読み物
With a warm feelings ⑤

“気持ちよく使ってもらわないと意味がないですよね”
ブランドsu-nao homeを立ち上げ、黒の陶器のうつわを作る松本圭嗣さん。比較的薄手でありながらも丈夫さも兼ね備えています。金属のように硬質に見える時もあれば、漆のうつわのような柔らかな表情を見せてくれる時もあり、その存在感は独特です。大学生時代のアメリカ留学をきっかけに陶芸の世界に入り、卒業後は岐阜県多治見市にある多治見市陶磁器意匠研究所へ。その後は磁器のうつわやオブジェの世界で制作を重ねながら2004年に大阪のご実家の一角にある工房で陶芸教室を始めます。そして2015年に今のsu-nao homeをスタートさせます。磁器から陶器へ、そしてろくろ成形からタタラ成形へと技法も転身。経歴を見ると、大胆で思い切りがいい方なのかな?と印象を受けるかもしれませんが、お話からは緻密な考察や細やかな感受性、そしてあたたかなお人柄の一端がちらりちらりと垣間見えました。
○お客さんを見ていて、使ってくれる人を見ていて
歳とったのかなとも思うんですけど、なんか僕結局喜んでもらえたことが、人に喜んでもらえることが喜びやなと思うんですよ、今は。(su-nao homeを始める以前)オブジェとか磁器やってた頃は自分が喜んでたんですね。今はsu-nao homeのうつわを使ってくれた人が喜んでくれたら嬉しいな、と。そんな感じで。それに自分の作りたいことも追求できて。ありがたいことだなと。
多治見にいた頃は、けっこう競争やったんですよ。誰が売れていくか、有名になっていくかみたいな。そういうとこがあったんですね。ついていた先生自体もそうだったし。そういうもんだと思ってた。で僕、そこから離れて大阪に来て。離れてみると気持ちも楽やし、心地もいい。今は周りの陶芸やってる人じゃなくて、お客さんを見ていて、使ってくれる人を見ていて。別の違う世界があった。それでまた作ったものを買ってもらえてるいるからね。本当にありがたいなと思います。

○「満足」を買ってもらっていたり使ってもらったりしてる話
僕たちの仕事って「満足」を買ってもらっていたり使ってもらったりしてる話でしょう?気持ちよく使ってもらわないと意味がないですよね。お客さんが、もし(うつわの)形が気になるとかあればすぐ気持ちよく替えますし。そうしたらお客さんも気持ちよく買えるし「気持ちいい対応してもらえたなあ」って思う体験が価値になるっていうか。それが先につながっていく。そういう話なんかなあと。
あと陶芸教室を始めた頃ね、いいものを作ってもらおうと思ってたんですよ。今は楽しんで帰ってもらおうと思ってて。満足って、人それぞれ違うから。いいものを作りたい人も来るし、遊びたい人も来るし、息抜きしたい人も来るし、その人が楽しかったなあと思って帰ってもらえたらいいもの作れるより大切やなあと。女の人のほうが「感情のいきもの」とかいうけど、人間ってどんな人でもどちらかというと感情とか感覚を大事にしてるんちゃうかなあ。
su-nao home |松本圭嗣 略歴
1973 京都市生まれ
1995 アメリカ サウスダコタ州 Dakota Wesleyan University で陶芸を始める
1998 追手門学院大学 経済学部卒業
2000 多治見市陶磁器意匠研究所 修了
2000 板橋廣美師事
2004 大阪高槻市に「やまぼうし工房」設立
磁器の制作及び陶芸教室を主宰
2015 陶器ブランド「su-nao home」を立ち上げる
(HPより抜粋)
*****
文中、タタラ作りとか型作りという言葉がよく出てきます。
これはsu-nao homeで採られているうつわ制作技法のこと。
タタラ(タタラづくり、型づくり、板づくりなど他の呼び方もある)は粘土を板状にし、均一な厚みを利用し作品を成形する技法のことです。
かたまりの状態の粘土を糸を用いて切って板状のものをまず作ります。
あとは作りたいものの型に沿ってかぶせたり、型の中に押し込むなどして成形します。
塊の状態からろくろで挽いていく中で厚みを構築していくろくろ成形とは異なる点です。
熟練のつくり手はできるだけ均一な厚みに挽いていきますが、それでもほのかな凹凸がろくろのリズムとして表面に出ます。
この、板状にした比較的均一な厚みの板土から作られているという部分でも、su-nao home独特の端正で淡々としたトーンが出来上がっているのではないかと思います。
プロダクトのうつわに近いような佇まい。
それでいて、土からのゆらぎ、焼成からのゆらぎ、松本さんの手仕事の呼吸のかすかなゆらぎを感じます。
風にそっとたゆたうかのような輪郭やうつわの口辺のささやかな角度。
独特の黒い色も。
それぞれがそれぞれの黒の濃淡を持っていて、陰影も感じます。
食卓をシャープにモダンにまとめ上げてくれるので洋のお料理は一段とかっこよくお店風に。
土もののうつわや漆のうつわなどと合わせると、柔らかな気配をまとって、しっとりと和の料理を引き立てます。
松本さん自身で調合しているというこの黒い色の釉薬には一般的な黒系の釉薬よりもかなり高い配合で金属成分を入れているそう。
色合いや質感を決める大切な工程も、度々工夫とテストを欠かさないそうです。
su-nao homeのうつわの「su-nao」はその響きの通り、素直からとったもの。
かっこつけるわけでもなく、載せた料理の素直な良さをそっとさり気なく引き立ててくれます。
シンプルで、使っていけばいくほどにじわじわと、その使い勝手の良さに改めて気がつかせてくれるようなうつわ。
その黒い色も、少しずつ時間をかけてその家ごとの表情も表れてくるでしょう。
そしてもうひとつ。
仕上げとしてオイルを刷り込んでいるいるという、この質感もひとつの大
やきものはそもそも、その焼成ごとに、あるいは制作時期によって
松本さんからも
「年単位や窯単位で質感が違っている事はあると思っています。買
というメッセージをもらいました。
一見するとささやかな違いかもしれませんし、そこにオイルを刷り
それでもいくつか群れのように並んでいる姿を眺めると、オイルの
実用と美しさへの細やかな心遣いそのものが、su-nao homeといううつわの特徴だと思います。
レストランのような気分で食事を味わいたい時も、いつものふだんの家庭料理を楽しみたい時でも、ふと手にとりたくなる。
オブジェを作る世界で制作の時を過ごしていた松本さんが次に目指したのは、そっといつもの料理を支えるような脇役の、生活の道具としてのうつわ、静かな存在感。
日常にゆっくりと溶け込んでいくように、あなたのいつもの料理を楽しみながら盛りつけてみてください。派手ではなくても、ふとした瞬間に浮かぶいきいきとした料理を見れば、また手にとりたく心地良さや使いやすさをきっと味わって頂けるかと。
With a warm feelings ④

“気持ちよく使ってもらわないと意味がないですよね”
ブランドsu-nao homeを立ち上げ、黒の陶器のうつわを作る松本圭嗣さん。比較的薄手でありながらも丈夫さも兼ね備えています。金属のように硬質に見える時もあれば、漆のうつわのような柔らかな表情を見せてくれる時もあり、その存在感は独特です。大学生時代のアメリカ留学をきっかけに陶芸の世界に入り、卒業後は岐阜県多治見市にある多治見市陶磁器意匠研究所へ。その後は磁器のうつわやオブジェの世界で制作を重ねながら2004年に大阪のご実家の一角にある工房で陶芸教室を始めます。そして2015年に今のsu-nao homeをスタートさせます。磁器から陶器へ、そしてろくろ成形からタタラ成形へと技法も転身。経歴を見ると、大胆で思い切りがいい方なのかな?と印象を受けるかもしれませんが、お話からは緻密な考察や細やかな感受性、そしてあたたかなお人柄の一端がちらりちらりと垣間見えました。
○今は丁寧にできる仕事だなと
僕、タタラ始めた頃、ずいぶん簡単やと思ったんやね。それまで磁器でろくろ挽いてたくさん細かいこと気をつけながら仕上げて…に比べたらなんやずいぶん簡単やと。でも実は全然、そんな浅いもんじゃないなって始めてしばらくしたらけっこう奥深いって気がついて。そんな簡単でもなく、ちゃんとこう時間をいっこいっこかけて労力かけないとで、今は丁寧にできる仕事だなと思うようになりました。
最初は磁器と並行してたんですね。磁器作りながら黒いものを作りたいなと、釉薬のテストとか色のテストとかずっとしてて。タタラはね…型づくりは磁器では自分が思うようにできなかったんです。すごくこう歪んだりとか割れたりとか、素材の制約もあってタタラ作りでは当時はすごく難しかったんです。で陶器でやろうと思って。
○最後に焼きとか乾燥で、あとはもういいようにゆがんでくれたらちょうどいいなあっていう
素材の魅力ってあるじゃないですか。磁器やったらすごくシャープできれいで完璧な感じ。陶器は土くさいやつだったら焼きの魅力とか。で、タタラづくりはこうゆがむんですね。気持ちのいいゆがみと、気持ちの悪いゆがみがあったりして。ゆらぎというか。いいゆらぎが出せたらいいなと思っていてというのはありますね。
それにはやっぱり、すーごいきれいに作るんです。すーごいきれいに作って、で、ゆがむんです。そのゆがみや揺らぎと、適当に作ったゆがみとは、質が僕ん中ではずいぶん違って。作るときはだからほんまにね、めちゃめちゃ丁寧につくって、めちゃめちゃきれいに作るんです。で、焼いたらちょっとゆがむ。少しロスも出るんですけど、それで気持ちのいい、心地いい揺らぎが出るんです。焼く前まできれいに作るのが大切で。
機械で作ったらあんまりゆがまないですよね。それとはまた違うんですね。こう自分の中にイメージがあって、いかにこう最初のほうで(必要以上)にゆがませないように作るかってことに注力してます。で最後に焼きとか乾燥で、あとはもういいようにゆがんでくれたらちょうどいいなあっていう。
やり始めた最初の頃は、今ほど厳しくは作ってなかったんですよね。さっきも言ったけど、タタラけっこう簡単やと思ってたし。磁器はけっこう時間かかんのに、タタラは楽ちんやなあと。まあ作品を厳しく見るようになった今でも磁器に比べたら、やっぱり楽ちんなんですけども。いろんな意味で。とにかく今は質を上げたいという感じです。ただ目が厳しくなっていくとロス(と見なす品)が増えていくんですね、これいいのかなあ(笑)。

※上は焼成時、歪んでしまったプレート。カーブがすごいけれどオブジェのような美しさも感じた。
○目が厳しくなってきてるんかもしれないけど
土のテストもしてます。余計なゆがみは減らしたいし、耐火度高くて溶けにくい土というのを作ろうと思って。今よりもいい感じに。
で、土屋さんがいて。(※名字の土屋ではなく、土を売っている店という意味の土屋さん)土屋さんにそんな話したら、けっこういろんなこと教えてくれて。今いくつかテストしてて、もう少し土を改善できたらなと。もちろん自分の技術的なこともやっていくんですけど。土の専門家に話を聞くことって今まであんまりなくて。自分で勝手にやってたなと。話してみたら、やっぱり土のプロなんで細かいこともちゃんと知ってはるんですよね。ちょっと質問したらすごいこう返してくれて。電話くれたりして。すげえいいなあと思って。これがうまくいったら改善するなと。
あと前から言ってましたけど、四角い皿ができないですね(苦笑)。目が厳しくなってきてるんかもしれないけど。どんどん取れなくなってますね。土を改善したらほんと良くなると思うし、なってほしい(笑)。

With a warm feelings ③

とりもと硝子店さんは、鳥本雄介さんと由弥さんの夫婦二人が営むガラス工房。
とは言えこのお二人を知る方々すれば、もはや夫婦二人のみならず長女、長男、そして生まれたばかりの次男坊を加えた、鳥本家から成るガラス工房だ、いう意見多数かもしれません。
それほどにとりもと硝子店さんのガラスは、ふだんの家族での暮らしから制作までがひと続き、ひとくくりになっていることが良く作用しているように感じます。
旦那さんだけがつくり手、もしくは奥さんだけがつくり手、というわけではなく。
それぞれ別個の一作家同士でもなく。
雄介と由弥の、吹く男と吹く女が一緒になって夫婦揃っての「とりもと硝子店」で、それがいまや子どもさんも生まれ、夫と妻の二人から世界は広がり、ひとつの家族になったからなのか。
鳥本さんのお二人は、ガラス作家の荒川尚也さんに師事し、荒川さんの晴耕社ガラス工房に勤務していました。
おなじみのガラス作家 森谷和輝さんもまた同工房に勤務経験があり、鳥本さんご夫婦(兄姉)と森谷さん(弟)は兄姉弟弟子という間柄です。
森谷さんが2011年に初個展をしてくださった時に二人は駆けつけてくださいました(当時はまだご夫婦ではありませんでしたが)。
雄介さんと由弥さんに初めてお会いしたのはこの時でした。
初対面の雄介さんは、まるで職人気質のうちの祖父のように寡黙で、どこか鋭くてセンシティヴな雰囲気を漂わせて見えました。
でももしかたらナイーブでシャイなのかなとも。
そして由弥さんはすらりとしたスタイルが印象的で、内面から新鮮な果実のような不思議な瑞々しさを放っている人だなと感じたのを覚えています。
今も昔も明るくて優しくて爽やかな風のようでちっとも変わりません。
そこからまたお二人に再会したのは数年先になるのですが、その間も森谷さんを介してお二人の話を聞くこともあったためか、数年後にお会いした際にも何か近しいもの、親しみを感じながら「お久しぶりです」といった温度感で会うことができたのは確かです。
とりもと硝子店さんのつくるアイテムは、実用性豊かである同時に、しなやかな遊び心や文学的要素を感じる作品も多いです。
今までお二人が培ってきたガラス制作の基礎や応用などの高い技術のほかに、文学や芸術、デザイン、お二人がともに好きな絵本、華道、自然科学などの教養や知識がたくさん散りばめられています。
雄介さん個人が作ってきた作品、由弥さん個人が作ってきた作品、それぞれの作風も大事にし、そして融合させながらまた新しいものを一つずつ二人で生み出す。
それがとりもと硝子店さんなのかなと思います。
以前の取扱説明書にある鳥本さんたち自身の言葉。
「とりもと硝子店のガラスは珪砂、石灰、ソーダ灰等、10数種類の原料から始まり、透明度、輝き、強度、厚み、耐熱性、音の響き、作業性等ベストを探りながらり品物が出来上がります」
自家調合は不安定な要素もつきまといますから簡単にできるわけではなく、どのガラス作家さんでも導入しているわけではありません。
実用性や用途に考えをめぐらせ、ガラスの柔らかさを生かしたフォルムもとても美しく時にチャーミングです。
そして材料から自家調合することで生み出したまるで日の光に柔らかく揺れる澄んだ澄んだ水のような、透明なガラス。
二人だからこそできるものを作ろうよということから始まって、そしてこれからも続けていこうという心意気が、二人がつくるガラスからいつも満ちているように感じます。
とりもと硝子店(鳥本雄介、由弥) 略歴
鳥本雄介 1975年生まれ。
鳥本(旧姓 酒井)由弥 1978年生まれ。
晴耕社ガラス工房に勤務、荒川尚也に師事。
それぞれ自身の作ったものを世の中に発表しながら、ガラスの技術だけでなく様々なことを学ぶ。
退社後、2人で窯を築く。
2015年独立、開窯。「とりもと硝子店」として活動を始める。
With a warm feelings ②

su-nao homeというブランドを立ち上げ、陶器の黒いうつわを作っていらっしゃる松本圭嗣さん。
常設でお取扱したことは今までなく、今回の二人展で百職では初お目見えとなります。
ただ以前からsu-nao homeさんのうつわとお名前は知っておりました。
あれは2015年の「灯しびとの集い」。
作家さんの販売の手伝いしていた時、隣のブースで出展されていたのがなんと偶然にも松本さんのsu-nao homeさんでした。
松本さんのブースは二日間とも大人気で大賑わい。
(あの頃は確か生まれたばかりのお子さんも連れておられたような。ブースも忙しそうでしたが、お子さんのミルクやおしめなどでたぶん奥さまが慌しくされていたことをなんとなく覚えています)
どんなうつわかちょっと覗きに行きたいなと思いつつ、ほぼずっとお客様でいっぱいの状態で中々見ることができず。
それでもようやく隙間から覗いてみると本当に黒いうつわだけ。
黒のみに絞っているところが逆に見る人には伝わりやすく、色を絞ることで多彩なフォルムがいきいきして、サイズ展開の豊富さもありすごく使いやすそうでした。
あとはおぼろげな記憶ですが、うつわ自体が今よりもほんの僅かにまだ厚みがあったような気がします。
シンプルなものは、うつわ自体の厚さや薄さ、ほんの少しのリムの角度や口辺の口作りの角度などでぐっと印象が変わります。
もっと洗練されていったら、これからどんどん黒の映える美しいうつわになっていくんだろうなあ…などと生意気なことを思っていました(すいません松本さん…)。
そして実は、その時にも一度お店として声をかけてみようかなと、灯しびとから帰ってきてからしばらく考えている時期がありました。
でも当時の百職は今以上にまだまだ未熟なお店だったので取扱作家さんを増やすことに不安を感じていました。
もしお付き合いさせてもらえたとしても、ちゃんと作品を見て意見を伝えたり、一緒になってより良いものを作るお手伝いができるだろうかと私自身が店主としていまいちまだ自信が持てない頃でもありました。
そうして結局踏み切れないまま時は過ぎ。
2019年の6月、陶芸の井上茂さんの個展開催の折。
思わぬ出来事が。
井上さんと交流があるとのことで、なんと松本さんが展示をご覧になりにいらしたのでした。
その際、松本さんは「B品ですがよかったら使ってみてください」と小鉢をくださいました。
2015年の時は手にすることができなかったうつわ。
松本さんから頂いた時、その時は何も言わず態度にも出さずでしたが、
「運命ってやっぱりあるのかもしれない」
と感慨深く心の内側があたたかくなったということは、今本当にはじめてここで書きました(松本さんにもまだ話していません笑)。
松本さんが作るsu-nao homeのうつわ。
とても細やかに気持ちを行き届かせて作られている食器です。
一見些細に思えることでもそのささやかな気づきの積み重ねや集積。
それが、うつわの姿となって仕上がり、それがすべてとなって還ってくる。
それがあるから、使う人も扱いやすく安心して気持ちよく使うことができる。
あの頃よりもますます美しいシルエットやディテールを感じています。
皆さんと一緒に私自身も、これからsu-nao homeさんのうつわの魅力を発見していきたいです。
su-nao home |松本圭嗣 略歴
1973 京都市生まれ
1995 アメリカ サウスダコタ州 Dakota Wesleyan University で陶芸を始める
1998 追手門学院大学 経済学部卒業
2000 多治見市陶磁器意匠研究所 修了
2000 板橋廣美師事
2004 大阪高槻市に「やまぼうし工房」設立
磁器の制作及び陶芸教室を主宰
2015 陶器ブランド「su-nao home」を立ち上げる
(HPより抜粋)
With a warm feelings ①

序
私の母方の祖父母は、
絵に描いたような寡黙な職人の祖父だったが、
「1ミリもぶれない仕事を人間がやるのはすごいことだけど、
人がやるどんなものにもそれぞれ違う僅かなぶれや歪みがある。
それぞれ違う僅かなぶれや歪みにも臨機応変に対応できるのが人の
誇っていい仕事だと思うんだな。
三脚立てりゃあきっちりした写真が撮れるが、
揺らいだ写真には撮る人の呼吸も写っていて、
そういうものかと聞いていて、今ではすっかり刷り込まれた話だ。
あれから時代は移り変わってはいるが、
原料からガラスを自家調合し、
端正な磁器を手がけていた感覚が生かされた、
どちらも強い作家性や主張を声高に叫ぶ作風ではない。
それぞれが作るものの中に現れる独特の「揺らぎ」
じっと見つめると見えてくる、耳を澄ますと囁いてくる。
フォルムや質感、色合いの揺らぎは、
