作ってみたくてテストも終わったんで展示会にちょこっと出せたら。
あと糠白、白の。
糠って字は米偏に康で。米食ってる康やぞって昔言われて。それを最近思い出してて使ってみようかなと思ってます。
良い悪いは置いておいてうまく使いこなせてるのとかも置いておいて、これから使ってみようかなと思ってます。
三彩には、飴と織部釉(透明釉に銅を足したもの)を使ってます。
今後もう一回見つめ直していきたい。
意外に益子でやってる人は少ないんで。
素朴な感じが好きです」
(了)
やきもの、益子、近藤康弘 ⑤
“人生の第三の変化というか、わくわくしてます”
今回2年ぶりに個展をして頂く益子在住の近藤康弘さん。はじめて知り合ったのは2012年だったと思いますが、そこから8年。
折しも世界中で新型コロナウイルスが広まり変化を促される私たちの暮らし。
この状況下。近藤さんご自身もあえて変化を求め10年以上過ごした工房から旅立ち、新たな工房へと向かうことを決めたそうです。
人生で3回めの変化と言えるかもしれないという今。
改めて今までの道のりを振り返りながら、今後に向けて胸を弾ませる気持ちを近藤さんに語ってもらいました。
○生まれて初めてのやつと、ここ1週間で二つも見たってことですごくわくわくして
まあ引越ししようって思ったのはやむを得なく出てきたことで。
コロナの影響で春先に緊急事態宣言が出て、その時に今の自分の工房をお金をかけてでも直そうって思って。
業者さん頼んで窯小屋も作ってもらおうとか。お金を借りる段取りまでして。床も剥がしコンクリ流そうとしたけどなんせ大変で。
緊急事態宣言の出た時は散歩したり筋トレしたりけっこう健康的に過ごしてたんです。
でも梅雨に入ってからおかしくなって。本当に太陽が出てなくて毎日こうね… 益子も他の人もこうカビが出たりして、自分とこも(前から問題にしていた)例のかなり湿気がすごいところだから手に負えない感じでだめになってきて。もうそれで気持ちが参ってしまって。個展も中止になり。
なんとか現状を変えたい、どうしようってなった時に、今の工房から離れて新しく探そう、家を建てよう、土地を探してって思って。そこからいろいろな人に聞きまわったり探して始めて。
でもなかなか気に入る土地、物件はないなって気づいて頭がクールダウンしていくわけなんですけど。
そこから一週間くらいしたらふと新しい物件の話が来て。携帯の電波も入らないような水道も通せない、益子のはずれにあるほとんど山の中みたいな。ただ隣近所もすごく離れているから権利関係も心配ない。
それに植物も増えてきて、そいつらも連れていきたいなって。で、そこの場所はぴったりで全部持ち込める場所で。だからもう植えたい放題です。住居スペースは完全に密閉されてて虫とかも入らないようになってて、それで奥さん安心かなって。
ただ、3日くらい前に行ったらその虫が入らないはずの部屋の中にゲジゲジのむちゃくちゃでかいやつがいてて。調べたらゲジゲジって2種類しかいなくて、そのオオゲジってほうのやつで。西日本〜九州しかいないはずなのに益子の部屋の壁にいてて。
自分でも生まれてから見たことない12センチくらいの。楳図かずおの漂流教室に出てきた気持ち悪い虫そのものっていう。そんなん出て。まあやっつけたんですけどね一撃で。でもまた改めて調べたら益虫で。可哀想なことしたなと思って。
で昨日は昨日で玄関の横に鳥が一羽死んでて。お亡くなりに。それがまた見たことない種類で。また調べたらトラツグミっていうレアなやつで。それが何故かお亡くなりになってて。そのトラツグミはヌエっていう妖怪のモデルじゃないかって言われてて、鳴き声が。夜中に悲しげに鳴くような。
姿は可愛くてきれいだったし、お亡くなりになってて気の毒でしたけど、生まれて初めてのやつと、ここ1週間で二つも見たってことですごくわくわくして。
○環境の変化でいいように作るものが変わったらいいな
人生の第三の変化というか、わくわくしてます。環境の変化で作るものも変わるんじゃないかっていうのを、やきものの学校の先生が昔言ってたんですね。
今回の環境の変化でいいように作るものが変わったらいいなと思ってます。
あと新しい場所んとこなんですけどね。山があって道路挟んで川の上流、1メーターくらいの幅の川が流れているんですけど、その川の音がなかなかいいです。落ち着くっていうか。
小鹿田焼を見に行った時に見た唐臼がいいけど俺には縁がないなあと思ってたら、今度の新しい場所なら唐臼も作れるかもって企んでんですよ。
薪窯も充分に作るスペースもあって、もうここら辺に作ろうかなって決めてて。で最近ちょっと松を切り出してる現場が益子でもあって。そこで安く売ってもらってもう薪を集め始めています(薪として使えるようになるまでは半年から一年乾燥させる)。
仕事場のレイアウトも変えていきたいですし、わくわくしますね。もう知らず知らず今の仕事場もどんどん溢れてしまって、動線が確保できなくなって身動きができなくなってて。昔の写真見直した時に全然違うなって。もっと物が少なくて機能してた。コロナの影響で自分を見つめ直した時に物を減らそうって。
これから工房と家が一つになって。来年から新たに近藤窯にしようかなと。kondo potteryで、漢字では近藤窯。新しいノートパソコン買って、でメールアドレスもkondo potteryで新しく作っちゃったんで(笑)
本当に今とこれからにわくわくしてますね。
近藤康弘(こんどう・やすひろ) 略歴
1978 大阪府千里に生まれる
1997 京都で陶芸を学ぶ
2004 栃木県益子町 榎田勝彦氏に師事
2009 益子町にて築窯、独立
やきもの、益子、近藤康弘 ④
“人生の第三の変化というか、わくわくしてます”
今回2年ぶりに個展をして頂く益子在住の近藤康弘さん。はじめて知り合ったのは2012年だったと思いますが、そこから8年。
折しも世界中で新型コロナウイルスが広まり変化を促される私たちの暮らし。
この状況下。近藤さんご自身もあえて変化を求め10年以上過ごした工房から旅立ち、新たな工房へと向かうことを決めたそうです。
人生で3回めの変化と言えるかもしれないという今。
改めて今までの道のりを振り返りながら、今後に向けて胸を弾ませる気持ちを近藤さんに語ってもらいました。
○今後はその気持ちの変化を形にしていきたいなと。言ってるだけで終わらせたくない
18歳の時に劇的に変化があったとして。今まで自分の人生、ただの普通のサッカー少年だったのがどっちかというと文化系になって。その時に1回目の変化があって。
で、民藝と出会ってからけっこう熱くなっちゃって弟子入りまでして独立までがやっぱりこう劇的で、2番目の変化だったと思います。
そして最近またコロナの今年、3度目の波が来たんじゃないかと。
気持ちに変化はありましたね。
今後はその気持ちの変化を形にしていきたいなと。言ってるだけで終わらせたくないから。
○それぞれ自分を振り返って自分の気持ちの整理したりとかそういう時間が持てたんじゃないのかな
環境の変化ってのも大きいなと。渡邊さんもね、百職さんの店の場所が変わって新たに歩みを始められましたよね。
2016年のオリンピックを見てた時に、2020年には東京でオリンピックが来るとかいってそんなに興味があったわけでもなく。
まあでもせっかく東京に来るっていう大きいことなら、自分でも何か寄せて関わりたいなって。一つ目標を作って、俺のオリンピックっていうかちょうど4年前に目標を決めて。薪窯を作ろうと。
…だったんですけど日にちはどんどん過ぎていっていくけど進まなくて。腹が決めきれなくて。窯の材料は渡邊さんも知っての通り集まったんですけどね。
隣の人が近いっていうのが気になって。煙とか焼成のパチパチいう音が夜の間中してしまうとか、そういうのを考えちゃって踏み出せない。これで始めていいのかと。
今年はじめて知った言葉でHSPって。物事にけっこう過敏になったり気になってしまう性質の人間をいうらしく。五人に一人はそれに当てはまるって言われているそうで。人によって気になる内容は違うけど、とにかくどうしても気になっちゃったことが出来るともう無視できない人。こういう業界、そのHSPの人多いのかなあとか勝手に思ってんですけどね。
だから俺もHSPなのかもしれないと受け入れるようにしたら気が楽になって。そこはもうしょうがないって思えるようになって。
隣の人に迷惑かけるかもって気になるんなら、気にならないところへ移ればいいかと。
それ気づくまでに時間かかっちゃって。
期限ばかり迫ってきて、百職さんでの今年の個展は本当は自分の作った薪窯で取れた作品を並べるって約束してましたけど、それがずっと心にあって。
結局今回は出来なかったけど、ただとにかく今後振り返った時にそれで良かったんじゃないんかなと思えるように。
焦ってもそんなにね、現状が変わったりするわけじゃないので、まあいろんなことをこのコロナ禍で、なんかそれぞれ自分を振り返って自分の気持ちの整理したりとかそういう時間が持てたんじゃないのかなって気がしますね。