読み物
With a warm feelings ①

序
私の母方の祖父母は、
絵に描いたような寡黙な職人の祖父だったが、
「1ミリもぶれない仕事を人間がやるのはすごいことだけど、
人がやるどんなものにもそれぞれ違う僅かなぶれや歪みがある。
それぞれ違う僅かなぶれや歪みにも臨機応変に対応できるのが人の
誇っていい仕事だと思うんだな。
三脚立てりゃあきっちりした写真が撮れるが、
揺らいだ写真には撮る人の呼吸も写っていて、
そういうものかと聞いていて、今ではすっかり刷り込まれた話だ。
あれから時代は移り変わってはいるが、
原料からガラスを自家調合し、
端正な磁器を手がけていた感覚が生かされた、
どちらも強い作家性や主張を声高に叫ぶ作風ではない。
それぞれが作るものの中に現れる独特の「揺らぎ」
じっと見つめると見えてくる、耳を澄ますと囁いてくる。
フォルムや質感、色合いの揺らぎは、
やきもの、益子、近藤康弘 ⑥

今回、近藤さんにロングインタビューというかロングモノローグを頂いた際に、今回、或いは今後の釉薬について少しお話をお聞きしました。
この辺りにも新しい展望が窺えて、ちょっと今後も見据えながら楽しみです。
マニアックですがお好きな方はどうぞ。
近藤「最近の心持ちってのがあって益子の伝統釉をもう一回ちょっと使ってみようかなって思い始めてて」
並白 なみじろ|透明釉
糠白 ぬかじろ|籾殻を使った白い釉薬
益子青磁 ましこせいじ|糠白に銅を足した青~緑系統の釉薬
柿釉 かきゆう|益子で産出される芦沼石100%の赤みのある釉薬
黒釉 くろゆう|柿釉に灰と籾を足した黒味のある釉薬
飴釉 あめゆう|黒釉に更に灰を足した飴色系統の釉薬
近藤「ここら辺が定番の釉薬かなと思ってて。
最近益子黒の釉薬を作ってみたくてテストも終わったんで展示会にちょこっと出せたら。
あと糠白、白の。
糠って字は米偏に康で。米食ってる康やぞって昔言われて。それを最近思い出してて使ってみようかなと思ってます。
良い悪いは置いておいてうまく使いこなせてるのとかも置いておいて、これから使ってみようかなと思ってます。
三彩には、飴と織部釉(透明釉に銅を足したもの)を使ってます。
今後もう一回見つめ直していきたい。
意外に益子でやってる人は少ないんで。
素朴な感じが好きです」
(了)
やきもの、益子、近藤康弘 ⑤

“人生の第三の変化というか、わくわくしてます”
今回2年ぶりに個展をして頂く益子在住の近藤康弘さん。はじめて知り合ったのは2012年だったと思いますが、そこから8年。
折しも世界中で新型コロナウイルスが広まり変化を促される私たちの暮らし。
この状況下。近藤さんご自身もあえて変化を求め10年以上過ごした工房から旅立ち、新たな工房へと向かうことを決めたそうです。
人生で3回めの変化と言えるかもしれないという今。
改めて今までの道のりを振り返りながら、今後に向けて胸を弾ませる気持ちを近藤さんに語ってもらいました。
○生まれて初めてのやつと、ここ1週間で二つも見たってことですごくわくわくして
まあ引越ししようって思ったのはやむを得なく出てきたことで。
コロナの影響で春先に緊急事態宣言が出て、その時に今の自分の工房をお金をかけてでも直そうって思って。
業者さん頼んで窯小屋も作ってもらおうとか。お金を借りる段取りまでして。床も剥がしコンクリ流そうとしたけどなんせ大変で。
緊急事態宣言の出た時は散歩したり筋トレしたりけっこう健康的に過ごしてたんです。
でも梅雨に入ってからおかしくなって。本当に太陽が出てなくて毎日こうね… 益子も他の人もこうカビが出たりして、自分とこも(前から問題にしていた)例のかなり湿気がすごいところだから手に負えない感じでだめになってきて。もうそれで気持ちが参ってしまって。個展も中止になり。
なんとか現状を変えたい、どうしようってなった時に、今の工房から離れて新しく探そう、家を建てよう、土地を探してって思って。そこからいろいろな人に聞きまわったり探して始めて。
でもなかなか気に入る土地、物件はないなって気づいて頭がクールダウンしていくわけなんですけど。
そこから一週間くらいしたらふと新しい物件の話が来て。携帯の電波も入らないような水道も通せない、益子のはずれにあるほとんど山の中みたいな。ただ隣近所もすごく離れているから権利関係も心配ない。
それに植物も増えてきて、そいつらも連れていきたいなって。で、そこの場所はぴったりで全部持ち込める場所で。だからもう植えたい放題です。住居スペースは完全に密閉されてて虫とかも入らないようになってて、それで奥さん安心かなって。
ただ、3日くらい前に行ったらその虫が入らないはずの部屋の中にゲジゲジのむちゃくちゃでかいやつがいてて。調べたらゲジゲジって2種類しかいなくて、そのオオゲジってほうのやつで。西日本〜九州しかいないはずなのに益子の部屋の壁にいてて。
自分でも生まれてから見たことない12センチくらいの。楳図かずおの漂流教室に出てきた気持ち悪い虫そのものっていう。そんなん出て。まあやっつけたんですけどね一撃で。でもまた改めて調べたら益虫で。可哀想なことしたなと思って。
で昨日は昨日で玄関の横に鳥が一羽死んでて。お亡くなりに。それがまた見たことない種類で。また調べたらトラツグミっていうレアなやつで。それが何故かお亡くなりになってて。そのトラツグミはヌエっていう妖怪のモデルじゃないかって言われてて、鳴き声が。夜中に悲しげに鳴くような。
姿は可愛くてきれいだったし、お亡くなりになってて気の毒でしたけど、生まれて初めてのやつと、ここ1週間で二つも見たってことですごくわくわくして。
○環境の変化でいいように作るものが変わったらいいな
人生の第三の変化というか、わくわくしてます。環境の変化で作るものも変わるんじゃないかっていうのを、やきものの学校の先生が昔言ってたんですね。
今回の環境の変化でいいように作るものが変わったらいいなと思ってます。
あと新しい場所んとこなんですけどね。山があって道路挟んで川の上流、1メーターくらいの幅の川が流れているんですけど、その川の音がなかなかいいです。落ち着くっていうか。
小鹿田焼を見に行った時に見た唐臼がいいけど俺には縁がないなあと思ってたら、今度の新しい場所なら唐臼も作れるかもって企んでんですよ。
薪窯も充分に作るスペースもあって、もうここら辺に作ろうかなって決めてて。で最近ちょっと松を切り出してる現場が益子でもあって。そこで安く売ってもらってもう薪を集め始めています(薪として使えるようになるまでは半年から一年乾燥させる)。
仕事場のレイアウトも変えていきたいですし、わくわくしますね。もう知らず知らず今の仕事場もどんどん溢れてしまって、動線が確保できなくなって身動きができなくなってて。昔の写真見直した時に全然違うなって。もっと物が少なくて機能してた。コロナの影響で自分を見つめ直した時に物を減らそうって。
これから工房と家が一つになって。来年から新たに近藤窯にしようかなと。kondo potteryで、漢字では近藤窯。新しいノートパソコン買って、でメールアドレスもkondo potteryで新しく作っちゃったんで(笑)
本当に今とこれからにわくわくしてますね。
近藤康弘(こんどう・やすひろ) 略歴
1978 大阪府千里に生まれる
1997 京都で陶芸を学ぶ
2004 栃木県益子町 榎田勝彦氏に師事
2009 益子町にて築窯、独立 
やきもの、益子、近藤康弘 ④

“人生の第三の変化というか、わくわくしてます”
今回2年ぶりに個展をして頂く益子在住の近藤康弘さん。はじめて知り合ったのは2012年だったと思いますが、そこから8年。
折しも世界中で新型コロナウイルスが広まり変化を促される私たちの暮らし。
この状況下。近藤さんご自身もあえて変化を求め10年以上過ごした工房から旅立ち、新たな工房へと向かうことを決めたそうです。
人生で3回めの変化と言えるかもしれないという今。
改めて今までの道のりを振り返りながら、今後に向けて胸を弾ませる気持ちを近藤さんに語ってもらいました。
○今後はその気持ちの変化を形にしていきたいなと。言ってるだけで終わらせたくない
18歳の時に劇的に変化があったとして。今まで自分の人生、ただの普通のサッカー少年だったのがどっちかというと文化系になって。その時に1回目の変化があって。
で、民藝と出会ってからけっこう熱くなっちゃって弟子入りまでして独立までがやっぱりこう劇的で、2番目の変化だったと思います。
そして最近またコロナの今年、3度目の波が来たんじゃないかと。
気持ちに変化はありましたね。
今後はその気持ちの変化を形にしていきたいなと。言ってるだけで終わらせたくないから。

○それぞれ自分を振り返って自分の気持ちの整理したりとかそういう時間が持てたんじゃないのかな
環境の変化ってのも大きいなと。渡邊さんもね、百職さんの店の場所が変わって新たに歩みを始められましたよね。
2016年のオリンピックを見てた時に、2020年には東京でオリンピックが来るとかいってそんなに興味があったわけでもなく。
まあでもせっかく東京に来るっていう大きいことなら、自分でも何か寄せて関わりたいなって。一つ目標を作って、俺のオリンピックっていうかちょうど4年前に目標を決めて。薪窯を作ろうと。
…だったんですけど日にちはどんどん過ぎていっていくけど進まなくて。腹が決めきれなくて。窯の材料は渡邊さんも知っての通り集まったんですけどね。
隣の人が近いっていうのが気になって。煙とか焼成のパチパチいう音が夜の間中してしまうとか、そういうのを考えちゃって踏み出せない。これで始めていいのかと。
今年はじめて知った言葉でHSPって。物事にけっこう過敏になったり気になってしまう性質の人間をいうらしく。五人に一人はそれに当てはまるって言われているそうで。人によって気になる内容は違うけど、とにかくどうしても気になっちゃったことが出来るともう無視できない人。こういう業界、そのHSPの人多いのかなあとか勝手に思ってんですけどね。
だから俺もHSPなのかもしれないと受け入れるようにしたら気が楽になって。そこはもうしょうがないって思えるようになって。
隣の人に迷惑かけるかもって気になるんなら、気にならないところへ移ればいいかと。
それ気づくまでに時間かかっちゃって。
期限ばかり迫ってきて、百職さんでの今年の個展は本当は自分の作った薪窯で取れた作品を並べるって約束してましたけど、それがずっと心にあって。
結局今回は出来なかったけど、ただとにかく今後振り返った時にそれで良かったんじゃないんかなと思えるように。
焦ってもそんなにね、現状が変わったりするわけじゃないので、まあいろんなことをこのコロナ禍で、なんかそれぞれ自分を振り返って自分の気持ちの整理したりとかそういう時間が持てたんじゃないのかなって気がしますね。
やきもの、益子、近藤康弘 ③

“人生の第三の変化というか、わくわくしてます”
今回2年ぶりに個展をして頂く益子在住の近藤康弘さん。はじめて知り合ったのは2012年だったと思いますが、そこから8年。
折しも世界中で新型コロナウイルスが広まり変化を促される私たちの暮らし。
この状況下。近藤さんご自身もあえて変化を求め10年以上過ごした工房から旅立ち、新たな工房へと向かうことを決めたそうです。
人生で3回めの変化と言えるかもしれないという今。
改めて今までの道のりを振り返りながら、今後に向けて胸を弾ませる気持ちを近藤さんに語ってもらいました。
○それまではほんとにやきもののが好きとか、そういうのはなかった
高3のとき、進学するかどうしようかって時に、まあ俺長男で実家の家業があって。親父が一人でやってたんで、それで跡を継ぐのかっていう問題もあったりで。
継ぎたくなかったっていうよりかはとにかく自分のなんかやりたいことっていうか、なんかないかみたいな感じで他に探してたんですよね。
敷かれたレールじゃないところを探してみようっていうところで、リクルートブックで学校を探してみてた時に、やきものの学校とガラスの学校があって。で出したんですけど(資料請求を)、なぜかガラスの学校のほうが届かなくて。
でその流れでやきものの学校に行ってみたという感じで。それまではほんとにやきもののが好きとか、そういうのはなかったですね。
小学校の女の先生がやきもの好きな人がいて、授業で縄文土器を作って焼いてもらったりだとか、貝塚古墳を見に行ったりだとか。
そういうのをやってもらった記憶を、まあそん時にちょっと思い出したっていうか。ちゃんと考えている奴は考えているんだろうけど、のほほんとそんな悩まずにきたんでそこで現実と向き合ったっていうか。
その時の同級生には、なんで陶芸なんかっていう感じでけっこう止めてくれる子もいたり。やめとけと。
いきなり言い出したんで自分も。高校三年間、一度も言ったこともないから(笑)
○俺無理やろっていう、第一の挫折
そこでやきものの道に入るわけですけど、同級生の半分くらいが同世代の子らで、半分は脱サラして入った人とか定年してお金が充分にあってやりたいことやろうと入学した人がいて。
けっこうその自分は、同い年の子らよりもちょっと年上の人らとの交流が刺激があってですね、全然知らない世界を教えてくれて。学校で教えてもらうことよりもそこが面白かったっていう。
その内の一人に鯉江良二さん(※陶芸の概念を覆す卓越した技法で日常のうつわから現代美術として挙げられる「チェルノブイリシリーズ」などの代表作で知られる。今年8月に逝去)のお弟子さんが基礎技術を学ぶためにいたんですけど、その人と喋っていると面白いし、ちょうど通学路が一緒だったんで。
その人と仲良くしてもらっていたんですけど、それで鯉江さんの弟子時代の話とか鯉江良二って人をかなり教えてもらったりして。
で当時は今みたいな日常食器の作家さんが人気があるってよりもオブジェ作家さんがこう活躍してるというか。
18くらいの自分の、ない頭でもこの世界でのしあがったろみたいな夢見たんですけど、その鯉江さんのスケールの大きさを聞いてる内に、俺無理やろっていう、第一の挫折でしたね。
この道でやっていけないなと思いました。で、学校は一年でやめて。
でもま、やきものの道自体はやめず。その時は親に学費出してもらって申し訳ない気持ちがいっぱいっていう。そんな覚悟もできてない、自分のわがままで来ちゃったとなと思って。
当たり前だと思ってたことが当たり前じゃないことに気づき出す。
もしこのやきもの続けていくなら自分で働いて働きながらでも自分の力で切り開いていこうと、やめたんですよね学校を。
オブジェ作家さんというかアーティストというか、そういうのも無理だなって。自分が普通過ぎるって思っちゃって。
一年置いて、京都造形大の陶芸の通信コースの講義受けることにして。
それは当時は講義受けるごとにお金が発生する形だったからそれだったら働きながらつかず離れず講義を履修して、結果的にやきものとつかず離れずにずっといられたというか、繋げてくれたんですよねやきものの道を。
で自分がつかず離れずにいる間に、時代が変わっていくんですよね。
9.11があって、ああいう社会的に大きなことが起こるとトレンドなんかも大きく変わるんかなって。今思うとそうだったなと。
あの頃はそれがきっかけでオブジェ作家さん寄りの時流というかムードっていうかそういう人らが台頭していたから、日常食器を見直す流れへと変わっていった感じになったなと感じてて。
ちょうどその頃の自分が民藝協会に出会って。ちょっとこう出来心で(笑)それに入ったんです。京都民藝協会。それが大きな転機でしたね。