読み物
森谷和輝さんとガラスと ④
“自分の中の自然を映す「素地」として”
大学からガラスをやり始めた森谷和輝さん。
そうなるともう15年以上となってきます。それでもまだまだガラスの話は尽きません。
最近取り組んでいることから、駆け出しの頃の話も少し聞かせてくださりました。
これから先へ続く未来にこちらまで一緒に楽しみにさせられてしまう様子が印象的なインタビュー後篇です。
○ガラスは最初からきれいだった
――八角皿や十角皿、角取皿など定番は割と多くキャスト技法で作ってますけど森谷さんの言葉で作り方を教えてください。
森谷「キャストっていう作り方は、石膏で型を作ってそこにガラスのかけらを詰めて、窯の中で融かしていくとガラスがその型に沿って流れていく。ああ言葉にするとやっぱわかりにくいですね。
キャストは今安定感あります。十角(皿)とか。
八角(皿)の型は作り直したいんですけど。それは単に前の型がぼろくなってきたからで。
ま、直すからにはもっとより精度を上げたい。今までと違う素材で原型作ってみたりとか。
スライド丸鋸買ったから、これでもっとこう角度もピシッピシッとやって、そしたらもっとこう全体もきれいになる。
けど僕がやるとなんかあんまりピシッとはならなかったりもします。あれ?って。
素材が置き換わるからっていうのもありますけどね。
木でまずやって、次は蝋でやって、でガラスでやってってすると自然と崩れていくじゃないですか、自分の手の跡が。でもそういうのも面白いですよね。
最初の頃、なんでもこれでやったら面白いみたいに感じてた。なんにもわかってなかったけど感じてたと思う。
吹きガラスだと難しいっすからね。自分で“かたち”を作っていかなきゃならないから無理。技術がないと無理しちゃうっていうふうになる。
けどキルンワークは最初からそういうのとは違う…うまくいってなくてもいい感じに見えたりする。なんだろう?陶芸でもそうなのかな。釉薬かけて本焼きしたらなんかかっこよく見えた!みたいな。
まあとにかく一番最初ガラス触った時の衝撃ってそういうことですよね。
『もうこれ丸くなってるだけですごいきれいじゃん!』ってなった。
最初からきれいだったから。ほんと最初の頃そんなんでしたから」
――ああ、ピアスとか?(※初期の頃のピアスは粒状のモチーフだった。現行のピアスthinはキルンワークで薄く制作されており形状はかなり異なる)
森谷「そう!ピアス!あれ俺怒られましたからね」
――ええ?怒られた?
森谷「怒られました。ベテランのガラス作家さんに。ほら文化博物館のあの時ですよ。(※京都文化博物館で開催されているイベント“京都アートフリーマーケット”に駆出しの頃の森谷さんは出展されており私たちが出会ったのもそこで偶々)
『これはなんもしてない!』っつって。
俺も『ほんとそうですね』って。
でもあれはね、そんときはそれがすげえきれいだと、俺思ってたからね」
――そっか。あれ好きでした私も。指輪とかも同じ造りで。大切に使って修理出しにきてくださったお客様、去年もいらっしゃったじゃないですか。
森谷「ね、今もね大事にしてくれててね。あれは嬉しかった」
――とにかく文博のアートフリマの時は無垢な感覚を叱られてしまったと。
森谷「まあ…わかってなかったからなあ俺」
○みんな作ってるけどその人にしか作れないオーバル
――キルンでは新作のオーバルに力入れてますよね。
森谷「あれは楽しいですよ。オーバル。かたちを削って。結構かたちをね。だからびっくりしますよ、さっきと矛盾してるから話が(笑)
面白いんです、かたちを削ってね、自分のいいと思うかたちね。
あのかたちはね、ほんと削ってかたち整えて、ちゃんと型紙も作って。その通りに沿って。型にも乗せて、ちゃんと。
今までいろいろ言ってるけど、そんな考えを持ったまま今やってるのはこんな感じです。
これの面白味もあるし、決して工業製品みたいな感じにはならないし、なんか面白いんっすよね。削って丸く作ったけどもうそれがそういう自分なりの丸だっていうほうが面白いじゃないですか?」
――型にあててるのにどうしてもちょっと歪んだりしますよね。
森谷「そうそう!それね。型にあててマジックで書いて、ここまで削るんだよってやってるのに。けどその中でも、たぶんみんなにやらしたら違うじゃないですか。なんかそっちのほうが面白いって思いました。
オーバルなんてみんな作ってるけど、その人にしか作れないオーバル。
昔はかたちを削って…が、やだったというか単に設備的にできなかった気もするかな。
一番最初のキルンワークは荒川さんの影響が大きくて。リズミカルにシステマチックにぽんぽん作るっていうのを念頭に置いてたからあんまり削ったりとかいう作業がない感じで作ったという。
お皿なんてそういうね、ちょっとへこんでりゃいいはずだって。シンプルな丸で。
そういう感じで考えてたと思うんですけど、それともっとこういう感じで、もっと自分の好きな感じで作れるようになってきたのかなあ。
好きなものがわかってきたというだけかも。
作りたい感じがわかってきてるから自分出してもコントロールできてるというか。
好きな感じにもっていけるように。
これなんか最低限(笑)?スタート地点か!」
――今からまたスタートできるのいいと思います。新鮮です。
森谷「そう?最低限だね、やっと。そうかもしんない。俺、今までちょっとガラスに頼りすぎてたんだ。みんな頼りすぎないでがんばってんだ、ほかの方はね。
ま、でもいいですよ最終的には別に何も語ることはないという境地でいくんで」
――予定は、ですね。
森谷「うんまあどうなるかわからないけど。今オーバルはそんな感じで、すごく楽しいの。すごく。大変だけど設備もちょっと整ってきてるし、そこまで時間かけずに体の負担も少なくできるようになってきてるってのがあるから。そこで結構ね、設備の成長もかなりありますよ」
○ガラスってこう動くの?みたいなことがまだある
――設備を成長させると自分にも余裕が生まれて、仕事の質、ひいては作品の質も上がりますよね。
森谷「そうそう。導入してみたら『あ、こういうのもできるからこんなんもできそう』みたいな発想のもとになる。早く気がついたほうがいいですよね。ずるずるあるものでいったり、気づけないことで僕はむだな時間過ごしてきたから。それも必要な時間だったとは思うけど。それを経てね必要なものはどんどん取り入れたいと思うし」
――いいチャンスをつかむきっかけがもっともっと増えるかもしれないですね。
森谷「そうなんすよ。もっといい方法あったってね。決して早く作りたいってわけじゃないけど」
――今特にやってて楽しいものはなんですか?
森谷「今はオーバルとか葉皿とか薄いものを作りたくて。丸い板を作るときの枠の型をなしにして、鉛筆で輪郭だけ書いておいてそこに細かめのガラスのやつを敷き詰めておいて融かして作るんですね。けっこうギリギリの量を置いてるんで」
――去年葉皿を出してくれた時に『薄板作るのでギリギリ融けて流れる量だけ敷くから広がらなくて穴開いちゃう』と嘆いてましたよね?
森谷「そう変わってない!ほんとギリギリだから。オーバルもそれで穴が空いちゃって焼き直したりして。今それがネック。
なんかけっこう細かい(ガラスのかけら)のじゃないとだめで。大きめのかけらでやるとなんかもう穴だらけになっちゃって。『どういう融け方!?』っていう。
ターミネーターみたいにくっついてきゅって縮んだりするんですよね、粘度が高いから。
シャバシャバって感じじゃなくて、隣がくっつくと、縮んだりして。油もそうですよね、広がらない。薄いと広がらないんですよね。厚みがあればねえ。
――厚みがあると重力もかかりやすいから押されて広がりますよね。
森谷「ね。薄くやろうとするなら上から石膏の板で押すような型でやるとか、これから新しくできたらいいかな。
けっこうガラスってこう動くの?みたいなことがまだある。
焼き直したら逆に縮んで『なんで!?』みたいな。もう原因不明(笑)!そういうこともあるのかとまだまだね思いますね。
これからまだまだ考えて考えてのくり返しですね。本当にまだまだ続きそうです」
(了)
森谷和輝さんとガラスと ③
“自分の中の自然を映す「素地」として”
森谷和輝さんがご自分の作品を作り始めた当初から仕事をご一緒させてもらうようになり十年ほどの時間が経とうとしています。
その独特の存在感を持つガラス作品は、私自身が「ガラスのうつわ」に興味を持ち、触れる大きなきっかけを与えてくれました。
今では店としてはもちろん自分の暮らしにも欠かせない大きな位置を占めるうつわでもあり、その制作姿勢や発想に仕事をする者として尊敬の気持ちを持っています。
十年の時を経て、ほかにはないガラスの魅力を備えながら定番としての「使いやすさ」をも併せ持った作品たちはどのように作られ考えられているのかお話を聞きました。非常にマニアックな内容もそのまま。森谷さんの飾らない人となりと併せてお楽しみください。
○ガラスの変わらない良さ
――すごく昔に「苔むした石の感じはいいな、ガラスは経年変化しないので羨ましい」と言ってたことありましたよね?
森谷「そうだそうだ!言ってたなあ!言ってた…なんで言ったんだろ?
今どうかな。経年変化しないのは別に。
いや経年変化するものってやっぱ面白いと思いますけどね。それはだから同じことですよね、その作ったあとで磨かれていった感じで。削ぎ落とされていく、洗われた感じね。
今はあんま思わないっすね。経年変化してほしいとか。その憧れはないかな。
変わらないっていうのもいいですよね、うん、逆にね。それはそれで面白い。
周りはね、自分はね、年いくのにね、ガラスはね割れなきゃね変わらない。いいですよね。
素材としてそういうこと強みですよね。まあ割れちゃうんだけどねえ(笑)」
○もっと繰り返して作っていかないと
――森谷さんが耐熱ものを作るときに使うホウケイ酸ガラスは独特の透明度の高さやクールな素材感がありますけどそこに魅力を感じてやり始めたんですか?
森谷「うーん、いやあ。素材感に関してはね逆に不安持ってました。
そのなんか…吹きガラスで作られているものよりも、もうちょっと工業製品っぽい印象があったから。作られているものとか見ても。
最初はそれをどうしたら冷たい感じ…じゃないすけど工業製品っぽくならないようにするにはどうしたらいいんだろう?って思ってたな。
自分でも設備を持てるっていうのが先で。
耐熱という特性にすごく魅力はあったんですけど、耐熱で割とこう割れないとか、徐冷炉に入れなくても割れないらしいぞという情報ね…仲間内での。
吹きガラスでは、もういろいろやってる人も多い。この中で自分の個性というものを出す…っていうともう想像もつかないんですけどガラス自体を違うものを使って、でやったら自分なりのものができそうだなって。
実際やってみたら難しくて(笑)。味がないじゃないですか、あまり。
ガラスといえば透明でそこの中にガラスの中身とか質感が見えるのが味につながってる気がするんですけど。(ホウケイ酸ガラスは)その薄いガラスの中に何もないっていうか、ムラがない、均一で。
荒川さん(※荒川尚也さん。ガラス作家で森谷さんが数年間在籍していたガラス工房「晴耕社」を主宰)が最初作ろうとしたガラスが、なんかやきものみたいなガラス作りたいって始めて。
もうなんか…土みたいなガラスですよ。
そういうのを作ろうとしてたらしくて。で、やって色々入れたりして」
――不純物とか?
森谷「そう不純物。入れたりして。やってみたら汚かったらしく。あんまきれいなものにはならなかったって。
やっぱりこうガラスは、ガラス自体をとにかく透明で、一番純度が高い状態の透明なガラスを作って。
で、自分がそれに作用して自分の中の自然を映す「素地」として透明なものを作るっていう方向転換をしたっていう話を聞いていたので。
だからまあ素材自体に味はないけど、自分がつくれば、機械がつくったものではないものができるだろうっていうのは思っていたので。
ただあんまりこうね、作例的なものがなかったから見えないなという不安。
でも今はなんかできそうな気はしてます!(笑)
だからもっと繰り返して作っていかないとね、思っていた自然な感じっていうのは出てこないので。そのつもりでバーナーやってます」
○自分の中での当たり前をもっともっと考えて感じて、やっていって、そうなりたい
――作家活動としてはキルンワークから始めてましたよね。最近心がけていることはありますか?
森谷「もともとなんでキルンワーク好きかっていったら、型は自分で作ってるけど、ガラスが窯の中で動いて、っていうところは自分の意識とは違うものが起こるってものに面白味があったの。だからどっち(キルンもバーナーの作品も)も同じそういうものを目指すとだんだん近いものになってくんじゃないかなあと思うんすけどね。
あんまり自分のかたち作ろうとかそういうのあまり強めないほうがいいのかなというのは思ってる。
わかんないっすけどね。でももうねなんかどんどんやっていくうちにそういうこと考えなくてももういいかなっていうね、感じにね、なるんじゃないかなと。
すごく熱く説明してたような昔は。そんな時期もあったと思うし。
今も説明はしてるけど、もっともっとなくなっていったらいいやと。
そうなるまで自分の中での当たり前をもっともっと考えて感じて、やっていって、そうなりたいな」
――いつも自然体でいろいろ話してもらったり教えて頂いたりしてますがこれからは説明しない?
森谷「まあ言葉で説明するより見て!という感じに。
僕、ふだん話相手は奥さんしかいないから。そしたらあの人は一応ね、わかってくれる。それはよかったと思います。
作る上での話も聞いてもらったりしてますけどふだんの生活にもつながっていたりしますし」
――直接じゃなくてもふだんの生活が仕事に反映されることもありますよね。
森谷「そうですねえ。作品そのものにとまでじゃなくてもですよね。仕事場とか。
暮らしはね、ととのえていきたいなとは思います。自分の気分も違いますしね。
思い切って模様替えしたんですよ、窯の位置。
すぐ散らかってくるんでね僕。
たまに片づけたら、あー使いやすいー、動きやすいーとか思っちゃう。そういう基本の部分が仕事でも大事だなあというのは感じてます」
森谷和輝さんとガラスと ②
森谷和輝さんのガラス作品。
大きく分けると二つの技法があり、二種類のガラスがある。
ひとつはバーナーワーク。
バーナーによって棒状のガラスを溶かしながら、成形していく。
使うのは「ホウケイ酸ガラス」という、理化学器具等にも使用される、透明度の高い耐熱性を持ったガラス。
もうひとつはキルンワーク。
キルンは窯の意味。
低温(とはいっても800度前後)の窯で、型を用いてガラスを融かし、成形する。
使うのは「廃蛍光管リサイクルガラス」という、独特の淡い淡い青緑色が特徴的なガラス。
キルンワークは更に多くの技法が枝分かれしている。
中でもキャスト(キャスティングとも)と、スランプ(スランピングとも)という技法を森谷さんは多く用いる。
キャストは、型の中にかけら状のガラスを敷き詰め流れ融けることで成形する技法。
スランプは、予め作っておいた板状のガラスを型に置き、焼成すると型に沿って重力で流れ融けていくことを利用して成形する技法。
先日、電話で森谷さんに話をうかがっていた。
その時にふとこんな言葉を聞かせてくれた。
「バーナーとキルンのガラスと。
二つが近づいていけばいいなと思ってます。
どっちのガラスを一緒に並べていても、自分が、自分とこでできたガラスってわかって見えるように。
ほら、最初の頃は
『なんか別々のガラスじゃん?』
『作る人二人いんの?』
とか言われちゃってたじゃないですか。
でもだんだんと近づいてきてる気がするので。
技法とか素材とかじゃなくて、もとになる、自分がこう作りたいものがちょっとわかるようになってきて。
それにもとづいて、こうどっちのガラスもやっているので。
ガラスなんて、コントロールできないっすから僕は。
そこから始まってるんで、面白いなと思ったところは。
学生(大学)の時かな?
全然こうなんかね流れてないんですけど石膏の中で。
流れてない感じがすごい面白くて。
流れてなくって、でも流れてないのが自然のものみたいな感じに見えたんですよね。
自分でこういう感じにしようと思ってやったけどそこにはガラスが届いてなかった。
で、そのとろっと流れる途中みたいなかたちが、なんか自分の意識とは違うかたちだった。
だからすごく自然なものって感じなんですよね。
自然なものに憧れているのかもしれないっすね。
感動するってなんかそういうもののことが多いから。
自分で作ってるけど、繰り返して作っていくと意識しないでも作れるようになってくる。
それでできたかたちは、自分のものっていうよりかはちょっとこう…自分が薄れていくじゃないですか?
キルンもですけど、バーナーはそういうのをもっと目指したいなと思ってますね。
デザインとかは普通でいいというか。
普通で使いやすいほうがいいから。
あんまり突飛なかたちとかはまあ自分は作れないから。
最小限のかたちのものを繰り返し作っていって、自分が薄れるようなものに近づけたほうがいいですよね。
無理してないのがいいっすよね」
バーナーのものたちと、キルンのものたち。
まったく異なるようでいてどちらのにも森谷さんが常に愉しみながら大事にしている「ガラスの動き」や「流れる様子」を見て取ることができる。
…ような気がする。
素材感や技法の違いなどを飛び越えたところに、確かに存在する気配。
自我とか自分の意識を手放していくことで、よりその人らしさの純度が濃くなっていく。
制作する上での思いや感覚、それは森谷さんがふだんを生きる中にもどこかにつながっている。
つながるその糸のような部分を新たに知ってもらうことで、森谷さんの作品を手に取ること、興味や愛着を覚える一歩やきっかけとなってくれたら幸いです。
森谷 和輝(もりや・かずき) 略歴
1983 東京都西多摩郡瑞穂町生まれ
2006 明星大学日本文化学部造形芸術学科ガラスコース 卒業
2006 (株)九つ井ガラス工房 勤務
2009 晴耕社ガラス工房 研修生
2011 福井県敦賀市にて制作を始める
森谷和輝さんとガラスと ①
はじめに
緊急事態宣言が出るすこし前、福井の森谷和輝さんを訪ねた。
どんな展覧会にしようかとの話し合い。
浮かんでいた漠然としたイメージ。
ほしかったのは、遊ぶように自由になれること。
窮屈さを覚える日々に慣れはしても、なくなるわけじゃない。
だから、自由気ままに愉しめるものとか
ただ感じたままに心遊ばせるものを
いろんな方にお届けしたいですね、と私たちは話した。
それから新たに手がけ出した作品を
森谷さんはテーブルに並べ始めた。
そばに活けられた花の終わった桜が、
次はふかふかの小さな若葉を幾つも芽吹かせていた。
穏やかな4月最初のいい一日だった。
ここのみに存在している光。
ガラスの中。
この場所。
森谷さんのガラスを手に取る人の、心に中に。
明るい光が、軽やかに誰かの中に差し込むことを願う。