読み物
With a warm feelings ⑦
“チームでやると、その火がね、使える火が多くなるんです”
とりもと硝子店さんは、ガラス作家の荒川尚也さんの工房「晴耕社ガラス工房」で長くスタッフとして働いていた鳥本雄介さん・由弥さんご夫婦が営んでいます。夫婦であり、良き制作パートナーでもあるお二人。
百職に初めて届けられたとてもプレーンな姿かたちのコップ「フリーカップ」が個人的にとても気になって、これについてお聞きしたところ思っていた以上の思いがここには込められていました。
後篇はフリーカップを中心としたインタビューです。
○フリーカップのこと
練習のために作り始めたコップで、大事にしてるコップというかね。あれでいろんなことを今でも確認してるというか。ガラスの生地の柔らかさとかもきっちりやっとかないとすぐ野暮ったくなるんで。
なんかかっこいいのができる時はね、何も考えなくてもかっこいいのができて。そのためにいろんな準備をしとかないとかっこよくならない。きっちり押さえるとこ押さえないと。そういうのがね中々。
いけると思ってたけど、あれ?今日ダメだねとか。それはなんでだろうというのを検証して。むしろどうにでもなるもんってあるんですよ。割とどんな感じでもなんとかなっちゃうっていう。うちの場合、少ないんですけどね。ごまかそうとしてないんでね。ごまかしてやっちゃったらうまくなんないと思ってるので。お客さんに納得してもらえるようになりたいけどまだまだね、押さえないといけないとこがたくさんあるけど、せめてね今ね、今作っててこれいいね、かっこよくできたねと思うもんで安定させたい。まだね、なんかそんなこともいかないですよね。早くそこくらいになりたいんだけど。そこってたぶんずっと動いていくとこやから。いつまでもそんな風に思っちゃうのかなと。階段のぼってって、けっこう上に来たなって思っても、その時思ってた上のほうっていうのは実は下のほうだったりするんだよって。たぶん皆さんそんな感じなんだろうと思いますけどね。
僕がやりたかった当時のコップっていうのが、同じように作ってるつもりだけどどうしてもブレるっていうかね。同じものをしようと思ってもできないって、どうやればいいんだろうなと思って。
出来るだけ均一に同じものを作ろうと思うものがフリーカップであったのに対して、絶対に同じようにやってるつもりでももうちょっと揺らぎというか誤差というかブレというか…なんて言ったらいいんやろ、まあそれでやり始めたのがアブク(アブクシリーズ)。あとはね、それまでずっとお酒を飲むコップばかりずっと作っていたのでソフトドリンク飲むコップがほしいなと作り始めたのがアブクの細。
フリーカップ作る時、いろいろテーマがあって、あんまり薄くピンピンにしようと思ったら鉄の型に当たっているとこと当たってないとこの差がすごく出ちゃうなとかね。だから気分にもよるんですけど、底にちょっと肉をためるのか、全体的に同じ肉厚ぐらいにするのかっていうのもね。やろうと思うとテーマがいろいろあって。
底のほうがちょっと肉を厚めにした場合と、底もだいたい同じくらいにした場合とでとっても印象が変わるので。どっちがいいかというわけではなくて、どっちも良かったりするんです。まあ物が違うからなあって。名前変えてもいいぐらい物が違うんです。でもどっちもいいってことにしとこうかなって。
あと、何種類かまとまったご注文をお店さんからもらった時に、たとえば丸い感じのものばっかりの時なんかは底がちょっとビシッとしたもんがあったほうがなんかいいよねって、勝手にこっちでバランスとったり。そんなこと考えて作れる時ばっかりじゃないですけど、ゆとりがある時はね、そういうこともします。お店の人が開けた時に、わ!とか、やった!とか思ってくれたら嬉しいじゃないですか。
由弥さんのつくるお料理はいつも健やかで、いつもおいしい。
吹く男は、出し巻き卵をつくるのもとてもお上手。
とりもと硝子店(鳥本雄介、由弥) 略歴
鳥本雄介 1975年生まれ。
鳥本(旧姓 酒井)由弥 1978年生まれ。
晴耕社ガラス工房に勤務、荒川尚也に師事。
それぞれ自身の作ったものを世の中に発表しながら、
退社後、2人で窯を築く。
2015年独立、開窯。「とりもと硝子店」として活動を始める。
*****
『フリーカップ
練習のために作り始めたコップは、フリーカップという名がつき、とりもと硝子店のスタンダード商品となりました。
プレーンなグラスから個性が滲み出てくるためには、たくさん、たくさん作りこむことだと思います。
18年かけて、まだ千個ほどしか作れていませんが、まだ見ぬ一万個先に作るフリーカップは、今よりも多くのことを語れるはずなので、これからもひたすら作り続けます。』
雑誌nice thingsさんにフリーカップが掲載された際に、雄介さん自らが寄せた文章だそうです。
フリーカップの由来や所以、とりもと硝子店さんが大切にしているガラスだということは、私は今回初めて知りましたが、ただその物のみを見てもどこかに何か惹かれるものがありました。
すとんとした真っ直ぐな円筒形で、何かすごく特徴的なデザインを与えられたりされているわけでもない。
ただ、そこに在る。
とりもと硝子店さんの調合したガラスが融かされ、そして一個のものとして、かたちを与えられ、そこに在る。
とても透明で、置いておいたらその場にそのまま溶けていってしまいそうなほど柔らかで豊かな質感のガラスは、ずっと前からそこにあったような感覚。
どこがとか何がとか、説明をするのが難しいけれど。
気がついたら手を伸ばして触れている、思わず使っていたと気がつくかもしれません。
往々にして、とりもと硝子店さんが作っているほかの作品たちもそういう佇まいのものなのです。
とてもプレーンで飾り気ない素の表情だけれど、その「素」のガラスを真面目に楽しみながら作っているからだろうと思います。
ごく当たり前の日々の暮らしの中にも、ちいさな楽しみや喜びを見つけて過ごしている方には、きっとこのとりもと硝子店さんのガラスたちの心地良さに心惹かれてしまうのではないでしょうか。
ガラスそのものだけでも慎ましやかに美しく、そして飲み物を入れたり料理をよそったり暮らしの中に置いてみたりすることで、ますますその魅力がきらめき始めること。
ぜひたくさんの人に感じてもらいたいです。
With a warm feelings ⑥
“チームでやると、その火がね、使える火が多くなるんです”
とりもと硝子店さんは、ガラス作家の荒川尚也さんの工房「晴耕社ガラス工房」で長くスタッフとして働いていた鳥本雄介さん・由弥さんご夫婦が営んでいます。夫婦であり、良き制作パートナーでもあるお二人。つい先日三人目のお子さんが産まれたばかり。上のお二人のお子さんもまだまだ甘えたい盛り。電話インタビューを行った際は電話越しにお子さんたちの笑い、泣き、時に叫ぶ声も聞こえてきて実に楽しく微笑ましい時間でした。主に雄介さんが話してくださり、お子さんを見ながら時折由弥さんもお話してくださるスタイルでのインタビューとなりました。
○個人ではなくとりもと硝子店、というかたちで活動することについて
雄介
「一人じゃたぶんもうすでにここまで来れてないと思うんでね。このスピードでたぶん来れてないので、やっぱりこの人たち(家族みんなの)のサポート、応援がね。」
由弥
「あなた(雄介さん)と私で出来ることは全然違うけど、それは枝葉なことであって、目指していく方法はズレてないから迷わないみたいな、船の航海でいえば…そんな感じやったんな。私の品物を、あなたが作ることに対して私はまったく疑問がなかったやん?それであなたが作ることで逆にすごく良くなったなって思うことのほうが多かったし、今はそのタイミングじゃないって寝かせてる作品も多いけど、それはそれでね。そこからのスタートだなって。」
雄介
「荒川(尚也さん。晴耕社時代のこと)さんのとこで、チームで作るという仕事があって。スタッフだけで。それが僕の中で楽しかったんですよ。そもそもガラスっていうのが、荒川さんの教えでもあるんですけど『一人でやったら無駄な火が燃えすぎるんです』っていう。で、チームでやると、その火がね、使える火が多くなるんです。同じだけ点けてても品物に変えることができる。ガラスの場合は寝てても起きてても火が燃えているので、火が点いてる限りは一つでも物を作ったほうがいいんです。
一人で5時間作ってたとえば20個作れましたっていう時と、二人とか三人で5時間やって40個や50個できましたって時にも燃えてる火は同じなんです。出来るだけ無駄な火は燃やさないっていうのはとても大事なことなんで。そういうのも合わさって、そもそも一人でやるっていう発想を良しとしていなかった部分がありますね。とりもと硝子店というスタンスにして、一人でやってんじゃないぞという形にして良かったなとすでに思っています。一人の名前を打ち出したいなとは全然思ってない。
サインもね、責任のために(作品の裏に)サインを入れてるところがあって。「誰が作ったんやこれ?」と責任を問われた時に、サインがあったほうがいいねと。うちで作ったんですと(誇るような)いうサインじゃなく、何か問題があったら言ってくださいね、という。
だから詠み人知らずでいいんですよ。だけどみんな知ってるという。誰が作ったかわかんないけどこのコップ俺も持ってる、私も持ってるとか、そういうとこに行けたら嬉しいなという。ニューノーマル。
あと、もともとは由弥さんが作ってたやつって渡邊さん、わかるでしょ?チリリとか波紋の花器とか、今回出してないけど游水の鉢とか。あれは由弥さんの。名前がね詩的なのは由弥さんです。うちのヒット商品は由弥さんが作ったやつが多いね。」
由弥
「昔作ったやつは私はもう作らんやろなっていうのはあって。自分は吹いていた(※過去形なのは由弥さんは現在育休中でしばらく吹きからは遠ざかっているためと思われる)から思うけど、ガラスが選んだ人がいるなっていう。融けたガラスが吹く人を選んでいる感じがする時があって、個人的な私の見方なんやけど、うまいへたじゃなくて、なんかこう融けたガラスと仲良く仕事するのがうまい人って見てて音楽的っていうか、お互い無理がないっていうか。見てたらそういうのがあって。私はけっこう逆にガシガシしがみついてるなあという感じが自分の中にあって。向いてるか向いてないかで言うたら向いてへんのやろうけどでもやりたい!みたいな。培ってきたもんもあるし、すごく吹きガラス愛してるから。今は自分のできる仕事をするし、また二年後くらいには吹きもまた始めたいと思うのでそれを楽しみにしてます。」
雄介
「あとね、ちっちゃいコップだとかはね、このちっちゃい人(鳥本家のお子さんたち)たちが使うかどうかっていうのを、ちゃんと正解かどうかをこの人らは判断するんですね。そういう大事な役。残酷な判定が下ります。がんばってるからとか関係ないんでね(笑)。」
○これからガラスを通じてやりたいことについて
雄介
「今、灯油使ってるんですけど、天ぷら油の廃油を燃料に入れていこうと。しないといけないなと思ってること。ちゃんとクリアしていかないと。あとは一緒に働く人と出会えたらいいなと。自分らだけでは辿り着けないところに行けるでしょう。そうしたらきっと、さっきの火を燃やさないとってところにも繋がるんですよ。
(※最近とりもとさんは、お客様のもとで割れてしまったとりもと硝子店作品があったら取扱店に持ち込んで頂き回収し、融かして再利用するという試みを始めています)
割れたのを回収させてもらうことでいいことは、いっぺんガラス化したものを融かすほうが温度低くても融けるんですよ。調合した原料のほうが高温で焚かないとガラス化しないんですよ。それだったらちょっとでも回収してゴミも減るっていうのと、悪いことはないなと。持ってきてくれる人も「これはゴミじゃないんだな」と思える。そういう活動をしているってことをまず知ってもらうのが大事かな。
あまりガラスのことをご存知じゃない方でも『え、これ割れてもまた融かせるの?』と知ってもらうことが増えたらなあと。」
With a warm feelings ⑤
“気持ちよく使ってもらわないと意味がないですよね”
ブランドsu-nao homeを立ち上げ、黒の陶器のうつわを作る松本圭嗣さん。比較的薄手でありながらも丈夫さも兼ね備えています。金属のように硬質に見える時もあれば、漆のうつわのような柔らかな表情を見せてくれる時もあり、その存在感は独特です。大学生時代のアメリカ留学をきっかけに陶芸の世界に入り、卒業後は岐阜県多治見市にある多治見市陶磁器意匠研究所へ。その後は磁器のうつわやオブジェの世界で制作を重ねながら2004年に大阪のご実家の一角にある工房で陶芸教室を始めます。そして2015年に今のsu-nao homeをスタートさせます。磁器から陶器へ、そしてろくろ成形からタタラ成形へと技法も転身。経歴を見ると、大胆で思い切りがいい方なのかな?と印象を受けるかもしれませんが、お話からは緻密な考察や細やかな感受性、そしてあたたかなお人柄の一端がちらりちらりと垣間見えました。
○お客さんを見ていて、使ってくれる人を見ていて
歳とったのかなとも思うんですけど、なんか僕結局喜んでもらえたことが、人に喜んでもらえることが喜びやなと思うんですよ、今は。(su-nao homeを始める以前)オブジェとか磁器やってた頃は自分が喜んでたんですね。今はsu-nao homeのうつわを使ってくれた人が喜んでくれたら嬉しいな、と。そんな感じで。それに自分の作りたいことも追求できて。ありがたいことだなと。
多治見にいた頃は、けっこう競争やったんですよ。誰が売れていくか、有名になっていくかみたいな。そういうとこがあったんですね。ついていた先生自体もそうだったし。そういうもんだと思ってた。で僕、そこから離れて大阪に来て。離れてみると気持ちも楽やし、心地もいい。今は周りの陶芸やってる人じゃなくて、お客さんを見ていて、使ってくれる人を見ていて。別の違う世界があった。それでまた作ったものを買ってもらえてるいるからね。本当にありがたいなと思います。
○「満足」を買ってもらっていたり使ってもらったりしてる話
僕たちの仕事って「満足」を買ってもらっていたり使ってもらったりしてる話でしょう?気持ちよく使ってもらわないと意味がないですよね。お客さんが、もし(うつわの)形が気になるとかあればすぐ気持ちよく替えますし。そうしたらお客さんも気持ちよく買えるし「気持ちいい対応してもらえたなあ」って思う体験が価値になるっていうか。それが先につながっていく。そういう話なんかなあと。
あと陶芸教室を始めた頃ね、いいものを作ってもらおうと思ってたんですよ。今は楽しんで帰ってもらおうと思ってて。満足って、人それぞれ違うから。いいものを作りたい人も来るし、遊びたい人も来るし、息抜きしたい人も来るし、その人が楽しかったなあと思って帰ってもらえたらいいもの作れるより大切やなあと。女の人のほうが「感情のいきもの」とかいうけど、人間ってどんな人でもどちらかというと感情とか感覚を大事にしてるんちゃうかなあ。
su-nao home |松本圭嗣 略歴
1973 京都市生まれ
1995 アメリカ サウスダコタ州 Dakota Wesleyan University で陶芸を始める
1998 追手門学院大学 経済学部卒業
2000 多治見市陶磁器意匠研究所 修了
2000 板橋廣美師事
2004 大阪高槻市に「やまぼうし工房」設立
磁器の制作及び陶芸教室を主宰
2015 陶器ブランド「su-nao home」を立ち上げる
(HPより抜粋)
*****
文中、タタラ作りとか型作りという言葉がよく出てきます。
これはsu-nao homeで採られているうつわ制作技法のこと。
タタラ(タタラづくり、型づくり、板づくりなど他の呼び方もある)は粘土を板状にし、均一な厚みを利用し作品を成形する技法のことです。
かたまりの状態の粘土を糸を用いて切って板状のものをまず作ります。
あとは作りたいものの型に沿ってかぶせたり、型の中に押し込むなどして成形します。
塊の状態からろくろで挽いていく中で厚みを構築していくろくろ成形とは異なる点です。
熟練のつくり手はできるだけ均一な厚みに挽いていきますが、それでもほのかな凹凸がろくろのリズムとして表面に出ます。
この、板状にした比較的均一な厚みの板土から作られているという部分でも、su-nao home独特の端正で淡々としたトーンが出来上がっているのではないかと思います。
プロダクトのうつわに近いような佇まい。
それでいて、土からのゆらぎ、焼成からのゆらぎ、松本さんの手仕事の呼吸のかすかなゆらぎを感じます。
風にそっとたゆたうかのような輪郭やうつわの口辺のささやかな角度。
独特の黒い色も。
それぞれがそれぞれの黒の濃淡を持っていて、陰影も感じます。
食卓をシャープにモダンにまとめ上げてくれるので洋のお料理は一段とかっこよくお店風に。
土もののうつわや漆のうつわなどと合わせると、柔らかな気配をまとって、しっとりと和の料理を引き立てます。
松本さん自身で調合しているというこの黒い色の釉薬には一般的な黒系の釉薬よりもかなり高い配合で金属成分を入れているそう。
色合いや質感を決める大切な工程も、度々工夫とテストを欠かさないそうです。
su-nao homeのうつわの「su-nao」はその響きの通り、素直からとったもの。
かっこつけるわけでもなく、載せた料理の素直な良さをそっとさり気なく引き立ててくれます。
シンプルで、使っていけばいくほどにじわじわと、その使い勝手の良さに改めて気がつかせてくれるようなうつわ。
その黒い色も、少しずつ時間をかけてその家ごとの表情も表れてくるでしょう。
そしてもうひとつ。
仕上げとしてオイルを刷り込んでいるいるという、この質感もひとつの大
やきものはそもそも、その焼成ごとに、あるいは制作時期によって
松本さんからも
「年単位や窯単位で質感が違っている事はあると思っています。買
というメッセージをもらいました。
一見するとささやかな違いかもしれませんし、そこにオイルを刷り
それでもいくつか群れのように並んでいる姿を眺めると、オイルの
実用と美しさへの細やかな心遣いそのものが、su-nao homeといううつわの特徴だと思います。
レストランのような気分で食事を味わいたい時も、いつものふだんの家庭料理を楽しみたい時でも、ふと手にとりたくなる。
オブジェを作る世界で制作の時を過ごしていた松本さんが次に目指したのは、そっといつもの料理を支えるような脇役の、生活の道具としてのうつわ、静かな存在感。
日常にゆっくりと溶け込んでいくように、あなたのいつもの料理を楽しみながら盛りつけてみてください。派手ではなくても、ふとした瞬間に浮かぶいきいきとした料理を見れば、また手にとりたく心地良さや使いやすさをきっと味わって頂けるかと。
With a warm feelings ④
“気持ちよく使ってもらわないと意味がないですよね”
ブランドsu-nao homeを立ち上げ、黒の陶器のうつわを作る松本圭嗣さん。比較的薄手でありながらも丈夫さも兼ね備えています。金属のように硬質に見える時もあれば、漆のうつわのような柔らかな表情を見せてくれる時もあり、その存在感は独特です。大学生時代のアメリカ留学をきっかけに陶芸の世界に入り、卒業後は岐阜県多治見市にある多治見市陶磁器意匠研究所へ。その後は磁器のうつわやオブジェの世界で制作を重ねながら2004年に大阪のご実家の一角にある工房で陶芸教室を始めます。そして2015年に今のsu-nao homeをスタートさせます。磁器から陶器へ、そしてろくろ成形からタタラ成形へと技法も転身。経歴を見ると、大胆で思い切りがいい方なのかな?と印象を受けるかもしれませんが、お話からは緻密な考察や細やかな感受性、そしてあたたかなお人柄の一端がちらりちらりと垣間見えました。
○今は丁寧にできる仕事だなと
僕、タタラ始めた頃、ずいぶん簡単やと思ったんやね。それまで磁器でろくろ挽いてたくさん細かいこと気をつけながら仕上げて…に比べたらなんやずいぶん簡単やと。でも実は全然、そんな浅いもんじゃないなって始めてしばらくしたらけっこう奥深いって気がついて。そんな簡単でもなく、ちゃんとこう時間をいっこいっこかけて労力かけないとで、今は丁寧にできる仕事だなと思うようになりました。
最初は磁器と並行してたんですね。磁器作りながら黒いものを作りたいなと、釉薬のテストとか色のテストとかずっとしてて。タタラはね…型づくりは磁器では自分が思うようにできなかったんです。すごくこう歪んだりとか割れたりとか、素材の制約もあってタタラ作りでは当時はすごく難しかったんです。で陶器でやろうと思って。
○最後に焼きとか乾燥で、あとはもういいようにゆがんでくれたらちょうどいいなあっていう
素材の魅力ってあるじゃないですか。磁器やったらすごくシャープできれいで完璧な感じ。陶器は土くさいやつだったら焼きの魅力とか。で、タタラづくりはこうゆがむんですね。気持ちのいいゆがみと、気持ちの悪いゆがみがあったりして。ゆらぎというか。いいゆらぎが出せたらいいなと思っていてというのはありますね。
それにはやっぱり、すーごいきれいに作るんです。すーごいきれいに作って、で、ゆがむんです。そのゆがみや揺らぎと、適当に作ったゆがみとは、質が僕ん中ではずいぶん違って。作るときはだからほんまにね、めちゃめちゃ丁寧につくって、めちゃめちゃきれいに作るんです。で、焼いたらちょっとゆがむ。少しロスも出るんですけど、それで気持ちのいい、心地いい揺らぎが出るんです。焼く前まできれいに作るのが大切で。
機械で作ったらあんまりゆがまないですよね。それとはまた違うんですね。こう自分の中にイメージがあって、いかにこう最初のほうで(必要以上)にゆがませないように作るかってことに注力してます。で最後に焼きとか乾燥で、あとはもういいようにゆがんでくれたらちょうどいいなあっていう。
やり始めた最初の頃は、今ほど厳しくは作ってなかったんですよね。さっきも言ったけど、タタラけっこう簡単やと思ってたし。磁器はけっこう時間かかんのに、タタラは楽ちんやなあと。まあ作品を厳しく見るようになった今でも磁器に比べたら、やっぱり楽ちんなんですけども。いろんな意味で。とにかく今は質を上げたいという感じです。ただ目が厳しくなっていくとロス(と見なす品)が増えていくんですね、これいいのかなあ(笑)。
※上は焼成時、歪んでしまったプレート。カーブがすごいけれどオブジェのような美しさも感じた。
○目が厳しくなってきてるんかもしれないけど
土のテストもしてます。余計なゆがみは減らしたいし、耐火度高くて溶けにくい土というのを作ろうと思って。今よりもいい感じに。
で、土屋さんがいて。(※名字の土屋ではなく、土を売っている店という意味の土屋さん)土屋さんにそんな話したら、けっこういろんなこと教えてくれて。今いくつかテストしてて、もう少し土を改善できたらなと。もちろん自分の技術的なこともやっていくんですけど。土の専門家に話を聞くことって今まであんまりなくて。自分で勝手にやってたなと。話してみたら、やっぱり土のプロなんで細かいこともちゃんと知ってはるんですよね。ちょっと質問したらすごいこう返してくれて。電話くれたりして。すげえいいなあと思って。これがうまくいったら改善するなと。
あと前から言ってましたけど、四角い皿ができないですね(苦笑)。目が厳しくなってきてるんかもしれないけど。どんどん取れなくなってますね。土を改善したらほんと良くなると思うし、なってほしい(笑)。
With a warm feelings ③
とりもと硝子店さんは、鳥本雄介さんと由弥さんの夫婦二人が営むガラス工房。
とは言えこのお二人を知る方々すれば、もはや夫婦二人のみならず長女、長男、そして生まれたばかりの次男坊を加えた、鳥本家から成るガラス工房だ、いう意見多数かもしれません。
それほどにとりもと硝子店さんのガラスは、ふだんの家族での暮らしから制作までがひと続き、ひとくくりになっていることが良く作用しているように感じます。
旦那さんだけがつくり手、もしくは奥さんだけがつくり手、というわけではなく。
それぞれ別個の一作家同士でもなく。
雄介と由弥の、吹く男と吹く女が一緒になって夫婦揃っての「とりもと硝子店」で、それがいまや子どもさんも生まれ、夫と妻の二人から世界は広がり、ひとつの家族になったからなのか。
鳥本さんのお二人は、ガラス作家の荒川尚也さんに師事し、荒川さんの晴耕社ガラス工房に勤務していました。
おなじみのガラス作家 森谷和輝さんもまた同工房に勤務経験があり、鳥本さんご夫婦(兄姉)と森谷さん(弟)は兄姉弟弟子という間柄です。
森谷さんが2011年に初個展をしてくださった時に二人は駆けつけてくださいました(当時はまだご夫婦ではありませんでしたが)。
雄介さんと由弥さんに初めてお会いしたのはこの時でした。
初対面の雄介さんは、まるで職人気質のうちの祖父のように寡黙で、どこか鋭くてセンシティヴな雰囲気を漂わせて見えました。
でももしかたらナイーブでシャイなのかなとも。
そして由弥さんはすらりとしたスタイルが印象的で、内面から新鮮な果実のような不思議な瑞々しさを放っている人だなと感じたのを覚えています。
今も昔も明るくて優しくて爽やかな風のようでちっとも変わりません。
そこからまたお二人に再会したのは数年先になるのですが、その間も森谷さんを介してお二人の話を聞くこともあったためか、数年後にお会いした際にも何か近しいもの、親しみを感じながら「お久しぶりです」といった温度感で会うことができたのは確かです。
とりもと硝子店さんのつくるアイテムは、実用性豊かである同時に、しなやかな遊び心や文学的要素を感じる作品も多いです。
今までお二人が培ってきたガラス制作の基礎や応用などの高い技術のほかに、文学や芸術、デザイン、お二人がともに好きな絵本、華道、自然科学などの教養や知識がたくさん散りばめられています。
雄介さん個人が作ってきた作品、由弥さん個人が作ってきた作品、それぞれの作風も大事にし、そして融合させながらまた新しいものを一つずつ二人で生み出す。
それがとりもと硝子店さんなのかなと思います。
以前の取扱説明書にある鳥本さんたち自身の言葉。
「とりもと硝子店のガラスは珪砂、石灰、ソーダ灰等、10数種類の原料から始まり、透明度、輝き、強度、厚み、耐熱性、音の響き、作業性等ベストを探りながらり品物が出来上がります」
自家調合は不安定な要素もつきまといますから簡単にできるわけではなく、どのガラス作家さんでも導入しているわけではありません。
実用性や用途に考えをめぐらせ、ガラスの柔らかさを生かしたフォルムもとても美しく時にチャーミングです。
そして材料から自家調合することで生み出したまるで日の光に柔らかく揺れる澄んだ澄んだ水のような、透明なガラス。
二人だからこそできるものを作ろうよということから始まって、そしてこれからも続けていこうという心意気が、二人がつくるガラスからいつも満ちているように感じます。
とりもと硝子店(鳥本雄介、由弥) 略歴
鳥本雄介 1975年生まれ。
鳥本(旧姓 酒井)由弥 1978年生まれ。
晴耕社ガラス工房に勤務、荒川尚也に師事。
それぞれ自身の作ったものを世の中に発表しながら、ガラスの技術だけでなく様々なことを学ぶ。
退社後、2人で窯を築く。
2015年独立、開窯。「とりもと硝子店」として活動を始める。